毎週日曜日はお出かけの日♪
夫の休みの日曜日は朝から暗くなるまででかけてます(´・ε・`)ムー
今回は北海道の銘菓、六花亭が運営する『中札内美術村』へランチに
4つの美術館とレストラン
ポロシリがあります!!
駐車場から柏の林の中を通る道が続いています!
風に葉が揺れる音がなんとも風情がありました(*゜▽゜*)
落ち葉に混ざってドングリやキノコ等が秋を感じさせます★
食事は地元の食材を使った料理が並び、
好きなお惣菜を選んで食べるというスタイルです!
栗おこわにごぼうのサラダ、煮物、そば粉の団子汁をいただきました!
夫とともに選んだのは8品 あれもこれもと欲張りすぎた結果・・・
結構なボリュームにΣ(°Д°;
周りを見渡すと皆さん、1品・2品ぐらいにご飯物といった感じで・・・笑
必死に食べて残さず食べきったものの動けません状態に
消化するには運動!!
そこでしばらくお散歩を楽しみ・・・
おしゃれな苔の生えたきりかぶを発見!!
小人でもいたら立派な渓谷に見えるのに・・・
と思いつつアップで撮影ε=ε=(ノ≧∇≦)ノ
★★★六花亭の歴史★★★六花亭の前身は、ヤマオヤジで有名な千秋庵。1933年にできた帯広千秋庵です。
千秋庵の社長の弟が、十勝には豊富に菓子材料があることに目をつけて帯広を選んだとのこと。当時、十数軒の和菓子屋がすでにあり、激戦地であったそうです。
当時の帯広の人口は約3万! その後第二次世界大戦にて休止・・・
1946年6月に営業を再開。統制品の使用を避けて蜂蜜や卵、牛乳などを用いたアイスクリームやカボチャ饅頭を製作し、物資の不足する中で好調な売れ行きに。1952年には帯広市から注文を受けて開基70周年記念式典用に『ひとつ鍋』を開発し、初の地域オリジナル菓子に。その後も店頭に行列ができる人気商品へ。
ひとつ鍋のヒットから、郷土をイメージさせるデザインの商品開発を進めていった。1967年にスイスでホワイトチョコレートを食べ、日本でもチョコレートの売上げが増大すると考えた。帰国後、不二家顧問の松田兼一に製造の指導を受けて、チョコレートの販売を開始。通常のチョコレートは売れたものの、ホワイトチョコレートを製造販売する業者は当時の日本国内には存在せず、売上げも芳しくなかった。しかし、1971年頃からカニ族の若者の土産を中心にホワイトチョコが人気を呼んで全国的な知名度も上がり、帯広千秋庵の売上げの3分の2を占めるように。
その後、別会社を設立して千歳空港での販売を開始したところ札幌千秋庵から商標権の使用中止要請があり、1977年5月に千秋庵ののれんを返上して六花亭に屋号を変更した。六花(りっか)は東大寺管長の清水公照が命名したもので、六角形の花、すなわち雪の結晶を意味する。そのままでは読みにくいため「ろっか」とし、下に亭を付けている。
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お菓子の街をつくった男 帯広・六花亭物語 |
「帯広を、お菓子のおいしい街にしたい」そんな夢をむねに、お菓子の道ひとすじに生きる小田豊四郎。きびしい修行のすえに、帯広でお菓子屋さんの主人となった豊四郎だが、そこにはさまざまな試練がまちうけていた…。ホワイトチョコレートをはじめ、さまざまなお菓子を生みだした、北海道帯広市の「六花亭製菓株式会社」会長、小田豊四郎の物語。小学校3・4年生から。 |
1,575円 |