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2016年05月15日

司馬遼太郎について

最近は右派からも左派からもそれぞれ別の理由で評判の悪い司馬遼太郎氏ですが、よくよく見ているとその多くの批判は氏の著作をあまり読んでいないのではなかろうかと思うことがしばしば。


「昭和」という国家/司馬遼太郎
2016-05-09 22:44:42 | 参考資料−昭和(前期)
http://blog.goo.ne.jp/deeplyjapan/e/b26a4bc050956eeef666d2f121a2b719



「太郎の国の物語」の更新
2016-01-02 16:07:36 | 太平洋情勢乱雑怪奇
http://blog.goo.ne.jp/deeplyjapan/e/0e76c9fae42cec9916ac266d3b229b7a

今でもそう思っている。そして、去年考えた以上に、私たちのかなり多くはかなり迂闊に「太郎の国の物語」に寄りかかって生きているのね、とかも思った。つまり、明治維新で近代化して、日本は強くエライ国になりました、という立ち上がりが右でも左でもリベラルでも保守でも共通に共有されていて、その意味をあんまりしっかり考えてこなかったっぽい。全体がボルシェビキ的だとさえいいたいものがある。



太郎の国の物語/司馬遼太郎
2015-01-02 15:47:37 | 参考資料−明治
http://blog.goo.ne.jp/deeplyjapan/e/58cf1fec5e2ae91892f93bb04210be0a



司馬遼太郎が会津を通して見ていたもの
2015-01-01 11:39:23 | 参考資料−平成

年末ということで家族と適当にだらだらテレビを見ていたら、BSのどこかで文学と風景についての番組をやっていた。それほど凝った仕立てではなかったが、旅と景色と文学という組み合わせはいつだって私の好みなので流し見をしていた。

滝廉太郎と岡城もいいし、川端康成と伊豆も、宮沢賢治と花巻ももちろん素敵だった。日本っていいなぁと改めて思う。

さてその最後に、司馬遼太郎の文章を基に会津を語っていた。大内宿と会津若松市内を説明し、鶴ヶ城の美しい景色を背景に、僕は幕末に会津藩というものがなかったら、日本民族を信用できなかったかもしれない、とかなんとか司馬は語っていたというエピソードを入れていた。












タグ:明治
posted by DTJ3 at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 明治
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