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2018年03月14日

色々憶測が〜〜、すべては北朝鮮の主張に〜〜

韓国の文大統領もこの二カ月が勝負だと云ってるのは正しい、
要は、北の刈り上げがどう主張するか、ただで放棄するわけは
無いし、第一に核を放棄の対価は何を求めるかが問題。
其れに、北朝鮮はプルトニウムの抽出を
またやり始めたらしいが〜〜〜


合意破棄を繰り返した北核危機25年、米朝首脳会談に慎重論

12日は、1993年に北朝鮮の核拡散防止条約(NPT)
脱退宣言で「核危機」が始まってから25年になる日だ。
北朝鮮は過去25年間、数回にわたって非核化を公言したが、
「検証」段階で交渉破棄を繰り返してきた。
93年のNPT脱退宣言は、その始まりになる。このため、
米朝首脳会談で北朝鮮の核問題が解決するという
期待に対して、韓米の専門家らの間からは慎重論が出ている。

北朝鮮は85年にNPTへ加入し、核兵器を製造・保有しないという立場を国際社会に向けて表明した。
91年12月には南北韓半島(朝鮮半島)非核化共同宣言により、核兵器はもちろん核濃縮、再処理施設も持たないと約束した。金日成(キム・イルソン)主席も、米下院議員と会った席で
「核開発をする能力も意図もない」と表明した。いわゆる
「非核化の遺訓」だ。

ところが93年、北朝鮮が申告したプルトニウムの量に
国際原子力機関(IAEA)が疑問を呈し、未申告の施設に
対する特別査察を要求すると、北朝鮮は同年3月12日、
NPT脱退を宣言した。米国のクリントン政権は北朝鮮の核施設を攻撃することまで
検討したが、交渉論が力を得て、米国と北朝鮮は
94年10月21日に北朝鮮の核の凍結とNPT残留などの
代償として軽水炉・重油を支援する「ジュネーブ合意」を
発表した。

このジュネーブ合意は、北朝鮮が2003年にNPTを脱退した
ことで破棄された。
米国ブッシュ政権は北朝鮮が秘密裏にウラン濃縮計画を進めて核凍結の約束に違反したという疑惑を提起し、IAEAなど
国際社会が北朝鮮に対する査察を要求すると、北朝鮮が
反発して出ていったのだ。
北朝鮮は当時、ウラン濃縮計画を否定したが、10年に寧辺の
濃縮施設を米国に公開した。

国際社会は、この第2次北朝鮮核危機を収拾するため
03年に6カ国協議をスタートさせ、05年に「9・19合意」を
妥結させた。
北朝鮮が「あらゆる核兵器と核プログラム」を放棄して
NPTに復帰する条件として、電力などエネルギーを北朝鮮に
支援するという内容だった。ところがこの約束も、
北朝鮮が06年10月に最初の核実験を行い、韓国と米国が
要求した調査を拒否したことで破棄された。
6カ国協議は、08年12月に開かれたのを最後に中断された。

米国と北朝鮮の「最後の取引」は、12年の「2・29合意」だ。核実験と長距離ミサイル発射を中止する代償として、
北朝鮮に食料を支援するというのがその内容。ところが
北朝鮮が同年4月に長距離ロケットを発射したことで、この
合意も破棄された。
北朝鮮は同月、憲法の前文に核保有国であることを明記した。

ある元外交官は「米朝首脳会談という破格の交渉であっても、過去25年間の過程を振り返ってみると、北朝鮮の核交渉の
テーブルに実際どのような議題と条件が載るのか
明らかにされるまでは楽観してはならない」と語った。

朝鮮日報/朝鮮日報日本語版
タグ:韓国
posted by 豊後国主 at 05:16 | Comment(0) | TrackBack(0) | 記事
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