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2015年08月15日

『魔術師リンダ・ラリーの短期売買入門』3 〜ウォルフ波動〜

『魔術師リンダ・ラリーの短期売買入門』
『魔術師リンダ・ラリーの短期売買入門』2 〜タートル・スープ〜

ウォルフ波動(WOLFE WAVES)、
本書のアイデアの中で、これが一番自分にしっくりときた。

クライマックス・パターンに分類されるように
逆張りの手法である。
※どうも自分は相場の世界に足を踏み入れた時から
 順張りというものが肌に合わないようだ。(笑)

ビル・ウォルフによって開発されたこの手法は
チャートパターンを元にしている。
逆張りするにはそのための根拠というものが必要で、
この手法は、物理学のニュートンの第1法則、
「つまり、すべての作用には反作用がある」ことに
基づいているらしい。

よくはわからないが
要は、反転する前には兆しがある、ということだろうか?
自分はそのように理解している。
(前の高値でサポートされない、
 前の安値がレジスタンスにならない)

このパターンは、ときどき
「3人の小さいインディアン」と共に発生することがあるので、
両方のパターンが出ていると、より安心した売買ができるかも。
※本当のトレンド転換時には同時発生があり得、
 調整局面終了時には発生しない、ということ。

ただ、ウォルフ波動にはそれなりの根拠があるが
「3人の小さいインディアン」には根拠らしい根拠は無い。
「3つの調和の取れた頂点によって形成される」が
なぜ反転するかの理由にはなっていない。
なので、実際に反転するのを待たなくてはならない。
(それは「ウォルフ波動」も一緒か)
そういう意味では、着手は順張りになるのか。

※ここでいう「インディアン」は
 「ネイティブアメリカン」のことだと思われるが、
 原著の表現に従いました。


〔追記:8/17〕
ニュートンの運動の法則(※広義)を調べてみたら
上記の説明はどうもおかしいようです。

運動の法則は第1から第3まであって
第1法則:「慣性の法則」
第2法則:「運動の法則」※狭義
第3法則:「作用・反作用の法則」
となっています。
つまり、第1法則≠作用・反作用の法則 です。

やはり、すべてを鵜呑みにせず、自分で調べないといけませんね。
まあ、別な視点で考えると、「手法が確かなら、1でも3でもどっちでもいい!」
といったところでしょうか。
すべては、自分の意味付けによる、と。

この項続く


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戦争に「負けた」のか、戦争が「終わった」のか

今日感じたのはこっちの方だ。

要は
戦争に「負けた」と感じるのか、
戦争が「終わった」と感じるのかは
人によって違うということである。

思うに、当時の日本人で
戦争に「負けた」と感じた人は、
軍人であれ民間人であれ、
大人であろうと子どもであろうと
男女の別なく
「戦争をしていた人」であり
「戦争を受け入れていた人」である。

自ら銃剣をもって戦わずとも、
心情的には軍人と一体となっていた人は
「戦争をしていた」のではないだろうか?

それとは違って
戦争が「終わった」と感じることができたのは
「戦争に巻き込まれた人」ではないだろうか?
そして「最後まで戦争を受け入れなかった人」
ではないのだろうか?

※戦後「終戦」という言葉を使ってきたかどうかは全く関係なく、
 その時にどのように「感じた」かが重要である。


これと同じことがいわゆる「戦勝国」の人にも当てはまる。
戦争に「勝った」と感じるのか、
戦争が「終わった」と感じるのか。
「戦争をしていた人」なのか
「戦争に巻き込まれた人」なのか。

おそらく「戦争をしていた人」は
その考え方を改めない限り
また「戦争をする人」になるのだろう。

戦争というものを「国家」単位で考えてしまうと
また同じ過ちを繰り返してしまう。

人種・民族・宗教に関わらず
人は「戦争をする人」「戦争をしない人」に
分けられるのではないだろうか?
もちろん、「戦争をする人」も一様ではなく
戦争に至る基準の高低差は非常に大きいとは思う。
ただ最後の一線を超えるかどうかの違いほど大きくはないかもしれない。

自分は戦後世代であり戦争のことは直接知らない。
それでも広島県に生まれ育ったことで
身近に被爆者もいて
それなりの戦争に対する思いはある。

基本的に戦争には反対の立場ではあるが
果たして将来日本が戦争に突き進んだ時
自分はどのような道を選ぶのか、
正直今はまだわからない。

たとえ、今決めていたとしても
そういう状況になってその思いを貫き通せるかもわからない。
そこまで自分が強い人間とは思えない。

当時戦争に加担した人を批判することはたやすいが
自分に批判する資格があるかと問われれば
「(今はまだ)無い」としか答えられない。
厳しいがそれが現実である。

8月15日

今日8月15日は、
世間一般では特別な日となっている。

元々お盆の最終日にあたっているが
(正確な数え方ではなく一般的な感覚で)
70年前の今日
玉音放送が流れたことで
また新しい意味合いを持たされた。

さて「8月15日」という日であるが
この国に生まれてきてからこの方、
大概において「終戦記念日」という言葉で
教わってきた人は自分も含めて多いと思われる。

確かに、(一応大方の)戦争が終わった日ではあるが
一方で、(第三者から見て)
「(日本が)戦争に負けた日」(と認識できる候補の一つ)
でもあるのは事実だと思われる。

※何をもって戦争に負けたとするか、
 明確な定義がないので
 できるだけ誤解が起きないよう配慮したいが
 文章がおかしくなってくる(きた!)ので
 今後は細かな説明は省く

「『敗戦記念日』ではなく
『終戦記念日』という言葉を使うのは
歴史認識を誤らせる」、という主張が一部である。
そこには「終戦」という語句が第三者的で
当事者意識に欠けるからだという考えがある。

ちょっと待った!
書いているうちに
話が別な方向にブレてきてしまった。
このあたりの内容についても
いろいろ書きたいとは思っているが
今日ふと感じたこととは微妙に違うので
一旦この項は終わろう。

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