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2018年09月27日

『厳しい成功と優しい成功』


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成功って

色々な形があると思います。



成功者の特徴や成功者の名言など色々とありますが

実際のところ、その人が言う成功体験はその人だから出来た事であり

多くの成功者とされる人が書いた本や書籍も
その人のオリジナルなんです。


その人の価値観と言ったほうが分かりやすいでしょうか。



『成功する為にはこうしなければならない』

『この方法でやれば必ず成功する』

『これを買えば成功する』


などと言われるうたい文句に心奪われたとしても
結局自分から出た答えではない。

誰かの成功方法に任せようとしてしまっているのかもしれません。


また『これを買えば必ず成功する』という物に任せて多額で何かを購入したところで、
上手くマーケティングにハマってしまっただけなのもしれません。

それを売る人にとっては
『成功』かもしれませんが。


あくまでも

成功者や良いものを手にするのは
ヒントを得る事であって

やるのは自分なんです。


話がそれましたが、
いったい、何が成功といえるのか

自分にとっての成功を、他人のものさしではかる意味はあるのでしょうか?


何処からが成功で、これは成功じゃない
のかな?と思う事自体
世間や周りと比べてしまっているのかもしれません。


例えば、

お金持ちになることを成功の基準にした人が

年収1億稼ぐとします。

それを達成させた事が成功だと言えるでしょうか?

年収1000万稼いでいる人からすると、年収1億は成功に感じますが

年収5億円の人から見るとまだまだ足りない。

また

成功という価値観を『稼ぎ方』に向けた場合

たとえ1000万円だとしても、『この方法で稼げた』ということに意味をもち

その方法が理想通りなら1000万円でも成功と言えますが

例え1億円稼いでも
その稼ぎ方が理想と違うのなら額は大きくても成功とは言いません。


つまり、成功というのは

本人にしかわからない基準にそって出来ていて

自分が『成功』だと決めた瞬間に形になるということです。

それなら[成功]は大きくも小さくも無限だと言うことです。


私の親しくさせてもらっているもらっている方には

成功の基準が非常に高く
ちょっとの事では満足しません。

いつも、私からすると『充分凄い!』と思う内容でも
その方からすると『このレベルでは話にならない。』と言って、試行錯誤を繰り返しています。

いわゆる『成功に厳しい!』


だからこそ
成長、向上し続けて、そのレベルも非常に高く得るものが大きいのかもしれません。

ですので
その方の発想することや行動力のハードルの
高さも

一般とは違っていて『面白いなぁ』と思うですが

得るものに見合ったストレスや失う確率も大きいのが事実ですし

手に入れたい成功基準はまだまだ先にあるようです。

客観的には『今でも充分凄いですよ!』と思いますが本人はまだまだ安心できないようです。


ここからは私の基準になりますが


『成功に厳しい!』という価値観もあれば

『成功に優しい!』という価値観でも良いと思うんです。


私は自分自身の事を『成功に厳しい』と思っていましたが、
おそらく先ほどの方から比べると『成功に優しい』方かもしれません。(笑)


ですがそれで良いと思っています。


何故なら、私にとっては
その方がモチベーションが保てるから。


何も、簡単に出来る成功で辞めると言っているわけではありません。

私が言う『成功に優しい』とは
今、進んでいる一つ一つの事に対して『成功』を感じながら前進するということです。

つまり
小さな成功を見逃さずに誉めてあげて
自分を認める事が大切なんだと思います。


だって、頑張っても頑張っても

いつまでたっても達成出来ない事を追いかけるのって辛いし疲れちゃうから!

だから、私は優しい成功作戦を使っています。

例えば
今『この事をやって失敗してしまったなぁ』という経験ですら

それでも、それをやった自分は勇気があるし
失敗した事で一つ学ぶ事が出来たから
自分は一歩前進したんだ!と考える。


短期目標でもいいから
自分が取り組んだことを褒める。

小さな成功を沢山繰り返して、大きな成功を目指すのも一つのやり方だと思います。


これは、私の価値観なのでみんな違っていいと思います。


それぞれが成功に向かって
自由なやり方で
『自分自身で感じる成功』を

楽しみながら進められと良いですね。








2018年09月25日

理想の為に


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未来を充実させる為には

今という時間に投資しなければならない。


今どれだけやったかで
未来が決まる。


ただ、時間というものがある限り

人間にも限界がある

未来をより豊かにする為に、今どうにか試行錯誤したり、様々な事に労力をかけなければ


その先に繋がるものを得られない。


ただ、
豊かになりたいのに

苦労ばかりして、その苦労で身体を壊して
早死にすることもある。


時間を短縮するために、無理をかけ過ぎる。

大きく得るためには、大きく賭けなければならないからだ。
それは時間短縮になるが、大きく失うことにもなる。

けれど、地道に少しずつ、安定を意識して行う事は確かに失う時も小さく済むけれど

いつまでたっても、理想の未来への道のりが遠くなってしまう。


どちらにしても、得ないまま死んだら全く意味がない。


手に入れないまま死にたくない。


そのバランスが中々難しい。


未来の為に今を苦しむのではなく

今を楽しみながら未来に繋げられるのが理想である。

2018年09月24日

安心材料

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何故か気持ちが落ち着かず、
さまよってしまう時


心配性というのは人間の本能です。

危険な事を察知する為にそういった思考が元々備わっていて、無くてはならないものです。


けれど、度を越して神経質になりすぎると
恐怖で何も行動出来なくなってしまいます。



行動出来なければ何も変わらないし、
行動しなければ先に進まない。

恐怖で動く事が出来ない為に
危険から逃げる事も出来ません。


恐怖感は危険を察知しますが、恐怖感だけだと逆に、その危険にのまれてしまいます。


大切なのは、恐怖感を無くす為の
知恵と努力と勇気です。


『石橋は叩いて渡る』これは知恵と努力。
ですが叩いているだけではいつまでたっても渡れません。渡るのは勇気です。


人生はギャンブルと似ています。


安定・安心といっても
実際にはそれが本当に安心なのかなんて分からないものです。

見えているものと、裏方は違う
実際にはこうして生活している間にも
時間が狭っています。


安定だと思っていたことが、崩れる可能性も充分あります。


残された道が何通り有るでしょうか。

または、無理矢理にでも道を作るべきなのかもしれません。


石橋を叩いている時間が有るなら
ジェット機で向こう岸に飛んでいけば良い。


もし今
何かをしようとしていて、その中に恐怖感や迷いが有るとしたら

その中の、プラスとマイナスの比率を
自分に当てはめて考えてみて

経験としてプラスの方が上なら、勇気を持ってやってみれば良い。


やってみて駄目だった事ばかり考えていたら
本当に駄目になってしまうんです。


跳び箱と一緒で

『あんなの簡単に飛べる』と信じていれば高くとべますが

『絶対に無理、怖い』と思って飛ぶと

本来発揮出来るはずの力が湧かない、恐怖感から肩に力が入り、全く飛び越える事が出来なくなるんです。


緊張したり、恐怖を感じているときは上手く行かないものです。



今恐怖の原因である不安材料が有るとしたら、安心材料をそれより一つ多く増やせば良いだけです。

力まず、リラックスして
まずは自分自身を落ち着かせる事が大切です。









2018年09月20日

一人も楽しむ


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誰かと一緒に居ることに幸せを感じる

それは、とっても嬉しい事です。
美味しいものを食べた時
奇麗な景色を見た時
面白い映画をみて感動したり
仕事などで成功を成し遂げた時に

それを共感し合える人がいると何倍も喜びを感じるものです。

友達、恋人、家族、仕事の仲間
様々ですが

そういった人脈は本当に大切にしたい。

ただ、ここで勘違いしてはいけないのは
一人でいる時間も大切にしなければいけないという事

それを、誰かといなければならないという
偏った考えに囚われてはもったいないと思うんです。

例えば

独りぼっちで出かけるのは寂しいから家に引きこもってしまう。

恋人と会えない日はと生きた心地がしなくなる。

気の合う同僚がいないと仕事を楽しめない。

友達や家族に反対されたから
やりたいことを諦める

この、寂しいとか、一人じゃ意味が無いとか
「誰かと一緒」というこだわりに本当に意味があるのでしょうか?
人といるから楽しい、人といるから出来る・・・
本当にそうでしょうか?

それは依存になっていないでしょうか?

本当は、自分の好きな事をしていれば
一人の時だって充実するのではないでしょうか?

人の事ばかり気にしすぎて自分の行動範囲を狭めていたり

せっかくの自分自身の心地よさを無駄にしてはもったいないんです。

何もかも人に合わせたり
自分が思った意見が有っても言わない関係や
自分の価値観を無視してしまっては

相手にとっても意味が無い存在になりかねません。

プラスの存在って
自分の価値観や自分が出来ることを知らない人にシェアしたり

お互いに許しあい
与えあうことでもっと良いものが生れ

良いものを一緒に楽しんだりできるから
プラスの存在になるのではないかと思います。

人にないものを与える為には、もっと自分自身を高めて

自分自身の感情を大切にしないと
自分という価値は上がらないんです。

人との関係性を楽しみたいのなら
自分という最も大切な存在を無視しないで
もっと自分一人の時間を楽しむことが大切になってきます。


誰かがこう思うかもしれないとか
独りぼっちじゃ意味が無いというのは勘違いです。

一人という時間を楽しんで
自由に惜しまなく。

それが自分を高め、そういう人の周りには、
自然と良い人脈が集まってくるように思います。


  

    
















2018年09月15日

信じる事と依存の違い

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信じること。

これは、私の価値観ですが
人生で一番大切な事は
私は『愛と自信』だと思っています。



けれど、

誰かを愛するあまり
その人を信じるあまり

一番大切な自分の感情を忘れてしまってはいけない。


愛する人、尊敬している人

こういう存在が居る事自体はとっても素晴らしい事だと思います。


ただ、

その全てが自分と全く同じではないんです。


大好きだから、憧れているから

自分が理想とする魅力的な人が言う事は正しいしその存在を信じたい。

そう思うことは当然ですが、忘れてはいけない事は

『自分自身の存在』を信じる事です。


全ての事を、その存在に託してはいけない。

確かに、その人が言っている事は正しいかもしれないし、
その人の考え方に憧れを感じるかもしれない。


だからと言って、全てを真似したり、自分で考える事をしなくなるのは


ただの依存なのかもしれません。


自分でも気が付かないうちに
自分の思考までその人の思考になり

日々の自分の生活の中でさえ

あの人だったら、こういう時きっと
こういう考え方をする。


と、自分の感情よりも
信じたい人の考え方を優先させてしまったり



その人に嫌われたくないが為に

『本当はこう思う』という自分の思考も全て消去してしまう事は


信じる事とは少し違うように思います。


簡単な例で言えば

恋人と映画を見にいって
自分は凄く面白いと思ったのに
相手が、あまり面白くないね。と言ったら

『そうだね』と合わせてしまうとか

恋人とカフェに行った時、相手がブラック珈琲を頼んだら、本当は甘いカフェラテが飲みたいのに、自分も同じブラックを頼んでしまう。


そうやって、


相手が好きで相手と同じになりたくて
本当の自分を我慢する事は


愛ではないんです。




何故、その人に魅力が有るのか
何故その人を信じたいと感じるのか


それは、その人自身が自分を持っていて
自分を信じているからです。


それを自分に置きかえると、
自分が自分自身を信じられなければ
人に信じてもらえないんですよね。


例えば逆に

自分が、何か間違えた事をやりそうになったとき

一緒に居る相手が、本当は貴方の間違えに気がついているのに
貴方に好かれたいばかりにその考えを言わず
貴方に合わせたとします。

案の定、間違えた結果になった時


相手の心には『本当はこうだと思ったのに』という後悔が残り
貴方自身も、失敗をする。

その失敗のレベルが
もしも、取り返しのつかないことだとしたらどうしますか?


これはお互いにプラスとは言えません。

人は意見が違うからこそ学びがあるんです。
何もかも合わせる存在なら、自分一人で充分。


つまり、お互いの意見をシェアし合うことで成長するんです。


勿論、自分の求める価値観に近い事は大切で
そういう人と居ると楽しい

けれど、自分は自分なんです。


自分を信じて、自分を愛する事が

自分にとっても、自分の周りの愛する人にとっても大切な事なんです。



プロフィール
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MegArt
マレーシアに4年半住んでます。美容と健康に役立つ情報や旅行先のお勧めスポット等をかいてます。普段は絵描きやってます。宜しくお願いします。
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