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木村 次郎右衛門

日本人が長寿No1に返り咲いた


木村 次郎右衛門


2012年(平成24年)12月17日、ギネスは木村 次郎右衛門を、世界一の長生きとして認定した。

木村 次郎右衛門は、この日まで、115年と242日間をこの世で生き続けている。
米アイオワ州の115歳のディナ・マンフレディニが亡くなり、
彼はこの日、世界で一番の長生きさんとして存在することになった。

ちなみに、2位、3位も日本人、5位も日本人だ。
世界のご長寿ランキング(今現在)

アメリカのクリスチャン・モーテンセン(1882年8月16日〜1998年4月25日)が
115歳252日で男性の記録保持者だが、今度のお正月を迎えることが出来れば
次郎右衛門が、男性の歴代トップに躍り出ることになる。

注: 泉 重千代は今はギネスの記録から消されてしまってます


19世紀から生きている男性


木村 次郎右衛門(きむら じろうえもん)=1897年(明治30年)4月19日生まれ

次郎衛門でもなく、二郎衛門でもなく、次朗衛門でもない。
次郎右衛門だ。
『じろううえもん』とは読まず『じろうえもん』と読む。
右衛門は百官名(ひゃっかんな)の一種である。

木村次郎右衞門の略歴


・明治36年4月1日:上宇川尋常高等小学校 入学
・大正3年4月1日: 京都郵便局通信生養成所 入所
・大正3年12月4日:中浜郵便局 勤務
・大正9年5月31日: 朝鮮総督府逓信局 採用
・大正12年12月1日: 平郵便局 採用
・昭和37年6月30日: 平郵便局に38年間勤務、65歳で退職
・平成21年6月19日: 宮崎県都城市 田鍋友時氏 逝去により男性長寿日本一に
・平成23年4月14日: 米国 ウォルター・ブルーニング氏 逝去により、男性長寿世界一と、米国「老人学研究団体=GRG」が発表
・平成23年4月19日: 114歳の誕生日に、男性長寿世界一とギネスワールドレコーズ社が認定
・平成23年9月19日:敬老の日に、彼の為に制定されたとも言える、「京丹後市市民栄誉賞」を贈呈される


☆ ちなみに、やはり、同市出身の野村克也氏は、名誉市民として顕彰されている。

木村次郎右衞門のプロフィール



・京都府京丹後市丹後町中野に在住
・現在は長男の妻・木村泰子さん(82)、孫の妻・木村栄子さん(58)との3人暮らし
・子供:7人(うち5人が生存)、孫:14人、ひ孫:25人(孫の子供)、玄孫(やしゃご=ひ孫の子供)13人
・午前7時に朝食、11時半に昼食、18時に夕食と少量ずつではあるが、1日3食欠かさずに食べ、規則正しい生活をしている。
・好き嫌いなく何でも食べるが、おはぎ、小豆、赤飯が好物
・食生活も朝はヨーグルトやサツマイモ、梅干しを食し、夜は牛乳を飲むことを習慣としている
・愛読紙は”赤旗”、好きなTVは”国会中継”と”大相撲”
・ベッドから起き上がるのは、家族の介助を必要とするものの、食卓までは歩行器を使って歩く。

・長寿の秘訣として「食べ物に好き嫌いはない。食細くして命永かれ」
・お酒に関しては「飲まないことも、長生きにつながっているのでしょうね」とのこと
・座右の銘は「苦にするな嵐のあとに日和あり」


120歳以上生きた人類は、地球上で、ジャンヌ・カルマンただ一人だ。
カルマンを抜くまで、あと、たった7年。
生き抜け!次郎右衛門!!

木村さんへのお祝いメッセージ


京丹後市は、100歳以上の人口比率が京都府内で一番高い(64名・2008年)。
「健康大長寿のまち」を謳う、京丹後市では、次郎右衞門氏へのお祝いメッセージを募集している。

京丹後市ホームページと京丹後市公式facebookから受け付け中だ。

京丹後市


あまり知られていないが、京丹後市は、西日本では有数の米どころだ。
丹後産コシヒカリは、平成19,20,21,23年と、日本穀物検定協会が実施する、”食味ランキング”で、最高の評価にあたる「特A」を獲得している。
「特A」とは、有名な「新潟魚沼産コシヒカリ」「山形庄内産はえぬき」「福島会津産コシヒカリ」などと同等の評価である。

「丹後産コシヒカリ」

京丹後・長寿商店

また、海と山に囲まれ、初日の出の名所としても、実は有名である。
京丹後・夕日ヶ浦温泉





京丹後市を大きな地図で見る

参考資料
Wikipedia~長寿
Wikipedia~木村次郎衛門

泉 重千代とジャンヌ・カルマン〜長寿の共通項

泉 重千代(いずみ しげちよ)

鹿児島県徳之島(大島郡伊仙町)出身
つい先日、兄の戸籍と混同されていたとして、ギネスが認定を取りやめるまで、
1865年6月29生まれとされていた。

現在は、1880年生まれとの説が主流となっている。
それでも105才ですけど・・・

今でも、伊仙町の生家の前の記念プレートにはその生年月日が書かれているし、
記念の銅像にも同様に書かれている。

泉 重千代の年齢の変遷

・1976年、111歳で日本人最年長となる。

・1979年、114回目の誕生日を迎え、ギネスブックで世界最長寿と認定された。

・1986年、2月21日、120歳185日で逝去される。

・1995年10月17日、生まれてから120歳と238日経過したジャンヌが、ギネス公認の最年長者の座を泉から奪うまでの、16年間、王座に君臨した。

・2009年、ギネスは泉の年齢の掲載にあたって、生年の信憑性に多少の疑問があると注釈をつけた。

・2012年、ギネスは最も長生きした男性の記録として、泉重千代ではなく、115歳のアメリカ人・クリスチャン・モーテンセン(Christian Mortensen)を掲載した。


泉の名前はギネスから消えたが、1979年からの33年間、男性長寿世界一として存在した。

煙草を愛した泉は、セブンスターを1日に3〜4本程度吸っていた。
体調を崩した際、主治医から煙草は健康に害があると聞かされ、116歳で止めた。

健康に害があるって、今頃か?

銘柄は不明だが、ジャンヌ・カルマンは、火をつけてくれる介護者に気を使い、117歳で禁煙した。

カルマンの口癖は「どうにもならないことで、くよくよしないこと」
泉の口癖は「万事、くよくよしないがいい」

健康の秘訣を聞かれたジャンヌは「病気をしないこと」と答えた。
好みの女性のタイプを聞かれた泉は「年上の女」と答えた。

ジャンヌは赤ワインを、泉 重千代は黒糖焼酎を死ぬまで欠かさなかった。

赤ワインに含まれるポリフェノールは、
心筋梗塞や脳梗塞の原因となる、血栓の予防効果で有名だ。
黒糖焼酎は血栓を溶かしてくれる、ウロキナーゼという酵素をたくさん増やしてくれる。

1979年、114歳で長寿世界一になった泉は、
無断で「泉 重千代・長寿の酒」を販売していた酒造会社を訴えた。
和解で決着したが、和解の条件は、看板料として、
1980年に一升瓶を2000本と現金80万円、
1981年には一升瓶1500本と現金29万円を支払うというものだった。

なんて中途半端な金額・・・

泉は毎日、約0.7合(126ml)の黒糖焼酎を水で3倍にしたものを、燗をつけて(温めて)晩酌にしていた。
一升は1800mlだから、約14日分になる。
3500本だと49000日分〜つまり134年分に相当する。


何年生きる気だったんだ!!

和解から、7年後

泉重千代、1986年2月21日、逝去。

ジャンヌ・カルマン、1875年2月21日生まれ

泉が亡くなった日は、ジャンヌの111回目の誕生日だったのだ。






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