泉 重千代とジャンヌ・カルマン〜長寿の共通項
泉 重千代(いずみ しげちよ)
鹿児島県徳之島(大島郡伊仙町)出身
つい先日、兄の戸籍と混同されていたとして、ギネスが認定を取りやめるまで、
1865年6月29生まれとされていた。
現在は、1880年生まれとの説が主流となっている。
それでも105才ですけど・・・
今でも、伊仙町の生家の前の記念プレートにはその生年月日が書かれているし、
記念の銅像にも同様に書かれている。
泉 重千代の年齢の変遷
・1976年、111歳で日本人最年長となる。
・1979年、114回目の誕生日を迎え、ギネスブックで世界最長寿と認定された。
・1986年、2月21日、120歳185日で逝去される。
・1995年10月17日、生まれてから120歳と238日経過したジャンヌが、ギネス公認の最年長者の座を泉から奪うまでの、16年間、王座に君臨した。
・2009年、ギネスは泉の年齢の掲載にあたって、生年の信憑性に多少の疑問があると注釈をつけた。
・2012年、ギネスは最も長生きした男性の記録として、泉重千代ではなく、115歳のアメリカ人・クリスチャン・モーテンセン(Christian Mortensen)を掲載した。
泉の名前はギネスから消えたが、1979年からの33年間、男性長寿世界一として存在した。
煙草を愛した泉は、セブンスターを1日に3〜4本程度吸っていた。
体調を崩した際、主治医から煙草は健康に害があると聞かされ、116歳で止めた。
健康に害があるって、今頃か?
銘柄は不明だが、ジャンヌ・カルマンは、火をつけてくれる介護者に気を使い、117歳で禁煙した。
カルマンの口癖は「どうにもならないことで、くよくよしないこと」
泉の口癖は「万事、くよくよしないがいい」
健康の秘訣を聞かれたジャンヌは「病気をしないこと」と答えた。
好みの女性のタイプを聞かれた泉は「年上の女」と答えた。
ジャンヌは赤ワインを、泉 重千代は黒糖焼酎を死ぬまで欠かさなかった。
赤ワインに含まれるポリフェノールは、
心筋梗塞や脳梗塞の原因となる、血栓の予防効果で有名だ。
黒糖焼酎は血栓を溶かしてくれる、ウロキナーゼという酵素をたくさん増やしてくれる。
1979年、114歳で長寿世界一になった泉は、
無断で「泉 重千代・長寿の酒」を販売していた酒造会社を訴えた。
和解で決着したが、和解の条件は、看板料として、
1980年に一升瓶を2000本と現金80万円、
1981年には一升瓶1500本と現金29万円を支払うというものだった。
なんて中途半端な金額・・・
泉は毎日、約0.7合(126ml)の黒糖焼酎を水で3倍にしたものを、燗をつけて(温めて)晩酌にしていた。
一升は1800mlだから、約14日分になる。
3500本だと49000日分〜つまり134年分に相当する。
何年生きる気だったんだ!!
和解から、7年後
泉重千代、1986年2月21日、逝去。
ジャンヌ・カルマン、1875年2月21日生まれ
泉が亡くなった日は、ジャンヌの111回目の誕生日だったのだ。
鹿児島県徳之島(大島郡伊仙町)出身
つい先日、兄の戸籍と混同されていたとして、ギネスが認定を取りやめるまで、
1865年6月29生まれとされていた。
現在は、1880年生まれとの説が主流となっている。
それでも105才ですけど・・・
今でも、伊仙町の生家の前の記念プレートにはその生年月日が書かれているし、
記念の銅像にも同様に書かれている。
泉 重千代の年齢の変遷
・1976年、111歳で日本人最年長となる。
・1979年、114回目の誕生日を迎え、ギネスブックで世界最長寿と認定された。
・1986年、2月21日、120歳185日で逝去される。
・1995年10月17日、生まれてから120歳と238日経過したジャンヌが、ギネス公認の最年長者の座を泉から奪うまでの、16年間、王座に君臨した。
・2009年、ギネスは泉の年齢の掲載にあたって、生年の信憑性に多少の疑問があると注釈をつけた。
・2012年、ギネスは最も長生きした男性の記録として、泉重千代ではなく、115歳のアメリカ人・クリスチャン・モーテンセン(Christian Mortensen)を掲載した。
泉の名前はギネスから消えたが、1979年からの33年間、男性長寿世界一として存在した。
煙草を愛した泉は、セブンスターを1日に3〜4本程度吸っていた。
体調を崩した際、主治医から煙草は健康に害があると聞かされ、116歳で止めた。
健康に害があるって、今頃か?
銘柄は不明だが、ジャンヌ・カルマンは、火をつけてくれる介護者に気を使い、117歳で禁煙した。
カルマンの口癖は「どうにもならないことで、くよくよしないこと」
泉の口癖は「万事、くよくよしないがいい」
健康の秘訣を聞かれたジャンヌは「病気をしないこと」と答えた。
好みの女性のタイプを聞かれた泉は「年上の女」と答えた。
ジャンヌは赤ワインを、泉 重千代は黒糖焼酎を死ぬまで欠かさなかった。
赤ワインに含まれるポリフェノールは、
心筋梗塞や脳梗塞の原因となる、血栓の予防効果で有名だ。
黒糖焼酎は血栓を溶かしてくれる、ウロキナーゼという酵素をたくさん増やしてくれる。
1979年、114歳で長寿世界一になった泉は、
無断で「泉 重千代・長寿の酒」を販売していた酒造会社を訴えた。
和解で決着したが、和解の条件は、看板料として、
1980年に一升瓶を2000本と現金80万円、
1981年には一升瓶1500本と現金29万円を支払うというものだった。
なんて中途半端な金額・・・
泉は毎日、約0.7合(126ml)の黒糖焼酎を水で3倍にしたものを、燗をつけて(温めて)晩酌にしていた。
一升は1800mlだから、約14日分になる。
3500本だと49000日分〜つまり134年分に相当する。
何年生きる気だったんだ!!
和解から、7年後
泉重千代、1986年2月21日、逝去。
ジャンヌ・カルマン、1875年2月21日生まれ
泉が亡くなった日は、ジャンヌの111回目の誕生日だったのだ。
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投稿者:centenarians|13:55|日本の長寿者
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