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2020年09月15日

英比屋敷 〜菅原道真の孫の屋敷・阿久比町〜

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◆所在:
阿久比町白沢天神裏(北原天満宮)

◆歴史:
菅原道真の孫である菅原雅規(幼名英比麿 ※久松麿とも言う)の居館。
北原天満宮の社伝によると、天歴9年(955年)正月25日に菅原雅規は延喜3年(903年)に大宰府で没した祖父の菅原道真を祭神として幼少時代に住んでいた住居の跡に神社を建立したと伝えられている。





雅規の孫には更級日記の作者の父である菅原孝標がおり、その子孫は堂上家を輩出し、さらに、戦国時代において英比地区を支配していた久松松平氏の先祖にもあたる。

なお、阿久比町椋岡に英比屋敷という地名が残されており、こちらも英比麿の屋敷跡と伝わっているが、現在は地名のみが残されており、遺構等は存在しない。









また、天満宮内に建てられた碑には『坂部城主で菅原道真公の孫にあたる雅規殿』と言う文言が有る事から、当時は北野天満宮から坂部城、椋岡の英比屋敷までの半田街道沿いを支配していたと思われる。

推測にはなるが、現在の北原天満宮は幼少時に居住していた地で、後に、椋岡の英比屋敷に居館を構えたと考えると地名の由来なども納得はいくが、確証は全く無く坂部城との歴史的関係も不明である。





◆現在:
半田街道沿いに天満宮が建てられているが、周囲は宅地及び田畑になっており、遺構は残されていない。


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北原天満宮の鎮座記

柳々尾張国知多郡白沢村ニ鎮座祭神天満大自在天神宮ナリ天暦九年正月 廿五日阿久比郷坂部之城主菅原道真公孫雅規殿(英比麿ト称ス)北原野御 鬱散御遊観被遊候際直々西之沢ニ片葉ナル葦ノ生シヲ御愛賞被在候然ルニ 沢ヘ白鷺数百羽翔リ来居シヲ御覧アリ実ニ珍美ノ風地ナリト思召シニ沢ヲ 白沢ト号シ 国家鎮護ノ為ニ境内八拾間四方ニ御定メ神殿ヲ御建立シ給ヒ テ祖父命ヲ奉祭シ北原天神ト称スル







2020年09月13日

坂部城 〜於大の方の再嫁先で菅原道真の末裔・阿久比町〜

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◆別名:
阿古屋城 ・ 阿久居城

◆所在:
阿久比町卯坂栗之木谷





◆歴史:
菅原道真の孫である菅原雅規が城主であった城で、坂部城から北へ2キロ弱に位置する北原天満宮(英比屋敷)内にある石碑にも記されている。

室町戦国時代には、尾張守護の斯波氏に仕える国人で、雅規(幼名は久松麿)の子孫にあたる久松氏の本拠地となり、大野城の佐治氏と争っていたが、松平広忠(徳川家康の父)の仲介で佐治氏と婚姻関係を結び和解した。

桶狭間以降当主の久松俊勝は、徳川家康の生母である於大の方と再嫁した関係で家康に仕え、上之郷城の攻略等に尽力し同地を得る事となった。家康と血縁関係の無い庶子の信俊を織田領である坂部城に残し、於大の方との間に産まれた康元と共に上之郷城に移った。





信長に仕えた信俊は佐久間信盛の配下として石山本願寺攻めに出陣したが、信盛の讒言により謀反の疑いをかけられ自害。坂部城は信盛に攻め落とされ炎上した。

◆現在:
本丸を中心とした城跡の一部は城山公園として残っているが、二の丸や郭にあたる部分は阿久比図書館や宅地などになっている。知多半島は観音信仰が盛んで、坂部城跡も三十三観音参りをすることができるようになっている。











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