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2020年09月09日
富貴城 〜要地に築かれたための落城続き・武豊町〜
◆所在:
武豊町富貴郷北
◆歴史:
室町末期に長尾城の岩田氏が南方の抑えとして、布土城とともに築いた城。
田原城の戸田氏は今川氏の力を背景にして、海路知多半島へ上陸し河和城を築いて、知多攻略を開始。最初に布土城が落城し、岩田氏は富貴城を放棄する事になり、戸田氏は一族の長老である戸田法雲を富貴城に入れ、北への抑えを任せる事にした。
戸田氏が富貴城を攻略して間もなく、織田氏と手を結んだ緒川城の水野信元は知多制圧に乗り出し、宮津城の新海氏、成岩城の榎本氏、次いで長尾城の岩田氏も一蹴され、そのままの勢いで富貴城へと攻め込み、あっと言う間に落城へと追い込んだ。富貴城はそのまま廃城となったと伝わっている。
◆現在:
本丸は白山神社、曲輪は円観寺になっている。
2020年09月06日
長尾城 〜月の名所に建つ・武豊町〜
◆所在:
知多郡武豊町上ケ
◆歴史:
武雄神社の神主でもあった岩田氏が築いた城。
戦国時代、碧海から知多の土地を織田、松平、今川の3つの勢力が争っており、豪族はどこかの勢力に属していく必要があった。
長尾城の岩田氏は今川氏に所属したが、織田氏に属していた緒川城の水野氏が知多制圧をめざして南下を開始し、坂部城の久松氏や常滑城の水野氏とは縁戚関係を結び、宮津城の新海氏、成岩城の榎本氏を次々と撃破。そのままの勢いで長尾城も包囲される事になった。
頼みであった今川氏の援軍は来ず、ほとんど抵抗もせずに降伏したが、後に再度今川氏に所属。桶狭間の戦いで今川氏が没落すると長尾城も織田氏に没収され、岩田氏は追放されたと言う。
◆現在:
城があったとされる地は、武雄神社の南でJR線の西側だが、遺構などは残っていない。
武豊町は長尾村と大足村が昭和の合併でできた町で、長尾村の鎮守である武雄神社と大足村の鎮守である豊足神社からそれぞれ一字を取り、合成して武豊町となったと言う事である。