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2019年08月26日

楽しさは副産物、目標とは切り分けて考える

ある目標に向かって努力することは大事だと思ってはいますが、それがだんだん苦行に思えてくることがあります。

「目標がない」というのも残念な話ですが、目標に向かって、何かを我慢し続けるというのは、せっかくの人生を無駄にしているような気がする。

それはなぜなんでしょうか?

■ゴールは楽しいか?


自分がなにかの目標を立てたときに、おそらくそのゴールした状態というのは想像すると、「楽しい」「嬉しい」「幸せ」などの言葉で表されるものだと思います。

しかし、そこに至る道は山あり谷あり。それが楽しいかと言われると、結構つらいものだったりします。

何十年か先の「楽しい」を得るために、今「つらい」「苦しい」苦行をし続けないといけないとか言われると、ちょっとですよね。

イソップの「アリとキリギリス」じゃありませんが、アリにもなりたくないし、キリギリスみたいな終わりもしたくない。まぁ、小市民ですので、程よいところでと思っちゃいます。

でも、大きなゴールを達成した人たちが、苦行ばかりをしていたのかと言うとそういうわけではなさそうです。

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例えば、おしやれが好きな人にとって、服を買うことは楽しみであリ、その人にとっての幸福感の源でしょう。「いつもおしやれですね」と」われ、モテたりすれば、楽しさ、嬉しさ、ちよつとした幸福感を味わえます。

しかし、高いお金を出して買ったお気に入リの服が汚れたリほつれたリした途端に、嫌な気分になってしまう。あるいは、パーティーで、白分よリもっとおしやれで、もっと美形で、もっとモテる人物が現れるやいなや、楽しい気分など吹き飛んで、嫉妬にかられるかもしれません。

このように、「楽しい」「嬉しい」「幸せ」などの気分は、風向きが変われば瞬時に吹き飛んでしまうものなのです。吹き飛んでしまうものを目指しても、手に人れたと思ったら消えてなくなる。一生そのくり返しです。

目指すべきは、「嬉しい」「楽しい」「幸せ」という気分ではありません。目指すべきはゴールです

自分が主体的に選んだゴールに向かう道程には、ます。は存分に味わえばよい。ただし、そこで立ち止まってはいけませんしかし多くの人はそうではありません。

苫米地英人(著) 『「頭のゴミ」を捨てれば、脳は一瞬で目覚める!
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続きは楽しさは副産物、目標とは切り分けて考えるをご覧下さい
posted by shori at 01:57| ハック
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