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2011年04月24日
義信逆心
義信
は
今川
と手を組みたいが、
信玄
はそれを許さず、ついに逆心を決め、
飯富兵部
に頼み、謀反を起しますが、
飯富兵部
は、謀反は成功しないと考えますが、
義信
に罪を償わせるわけにはいかず、全ての罪を自分が負うことで、謀反を失敗するようにお越し、自害してしまいます。
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伊勢物語
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松山城土竜戦法
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信虎駿河を追わる
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信虎よりの使者
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林の巻 最終
投稿者:
コバヤン
|20:55
2011年04月23日
伊勢物語
信玄
の正室、
三条氏
が、
今川義元
から借用した、
伊勢物語
を借りたいと、申し出ます。ただ、
信玄
は、なぜ、
三条氏
が急に
伊勢物語
を読みたがるのか、裏を読みます。
太郎義信
の正室、
於津禰
(
今川氏真
の妹)が、何かを言ったのだと思いました。
信玄
は、
伊勢物語
は、盗賊に盗られないとウソを言います。
ウソを言っていると感じた
太郎義信
、今川側は、
伊勢物語
を返してくれと、迫ります。
投稿者:
コバヤン
|21:00
2011年04月23日
松山城土竜戦法
逍遙軒
は、関東の土には石が混じっていないことに気がつき、
松山城
を穴を掘り進み攻め落とすことにします。
もう少しで落ちるところで、北条側が、降伏を促し、北条側に降伏してしまいました。
投稿者:
コバヤン
|20:55
2011年04月15日
信虎駿河を追わる
志磨の湯
に逗留中の
信玄
に
北条側
から使者が来ました。
上野
攻めを催促しに来たので、
信玄
は弟の
信廉
(
逍遙軒
)に総大将を命じ、
箕輪城
・
倉賀野城
と
松山城
(現在の埼玉県東松山市)を
北条軍
と攻め込みます
また、
信玄
の方には、また、
あかね
が
志磨の湯
へ
信虎
の使者として来て、
信虎
が駿河を追い出されました。
駿河は
桶狭間の戦い
で負け、現在の
今川氏真
のものですが、この人があまり評判が良くないことから、
信玄
に駿河を獲って、京都へのぼって欲しいと考え、自分も京都へ上洛し、金をせびる代わりにあかねを差し出す回でした。
投稿者:
コバヤン
|15:31
2011年04月15日
信虎よりの使者
躑躅が崎の館
に戻った
信玄
は、
北条氏康
の使者、
大導寺義継
に会い、
政虎
(ここから
輝虎
と名前を変えます)が弱っているうちに、
上野
を共に攻めたいという申し出を伝えます。
甲軍は、
倉賀野城
と
箕輪城
を攻めることになりましたが、
信玄
は労咳をまた発病し、あせらなくても関東は
武田
と
北条
のものになると考えた
信玄
は、
志磨の湯
へ、湯治に入ります。
その静養中にかつて駿河へ追放した
信玄
の父
信虎
より、駿河へ攻め入ったらどうかということを伝えに、
あかね
という女が使者として送られてきました。
また、
信虎
はこの時69才ながら、16歳の側女と、いまでも・・・、という、ご立派な報告までありましたノ´▽`)ノ
投稿者:
コバヤン
|14:56
2011年04月14日
林の巻 最終
信玄
は
善光寺
に逃げた越軍を夜半まで攻め続けましたが、日が暮れるとそこで攻めるのをやめ、それを見て、
政虎
は順次、
高梨山
(越軍の陣地)へ退きました。
これにより、
川中島大会戦
は、終わりましたが、その後、
信玄
が陣地を広げましたので、陣地の上では
信玄
の勝ちですが、両軍ともに多大な兵を失う結果になりました(´Д⊂
投稿者:
コバヤン
|15:55
2011年04月13日
僧形の武人ただ一騎
武田本陣がなぜ攻め込まずに守ったかというと、
妻女山
に登った別働隊が来るのを待っていたからです。
別働隊が来れば、数の上でも有利になり、さらにちょうど本陣と挟み撃ちの形になるためで、ついにこの章で、別働隊が駆けつけます。
政虎
は別働隊が来ると
善光寺
へ逃げることになりましたが、その際に僧の格好で白馬でただ一騎で
善光寺
まで逃げる姿があまりにも格好よく描かれていてシビレマス(◎皿◎)ナンデスト!!
投稿者:
コバヤン
|15:05
2011年04月12日
お諏訪太鼓
山を降りた越軍は、本陣を守る堅い陣形をとっていた甲軍の、信玄の嫡子である
太郎義信
の隊を
黒金孫太郎
の軍が攻め、
太郎義
信が本陣の命令に背き、陣を出て、戦いを始めてしまい、そこから越軍が攻め込み、甲軍の
諸角豊後守定虎
の首が獲られ、甲軍の陣形が崩れ始め、
信繁
までもが討ち取られ、甲軍が敗北寸前の状況で、
信濃衆
が、突然、お諏訪太鼓を叩きながら、必死に甲軍を守ります。
投稿者:
コバヤン
|17:07
2011年04月12日
山本勘助の死
甲軍の
馬場民部
を上に置いた別働隊が、
妻女山
の清野口から越軍の動静を窺っていたが、霧で一寸先も見えない状況でした。
政虎
は、その別働隊に
妻女山
に居ると思わせておいて、
武田信玄
の本陣へ向かいます。
山本勘助
は、
薬師山
で、越軍の動静を窺っていて、越軍の動きを察し、別働隊へその知らせをしに行く際、霧を利用しますが、逆にその霧で、敵の槍が見えずに、傷を負い、別働隊に知らせた際に、死んでしまいました。
投稿者:
コバヤン
|16:58
2011年04月12日
川中島大会戦の前夜
霧の川中島での戦いになり、霧をどう上手く利用するか、
信玄
と
政虎
との戦い、始まります
投稿者:
コバヤン
|16:53
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