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義信逆心

義信今川と手を組みたいが、信玄はそれを許さず、ついに逆心を決め、飯富兵部に頼み、謀反を起しますが、飯富兵部は、謀反は成功しないと考えますが、義信に罪を償わせるわけにはいかず、全ての罪を自分が負うことで、謀反を失敗するようにお越し、自害してしまいます。
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伊勢物語

信玄の正室、三条氏が、今川義元から借用した、伊勢物語を借りたいと、申し出ます。ただ、信玄は、なぜ、三条氏が急に伊勢物語を読みたがるのか、裏を読みます。
太郎義信の正室、於津禰(今川氏真の妹)が、何かを言ったのだと思いました。
信玄は、伊勢物語は、盗賊に盗られないとウソを言います。
ウソを言っていると感じた太郎義信、今川側は、伊勢物語を返してくれと、迫ります。

松山城土竜戦法

逍遙軒は、関東の土には石が混じっていないことに気がつき、松山城を穴を掘り進み攻め落とすことにします。
もう少しで落ちるところで、北条側が、降伏を促し、北条側に降伏してしまいました。

信虎駿河を追わる

志磨の湯に逗留中の信玄北条側から使者が来ました。
上野攻めを催促しに来たので、信玄は弟の信廉(逍遙軒)に総大将を命じ、箕輪城倉賀野城松山城(現在の埼玉県東松山市)を北条軍と攻め込みます

また、信玄の方には、また、あかね志磨の湯信虎の使者として来て、信虎が駿河を追い出されました。
駿河は桶狭間の戦いで負け、現在の今川氏真のものですが、この人があまり評判が良くないことから、信玄に駿河を獲って、京都へのぼって欲しいと考え、自分も京都へ上洛し、金をせびる代わりにあかねを差し出す回でした。

信虎よりの使者

躑躅が崎の館に戻った信玄は、北条氏康の使者、大導寺義継に会い、政虎(ここから輝虎と名前を変えます)が弱っているうちに、上野を共に攻めたいという申し出を伝えます。

甲軍は、倉賀野城箕輪城を攻めることになりましたが、信玄は労咳をまた発病し、あせらなくても関東は武田北条のものになると考えた信玄は、志磨の湯へ、湯治に入ります。
その静養中にかつて駿河へ追放した信玄の父信虎より、駿河へ攻め入ったらどうかということを伝えに、あかねという女が使者として送られてきました。

また、信虎はこの時69才ながら、16歳の側女と、いまでも・・・、という、ご立派な報告までありましたノ´▽`)ノ

林の巻 最終

信玄善光寺に逃げた越軍を夜半まで攻め続けましたが、日が暮れるとそこで攻めるのをやめ、それを見て、政虎は順次、高梨山(越軍の陣地)へ退きました。

これにより、川中島大会戦は、終わりましたが、その後、信玄が陣地を広げましたので、陣地の上では信玄の勝ちですが、両軍ともに多大な兵を失う結果になりました(´Д⊂

僧形の武人ただ一騎

武田本陣がなぜ攻め込まずに守ったかというと、妻女山に登った別働隊が来るのを待っていたからです。
別働隊が来れば、数の上でも有利になり、さらにちょうど本陣と挟み撃ちの形になるためで、ついにこの章で、別働隊が駆けつけます。
政虎は別働隊が来ると善光寺へ逃げることになりましたが、その際に僧の格好で白馬でただ一騎で善光寺まで逃げる姿があまりにも格好よく描かれていてシビレマス(◎皿◎)ナンデスト!!

お諏訪太鼓

山を降りた越軍は、本陣を守る堅い陣形をとっていた甲軍の、信玄の嫡子である太郎義信の隊を黒金孫太郎の軍が攻め、太郎義信が本陣の命令に背き、陣を出て、戦いを始めてしまい、そこから越軍が攻め込み、甲軍の諸角豊後守定虎の首が獲られ、甲軍の陣形が崩れ始め、信繁までもが討ち取られ、甲軍が敗北寸前の状況で、信濃衆が、突然、お諏訪太鼓を叩きながら、必死に甲軍を守ります。

山本勘助の死

甲軍の馬場民部を上に置いた別働隊が、妻女山の清野口から越軍の動静を窺っていたが、霧で一寸先も見えない状況でした。
政虎は、その別働隊に妻女山に居ると思わせておいて、武田信玄の本陣へ向かいます。

山本勘助は、薬師山で、越軍の動静を窺っていて、越軍の動きを察し、別働隊へその知らせをしに行く際、霧を利用しますが、逆にその霧で、敵の槍が見えずに、傷を負い、別働隊に知らせた際に、死んでしまいました。

川中島大会戦の前夜

霧の川中島での戦いになり、霧をどう上手く利用するか、信玄政虎との戦い、始まります
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