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こめちゃんひとりごと
ななそじからの一念発起、ブログに挑戦、文を書くことは、余り得意のではありませんが、何とか頑張りたい、得意の分野は、食べること? まだまだ、好奇心旺盛、歴史の旅が好きです。

 
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2011年12月14日
蟹!こんな美味しい蟹はじめて出会いました。
蟹・このふっくら弾力ある、味・甘み美味しかった、その蟹は「北り物」国かの贈り物」の蟹です。



殻の取り方を社長じきじきに指導され感激でした


生剥き身、しょぶしゃぶ用 生だからステーキにも・かにめしにも、幅広く使います。


値段も、手頃、美味しさバッグン、お正月の一品にお勧めします。


お正月ぐらい贅沢したい、美味しいものを沢山食べて、おおらかな気分を味遭いましょう。








2011年12月08日
東京国立博物館 平成館にて
800年余を超え、乱世を生き抜いた師弟が再び出会う
 史上初の大合同展で、ゆかりの名宝を一挙公開!

保元・平治の乱や地震などの天変地異が続き、政治・社会が混迷した平安末期−。来世の往生を願った富者は財を尽くして功徳を積み、僧侶は教義論争に明け暮れるなか、
鎌倉仏教の先駆者・法然(1133〜1212)は現れました。
民衆を含む万人の救済を考えた法然は「念仏をとなえれば誰もが救われる」と阿弥陀如来の名号をとなえることを説き、浄土宗の宗祖となりました。
その教えを受けたのが、40歳年下で、のちに浄土真宗の宗祖となる親鸞(1173〜1262)です。法然と同じ比叡山で修行を積んだ後、29歳とき法然に出会い、たとえ地獄におちようとも、
その教えを信じて念仏をすると決断した。

しかし専修念仏の教えは既成教団から弾圧をお受け、法然は四国へ、親鸞は越後へ流罪となります。その後、二人が再会することはかないませんでしたが、親鸞は越後へ配流後、関東などでの布教活動を経て京都に戻り、真摯な研鑽を続けて思索を深めました。

この特別展は、法然没後800回忌、親鸞没後750回忌を機に両宗派からの全面的な協力を得て、法然と親鸞のゆかりの名宝を一同に集め、その全体像をご紹介する史上初の展覧会です。
国宝・重要文化財が半数をを占める第一級の美術品及び190件をとおして、二人の生き方やその魅力を紹介します。



11月19日(土)どしゃぶりの雨でした。鎌倉 浄土宗大本山 光明寺 名刹の精進料理を味わうに参加して、上品な野菜の薄味 美味で御座いました。その折法然と親鸞のゆかりの名宝展のパンフレットを頂き、国立博物館へ拝観致しました。

      光明寺&精進料理

    東京国立博物館
















 

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