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2018年03月08日

五百弟子受記品第八 改善にはお金より時間が貴重

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改善にはお金は必ずしも必要ではない。ましてお金を掛けない方が更に改善が上手く進むことがほとんどなのかもしれない。
だから、改善に費やす無償な時間であってもとても貴重に思えてくるのだ。
しかし、学生を終了して間もない通常の若い社会人にとっては本来の改善が何であるかなど知る由もないだろう。
だから、一般に若い学生や社会人はのんびり新たな刺激を探すことしか能がないかのように日常をただ意味もなく過ぎ去らせている。
もともと若い人々にとって失敗もまだまだ少なく実質的な大改善の必要性がそれほど多くないのだから、わざわざ自分改善のために時間を考える必要はないし、たとえ改善しようにも合理的に時間を使っていることにはならない。
 
若い社会人が時間よりも収入を求めて就活に勤しむということは将来の貴重な労働収入を得るためなのだからしっかり自分自身の将来を見据える意味からももちろん重要であることに他ならないだろう。
しかし、就活などは予め収入を貰ってしているわけではもちろんなく、自費を用いて時間を費やして自主的に行なっているわけだ。
だから、若いうちの就活すら無駄だと言わざるを得ないのだ。
では何が必要かと言えば、若いうちはどこでも良いからすぐ勤めてすぐ収入を得るということだけにつきると思う。
そこで失敗しようと若いうちは勤め先がほとんど責任を持ってくれるから改善責任は直接若い本人には降りかかって来ない。
つまり、若いうちは言われた通りに売り上げを出せば、どんな世代よりも最も収入だけに集中して働くことができるのだ。
 
結局、若いうちから改善のために時間を引き伸ばしにする必要はない。
必要以上の安定感など求める必要もない。
その時間すべてを収入の為に用いることである。
本日の富楼那彌多羅尼子は誰よりも若いわりにたいそう釈迦仏に誉められているが、前世から清らかな改善が行き届き過ぎていてほとんど現在の収入に結び付いていない決定的な欠点があると言えそうだ。
誰もが若いうちから改善点は見つからない、だから時間のすべてを収入へ結びつけるべきが若さの真実だと思う。
若いうちはせめて放っておいてあげよう!
自分で改善に気付くまでだ。
 
(ぶっけん成安田)
https://jouan167.jimdo.com/buddha1108/
 











2018年03月06日

授記品第六 我が浄土は安泰なり

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学習することにはお金がかかりますね。学習とは宿題と違い前向きに進歩するためにあるからです。
それに対して宿題とは自分でやり直すことであり、それにより新たに知ることがあっても自分自身での改善力によるものですからお金という費用はかけていられません。
つまり、改善には費用をかけずに時間をかけるべきですね。

もしも世の中に統計による政治、ある意味では独立政治法人なるものがあったなら、それは旧来からの国家資格者団体の事であり、国家資格たる我が浄土は安泰なり。
(ぶっけん成安田)
https://jouan167.jimdo.com/buddha1106/












2018年03月01日

序品第一 文殊と弥勒

仏道と仏法 松本憲知氏投稿写真24991227_1286092794870273_4499510846250651178_n.jpg


今日からまた第1章の序品第一から始まります。
先月は28日までしかなったから最終章の普賢菩薩勧発品第二十八を終えてすぐ休みなく今日の序品第一です。
ところで、昨日の普賢菩薩の普賢という名前は普通の賢いという意味ですよね。
それに対し、今日の序品第一の文殊師利菩薩と弥勒菩薩は普通とは異なった各々にかなり個性感覚な性質を持っているようです。
一般にこの二人のタイプは世界どの地域にも目立って存在していることがよく知れているのではないでしょうか。
それだけにお互いの個性の主張が強いのでしょうね。
しかし、その割には誰よりも一番区分がわかり難い性質の二人なのかもしれませんね。
つまり、どちらがどっちの性質だったか時々解からなくなるのもこの二人だと思います。
 
この二人のことを法華経の中では特に海の者、山の者の違いのように極度に対比させて登場させているようです。
法華経は最も解かり難い教典と言われているようですが、最初から海と山ほど違う個性を混合させているからでしょう。
この両者の違いを先ず序品第一にあえて示しているのは、きっとそれを重要なヒントとして法華経全般を通じて考えさせようとしているに違いないですね。

ところで、海の者と山の者とはどんな違いがあるのでしょう?
一般に文殊師利菩薩を海の者、そして弥勒菩薩を山の者として対比しているようです。
法華経の中では文殊師利は古くから釈迦の娑婆世界に住んでいた郷土の菩薩とされており、それに対し弥勒菩薩は他国から娑婆世界へやって来た他方の菩薩と言われています。
釈迦に対する両者の違いとしては文殊師利は融和接待の個人型で、弥勒は警戒批判の集団型とも言えるでしょう。
その逆に、釈迦の側から両者への違いは、文殊師利に対しては慎重な義理型で接し、弥勒に対しては思いやりによる人情型で接していると思います。

このように釈迦は接する個性により使い分けた教え方をしているのが法華経の特徴であると思います。
その教え方を釈迦は「方便随喜の説法」と呼んでおり、かつてどんな仏もこの教え方を基本としていたと教えています。
方便随喜の説法とは、相手の個性に合わせた方便の話術には喜びがあるということですね。
違う個性と個性が個性のままに理解し合え、そして違う個性と個性が入れ替わらないことが大事なのだと思います。
きっと、そのようにして法華経を読むことで解かり易くなるのではないでしょうか。
 
(ぶっけん成安田)
https://jouan167.jimdo.com/buddha1101/









2018年01月31日

【一休みの勧め】

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室町時代の京都に一休さんというお坊さんが居ましたね
何でも「一休み一休み」と言って勧めます

どうして一休みが重要なのか?
実は、一般に私たちが思い浮かべる仏教の修行とはこの一休みの時が有益な修行になっているのだと思います
ところで、その一休みとはずっとそのまま休んでいるのではなく、自分自身が辛いことに直面している時だからこそ一時的に休みが必要になるのです
または、辛いことがあって当然なのだけれど普段から気付くことができないその辛さの意味をしっかり認識するために時を決めてしっかり休むことが重要になるのです

したがって、休んでいる時ですら常に存在する外敵から自分の身をどのように守るのかを発見することが出来れば有益だということです
しかし、一休みで発見した事柄をどのように活用するかということではありません
ただ、一休みから何かを発見できる体験を積めばそれだけで良いのです
ただそれだけで良いということは、ただ体を休めるということがそれだけでも充電に適うということです

充電するということは次なるチャレンジに進むためのエネルギーを蓄えるといういことです
そして、そのエネルギーは特別なものでもなく、ただ休む前までに消耗した同じエネルギーなのです
その単に同じエネルギーを充電するために休むのは常に存在する外敵への危険対応策を新たに発見するという付加価値を知らずとも身につけるということにつながるのです

(ぶっけん安成)

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2017年12月22日

財布と縁起

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今、財布がとても売れているそうです!
特に白蛇財布は独占だそうです。
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思いがけないチャンスはやはり何かのきっかけによりあるものですよね。
今年こそ年末年始に是非不可思議なきっかけをつかんでみませんか?

「縁」というものはつくづく不思議です。
世の中で不思議なことは数々あれど、これだけは解明されたことがないのではないでしょうか?
「縁」とは、はっきり言って緑色のことでしょうか?
「縁」とは緑色なんて初めて知ったのではないですか?

縁起が良いとは、本当はよりどり緑(本当は「選り取り見取り」?)なのかも?しれませんね!
また、縁日とは調べてみると、由来のことだそうです。
それも仏教用語から来た祭礼や供養が行われる日が縁日、つまりあらためて緑とは何かと考えさせられますね。

それでは縁があったら、またインターネットでお会いしましょうね!
















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2017年12月14日

仏道と仏法

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日頃の行いが大事と共に新たな学びが大切。
協調して見習うことと自主的に発想すること。
これは道と法のことだと思います。
この二つがあることを念頭に自他を説けば安心だということです。

仏がいる時もあれば、いない時もある、されどそれは同じ一つの道である。
仏が一緒にいることもあるのが道である。
その道の辿り着く先が仏門。
仏法とは法門に入ること。

第12-14日 Vol.316  但大乘を以て爲に解説して 【安楽行品第十四】(六十七〜七十行)

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2017年12月12日

〈天上世界は欲望の世界〉

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人間世界の上には天上世界という神々の住む世界があるとされています。
仏教ではその天上界とは欲望を主に支配する世界であると説いています。
つまり、天上界の諸天神はこの世の欲望に関する絶対権限を持って住んでいるというのです。
その神々は欲望そのものを咎めているわけではなくて、この世の欲望の在り方を審査し個々に差別化しているのです。
 
ところで、神々にも無数の種類が存在しています。
この世の生き物のすべて種類には各々個々に別々な神が宿っているとも考えられます。
そして、それらの無数の神々を更に総合的に支配しているのが創造神、或いは破壊神といわれる天上界においても優れものとしてトップレベルの地位にある神様なのです。
 
宇宙の神に創造の神と破壊の神が存在しているように神の世界では仲良く共存というよりも常に競い合って時には激しい争いを起こし神同士の勝ち負けを決めているようなのです。
それを仏教では神々による欲望支配の世界といっているのだと思います。
 
仏教においても仏様だけがこの世を治めているのではなく、通常は欲望世界である天上界がほとんどこの世の欲望の動きを支配しているのです。
ですから、この世のすべてを創造したという創造神やそれに付随する仏様たちの影響力とは、実際のこの世の日常的にはかなり薄いものなのかもしれません。
よって、私たちの日常は天上界に支配された管理下において様々な自主的な欲望により、時には破壊的な利益すらも平然と大きな動きを生じていても何ら不思議とは言えないことなのです。
 
そんな不思議でもないとんでもなく住み辛くなった世の中で常の安全を祈るなら創造神の慈悲と仏様の知恵を授かることを常に信じなければならないのです。
 
(ぶっけん成安田)




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2017年12月10日

自分たちのことは自分たちでする仏様の世界

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誰もが自分の好きなようにして生きていたいだけなら、誰もが他人と助け合って生きるなんてことはとても考えられないほど難しいことだと思うでしょう。
 
実際には好きなようにして生きている人へ他者からどうやってお互いの悩みなどを話し合ってあげることなどができるでしょう。
好きなようにして生きている人がどんな難しさを抱いているのか?他者から見てそれを知ることはかなり難しいようです。
 
お互いが打ち明けたくてもどうやって打ち明けてよいかすら解からない、そんな人間関係の辛さはこの世の最もの難題なのかもしれません。
 
もしかしたら、その悩みなどがほとんどない世の中こそが神が最初に創造した世界なのでしょうか?
きっと、その最初の世界を心のどこかで誰もが覚えているとすれば、それがせめてもの神の慈悲なのではないでしょうか。
 
世の中の生き物すべてを救うという仏と神とを区分付かず間違えていたら大変らしいようですが、神の慈悲に対して仏が対処する立場と考えたらよいかもしれません。
つまり、聖書のイエス・キリストが神の使いの子としてこの世へ送り出された救世者であるなら、それに対し仏教の如来とは自主的に神の気持を和らげようとして仏様がこの世へ自分で救世者となって生まれてきたと考えればよいのかもしれませんね。
 
ところで何分、神の使命の子と自主的な如来とは、その世直しに関してどちらも最初に天地創造した神からの恩を戴けることを目的としているはずです。
しかし、その恩の量を測れば神の子のほうが多いはずですね。
したがって、仏様は自分たちへの恩はほとんど自分たちで稼がなければならないルールなのです。
 
(ぶっけん成安田)

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2017年12月09日

「経済を観点にして法華経を説く」

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今日の授学無学人記品は、釈迦に対し年下の従弟阿難と釈迦の長子である羅御羅の二人への成仏授記の場面です。
いわゆる釈迦の身内関係者への特別な授記とは資産相続を意味していると言って良いはずです。
羅御羅は阿難に比較して仏教そのものへの知識が未熟のようですが、そのまま経済の引継ぎを受け持たされていると考えて良いはずと思います。
 
(ぶっけん成安田)

第8-9日 Vol.205  現に我が長子となつて 【授学無学人記品第九】(四十七〜五十三行)

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2017年12月08日

お釈迦様の悟りの日

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今日12月8日はお釈迦様の悟りの日と言われています。
お釈迦様はこの日一体どんな大きな悟りを開かれたのでしょう?
何かを悟る前には必ず大きな疑問を生じていたはずです。
その大きな疑問は明らかな現象としてすでにずっと以前から現れていたはずなのです。
悟るとは明らかな実証となる現象を観ていることでもあります。
ただ頭の中で渦巻いていただけの疑問ではないのです。
悟りとは日頃私たちすべてを包み込んでいる大気現象のように目の当たりにしているそのものなのです。
 
(ぶっけん)

第8-8日 Vol.204  自ら是れ聲聞なり 佛道を去る 【五百弟子受記品第八】(四十二〜四十七行)

















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住んでいる周囲の在り方に納得いかないことや誤解が生じて、それがそのまま一般的なものになっていったらちょっと不安だな、という思いから、このブログを始めてみました。
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