2014年11月19日
※その後、生活編パート1※
同じ境遇な方、一人でも多く気持ちを共有したいと思います。
私も同じ境遇な方とつながりたいと思っています。
つらい状況、なった人しかわかりません。
コメントお待ちしております。
症状の内容は下記から続きます。
2〜3ヶ月目の出来事
この期間は以前のブログ通り、症状は悪化傾向。
2週間毎に病院に行き、薬が増える一方。
ほぼ毎日、テレビを見ることもせずに、ネットでうつ病に対し
検索し続けた。
毎日が憂鬱で、生きてる意味は何なのかと思っていた。
家族は普段の生活で、自分はボーっとしている状態。
ただ、起きて食べて寝ての繰り返し。
心の中では”何かしなくては”と思うばかり。
”あ〜、どうするかな〜”毎日生きている意味を探していた。
この期間は復職しなければ、”しなければ”という思いが強く、
戻る怖さと復帰したいという気持ちの葛藤があった。
家族の生活はどうなるのか?傷病手当金と少しの貯蓄を切り崩す。
そんな毎日が続いていた。
ただ、唯一の心の支えは家族だけだった。
ある日の出来事だった。
休業してすぐに、母親から電話がかかってきた。
”体調どう?”
なんで知っているのか不思議だった。なぜなら、急に休業し
誰にも言っていなかったから。
ボーっとした状態だったが、母の声を聞いて驚いた。
”うん、休業することになった。ごめん。”
”そうね。よかよか。人生の何年間ぐらい休んでよか。”
ここで、気づいて頂けると思うが、私は九州出身。
方言を聞くだけで心が安らぐ。
続いて母は言葉をつづけた。
”ぜんぜん、気にせんでよかけん。あんたは頑張りすぎさ”
”頑張った分、休んでよかさ。”
”あんたは昔からまじめで何も手のかからない子だっだけんね。”
”あんたは、親を頼ってよかけん。気にせんとよ。”
感情がなかったこの頃、母の言葉と家族の言葉だけは心に突き刺さった。
涙が出てきた。今まで、涙をだすことはなかったのに。
やはり、母親は母親だと気づく言葉だった。
私は”ごめんね”と言うだけで話しは終わった。
母から電話あったことを嫁に話すとなぜ母が知っていたかを知った。
嫁が母に相談し、私の状況を随時報告していたのだ。
涙がでてきた。嫁の好意、母の好意、家族の好意。
涙が止まらなかった。
しかしながら、この時期はテレビも見ることもなく、ただただ横になり
ボーっとしていた期間だった。
3ヶ月以降後、どのような生活を送っていたか?
続きは明日。
☆★楽天カード新規入会キャンペーン★☆
「年会費無料!新規入会でもれなく楽天スーパーポイントがもらえる」
.tokyo
定期購入機能でオンラインショップの売上倍増
この記事へのトラックバックURL
https://fanblogs.jp/tb/2986087
※ブログオーナーが承認したトラックバックのみ表示されます。
この記事へのトラックバック
コメント有難う御座います。
ご家族が理解してくれないのは、苦しいです。
理解がされてないのは、苦しいですよね。
私はまだ、理解されているので、良かったのかと思います。
でも、まわりの方々に支えられ、楽しんでおられること
素敵だと思います。そのような方々がいるだけで嬉しいですね。
これからも意見交換宜しくお願いします。
STARさんは、いいご家族をお持ちですね。
うちは、夫婦とも精神障害だから、夫婦でどうすることもできないのに、私の家族も夫の家族も病気を理解したり、心配してくれることはありません。
それで、主治医や病院のケースワーカー、訪問看護師さんに頼るしかなくなっています。
でも、他人でも、とても心配してくれたりして、とても嬉しいです。
助かっています。
なんか血縁だけではないのだな、と思っています。