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ビギン
 屋根裏に子供部屋が、小さい頃の思い出・・・ 沢山の思い出が、大冒険の始まりの予感が!
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2009年06月29日
お祭り!
 おはようございます。

今日は、お祭り!です。

我輩の周りでも夏祭りに向け慌ただしくなってきました。

最近ではあまり自分から進んで参加をすることがなくなったお祭り!

いつ頃から、進んで参加できなくなったのか?・・・考えてみることに・・・

我輩の小さい頃、まだ、お祭りにハッピを着て参加できない年齢の頃

当時の自宅近くの神社で宮入後には小さな子供達や参加できなかった子供達が

神輿や枕太鼓に乗り来年は参加しようと心に思っていたことでしょう。

中には宗旨の問題から参加できない子供もいたようです。

少し寂しい気はしますが・・・・

小さい頃にはよく父に担がれ子供たちが乗る枕太鼓に載せてもらっていたのです。

お祭り巡行から帰ってまだ興奮冷めやらぬ子供達に場所を空けてもらい

少しの時間枕太鼓の上で・・・子供にはそれで皆と同じ参加した雰囲気に・・・

数年前の・・・・

今から約11年前・・・我輩の周りにも少しそうした雰囲気が感じ始めたのです。

昔の子供達がよく口ずさむ「井戸の周りでお茶碗書いたのだ〜れ」のフレーズ

我輩の年齢の人なら誰も聞いたことのある童謡

なぜか我輩の心にそのフレーズが・・・・

我輩の自宅は川原がありそのフレーズがなぜか当てはまる・・・

そう感じたのです。

我輩の住む町には少しそうした要素があったのかも・・・

我輩の知るところではないのですがそう感じるのです。

当時の我輩も少し自宅近くのお家を数件訪ね歩いたこともあったのです。

以前、お祭りでは休憩場になっていた場所も・・・・

そこでもやはりこのフレーズが・・・

地域を離れ十数年、ふと気がついてみるとそこには

自ら進んで参加できない自分がいたのです。

地域を離れての生活の中すっかり地元のことを忘れていたころ

ある人物との出会いが・・・神様をしていた人物・・・・

不思議な出会いと4年に一度・・・・・

そう、あのフレーズが聞こえ始めた頃にも

我輩自宅角から神社に向けて歩く女性も4年に一度会える・・・

言葉を残していったのを不思議に思い出すのです。

地域を離れ生活を送っている人のところにも何年かに一度

巡り合わせがあるのかも知れません。



 明日は、防護マスク!です。





 では、また。

Posted by ビギン at 07:16 | 昔を散策 | この記事のURL
2009年06月28日
作業場!
 おはようございます。

昨日は一日、お話の掲載をお休みしました。

今日は、作業場!です。

我輩の小さい頃のお話です。

当時、我が家では小さいながらも幾つかの機械を置き仕事をしていたのです。

そんな我が家には珍しく裏の出口があったのです。

大きな工場のようなものではないのですが小さなドアがある程度のものが・・・・

我輩の住む町でもあまり見かけることはなく

近くの工場しか我輩には記憶になかったのです。

大阪の街独特のものなのでしょうか路地が幾つもありそこへ出る扉・・・・

背割りの少しのスペースが我輩の作業場になっていたのです。

小さい頃学校から帰ると父が作業台と椅子をそこに置き

我輩に家の手伝いを・・・・・

夏には涼しく背割りの路地を通る風が心地よく感じられる。

ところが・・・今思うと変なふしが・・・・・

日頃はあまり作業がないのですが決まってそのときに限って・・・・

学校で友達と遊びに行く約束をしたときに限って・・・・・

いつもは約束をすることなく近所で遊びまわっているのですが

約束をした日に限って手伝いを言われるのです。

当時の我輩は、遊びに行けないことの辛さより

友達との約束を破る辛さで一杯だったのです。

今、この年齢を向かえ思い出してみるとやっぱり変なふしがある・・・・

当時の我輩の心の中を見ていたのかも・・・

あるいは、我輩の友達の心を父が見ていたのかも・・・・

あるいは、自宅で作業があることを友達は知っていたのかも・・・・

屋根裏部屋でも幾つかのお話の内容に出てくる・・・・・

きっと父や母のしつけだったのでしょう。

我輩の周りの友達もその頃心の中に声が聞こえていたに違いない。

今ではそう感じるのです。

大阪の路地を通る心地よい風とともに思い出した当時の作業場です。



 明日は、お祭り!です。





 では、また。




 では、また。

Posted by ビギン at 07:16 | 昔を散策 | この記事のURL
2009年06月26日
サマワ派遣の自衛官!
 おはようございます。

今日は、サマワ派遣の自衛官!です。

ニュースを見て、不思議と昔を思い出してました。

以前、屋根裏部屋でも紹介したと思うのですが

警察の機動隊の訓練風景・・・・

丁度あの頃の、我輩の周りの環境と似ている・・・・

当時では、かなり珍しく国内でも問題になっていたのかも知れません。

しかし自衛官であった我輩の耳や目には特殊なことと思うことができないのです。

また、特殊と思うと自衛隊として訓練することもできない。

そんな風景をサマワ派遣のニュースで見て思い出していたのです。

我輩の自衛隊生活で他国の軍隊との訓練は2度・・・・・

一度は、航空自衛隊の訓練に陸上自衛隊として参加。

アメリカ兵との立食パーティでは

大人と子供くらいの差があると実感するほど(体の大きさを含め)・・・

当時の我輩の心の中にはこれが軍隊と自衛隊との

差になるのかと思えるものでした。

もう一つは滋賀県で参加したアメリカの海兵隊との合同訓練・・・

これはかなりの規模のもので当時の日本国内ではかなりの反対意見も

多かったように思うのです。

そのため、機動隊が全国から集まり自衛隊と警察との大規模なものに

いざ、終了してしまうとアメリカ兵と自衛官との交流も幾つかあり

国内では珍しい軍備品を交換したりと楽しい雰囲気のうちに終わったのです。

サマワ派遣のニュースを見ていると強く思い出しテレビに見入っていた時

ある一人の自衛官が空港へ向かうバスの中から手を振っているのが

映し出されたのです。

我輩のいた部隊の隊員・・・しかも当時の合同演習の時と同じ笑顔で・・・

現役の自衛隊を退いた我輩には一大事のニュースに笑顔で飛行場に向かう

隊員の顔を見るとあの頃の我輩も一般世間の人の

考えとは違ったものをもって生活していたのかも知れない。

また、そうでなければ公僕として勤務していくことはできなかったのだと

思うのです。





 明日は、作業場!です。






 では、また。

Posted by ビギン at 05:47 | 日記 | この記事のURL
2009年06月25日
JR脱線事故!
 おはようございます。

今日は、JR脱線事故!です。

我輩がかかわったのではないのですが、あのJR脱線事故の

ニュースを見て感じたのです。

以前からお話でも紹介していたように我輩の周りに自衛官だった頃の

同僚や先輩隊員の面影が強く感じられ始めた頃だったのです。

もともと我輩の住む町にあるJRの駅名から事は、始まっていたのかも?

昔にさかのぼるのですがJR駅ができたのはJRの事故が原因だったようなのです。

我輩自身、人からの聞き覚えでホントのことかどうか疑問はあるものの

興味のある話の一つに駅名の由来があったのです。

駅名は塚本・・・塚の字自体がお墓(昔の古墳)をあらわしているそうです。

昔、JRの沿線で多くの死人を出した事故があったそうです。

その事故の多くの死人を鎮魂するためにできた駅と聞いたことがあるのです。

尼崎の脱線事故から少しさかのぼるのですが

加島・竹島、辺りでの事故のことを思い出すのです。

加島・竹島も歴史が古く大阪にある郷の中の一つ

西成郷のはずれにあたるのですがその付近での事故が印象に深い。

場所的にも歴史街道の一つになる三津屋街道・・・・

我輩の住む地域にある昔話の一つに人柱の話も

竹島の地域と深い関係のあるものなのです。

そうした地域でのJRの事故も当時のニュースを聞いた我輩には

心の中に来る何かがあったのです。

我輩自身、当時の事故のあった場所での作業もしたのですが

軌道敷地内に入るとそこは不思議な線路の切り替えになり

危険な感じのある場所だったのです。

街道を大きく二分するように通るJRの線路にもしやの気持ちもあり

人柱の物語と合わせ歴史的にも大きなかかわりがあるのかも知れない。

尼崎の脱線事故も遠い昔の歴史と大きく関係しているのかも知れない。

我輩の周りに自衛隊当時の同僚の面影が強く感じ始められて間なしの脱線事故

隣に住む子供に面影が強く出ていた自衛官が

尼崎脱線事故の指揮官としてテレビに出ていたのも

不思議な感じを受けた一つなのです。

当時の我輩の周りに鬼気迫る様相の自衛官の面影も幾つか見受けられたのです。




 明日は、サマワ派遣の自衛官!です。






 では、また。

Posted by ビギン at 07:06 | 冒険 | この記事のURL
2009年06月24日
ホバリング!
 おはようございます。

今日は、ホバリング!です。

ヘリコプター特有の技術!航空写真の撮影などではよく空を旋回している

ヘリコプターを見かけることがある。

小学生の頃には一年に一度全校生徒が校庭に出て遊ぶ姿を撮影していたものです。

小学生当時の我輩はいつも不思議とヘリコプターが来るものだと感心してました。

そんなヘリコプターがある日我輩の自宅の上に来たのです。

自宅の中でくつろいでいた我輩はホバリングをしている・・・そう感じたのです。

家はまるで地震のように揺れ今にも倒れるかと思うほどキシム音が・・・・

慌てて外へ飛び出し上空を見ると・・・・なんと・・・自衛隊のヘリが上空を旋回しているのです。

しかも・・・・バートル・・・映画などではよく出てくる戦場で負傷した人を運んだり

戦場へ物資を運んだりするヘリです。

前と後ろに大きなプロペラがあり普段よく見かけるヘリとは違って

大きな塊のように見えたのです。

当時の我輩は自衛隊を退職して10年・・・・自衛隊での生活もすっかり忘れ

一社会人として暮らしていた時です。

当時、自衛隊を退職して10年後の、あの、予言のような生活など思い出すこともなく

生活をしていた我輩には腹立たしさを覚え中央区にある自衛隊大阪地方連絡本部まで

真意を確かめに行ったのです。

自宅から自転車で約30分・・・・

以前の自衛隊大阪地方連絡本部は大阪城の堀にありレンガ建ての趣のある

建物で、我輩も入隊前の身体検査をそこでした経験があったのですが、

今は合同庁舎の立派な建物の中、そこへ訪問したのです。

中に入り真意を確かめようと見渡すと・・・随分と見慣れた顔触れが・・・・

まるで、我輩が自衛隊で生活をしている時のよう・・・

我輩が所属していた部隊の隊員もたくさんおり、陸曹教育隊の同期も沢山勤務していたのです。

しかし、真意だけは確認しないと・・・一人の先輩隊員に付き添われ一人の指揮官のもとへ

そこで先輩隊員は、以前、同じ部隊に所属していた元自衛官です、と紹介を済ませた後

階下にある喫茶店へ連れていかれたのです。

そこで、ヘリの上空旋回の事実を確認・・・・自衛隊地方連絡本部には連絡がなく

事実関係はない・・・すでに落着きを取り戻していた我輩は追及をすることをやめたのです。

元所属部隊の先輩隊員の仕草が依然、我輩がいた自衛隊と違い

緊迫した感じを当時の我輩は強く受けたのです。

戦地に向かう軍人の教育を受けた・・・・当時、サマワ派遣がニュースでも取り上げられ

国内でも賛否両論、話題になっていた時期、実際に派遣される隊員への教育が

我輩には感じられ一国民としてこの状態が普通と思う政治に怖さを感じたのです。

喫茶店の中を見渡すと不思議な人物の姿も・・・

自宅近くの保育園で保母をしている情勢がウエートレスに????

少しの時間、話をした後、我輩は自衛隊大阪地方連絡部を後にしようとエントランスまで

その時、一人の女性が子供を連れて走りこんできたのです。

見覚えのある顔、我輩が所属していた駐屯地にいた婦人自衛官・・・

退職前、少し悪い噂が流れ男性隊員の話によく出てた・・・

職種は我輩と同じこともあってか我輩の所属する部隊ではあまり話すことも・・・・

我輩が退職する頃には同じような問題を起こし退職する隊員が後を絶たない・・・・

ここで、お話を掲載する我輩も同様ではあるのです。

子供を連れた女性の顔には困惑の表情があり我輩同様、地方連絡部へかけいったのです。

入れ替わるように自衛隊大阪地方連絡部を後にした我輩は自転車で来た道を帰るのですが

再び、目に留まるある人物がいたのです。

白いクラウンの助手席に乗るその人物は後姿だけなのに一目でわかる・・・

以前、後期教育隊で新隊員として教育を受けた隊員・・・・

車の向かう先には自衛隊大阪地方連絡部があり

後ろ姿の、当時の婦人自衛官もまた子供を連れた元自衛官と同様

地方連絡部を訪れたのだろう・・・・

あの時の悪い噂も近くにある別の駐屯地の隊員だったのかも?

真相は今になっては問題ではないのですが・・・・



 明日は、JR脱線事故!です。




 では、また。

Posted by ビギン at 07:00 | 冒険 | この記事のURL
2009年06月23日
町に立つ女性!
 おはようございます。

今日は、町に立つ女性!です。

我輩がまだ、名古屋で元気に働いているころ・・・不思議な出会いがあったのです。

当時、我輩は愛知県小牧市にある会社から尾張旭市まで毎朝作業員たちと

車で移動をしていたのです。

小牧市から尾張旭市までは約一時間、工場に着くとすぐに作業が開始される時間になるのです。

オートメーション化が進んでおり生産ラインも6つほどあり

かなりの作業員がそこでは働いていたのですが

あまり工場勤務のなかった我輩は今までの経験からできた製品の

検品とパレットに積載をする部署の担当になたのです。

我輩には相にあっていたのか単調な作業の中でも楽しく働いていたのです。

そんなある日、いつも通る道から少し脇道へ入ることがあったのです。

車が通る町はどことなくさびしい雰囲気が漂い、まるで町全体が死んでいるような・・・・

言い換えれば人が住んでいる雰囲気がそこにはない・・・そう感じたのです。

そんな町の中ほどに一人の女性が道の真ん中で立っているのです。

車の通行を妨げるように・・・・

本来工場へ行きかう車の通る道ではない雰囲気の道。

名古屋の街の地理に詳しくない我輩はそう感じたものの運転を担当している社員に

道のことも聞けないまま女性の横を通り過ぎたのです。

通りすぎるとき、女性の顔が妙に懐かしく思い出され

昔の同僚に似てたと心の中で思ったのです。

伊丹市の自衛隊の近くに実家がありその近くには自衛官の駐車スペースがある。

なんだか懐かしいのと、なぜ、この女性がここにいるのかという

疑問でいっぱいになったのです。

尾張旭市のほど近い町に一人で立つ女性・・・・

我輩の住む町にも・・・幼い頃通った保育園子供を送ってくる女性・・・・

あの、体より大きな鬼やんまに追われたあの場所に・・・

そこに通っていた・・・町に住んでいる・・・この女性は・・・

工場には桂?宇治にいた同期も働いている。

このころの我輩の周りでも不思議なことが多くあったのだろうか?

あの時、伊丹の街を老婆に囲まれて歩いていた若い女性のことが思い出された。

今は、大阪で元気に生活をしているのです。




 明日は、ホバーリング!です。





 では、また。

Posted by ビギン at 08:12 | 冒険 | この記事のURL
2009年06月22日
守山駐屯地!
 おはようございます。

今日は、守山駐屯地!です。

お話でも幾つかできた自衛隊の不思議な部分なのです。

以前にも掲載したように我輩の周りにいる幼稚園児や小学生が自衛官に思えた頃

当時、我輩は名古屋・東京といろんな地域を回ったのです。

東京にいるときには市ヶ谷駐屯地の横で仕事をしていると数名の自衛官が見に来たり

退職してからもどこか心の中には自衛隊の部分があったようなのです。

名古屋の地を後にするとき、我輩は次に行く場所は豊田・豊橋方面と決めたのです。

理由は何でもなく豊田だと自動車生産工場があり仕事も沢山ある・・・・

ただ、のんきに考えてのものだったのです。

当時の我輩の周りにはいろいろな人物の姿があったように思うのです。

社宅のあった小牧市を跡にした我輩はひとまず名古屋駅を目指したのです。

社宅に住んでいる時住み込みで働くところを紹介してもらった会社へ挨拶に行ったのですが

この時、名古屋駅までの道を知り歩いてもさほど苦にならないと感じた我輩は歩くことに・・・

途中、大通りに出ると一本の川が目に入ったのです。

川沿いを歩けば早い・・・・道も一本道迷うこともない・・・

そう感じた我輩は川の名前すら知らないまま川上へと歩いたのです。

どれぐらい歩いたのでしょう、途中、公園のある住宅へ着いた頃には夕方になっていたのです。

その公園でも不思議と婦人自衛官の雰囲気が漂っていて我輩の住む町と似てる・・・

そう感じたのと、その公園で子供をつれている父兄が我輩を見る目に親しみを感じたのです。

その場を離れしばらく歩くと川の反対岸になにやら見覚えのある建物が見えたのです。

しばらく見ていると自衛隊の駐屯地と気づきこんなところにあるのか?

初めていく駐屯地・・・何処だろう・・・その時、何処からか声が聞こえてきたのです。

情けない奴・・・ほっといて私達だけで先に行こう・・・・

その声と伴に数名の婦人自衛官が装備を整え出て来たのです。

駐屯地名を見ると守山駐屯地・・・そうか・・・・高速で聞こえた声の持ち主もこの駐屯地・・・

教育隊を担当した時の婦人自衛官もここには数名配属になっていたことを思い出したのです。

しばらくついて歩くことに・・・・さすが、現役の自衛官歩く速度も早く颯爽と我輩との距離を

広めていったのです。

しばらく後ろを歩いたのですが岐阜県との県境に差し掛かる頃婦人自衛官の姿は

右に曲がり見えなくなってしまったのです。

我輩に聞こえてくる声・・・守山駐屯地だけでなく

我輩のいた千僧駐屯地でも聞こえる・・・婦人自衛官も我輩の心の声が良く聞こえている

そう感じることが増えました。

近くで遊ぶ子供声も時々、婦人自衛官や元いた自衛隊の同僚ように感じるのは????

我輩には不思議と懐かしく感じる遠い昔の生活がそこにはあるような気がするのです。



 明日は、町に立つ女性!です。





 では、また。

Posted by ビギン at 06:51 | 冒険 | この記事のURL
2009年06月21日
ホストクラブ!
 おはようございます。

今日は、ホストクラブ!です。

ホストクラブとは言っても我輩がホストとして働いていたわけではないのです。

東京での生活にもなれいろいろな店舗に管理の面からディリーに・・・

そのときに、不思議なことに気がついたのです。

池袋をはじめとして新宿・大久保と点在する店舗へ出向いて作業をするのですが・・・・

我輩を含め3人のメンバーで作業に携わっていたのです。

中にはキャバレーもありさまざまな作業があったのです。

カーペットのクリーニングも当然計画的にしないといけないし

テレビのドラマ撮影があるときにはいつもより念入りに作業をする事も多かったのです。

一日の作業はかなりハードで午前中だけでも3店舗から5店舗

一日10店舗近くを回ってくるのです。

当然、疲労もたまりメンバーも疲れを隠せない・・・

そんな時、あるホストクラブの店舗のメンテナンスに行ったときのことなのです。

移動するだけでもかなりの距離・・・その日は予定より30分早くに店舗に着いたのです。

時間の調整・・・その日は少し店内で休憩を取ったのです。

責任者の指示であいた椅子どれでも座りなさい・・・・

我輩は不思議なことを・・・と感じたのです。

どの席でも?我輩一人立っているわけにも行かず腰を下ろしたのです。

その時、昨日の店内の様子が映し出されたのです。

実際には作業員が座っただけなのですが

責任者の声や話題・言葉が一変したのです。

今まではどこか疲れがあり覇気のない人が一変して

生き生きとまるで昨日の店内のホストの会話を始めたのです。

我輩を含む3人の作業員それぞれが昨日の席に座った人を演じ始めたのです。

我輩自身ビックリ・・・何処にこんな話題があったのか・・・

自分の声であり自分でない声に・・

約30分の間ホストと客をそれぞれ演じ休憩を終わったのです。

その後の作業はいつもと変わりなく進み普段の様子に全員が戻ったのです。

当時の我輩にはとても不思議な体験だったのを良く覚えているのです。

今では、時折会話に自分の声でない会話をすることがあるのですが

あの時のことをふと思い出し会話の内容より誰の声か・・・・

気になる自分がいるのです。




 明日は、守山駐屯地!です。





 では、また。

Posted by ビギン at 11:02 | 冒険 | この記事のURL
2009年06月20日
ノートを持った女性!
 おはようございます。

今日は、ノートを持った女性!です。

以前、我輩のPCの壁紙にも映画の題名で「ノートに眠った願いごと」の

壁紙を見つけディスプレーに・・・・

妙に懐かしくまた、不思議な体験?を思い出したのです。

名古屋から東京へと布団と一緒に移動した我輩も東京を後にする日が来たのです。

西に向かい進路を・・・・その時、頭の中には以前、北海道まで行ったときの

記憶が蘇ってきたのです。

ここまで来たら東北方面を目指してみるのも・・・

東京から電車に乗り宇都宮へそこからは再び乗り継ぎ東北方面へと進路をとったのです。

宇都宮では餃子が有名らしく駅前で餃子を食べ福島駅へたどりついたのです。

途中、田舎の風景がそのままに残る駅で電車を乗り継いだのですが

周りを見渡した我輩の目に不思議な光景があったのです。

電車の中でノートになにやらメモをとる女性が・・・・・

顔には笑みを浮かべなにやら小悪魔のような笑顔・・・・

その前の座席には一人の男性が首をうなだれ静かに目を閉じていたのです。

その女性が目の前に座る男性の心の声をノートにメモしている・・・

そう感じたのです。

以前、どこかで・・・我輩の自宅近くに住むいとこが電車の中で笑みを浮かべ

目の前に座る女性と対峙している風景・・・・あの時も・・・心の中では葛藤が・・・・

そのときの風景に似ている・・・不思議とそう感じたのです。

福島の駅に着いた我輩は駅前から少し外れた商店街へ・・・・

そこは・・・商店街というより長い通りのような・・・・福島駅前に古くから残る通りを歩くと

我輩が来るのを待っていたように通りには人があふれたのです。

まるで東京で聞いた声の女性の時と同じように。

福島駅前でその日は泊まり再び東北を北へ・・・

山形蔵王に着いた頃にはすっかりと財布の中は寂しくなっていたのです。

山形蔵王までか・・・・心の中でそう思うと町の中を散策してみたくなったのです。

駅を出た我輩はどう歩いたのでしょう。

目の前には旧武家屋敷・・・

今でも生活をそのままにした民家が立ち並ぶ町へたどりついたのです。

外から見る暮らしはあまり良くは見えないものの武家屋敷の雰囲気が今でも伝わってくる。

再び、町の中を散策していると田舎の景色の中にスーパー銭湯が

そこから山の方向へ歩くと田んぼが広がり我輩の足音に気がついたかえるが

いっせいに泣き始めたのです。

何処からともなく、もう田植えの時期が来たな・・・

そこから先に足を進めると山道に・・・・少し昇ったところ辺りで行き止まりになり

我輩はそこへ腰を下ろしたのです。

セコムの研修場がありそこから上には誰も入ることができないフェンスが・・・・

その中に腰を下ろしつかれた体を休めているとあの映画の壁紙の雰囲気が・・・・

そこで夜を明かす決心をした我輩は茂みに光るものを見たのです。

蛍???そうだ蛍だ・・・待て・・・光るものが二つ・・・マムシかも知れない。

でも、向こうから人には近寄っては来ないだろう。

そう思うと少し寝たのです。

目が覚めた我輩の周りに来た時にはなかった飴の包み紙が・・・・フェンスの中に???

再び、フェンスを出るとそこには・・・サンドイッチの袋が・・・・来た時にはなかったものが

まるで食べ物の袋が山の下へ導くように5m〜10m間隔で捨ててある・・・・

それをたどり降りてきたところは村の墓地になっていたのです。

墓地の真ん中には家名が刻まれており地域の名士を思わせる。

つい先日、不思議な出会いがあったのです。

大阪にある生命保険の会社の前のバス停で降りた女性・・・・

あの時の電車で見た女性に似ている・・・

郵便局から我輩と一緒に乗った女性は渡辺橋の辺りまで・・・・

山形蔵王で見たお墓もまた、渡辺家になっていたのも、何か不思議な感じがする。

山形蔵王を後にした我輩は以前お話で掲載したさまざまな不思議な体験をしながら

JR東海道線を大阪に向けて帰路についたのです。



 明日は、ホストクラブ!です。





 では、また。

Posted by ビギン at 05:25 | 冒険 | この記事のURL
2009年06月19日
布団に追われて(その2)!
 おはようございます。

今日は、布団に追われて(その2)!です。

名古屋から大阪に帰って来た我輩は落ち着く暇もなく再び大阪を後にしたのです。

行き先は、東京です。

大阪駅から一番格安の夜行バスに乗って東京へ向かったのです。

東京までの費用は5000円格安とあって名古屋を過ぎたあたり

静岡県との境にさしかかる頃バスのドライバーの交代のため

一時高速から一般道へ三ケ日インターから近くにバスの停留所があり

そこでドライバーが交替、再び高速道路に乗り東京を目指すことになったのです。

長距離トラックのドライバーをしていた我輩には夜行バスとは言えかなり快適なドライブに・・・

東京へ着いた我輩は新宿や池袋界隈を歩きハローワークを頼りに求職活動!

当座の泊るところを探しているとかなり格安な旅館が目に・・・・

新宿御苑のあたりにかたまってある。

大阪で言うなら通天閣界隈の安い宿泊施設・・・・

東京で見たのは外からではまるっきり普通の旅館、一泊1400円ほどとかなりの安さに

旅館の戸をあけたのです。

東京で泊るところを探すなんて・・・・以前に営業の補助をしていた時の経験が

こんなところで役にたった・・・・しかし喜ぶのは早かった・・・

格安の旅館だけあって泊るのも一苦労・・・予約でいっぱいに・・・・

何軒かある旅館すべていっぱいだったのです。

仕方なく他を・・・池袋のハローワークを訪れ求職活動をしている我輩の目に

一軒の宿泊施設の看板が飛び込んできたのです。

そこには1700円〜・・・・中に入り部屋が空いているか尋ねると・・・

残念なことに空いている部屋は個室だけ・・・金額的にも負担が大きくなる・・・

しかし、このままでは・・・意を決し金額を尋ねると2200円・・・・

少し高くはなるが個室でベットがありこの金額なら十二分である。

すぐに部屋を確保して面接へ・・・・会社も宿泊施設から十数メートルと近く最高の場所・・・

無事、就職も決まりしばらく普通に生活を送っていたのですが・・・・

いつものように・・・いつもと変わりなく意見のずれから退社

再び宿泊施設を後にする事になったのです。

当時の我輩は運があったのでしょうか?それとも見えない何かに動かされていたのでしょうか?

東京の大学の近くにある新聞配達の店舗へ住み込みで働く事が決まったのです。

まだできて新しい新聞配達所の2階に部屋がありそこで寝起きをする事になったのですが・・

なんと・・・そこにあるベットに引いてあった布団に見覚えが・・・・

たしか、名古屋の社宅で使用していた布団・・・・我輩がつけたシミもそのままに・・・

間違いない・・・確信をしたのと同時に布団が我輩の前を進んでいる?

不思議な感じと何か縁のようなものも感じたのです。

それから数年・・・・・その新聞配達所で働いていた大学生も無事卒業したのでしょう。

今、我輩の住む町の神社のあたりを当時のっていたバイクで走る姿を見かけたのです。

あの時の布団も東京から大阪へ我輩を追いかけてきているように感じるのです。




 明日は、ノートを持った女性!です。




 では、また。

Posted by ビギン at 05:59 | 冒険 | この記事のURL
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