2008年10月13日
海友荘!
お早うございます。
今日は海友荘です。
屋根裏部屋から近くを散策です。
小さい頃の思い出の場所のひとつなんです。
近くに小児科の病院と内科があったんです。
名前は・・・小鹿医院。
その建物が、アパートになっているんです。
アパートと言っても5階建ての立派な物で
外国のアパートのイメージなんです。
ここが、子供の肝試しの場所に・・・
入り口から5mほどのところから暗くなっているんです。
昼間でも夜のように・・・
電球がないわけではないんです。
あるんですが、少ないのと、昔の豆球のようなもので
とっても明るいとは言えないものなんです。
いつの間にか子供たちの間では、幽霊屋敷と呼ばれることが・・・
そこを探検していると、大きな怒鳴り声が・・・
ここは、子供の遊び場じゃない・・・
その声に子供たちは逃げ出し少しのスリルを味わっていたのです。
今思えば、友達や後輩も住んでいた立派な居住スペースだったんです。
あの頃は幽霊屋敷・・・変わった建物として!
本来は、名前の通り、海の人の病院だったのだそうです。
海軍の重要な役割を終え居住スペースとして使用していたようです。
今思えば、この地域では珍しく重量感のある建物でした。
もう、姿形もなく近代建築の新興住宅になっています。
これも時代の流れなんでしょう。
明日は、淀川ハウスです。
では、また。
今日は海友荘です。
屋根裏部屋から近くを散策です。
小さい頃の思い出の場所のひとつなんです。
近くに小児科の病院と内科があったんです。
名前は・・・小鹿医院。
その建物が、アパートになっているんです。
アパートと言っても5階建ての立派な物で
外国のアパートのイメージなんです。
ここが、子供の肝試しの場所に・・・
入り口から5mほどのところから暗くなっているんです。
昼間でも夜のように・・・
電球がないわけではないんです。
あるんですが、少ないのと、昔の豆球のようなもので
とっても明るいとは言えないものなんです。
いつの間にか子供たちの間では、幽霊屋敷と呼ばれることが・・・
そこを探検していると、大きな怒鳴り声が・・・
ここは、子供の遊び場じゃない・・・
その声に子供たちは逃げ出し少しのスリルを味わっていたのです。
今思えば、友達や後輩も住んでいた立派な居住スペースだったんです。
あの頃は幽霊屋敷・・・変わった建物として!
本来は、名前の通り、海の人の病院だったのだそうです。
海軍の重要な役割を終え居住スペースとして使用していたようです。
今思えば、この地域では珍しく重量感のある建物でした。
もう、姿形もなく近代建築の新興住宅になっています。
これも時代の流れなんでしょう。
明日は、淀川ハウスです。
では、また。