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 屋根裏に子供部屋が、小さい頃の思い出・・・ 沢山の思い出が、大冒険の始まりの予感が!
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2009年10月19日
文鎮!
 おはようございます。

今日は、文鎮です。

ここ最近、中学の技術の時間に作成したものの中から思い出にあるものを

幾つか紹介してきました。

そのどれもが、今も尚、我が家に残っているのです。

しかし、残念なことにラジオともう一つ残っていないものがあるのです。

残っていないというより屋根裏のどこかにしまったまま

わからなくなっているものが・・・・

小さなもので隙間に入ったのかひょっとすると

ネズミの明けた穴に入ってしまったのか?

金色の真鍮の塊でできた文鎮がどうしても見つからない。

当時、真鍮の塊なんて気にも留めてなかったのですが

今思えば珍しいものだった気がするのです。

旋盤の機械を使い真中に穴をあけねじを作り

そこに持つための取っ手を付け、作成した文鎮!

丸い真鍮の塊を削り習字で使う赤の墨を付け、平らになるよう磨いでゆくのです。

当時の私はなぜか磨ぐときに悩んだ記憶がある。

赤の墨の付いた部分を磨ぐといいのか?

それとも赤の墨の付いていない部分を磨げばいいのか?

まるで狐につままれたような感覚だったことが記憶に残っている。

磨いでゆくうちに、また墨のつかない部分ができ裏返し、万力で挟んでは、

再び磨ぎ始める、少し磨いでは墨に付け、平らになるよう何度も繰り返す。

そのうち、磨ぐ方向が分からなくなり、再びでこぼこになってゆく文鎮に

頭の中はパニック状態に、そんな記憶に残る文鎮も屋根裏部屋から

外に持ち出した記憶はない。

どこかに隠れて出てこない文鎮。

部屋墨でひっそりと様子をうかがっているのかも知れない。

あの時の思い出のまま、静かに。





 明日は、お神楽!です。





 では、また。

2009年10月03日
大地の子3!
 おはようございます。

今日は、大地の子3です。

中国の生活の中の一部分のお話を私の記憶の中に残る範囲でお話します。

中国にはその当時、強制労働収容所があったようです。

日本の刑務所のイメージで私は捉えたのですが映画を見ていくうち少し

違うことに気がついたのです。

ケイン・コスギ扮する中国の青年がある容疑の疑いを

かけられたため収容されたのです。

中国では、容疑の晴れるまでの間、収容所の生活を余儀なくされるようです。

収容所は私が見たん感じ刑務所の中の作業場の感じが強くあったのです。

違うのは昔でいわれる奴隷のようにかなりハードに働かされている。

しかも名前のとおり強制労働・・・・

私は行ったことがないのですが日本の喜劇でもよくある

どこかの山の飯場につれていかれ、働かされる感じです。

ところが容疑が晴れるとその奴隷のような強制労働も様子が変わってくるのです。

どちらかというと今の自衛隊、日本で言えばそういう感じを受けたのです。

収容施設での生活は変わりないのですが、

警察の機関から自衛隊の機関へ移る感じを受けたのです。

今までの刑務所の中のような生活とは一変して自衛隊。

収容場から遠く離れた牧場へ羊の世話役として行くのです。

その風景はさすが、中国と感じる壮大な景色で山々に囲まれた

広い地域の牧場へ何日もかけて移動。

そこでは、今までのような奴隷のように強制的な労働はなく

どちらかと言えば遊牧民族の感じを受けるほどのんびりとした

時間が流れるのです。

ケイン・コスギ扮する中国の青年もこの時、さまざまなことを思い

自分の将来を見つめていたようです。

週に一度その牧場を通る遊牧民族の若い娘と知り合い、恋におち

楽しい生活をしばらくの間送るのです。

その間の監視は全くと言ってない。

いいかえれば自衛隊の雰囲気です。

自衛隊も教育の期間は色々な制限があり約一年ほど大変な時期があるものの

その期間が過ぎればまたもとの部隊の雰囲気に戻る。

私の受けた感じではそういった気持が強かったのです。

ケイン・コスギ扮する中国の青年も強制労働の期間が終わり

再び一般社会へ戻る日が来たのです。

山奥の地で知り合った女性とともに元の職場に復帰。

再び中国の製鉄産業の重要なポストを担うことになるのです。

日本側からの担当者が自分の父である事を強制労働所で聞いていた

青年は、父の姿に喜び交流が再び始まるのです。

やがて子供もでき大地の子としてすくすくと育つ。

この先、最後のシーンはあまり記憶に残ってないのです。

残ってないというより見ていないという方が正しい。

少し最後の重要な部分に差し掛かった時、私の気持ちがなえてしまった。

今思えば大地の子の題名になる要素が終わりの部分にあったのかも知れない。

機会があり、『大地の子』を見ることがあれば私の代わりにぜひ最後まで

見ていただきたい。

今から約十年前、平成11年頃の大阪市の中央図書館で見た作品です。

今ではインターネットで検索をすると自宅近くの区の図書館まで

資料やCD/DVDを持って来てくれるサービスがある。

他にもまだまだ沢山の資料もあるようです。

私の見たものだけでも、小森一揆の話や水平社の話など部落差別や

教育に関するものもたくさんある。

私は同和の活動をしているわけではないのですが機会に恵まれたのか

図書館へ行く機会が多く目に止まったのです。

今では、落語のDVDを借りてみるのが楽しみになっているほどです。

一度時間を見つけ行ってみるのもいいかも知れません。





 明日は、お葬式!です。





 では、また。

2009年10月02日
大地の子2
 おはようございます。

今日は、大地の子2!です。

昨日に引き続き大地の子のあらすじを私の記憶に残る部分で

お話しようと思います。

日本の製鉄会社の担当者と中国政府から選ばれた若者は次第に意気投合し

家族ぐるみの交際が始まったのです。

中国の男性は、技術者ノウハウを聞きまた日本の文化へも

親しみを覚え始めていたのです。

同時に、日本の製鉄会社の担当者はこの頃からある行動をしていたのです。

日本の製鉄技術を中国の近代設備に取り入れるため日ごと中国へと行き来する中、

以前、中国に残したまま帰国した中国の女性と子供の事が気になっていたのです。

日本政府や中国政府の力添えもあり、当時の記憶から

中国の女性と子供の捜査を依頼していたのです。

年月は立ち中国政府レベルでの取り組みの中、建設された製鉄工場は

可動を始めるのですが、この時、ある容疑から中国側の担当の青年が

逮捕されることになったのです。

今まで意欲的に取り組んできた製鉄工場も軌道に乗り始めた矢先の出来事、

当然、日本から出向していた担当者も不安を隠せない状態になったのです。

特に家族ぐるみの付き合いのあった青年ですから疑いの晴れる方法は

ないものかと思案する中、ある知らせが届いたのです。

日本からの担当者が捜査の依頼をしていた中国の女性と子供の重大な事実が

解ったとの知らせに、日本を後にしたのです。

中国へ渡った担当者の元へ届いた知らせは驚く事実が書かれてあったのです。

捜査の依頼してあった女性と子供の居場所が判明したのです。

残念なことに数年前女性は病気から他界、

しかし子供は元気に中国で育っていると報告されたのです。

驚く事実はもう一つ、その男の子は現在、中国政府の管理下に置かれ

中国強制労働所へ収容されていたのです。

日本からの担当者は心にもしやの気持ちが浮かんだのです。

中国政府から選ばれた担当の青年『ケイン・コスギ』が子供なのかも・・・

中国政府へ子供の名前を問い合わせたのです。

『大地の子』の映画はここから中国の生活や文化へと場面を映してゆくのです。

今日は、ここまでにいたしたいと思います。





 明日は、大地の子3!です。






 では、また。

2009年10月01日
大地の子!
 おはようございます。

今日は、大地の子!です。

昨日の映画『ムトー』と同じ時期に大阪市の中央図書館で借りたビデをです。

今は図書館も大変立派になりビデオやCD/DVDといたものも借りることができ

かなり充実した施設になっていると思います。

子供と同様一日図書館で過ごしても飽きることがないほどです。

そんな中に幾つかの記憶に残るビデオがあったのです。

今日紹介する『大地の子』もその一つなのです。

確か、NHKのドラマの特集で6日間放送されたものだったと記憶しているのです。

時代は今より数十年前、確かオリンピックか

大阪万博の頃の話だったと記憶してます。

私の住む町にも沢山の鉄工所がありかなり有名な会社だと思うですが

その会社のその当時の実話だったようです。

日本がまだ今のように中国との貿易にさかんでなかった頃、

千葉県にある大手製鉄会社との取引が行われたようです。

中山製鉄だったのでしょうか?私はそう記憶しているのです。

当時の製鉄産業はめまぐるしい発展をしており新たに

中国への進出を果たしたのです。

当時の中国はまだ産業が乏しく日本の製鉄技術のノウハウを取り入れるため

国レベルの外交へと発展していったのです。

中国に大きな製鉄工場を建設、日本の製鉄技術結集ともいわれる設備を

当時の中国に出向き設計から施工・可動までをある人物が担当をしたのです。

この時の担当した当時の担当者は昔、中国へ軍人として行った経験があり

中国から帰国した人物だったのです。

当時の日本兵は敗戦し誰もが帰国の道がないと思っていた頃です。

中国で結婚された方も多くおられた時期、この時の担当者もある中国の女性と

結婚をし二人の間には一人の男の子が誕生していたのです。

しかし敗戦から数年、帰国が認められ、この時の担当者は子供と女性を

中国に残したまま日本へ帰ってきたのです。

中国では政府レベルの製鉄産業の取り組むスタッフに一人の男性

今の「ケイン・コスギ」が役者として出演。

この「ケイン・コスギ」が務める中国人男性がこの担当者の中国女性との間に

生まれた男の子供だったのです。

映画『大地の子』は1話から6話まであり当時の中国の文化・生活や

日本の製鉄業界のめまぐるしい発展を描いていたのです。

今日は、ここまでといたします。




 明日は、大地の子2!です。





 では、また。

2009年09月27日
クレペリン検査!
 おはようございます。

今日は、クレペリン検査です。

ここ最近では、あまり受けることがなくなった検査です。

以前は、毎年のように受けていたのです。

職種がらこうした検査が一年に数度・・・・・

ま、自衛隊だから仕方がないと言えば仕方がないのです。

その検査いかんでは配置替えの隊員もいるほどです。

去年適性が今一つでも、数年希望を出しているとかなう場合がある。

その年の検査に適性が認められることも少なくないのです。

航空機・・・といっても陸上自衛隊ですからヘリですが

操縦士としての募集も時々ある。

現職の一般隊員の中から適性のあるものを選び試験があるのです。

幸いなことに私には試験に受かるほどの能力がなかったため

危ない大空への職種の声はかかりませんでした。

過酷な訓練に参加するのもこうした適性検査を受け判断される。

中には、体力や知力があっても適正検査でダメになる隊員も少なくはないのです。

そんな一年に数度ある検査の中の記憶に深く残るものの中に

クレペリン検査があるのです。

ご存じの方もいるでしょう、数字の左右を足し算してゆく検査。

計算できた量もさることながらその曲線の出方にも判断する

材料が数多くあり一枚の検査で性格から能力精神力と様々な判断をせれるのです。

検査の前に、数多くできたものが優秀ではないことの説明もあるのですが

どうしてか2枚配布される隊員もいるのです。

よく聞いてみると職種が通信とあってかなり数字の計算には錬度を要する

ものがあるようなのです。

ほとんどの隊員が用紙の6割から8割の範囲でする検査を

2枚目を使わないと書ききれないのです。

見てみるとかなりの錬度、本来計算するはずの足し算が並んだ数字の下に

でたらめに数字を書いているようなのです。

しかし、検査ですから正確さも問われる。

でたらめに見えている数字も計算されているようなのです。

自衛隊の中にもいくつか特殊な職種もあるのですが

これも一つの能力、書くだけでも大変な検査で

ふつうは一枚のところ二枚の検査をするのですから

普通の人ではないのでしょう。

自衛隊の中でもまだまだ特殊な能力があるようです。





 明日は、警察無線!です。






 では、また。

2009年08月25日
夜中の斥候!
 おはようございます。

今日は、夜中の斥候!です。

四国松山で受けた教育の中に夜中の斥候!があったのです。

今、振り返ってみれば小学生の時に行った高野山での肝試しと似てる。

二人ペアーになって駐屯地の近くにある演習場へ斥候!

行く経路と方法は各人の判断。

目的地までの経路上の警戒部隊の規模や場所、交代の間隔を偵察。

駐屯地にかえって各ペアーごと報告。

正確な報告の有無を問われる。

以前、屋根裏部屋のお話の中でも紹介したように演習場へは、みかん畑を通り

行かなければたどり着けない地域。

そこまでの民家も農家なのでしょう、家の庭にはたくさんのみかんの木も植えられ

木にはたくさんのみかんがなっているのです。

装備を整え偵察すべき駐屯地を出発した私たちは、演習場へ向かう細い道を

走ったのです。

夜の道は白く見え自衛隊の戦闘服では遠くからでも気つかれる。

道の両脇に体を寄せみかんの木に身を隠し演習場へ途中人の声で隠れ

あたりを見渡す、姿勢は低く空と道とを透かすように人の有無を確認。

ふと、自分の置かれている場所を見るとそこにはたくさんのみかんが・・・・

斥候であるにも関わらず農家のおじさんの声を思い出す。

キュウイの実は取ってならない、原価が高くしかも時期が少し早い・・・・

みかんは、収穫も終え後は木の実を採りに来る動物や鳥のためのもの、

みかんも来年のために上手に取ってくれ。

取り方の練習までしてくれたおじさんを思い出す。

しかも、こんな時に、演習場までは高台から見渡せる場所を通るため

かなりの速度での移動、体は汗でぬれ喉の渇きまで・・・・

相棒の姿も確認できないままの私は木に実ったみかんを一つ・・・・

喉の渇きがとれ甘味のあるみかんに心をいやされていたのです。

きずいた時には相棒もそばでみかんを・・・

二人顔を見つめこみあげてくる笑いを押さえたのです。

目的の場所まではまだ3kmは残っている、先を急がねば斥候報告何んて

何も出てきやしない。

腰まである側溝に身を隠し先を急ぐ二人、目的地の高台には旗が立てられ

数名の助教が監視をしている。

岩の間に身を隠し敵の人数・交代の有無・斥候の時間を確認。

1時間前に進んだ別のグループの斥候が私の前に・・・・

銃を持って引き寄せる・・・・高台から見渡せる場所を二人

大きな声で話しながら歩いては私たちまで見つかってしまう。

かなり驚いたのだろう、声もないまま顔を見つめている。

偵察した情報を教えてもらう。

情報ではもう少し先に一名監視の情報。

少し移動を試みる・・・かなりの斥候が前方に・・・・

何やら様子が変だ・・・・数名のグループがつかまっているらしいことにきずく

もはやここまでか・・・・私と相棒の二人はここで引き返すことに

帰りは敵から遠くなる気も緩む・・・

いつしか来た時と同じみかん畑の中へ・・・・本来防護マスクの入った

鞄にみかんを数個隠して入れる。相棒にもきずかれないように・・・・

再び駐屯地までの山道を走りかえり付いた私は、斥候の報告書を・・・・

書き終わる頃には全員かええてきた状態。

行く時と違う風景は部屋にはたくさんのみかんが置かれてあったことくらい。

戦利品なのだろうか?私だけでなくいつ間にか沢山のみかんに

ただビックリするばかり、松山にたどりついて農家のおじさんの

みかん狩りの教育の意味がハッキリとわかる瞬間。

毎年この時期の教育隊の風景だったのかも知れません。

農家のおじさんには感謝を・・・・

山の頂上にあるみかん小屋へは誰も足を踏み入れる事はなかったでしょう。





 明日は、池の中の帽子!です。





 では、また。

2009年08月21日
ラッパ教育!
 おはようございます。

今日は、ラッパ教育!です。

自衛官として生活の中では様々な教育があるのです。

今日のラッパ教育もその中の一つなのです。

今、日本の国ではなくなった軍隊にはラッパ隊というものあったそうです。

軍隊がこれから戦場へ向かうのにラッパ隊を先頭に行進曲で進んだそうです。

ラッパ隊のラッパの音に気付き敵の攻撃を受けた場所が戦闘地域・・・・

いうなればクマよけの鈴みたいなもの???

戦地から帰還するもラッパ隊を先頭に帰って来るのです。

ラッパの音が聞こえると今まで建物の中にいた住民や兵隊たちが出迎える。

本来のラッパの意味はこうした部分だったようです。

兵士の士気が落ちないようい急ぐ時にはテンポの早い曲

戦地でなくなった兵士を土にかえす時には葬奏の譜

野営で朝起きるのもラッパの音・・・夜寝るのも・・・・

何かと軍隊の行動はラッパの音で始まるのです。

当然、今の自衛隊にもその風習が多くあり

朝の目覚めの時には起床ラッパ鳴り響き

夜、消灯を迎える時には消灯ラッパが駐屯地に鳴り響くのです。

私がラッパの教育を受けた時は、師団にある音楽隊へ・・・

部隊長に申告を済ませた後、音楽隊へ約三ケ月教育

途中には悩みも多くなかなか音がでない

本来音楽に携わっていた隊員とは違い個人差もかなり大きかったようです。

私も多分にもれず音が出なかったのです。

それまで飲酒は禁止されていたにも関わらずこっそりクラブへ・・・・

お酒を飲むスペースである対内クラブの片隅に隠れるように座り

お酒を・・・・半ばやけ酒のように周りではラッパから

きれいな音が出ているにも関わらず未だ私のラッパからは息の音だけである。

禁止をされているお酒もすすむにつれ本来の自分に・・・・

脳天気な私は千鳥足で部屋へ帰りそのままラッパを口に

目はどことなく座り足もおぼつかない状態・・・

まるで体に力が入らない・・・そんな状態で吹いた私のラッパから

音が響き渡ったのです。

日夕点呼を前に鳴り響くラッパに各部屋から整列の声が・・・・

当直からは、今日は少し早いが点呼!の声・・・・

不思議と鳴り響いたラッパの音に自分でもビックリ・・・

何が功を制するかわからない・・・・その日から教育に参加している

私のラッパからはきれいな音が鳴り響き始めたのです。

ラッパの教育隊の伝統、天神川を川上へラッパからは行進曲と駆け足の局と

これから日々生活をする中の曲を吹きながら行進するのです。

途中ある病院からはがんばれの声も、奇声のように聞きながら

教育も終了すると警衛隊として勤務に就くときラッパ手として

勤務に・・・・マイクの前に立ちラッパを・・・・

ボリュームに手をやり時間が来ると・・・・初めてマイクの前で吹くラッパに

足が震えるたのを覚えているのです。

今でもテープでなくマイクの前でラッパ手が吹くラッパの音で

昼食や自衛隊内の生活が送られているのでしょう。

真鍮磨きで毎日磨いたラッパも今では音が鳴ることもなくなりました。




 明日は、銃剣道の合宿!です。




 では、また。

2009年07月30日
防弾ベストの素材!
 おはようございます。

今日は、防弾ベストの素材!です。

私が、建設会社へ勤務している時面白いものと出会ったのです。

それが、防弾ベストの素材!だったのです。

以前にもどこかで見かけたことのある素材・・・・・

考えてはみたものの思い出せない・・・・

阪神大震災から以降はとっても良い素材として

家の床下や屋根裏に使われているようです。

素材も大きくなればあるいは、高速道路や陸橋を支える柱の補強になっているかも

セメントの約50倍の強度・・・・記憶は少し・・・・

地震や地盤の変化で基礎にクラックができた個所の補強。

施工はセメントより簡単。

施工個所の下地処理をした後、ボンドのような液体を添付

上から防弾チョッキの素材を長さに合わせて切ったものを貼り付け

もう一度ボンドのような液体を上から塗るだけのいたって簡単な施工方法。

実際に施工していて本当にセメントより50倍の強度があるかと思うほど・・・

えらい科学者が科学的に開発したもので間違いはないのでしょう。

いろいろな科学的説明も聞けば聞くほど解らなくなる・・・

屋根裏も同様・・・少し液体のものは木に合うものに改良されているようです。

梁や柱の亀裂のできた部分に下地の処理をした後液体を塗り

上から木に巻きつけるように防弾チョッキの素材を貼り

再度上から液体を塗る。

これだけでかなりの補強が出来る。

根本の改良ではないが十分に安心した生活を送ることが出来る。

阪神大震災以降、家の見えな部分にかなりの傷があるようです。

防弾チョッキの素材も今では建設関係の補強素材として使われていることに

不思議と平和な生活を感じたのです。





 明日は、焼き物!です。





 では、また。

2009年07月10日
朝の30分!
 おはようございます。

今日は、朝の30分!です。

以前、私が営業として働いていた頃のことです。

会社の方針?

それとも、もっと別の目的があって?

私には後者の方に重きがあったのでは・・・そう感じているのです。

別段、特別なことをしているわけではないのです。

朝の30分・・・会社の誰もがデスクに座っていない時間があるのです。

部長も課長も・・・・・会社にデスクを置くすべての社員が

額に汗をして朝の掃除をしているのです。

当時の私は営業部に・・・・以前の記憶がよみがえる気がしたのです。

会社を営んでいくのに必要な部分だと感じていた・・・・・

ここ数年の私の周りの考え方の違いもここにあるのかも知れません。

きっと・・・いつから・・・自分の中に思えたのは・・・

販売のための営業活動・促進いろいろ考え方はあるのでしょう。

そこで掃除をする社員の顔には違ったものを見た気がする。

販売に心が偏るのを本来の営業の心を思い出すために・・・・

そう感じたのです。

誰もが心に芽生えるものを払拭するために・・・・・

私も同じく掃除を・・・・

遠い以前、配送センターの責任者と言い争った事を思い出しながら・・・

朝の掃除はわしの仕事・・・そう叱った配送センターの責任者・・・・

もっと以前・・・ゴミの焼却は定年後の嘱託社員のおじさんの仕事・・・・

本来の営業の部分???

反古の大切さも十分に理解・・・・・

何が営業なのだろう・・・・そんな疑心暗鬼を・・・・

額に汗をしながら払拭しているのだろうか・・・・

少なくとも私は自分に言い聞かせ、その日の営業に出かける。

心に営業をなくさないように・・・・・





 明日は、部屋長!です。




 では、また。

2009年05月18日
朝の掃除!
 おはようございます。

今日は、朝の掃除!です。

我輩がある会社へ通っている時のお話です。

その会社へは、アルバイトとして通っていたのですが

以前話した出社拒否の後・・・

その会社の近くにあり自宅から歩いて出社をしていたのです。

作業自体はすぐに慣れ朝、納品した商品を倉庫へしまうのと

その日の出荷商品のピッキングと梱包作業が主で

後は、センターの責任者の指示したことをする。

慣れれば単調ではあるのですが取り扱う商品を覚えるのが少し大変・・・

そんな中、我輩は自宅から近いせいもあって出社時刻が早かったのです。

朝、の時間倉庫の前をほうきを持って毎朝はいてから作業に・・・

そんな中、センターの責任者とある会話が・・・

センターの責任者いわく、その仕事は責任者の仕事君の仕事ではない・・・

しばらく考えた我輩も少し営業の部分が多いかも知れない・・・

そう考えたのですが、毎朝・・・出社時刻がセンターの責任者より早い時には

センターの前を掃除して回ったのです。

その会社へは数か月で退社することになったのですが

センターの責任者に今後のために・・・・

アルバイトでも会社へ出勤する時にはスーツ姿で・・・

会社へ来るまでの出勤風景も仕事の一部である・・・

我輩のその後の人生に大きく変化をくれる一言だったと今では思います。



 明日は、食品工場!です。




 では、また。

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