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ビギン
 屋根裏に子供部屋が、小さい頃の思い出・・・ 沢山の思い出が、大冒険の始まりの予感が!
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2008年11月02日
近所のポン菓子屋さん!
 おはようございます。

今日は、近所のポン菓子屋さん!です。

小さい頃から、あったポン菓子です。

PLガスで温めて、出来上がりのときに

大きな音でポンと爆発する・・・

小学校や子供たちの集まるところへ時折来ていたのです。

今はあまり見る事も無くなりましたが・・・

そのポン菓子の器械が我輩の遊ぶ地域にあったんです。

ちょうどポン菓子の器械が通るくらいの道に・・・

れっきとした市道なんですが車の通行は出来ません。

そんな場所におポン菓子が・・・

時に器械の調整なのか近所の子供たちにも

ポン菓子を作ってくれるんです。

その時とばかりに家から、お米を持って並ぶんです。

今は、あまり通る事がなくなった道ですが・・・・

なぜか小さい頃、ポン菓子のおっちゃんの家に言った記憶も・・・

部屋の改装のときだったと・・・・

そこの路地も今は・・・・



 明日は、月に一度のカレーライスです。



 では、また。




Posted by ビギン at 08:31 | 21〜30話 | この記事のURL
2008年11月01日
ホットドック屋さん
 おはようございます。

今日は、ホットドック屋さんです。

我輩の住む町は川沿いなんです。

小さい頃には、ホットドック屋さんが車で販売に来てたんです。

今みたいに河川敷の公園など無い時なんですが

堤防の上のところに・・・

ちょうど今の神社から上がったところあたり。

我輩がまだ、神社まで続く一本道のところに住んでいる頃

近くの子供たちをつれたお母さん達で行ってたようです。

我輩の記憶に残っているのは、5歳くらいまで来てたように・・・

その頃の堤防は今と違って高くなく車がのり越えない程度

縁石程度の高さでした。

よく車が落ちてきたと話に聞く事も。

今では、交通量も増え堤防も高くなり昔の面影は何処とやら

昔のようなのんびりした堤防ではなくなったようです。

今では抜け道のように交通量も大変なものです。

今から、十年ほど前に一度ホットドック屋さんを見かけたような・・・

ほんの少し一時間ほど止まっていたように思います。

川で小船を燃やした頃?・・・

今も懐かしく思い出すキャベツとソウセイジの味・・・

ちょうど甥が我輩と同じ年代の頃でした。



 明日は、近所のポン菓子屋さんです。



 では、また。

Posted by ビギン at 06:42 | 21〜30話 | この記事のURL
2008年10月31日
駄菓子屋さん
 おはようございます。

今日は、駄菓子屋さんです。

我輩の住む地域は、駄菓子屋さんが多かったんです。

我輩の行動範囲の中に7件もの駄菓子屋さんがあったんです。

近くのいつも行く駄菓子屋さんにはゲームが置いてあったり。

正月には決まって凧を買いに行く駄菓子屋さんもありました。

我輩の遊ぶ友達によっていく駄菓子屋さんも

違ったように感じます。

その中に、不思議な?駄菓子屋さんが・・・

近くに、そろばん教室があった事もあるのでしょうが

いつも多くの子供たちが集まっていたんです。

お地蔵さんの時には決まって地域の子供たちが

集まるんです。

お地蔵さんの時には、その年のお賽銭を

子供たちにお小遣いとしてくれるんです。

錆びたお金や、黒くなり金額のわからなくなった

お金が沢山出てくるんです。

それをもって駄菓子屋さんに・・・

年上の人は、大きい金額のお賽銭をもらって

皆で行くんですが、そのお菓子屋さんの

おばあさんが変ってるんです。

見えないお金はいつも決まって5円なんです。

50円であっても5円・・・

中には説明している年上の子供もいたんですがダメなんです。

でも、時には穴の開いていない5円を10円と間違えるんです。

10円でなく5円だと説明してもダメなんです。

我輩の小さい時、穴の開いていないお地蔵さんの5円が

とてもうれしく、あたりを引き当てたような気分になったのものです。

今は、近所の駄菓子屋さんも無くなり、一軒も残っていません。

時代も変ってしまったのでしょうか。



 明日は、ホットドック屋さんです。



 では、また。

Posted by ビギン at 08:47 | 21〜30話 | この記事のURL
2008年10月30日
恐怖の鬼やんま!
 おはようございます。

今日は、恐怖の鬼やんま!です。

我輩が小さい頃地域では、お地蔵さんがあったんです。

夏には地蔵盆が有り地域の子供たちは、ござの上で

ゲームやトランプ・おはじきなどさまざまな遊びをしていたんです。

我輩も提灯に名前を書いてもらい参加してたんです。

いつも場所が決まっていて保育園の入り口のところに

お供えが一杯あり子供たちはお小遣いやお菓子を

一杯もらって2日間遊ぶんです。

我輩も皆と同じく飛び跳ねて遊んでいたんです。

地蔵盆のときは殺生をしてはいけないんです。

我輩は、そんな事お構いなしでいつものように

トンボを捕ったりして遊んでいたんです。

そのとき珍しく保育園に鬼やんまがいたんです。

我輩の住む地域では珍しいトンボが・・・

おもわず捕まえに行って虫かごに・・・

家に帰ると叱られ逃がしに再び保育園に

トンボは無事自然に帰っていたんですが

その日の晩大変な事に・・・

我輩が夢の中で保育園に・・・

昼間と同じようにトンボを捕まえに・・・ところが

保育園の中から大きな、我輩のからだの3倍もある

鬼やんまが出現。

それも追いかけて来るんです。

夢の中で精一杯走って逃げるんです。

どうにか逃げれた頃には朝を迎えていました。

言うまでもなくその日の地蔵盆は、おとなしく

蟲などを捕まえる事もしなくなりました。

その頃すでに、ネズミ婆さんに監視されていたのかも・・・

小さい時からいくつもの夢を・・・

大人になった今でも時折見る事があるんです。

少し、幸せが戻ってきたのかも。



 明日は、駄菓子屋さんです。



 では、また。

Posted by ビギン at 07:37 | 21〜30話 | この記事のURL
2008年10月29日
王冠
 おはようございます。

今日は、王冠です。

我輩のコレクションだったんです。

日本酒の王冠を集めてたんです。

家の近くにお酒屋さんが多かったんです。

我輩自身、酒屋さんの倉庫にいた時期もあったんです。

向かい合わせでお酒屋さんがあったように

酒樽のような倉庫も向かい合わせであったんです。

向かいの家は同級生今はもうありませんが・・・

その当時、王冠の魅力に取り付かれてたんです。

日本各地の王冠を集めるんです。

当時お酒の種類など知らない我輩には、デザイン

色、形、さまざまな要素がポイントだったんです。

その中でも、コルクの王冠は我輩の中では特上品だったんです。

マンホールの穴に王冠で蓋をして、かかとでけるんです。

綺麗にとるコツも結構あったんです。

穴と王冠の隙間は約5ミリ・・・・・

綺麗に取れないと王冠の勝負に勝てないんです。

王冠の端をもう一つの王冠で押さえてひっくり返すんですが

綺麗でないと、すぐにひっくり返されてしまうんです。

せっかく集めた珍しい王冠も勝負に負け他人のコレクションに・・・

我輩の小さい頃マンホールの穴に王冠のコルクが

沢山詰まっていたのは言うまでもありません。

その頃からお酒の匂いが好きだったのかも。



 明日は、恐怖の鬼やんま!です。



 では、また。

Posted by ビギン at 03:45 | 21〜30話 | この記事のURL
2008年10月28日
マンホールの上は安全地帯!
 おはようございます。

今日は、マンホールの上は安全地帯!です。

小学生の頃の遊びの一つです。

ただ単に鬼ごっこをするだけでなく

コマを使うんです。

コマが手のひらで回っている間は、移動が出来るんです。

これは、鬼も同様です。

コマを手のひらに乗せて鬼ごっこ・・・

手のひらから落ちたり、止まった場合はその場でコマをまわし

手のひらに・・・

いろんな方法があるんですが・・・

小さい子はほとんどごまめです。

鬼になることがなく、鬼ごっこに参加

我輩などは、家で作っている塗料缶の蓋を使って参加する事も・・・

鬼と接近している時は、やけに楽しそうな子供の声

逃げるほうも、鬼も一生懸命手のひらにコマを乗せるんです。

中には、ずるい人が、止まったコマを手の親指の付け根に挟んで

回っているように見せる人も・・・

ケンカになる時は、決まってどちらかがズルをしている時。

焦れば焦るほど、失敗してタッチされ鬼の交代。

時折、助けが・・・

鬼以外の人のコマの紐につかまって逃げる事も時には・・・

その中で、マンホールの上だけは、安全地帯として決めてあるんです。

鬼も隠れて安全地帯から出るのを待って追いかけ

近所の子供が皆遊び走る姿が我輩の町には昔からあったんです。

今もマンホールを見るとふと安全地帯を思い出します。



 明日は、王冠です。



 では、また。

Posted by ビギン at 07:51 | 21〜30話 | この記事のURL
2008年10月27日
イムジン河
 おはようございます。

今日はイムジン河です。

我輩の中学一年の担任の先生の話なんです。

社会科の先生なんですが、クラスの全員に(他のクラスは不明)

イムジン河を教えてくれたのです。

授業中だったのかホームルームだったのか忘れましたが

当時、韓国・北朝鮮の事に関しまったく知らなかった

我輩が、初めて日本だけでなく戦争の被害が

いろんな国の人に及んでいる事を知ったのです。

その当時の我輩の通う中学は同和差別の教育があったんです。

学年全員で講堂に集まり映画を見る事もたびたびあり

中には、今もまだ覚えている差別の映画もあるんです。

そんな中、教えていただいた歌(イムジン河)は、今聞く歌と少し

違うように思います。

確か先生は北朝鮮・韓国で聞かれる本当の歌(我輩の記憶です。)

イムジン河《がわ》でなく《ガン》だったと記憶してるんです。

ほかにも幾つか違う部分があるように思います。

当時通っていた中学や周りの環境がそうだったのかもわかりません。

少し前に人気のあった映画、パッチギでは、ないですが

スナックやパチンコ・・・・・

また、他の中学同士のいがみ合いなど

映画とあまり変わらない状態があったようです。

修学旅行のときなどは、映画そのもののような感じが

今も思い出となって残っています。

その頃教わったイムジン河・・・・・時折思い出します。



 明日は、マンホールの上は安全地帯!です。



 では、また。

Posted by ビギン at 08:13 | 21〜30話 | この記事のURL
2008年10月26日
遠くを見つめる!
 おはようございます。

今日は遠くを見つめる!です。

ここ2日学校の先生の話をしてきました。

今日で3日連続です。

その先生は英語の担任の先生なんです。

いつも決まって授業開始のときの第一声が

先生・・・Good morning ev-ery-bod-y

生徒・・・Good-morning

先生・・・How are you?

生徒・・・I am fain thank you

  ・・・and you?

先生・・・Fain too thank you

  ・・・Sit-down

必ず英会話で始まるんです。3年間変わりなく

授業もただ一点を見つめ進めるんです。

授業中はすごく厳しい先生で私語などは禁物

そんな先生は朝も厳しく校門に立って生活指導を

ただ我輩が見ていて不思議に思うのは

叱る時も生徒ともめている時もいつも遠くを見つめているんです。

その人を見ているのでなく・・・

今の自分も時折その気持ちに・・・

言いたくはないけれど見ると・・・ただ遠くを見て

大学の教授には、いると聞いたこともあります。

勉強したくて来る生徒・・・

大学のような広い教室での講義声が通るように

ただ前を向いて遠く一点を見つめて・・・



 明日は、イムジン河!です。



 では、また。

Posted by ビギン at 07:35 | 21〜30話 | この記事のURL
2008年10月25日
富士山は見えません
 おはようございます。

今日は、富士山は見えませんです。

昨日に引き続き学校の先生のお話です。

我輩の担任をしていただいた先生なんです。

小学生の頃良くも悪くも遊び盛りの我輩は学校で

叱られることもたびたびあったんです。

その中でも、叱り方に特徴のある先生がいたんです。

髪の毛のもみ上げの部分・・・

ここを持って上に持ち上げるんですが・・・

その時に決まって言うセリフがあるんです。

必ず富士山を見せてやる・・・

この言葉とともに上に・・・

これが、痛いんです。

そうすると、その先生は聞くんです。

どう、富士山は見えたか?

我輩、考えて返事を・・・

教室から富士山が見えるはずが・・・

大きな声で見えません。

先生は、では、もう少し上に・・・・・

ここで我輩観念!

見えました・・・

ようやく開放です。

この次は・・・

でも、やっぱり同じです。

見えるわけないものを見えたなんて・・・

うそつきにはもう少し上に・・・

必ず二回上げられるんです。

それもいい思い出の一つなっている今、我輩は幸せなんでしょう。



明日は、遠くを眺める!です。




では、また。

Posted by ビギン at 08:20 | 21〜30話 | この記事のURL
2008年10月24日
満州鉄道最後の生き残り
 おはようございます。

今日は、満州鉄道最後の生き残りです。

昨日のボール当ての内股の青あざで思いが強くなりました。

我輩の高校自分の講師の先生なんです。

工業簿記を担当されていたのですが

本職は、大阪都島区で公認会計士をされていたと記憶しています。

その先生が独特な授業をされていたのです。

当時あまり成績のよくなかった我輩としては

ありがたい存在の一人でもあったわけです。

授業の内容は満州へ軍人としていっていた時の話が中心?だったのです。

戦争未経験の我輩にははじめて聞く話、すごく興味を持ったのです。

我輩だけでなくクラス全員・・・商業科の大半が

そう思っていたのではないでしょうか。

満州の学校のようなところでの宿営

そこで起きる色々な出来事・・・

時には戦地で見た住民の幽霊に悩まされ身を切られるような思い・・・

なぜかその先生の授業はクラスでも大人気に。

時には、校舎外での悪事の数々を知ってもいたように思います。

前に連れ出され貼り付けられるんです(黒板に)

そのときとばかりに貴さまは銃殺刑だと奇声を発しながら

内股をつねるんです。

しかも2丁拳銃と叫び両手で・・・

学生の内股から血がにじむまで。

しかしどうしたことか皆期待してるんです。

銃殺刑になるのを・・・・・

我輩のクラスで刑を受けていない人はあまりいないように思います。

そのときの口癖が今も思い出となり心の中に・・・

名前が大西一徹 竹十郎 貞義 功 長い名前です。

今までの戦地亡くなった同期の名前をつけているのだそうです。

その中でも最後まで生き残りこの地日本に帰りついたそうです。

いつかあなたの前にも現れることでしょう。

ケンケンの笑い声とともに貴様らの悪事この一徹必ずや成敗してくれるわ・・・

我輩のところにも半年前に来ました。

その前は、平成2年だったと記憶にしています。



 明日は、富士山は見えませんです。



 では、また。

Posted by ビギン at 07:41 | 21〜30話 | この記事のURL

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