「多くの人が「共感」を避けたがることが判明」という記事を読みました。
何でも人は、「共感は認知的な負担が大きく、多くの精神的努力が求められる」ので避けたがる傾向があるのだそうです。
つまり、共感性が低い人≒自己愛性人格障害者は、普通の人よりも認知的な負担が少なく、精神的努力も必要ないのです。
これは、同じ算数の問題を解くのにも、共感性の低い人はその問題だけを考えれば良く、共感性の高い人は同時に国語の文章問題にも取り組んでいるような状態とも言えると思います。
なので、共感性の低い人は素早く答えを出せるので、一見優秀な人に見えるのです。
でもその答えは、多くの犠牲を出すものであったり、長い目で見ればコスパが悪いものであったり、酷い場合は損害を被ったり実現不可能なものだったりもします。
とにかく視野が狭く短絡的なのです。
素晴らしい答えの場合もありますが、だいたいそういう場合は他人の回答を盗んでいるケースが多いです。
共感性が少ないので、盗むことに良心の呵責を覚えないため平気でそういうことも出来るのです。
そして、われわれが騙されてしまうのが自己愛性人格障害者たちの自信満々な態度です。
これも、彼らは優秀だと思われたいから優秀な人がとるような態度を真似しているだけに過ぎないのです。
例えば、俳優が大学教授の役をやるとします。
俳優は優秀な人を演じるために、どうふるまえばいいか、どう喋るのが効果的か色々と調べ、その役を演じます。
自己愛性人格障害者も同じなのです。
「優秀」と言われる人の言動を真似て、あたかも自分は世界で一番優秀な人物であると言うように見せているだけなのです。
(しかも、障害なので無意識に子供の時からこれをやっています。)
そんなに優秀だったら東大理3も余裕で受かるはずですが、自己愛性人格障害者の全てが東大に合格しノーベル賞を受賞しているわけではありませんよね。
むしろ学歴なんて低い方が多いのです。
世の中学歴が全てではありませんが、彼らの自信満々な態度は何の根拠もなんの裏付けもあるわけではなく、ただ俳優が大学教授の役を演じているようなものなのです。
しかも彼らは役者ではなく障害なので、周囲の人に「あの人の真似だな」と気付かれるような言動をすることが多いですが、恐ろしいことに本人的には全く恥ずかしくありませんし、周りは気付いていないと思っています。
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2020年02月25日
2020年02月19日
いじめをする奴がおかしい。
「いじめられている同級生を救った16歳少年、逆恨みされ銃で殺害される(米)」という事件が起きたようです。
タイトルだけを見ても分かるように、一番おかしいのは
いじめられる人でもなく、
いじめをただ見ている人でもなく、
いじめを止めようとする人でもなく、
いじめをする奴なんですね。
「津久井やまゆり園」事件を起こした植松聖被告も死刑を求刑されましたしね。
自分の頭の中で作った妄想ともいえる"正義"を何の躊躇もなく振りかざせる人ってやっぱり殺処分が必要なレベルで頭がおかしいんだと思います。
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タイトルだけを見ても分かるように、一番おかしいのは
いじめられる人でもなく、
いじめをただ見ている人でもなく、
いじめを止めようとする人でもなく、
いじめをする奴なんですね。
「津久井やまゆり園」事件を起こした植松聖被告も死刑を求刑されましたしね。
自分の頭の中で作った妄想ともいえる"正義"を何の躊躇もなく振りかざせる人ってやっぱり殺処分が必要なレベルで頭がおかしいんだと思います。
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2020年02月17日
自己愛性人格障害者は自分の見せたいものを見せようとする
自己愛性人格障害者は視野が狭く、自分を客観的に捉える事ができません。
自分の負の部分を受け入れる事ができず、目の前の勝つか負けるかの勝負に必死になっている愚かな生き物です。
しかもこいつらは自分の視野も狭いですが、同じようにターゲットの視野も狭めようとしてきます。
世界中にお前の事を真剣に考え、お前を正しい方向に導いてあげられるのは俺だけだ、とか
世界中で信用できるのは俺だけだ、とか
世界中でお前を好きな奴なんているわけない、とか
お前の親兄弟や知り合いは愚か者ばかりだ、とか。
なので、ターゲットとして選ぶのは自分の言う事を真に受けそうな人間とか、最初から知り合いが少なく1人が好き、というようなタイプです。
自己愛性人格障害者によって視野が狭められると精神的に本当につらくなります。
「自分はとんでもなく愚かな人間で生きている価値などない」というように追い詰められてしまいます。
そうして自己愛性人格障害者によってマインドコントロールされたターゲットは、「『死ぬくらいなら会社辞めれば』ができない理由 」の暗いところへと続く一本道しかないような気持になってしまうのです。
でも、本当はそんなことはないんです。
生きている価値のないのはむしろ自己愛性人格障害者の方なんです。
自己愛性人格障害者はそれを受け入れられないから必死に他人に押し付けようとしているだけなんです。
自己愛性人格障害者は、あたかも悪いのはターゲットだと人に思わせるのが得意なので、ターゲットは誰にも相談できずボロボロになってしまうことも多いですが、でもどこかにはターゲットを理解してくれる人もいます。
それは、同じように自己愛性人格障害者からの被害に遭った人です。
そして、世の中にはそういう被害者コミュニティもあり、自己愛性人格障害者との問題対処を得意とした法律家もいます。
「もうおしまいだ」というのは自己愛性人格障害者からのマインドコントロールです。
どうか、人生には色々な選択肢がある事を忘れないでほしいです。
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自分の負の部分を受け入れる事ができず、目の前の勝つか負けるかの勝負に必死になっている愚かな生き物です。
しかもこいつらは自分の視野も狭いですが、同じようにターゲットの視野も狭めようとしてきます。
世界中にお前の事を真剣に考え、お前を正しい方向に導いてあげられるのは俺だけだ、とか
世界中で信用できるのは俺だけだ、とか
世界中でお前を好きな奴なんているわけない、とか
お前の親兄弟や知り合いは愚か者ばかりだ、とか。
なので、ターゲットとして選ぶのは自分の言う事を真に受けそうな人間とか、最初から知り合いが少なく1人が好き、というようなタイプです。
自己愛性人格障害者によって視野が狭められると精神的に本当につらくなります。
「自分はとんでもなく愚かな人間で生きている価値などない」というように追い詰められてしまいます。
そうして自己愛性人格障害者によってマインドコントロールされたターゲットは、「『死ぬくらいなら会社辞めれば』ができない理由 」の暗いところへと続く一本道しかないような気持になってしまうのです。
でも、本当はそんなことはないんです。
生きている価値のないのはむしろ自己愛性人格障害者の方なんです。
自己愛性人格障害者はそれを受け入れられないから必死に他人に押し付けようとしているだけなんです。
自己愛性人格障害者は、あたかも悪いのはターゲットだと人に思わせるのが得意なので、ターゲットは誰にも相談できずボロボロになってしまうことも多いですが、でもどこかにはターゲットを理解してくれる人もいます。
それは、同じように自己愛性人格障害者からの被害に遭った人です。
そして、世の中にはそういう被害者コミュニティもあり、自己愛性人格障害者との問題対処を得意とした法律家もいます。
「もうおしまいだ」というのは自己愛性人格障害者からのマインドコントロールです。
どうか、人生には色々な選択肢がある事を忘れないでほしいです。
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2020年02月15日
自己愛性人格障害者は自分で自分の機嫌をとることができない
「安田成美が語る 夫・木梨憲武のポジティブさ「これって意外にみんなできなくて」」という記事を読みました。
こういう記事に書いてある事は、真実かどうか分からないので「ふ〜ん」という感じなのですが、書いてある事の一部には「そうだよな」と思うところがありました。
それは、
という部分です。
「自分で自分の機嫌を取る」
これって本当に大事な事なんです。
何かあっても「大丈夫。私なら何とかなる。」と思える力。
これこそ、自己肯定感の高い人の感覚なのだと思います。
翻って自己愛性人格障害者。
こいつらは、自分で自分の機嫌を取ることが出来ません。
何かあったらすぐに周りにストレスをぶつけます。
でも毎回誰それ構わずストレスをぶつけていたら自分が孤立するので、ターゲットを決めていかにもターゲットが悪いとう体裁を取ってストレスをぶつけるのです。
それもこれも、こいつらは自分で自分のマイナス感情を適切に処理できないためです。
人間というのは、良い面だけではなく悪い面も当然あります。
そうして、良い面と悪い面があると理解しているので客観的に自分を見ることが出来ます。
しかし、自己愛性人格障害者は「自分には素晴らしいところだけで劣っている部分などありえない」という体で生きているので、自分の悪い部分を受け入れられないのです。
なので、彼らは人に見られる、人に比較される部分は誰よりも良くしようと努力しますが、それ以外の部分はクリーチャーのようなものです。
そして、人に見られる、人に比較される部分は誰かのものを見て「良いな!羨ましいな!」と思ったら平気で真似しちゃうのです。
だから羨ましいと思ったらターゲットの持ち物も平気で真似するのです。
それが客観的に見ればどんなに奇妙で恥ずかしい事なのかも分からずに。
ちなみに、「人に見られる、人に比較される部分」は人によって異なります。
ある自己愛はブランド物に執着する、
ある自己愛は成績に執着する、
ある自己愛は友達の数に執着する、
ある自己愛は会社での評価に執着する、等々自己愛性人格障害者の生育環境や現在置かれている環境により様々です。
でも全体的に"不自然"な人間という印象があります。
自己愛性人格障害者は「自分の中の悪い部分に触れられたような気がする」時、ストレスはMaxになります。
だってそんなもの自分に存在しちゃいけないわけですから受け入れられるわけがないのです。
そして、受け入れられないストレスは周囲へとまき散らされることになるのです。
まるで自分で自分のウンチを処理できない赤ちゃんみたいです。
赤ちゃんはオムツにウンチをしちゃったときは泣いて不快感を訴えます。
赤ちゃんの泣き声に気付いた保護者は、赤ちゃんのウンチを適切に処理してキレイにしてあげます。
基本的に自己愛性人格障害者はそれと同じです。
ウンチ(マイナス感情)が出てしまったら、さもターゲットが世界がひっくり返るようなとんでもない事をしたようにターゲットに自分のウンチをベタベタくっつけるのです。
そして、「ほらみんな見て見ろよ!こいつこんなにウンチを漏らして汚いぜ!」と喚き散らすのです。
生きていれば、誰しもストレスが掛かることがあります。
その時、それを他人にぶつけずに「自分で自分の機嫌を取る」。
これってとっても大事なことだと思います。
そして、それは自己愛性人格障害者には期待できない能力なのです。
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こういう記事に書いてある事は、真実かどうか分からないので「ふ〜ん」という感じなのですが、書いてある事の一部には「そうだよな」と思うところがありました。
それは、
安田は今月5日にエッセイ本「日々を編んでいく」を発売した。月曜パートナーのカンニング竹山(48)が本の内容に触れ、「憲武さんは機嫌のいい人って書いてあって」と話すと安田は、「そうですね。いつも機嫌がいいから、自分で機嫌を取れるので、自分のことを」と告白。「これって意外にみんなできなくて、人のせいにしがちじゃないですか、自分が悪いと。根っからのポジティブさを(エッセイ)書いてみました」と続けた。
という部分です。
「自分で自分の機嫌を取る」
これって本当に大事な事なんです。
何かあっても「大丈夫。私なら何とかなる。」と思える力。
これこそ、自己肯定感の高い人の感覚なのだと思います。
翻って自己愛性人格障害者。
こいつらは、自分で自分の機嫌を取ることが出来ません。
何かあったらすぐに周りにストレスをぶつけます。
でも毎回誰それ構わずストレスをぶつけていたら自分が孤立するので、ターゲットを決めていかにもターゲットが悪いとう体裁を取ってストレスをぶつけるのです。
それもこれも、こいつらは自分で自分のマイナス感情を適切に処理できないためです。
人間というのは、良い面だけではなく悪い面も当然あります。
そうして、良い面と悪い面があると理解しているので客観的に自分を見ることが出来ます。
しかし、自己愛性人格障害者は「自分には素晴らしいところだけで劣っている部分などありえない」という体で生きているので、自分の悪い部分を受け入れられないのです。
なので、彼らは人に見られる、人に比較される部分は誰よりも良くしようと努力しますが、それ以外の部分はクリーチャーのようなものです。
そして、人に見られる、人に比較される部分は誰かのものを見て「良いな!羨ましいな!」と思ったら平気で真似しちゃうのです。
だから羨ましいと思ったらターゲットの持ち物も平気で真似するのです。
それが客観的に見ればどんなに奇妙で恥ずかしい事なのかも分からずに。
ちなみに、「人に見られる、人に比較される部分」は人によって異なります。
ある自己愛はブランド物に執着する、
ある自己愛は成績に執着する、
ある自己愛は友達の数に執着する、
ある自己愛は会社での評価に執着する、等々自己愛性人格障害者の生育環境や現在置かれている環境により様々です。
でも全体的に"不自然"な人間という印象があります。
自己愛性人格障害者は「自分の中の悪い部分に触れられたような気がする」時、ストレスはMaxになります。
だってそんなもの自分に存在しちゃいけないわけですから受け入れられるわけがないのです。
そして、受け入れられないストレスは周囲へとまき散らされることになるのです。
まるで自分で自分のウンチを処理できない赤ちゃんみたいです。
赤ちゃんはオムツにウンチをしちゃったときは泣いて不快感を訴えます。
赤ちゃんの泣き声に気付いた保護者は、赤ちゃんのウンチを適切に処理してキレイにしてあげます。
基本的に自己愛性人格障害者はそれと同じです。
ウンチ(マイナス感情)が出てしまったら、さもターゲットが世界がひっくり返るようなとんでもない事をしたようにターゲットに自分のウンチをベタベタくっつけるのです。
そして、「ほらみんな見て見ろよ!こいつこんなにウンチを漏らして汚いぜ!」と喚き散らすのです。
生きていれば、誰しもストレスが掛かることがあります。
その時、それを他人にぶつけずに「自分で自分の機嫌を取る」。
これってとっても大事なことだと思います。
そして、それは自己愛性人格障害者には期待できない能力なのです。
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2020年02月05日
自己愛性人格障害者は一番すごい金太郎飴になろうとしている
よく、自己愛性人格障害者は行動が似ているので金太郎飴みたいだ、という話をネットで目にします。
確かに、上には媚びへつらい下(だと思い込んでいる)には高圧的とか、
常に称賛を得ようとしているところとか、
誰かの真似を恥ずかしげもなくやっちゃうところとか、
目をキラキラさせながらターゲットをいびるところとか、
自己愛性人格障害者の言動というのはみんなどことなく似ている事が多いです。
でも、彼らはその言動が金太郎飴のように似ているだけではなく、
「世の中の人間はみんな金太郎飴のように同じような人間ばかりだ」と認識しているのです。
どういうことかというと、自己愛性人格障害者は共感性が低いため自分以外の人間にもそれぞれ感情とか個性があるとか言う事をあまりよく分かっていません。
自分以外の人間をRPGゲームで言うところのNPC(Non Player Character)、つまり通行人だとか武器の売人だとか町人、村人みたいな感じでとらえているのです。
だから、他人の人格を平気で無視したり、自分より良いものを持っていると平気で奪ったり真似したり、自分が気持ちよくなるために精神的にも肉体的にも危害を加える事が出来るのです。
それがどんなに恥ずかしいことなのかとか、巡り巡って自分に返ってくるとか、全く考えません。
自己愛性人格障害者は、現実世界のとらえ方が普通の人たちと違う事、普通の人たちの常識が通じない事を前提に接した方が良いです。
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確かに、上には媚びへつらい下(だと思い込んでいる)には高圧的とか、
常に称賛を得ようとしているところとか、
誰かの真似を恥ずかしげもなくやっちゃうところとか、
目をキラキラさせながらターゲットをいびるところとか、
自己愛性人格障害者の言動というのはみんなどことなく似ている事が多いです。
でも、彼らはその言動が金太郎飴のように似ているだけではなく、
「世の中の人間はみんな金太郎飴のように同じような人間ばかりだ」と認識しているのです。
どういうことかというと、自己愛性人格障害者は共感性が低いため自分以外の人間にもそれぞれ感情とか個性があるとか言う事をあまりよく分かっていません。
自分以外の人間をRPGゲームで言うところのNPC(Non Player Character)、つまり通行人だとか武器の売人だとか町人、村人みたいな感じでとらえているのです。
だから、他人の人格を平気で無視したり、自分より良いものを持っていると平気で奪ったり真似したり、自分が気持ちよくなるために精神的にも肉体的にも危害を加える事が出来るのです。
それがどんなに恥ずかしいことなのかとか、巡り巡って自分に返ってくるとか、全く考えません。
自己愛性人格障害者は、現実世界のとらえ方が普通の人たちと違う事、普通の人たちの常識が通じない事を前提に接した方が良いです。
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