「怒り」が何かの言動に対して抱く感情なのに対して、
「憎しみ」というのは、何かの存在そのものに対して抱く感情なのだそうです。
そして、「憎しみ」というのは、自分の「愛」が脅威に陥った時に抱く感情でもあるのだそうです。
例えば、「可愛さ余って憎さ100倍」という言葉があります。
これは、今まで可愛いと自分が愛情をもっていた対象に裏切られた(自分の愛が脅威に陥った)結果、その相手が憎くなることを指します。
そして、自己愛性人格障害者は、自分の自己「愛」が脅威に陥った時、それをターゲットへの「憎しみ」という形で昇華しようとします。
例えば、会社で上司に怒られたとか、思ったように仕事で成果が出なかったとか、同僚の方が営業成績が良かったとか。
これらは自分の価値が下がったという事になり、「優秀で素晴らしい自分」という妄想に必死にしがみついている自己愛性人格障害者にとってはとんでもない脅威なのです。
そんな「優秀で素晴らしい自分」でない自分は、存在してはいけないのです。
だから、自己愛性人格障害者は、その「素晴らしくない自分」という存在をターゲットに投影し、その存在自体を憎みます。
つまり、ターゲットが自己愛性人格障害によって無理やり押し付けられる罪悪感は、自己愛性人格障害者が抱くべき自己嫌悪なのです。
そして、自己愛性人格障害者は優秀でも素晴らしい人間でもなく、ごく普通の人間ですから、その憎悪は底なしになります。
自己愛性人格障害者がターゲットに向ける憎悪の量は恐ろしくなるくらいです。
エスカレートすると、ターゲットはうつになったり自殺したりするくらいですから。
そんな風に存在を消したくなるくらい、自己愛性人格障害者は自分の劣った部分が憎いのですが、自分が生きている限りその劣った部分は消えることはないので、自己愛性人格障害者は一生ターゲットを必要とするんですね。
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2017年09月27日
2017年09月24日
自己愛性人格障害者から逃げるのは泣き寝入りじゃない
自己愛性人格障害者から逃げるのは、泣き寝入りではありません。
自己愛性人格障害というのは、
人にばれないようにターゲットにう〇こを付けてくる障害
のようなものです。
自己愛は、ターゲットに人にばれないようにう〇こを付けてきて、
「なんか、あなた臭いわよ」と言ってきたり、
周囲の人と「あの人臭いよね」とヒソヒソしたり、
「あなた、あんなう〇こ臭い人と一緒で大変ね」と周囲に同情されたりするのです。
そして、障害なんで無自覚です。
こういう人から逃げることを泣き寝入りとは言いません。
言っては悪いですが、老人介護や障害者介護から逃げることを、世間では泣き寝入りとは言わないですよね。
(無責任とは言えますが。)
上司が自己愛性人格障害者でターゲットが部下だった場合、部下は本来は給料をもらうために、労働契約で契約した仕事をすればいいだけですよね?
部下は障害者介護なんていう労働契約にもない余計な仕事をする必要はないわけですよね?
夫が自己愛性人格障害者で妻がターゲットの場合も、妻は2人で幸せになるために結婚したわけですよね?
まぁ、いつかはお互いを介護しあうことになることがあるかもしれませんが、妻を不幸にすることで幸せを感じる障害を持つ夫と婚姻を継続する意味はないわけですよね?
だから、自己愛性人格障害者だと分かったらさっさと逃げるのが勝ちだと思います。
そしてそれは、私は泣き寝入りとは言わないと思います。
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自己愛性人格障害というのは、
人にばれないようにターゲットにう〇こを付けてくる障害
のようなものです。
自己愛は、ターゲットに人にばれないようにう〇こを付けてきて、
「なんか、あなた臭いわよ」と言ってきたり、
周囲の人と「あの人臭いよね」とヒソヒソしたり、
「あなた、あんなう〇こ臭い人と一緒で大変ね」と周囲に同情されたりするのです。
そして、障害なんで無自覚です。
こういう人から逃げることを泣き寝入りとは言いません。
言っては悪いですが、老人介護や障害者介護から逃げることを、世間では泣き寝入りとは言わないですよね。
(無責任とは言えますが。)
上司が自己愛性人格障害者でターゲットが部下だった場合、部下は本来は給料をもらうために、労働契約で契約した仕事をすればいいだけですよね?
部下は障害者介護なんていう労働契約にもない余計な仕事をする必要はないわけですよね?
夫が自己愛性人格障害者で妻がターゲットの場合も、妻は2人で幸せになるために結婚したわけですよね?
まぁ、いつかはお互いを介護しあうことになることがあるかもしれませんが、妻を不幸にすることで幸せを感じる障害を持つ夫と婚姻を継続する意味はないわけですよね?
だから、自己愛性人格障害者だと分かったらさっさと逃げるのが勝ちだと思います。
そしてそれは、私は泣き寝入りとは言わないと思います。
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2017年09月20日
ハラスメント被害者が認識すべき事
モラハラ、DV、セクハラ、マタハラ、パワハラ、アカハラ、などなど、世の中には色々なハラスメントがあります。
まぁ、ハラスメントなんて分かりにくい名前がついていますが、要はいじめです。
で、被害者になるような人はまず分かっていない可能性が高いと思うので、声を大にして書きますが、
なんでいじめるかというと、楽しくて気持ちいいからです。
いじめる事によって加害者は、優越感、高揚感、自尊心が高まるんです。
例えば、言葉で「お前はバカだ!どうしようもないやつだ!」と言っていじめる人は、内心で「俺はこいつと違ってバカじゃない!立派な人間だ!」と興奮しています。
身体的な暴力を振るっていじめる人は、内心で「俺は力が強くて素晴らしい人間だ!」と興奮しています。
で、モラハラは、モラル(常識)を使う事で、「俺はこいつより常識的で素晴らしい人間だ!」と興奮しています。
期会があれば、ハラスメントしている最中の加害者の目をみてみてくださいね。
モラハラであろうが、DVであろうが、興奮してキラキラしていますから。
もう本当、スイッチ入っていて気持ち悪いです。
最近思うんですが、世の中には
@いじめが楽しいことが分かる人
Aいじめが楽しいことが分からない人
の2種類がいると思うんです。
多分、何らかのハラスメントの被害者になる人は、Aの人が多いんじゃないかと思います。
だから、どうして自分がそういうハラスメントを受けるのか分からず、答えを自分に求め、結局自分を虐待する結果になっているのではないかと思います。
大事なことなので、もう一回書きます。
なんでいじめるかというと、楽しくて気持ちいいからです。
それを前提において、ハラスメントの加害者との関係を考え直してみると、色々と納得いくことが出てくると思いますよ。
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まぁ、ハラスメントなんて分かりにくい名前がついていますが、要はいじめです。
で、被害者になるような人はまず分かっていない可能性が高いと思うので、声を大にして書きますが、
なんでいじめるかというと、楽しくて気持ちいいからです。
いじめる事によって加害者は、優越感、高揚感、自尊心が高まるんです。
例えば、言葉で「お前はバカだ!どうしようもないやつだ!」と言っていじめる人は、内心で「俺はこいつと違ってバカじゃない!立派な人間だ!」と興奮しています。
身体的な暴力を振るっていじめる人は、内心で「俺は力が強くて素晴らしい人間だ!」と興奮しています。
で、モラハラは、モラル(常識)を使う事で、「俺はこいつより常識的で素晴らしい人間だ!」と興奮しています。
期会があれば、ハラスメントしている最中の加害者の目をみてみてくださいね。
モラハラであろうが、DVであろうが、興奮してキラキラしていますから。
もう本当、スイッチ入っていて気持ち悪いです。
最近思うんですが、世の中には
@いじめが楽しいことが分かる人
Aいじめが楽しいことが分からない人
の2種類がいると思うんです。
多分、何らかのハラスメントの被害者になる人は、Aの人が多いんじゃないかと思います。
だから、どうして自分がそういうハラスメントを受けるのか分からず、答えを自分に求め、結局自分を虐待する結果になっているのではないかと思います。
大事なことなので、もう一回書きます。
なんでいじめるかというと、楽しくて気持ちいいからです。
それを前提において、ハラスメントの加害者との関係を考え直してみると、色々と納得いくことが出てくると思いますよ。
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2017年09月15日
自己愛性人格障害者のターゲットになりやすい人
自己愛性人格障害者のターゲットになりやすい人とは。
(以前も同じような記事をかいた気がしますが、過去は振り返らないことにします。)
それは、犬派の人ですね。
犬か猫のどちらが好きか、と問われて「犬です。」と答える犬派ではなく、自分の性格が犬か猫かどちらかに似てるか、と問われた時に「犬です。」という方です。
どういうことかというと、自己愛性人格障害者は思ってる事が素直に顔に出て、行動が予測しやすい素直な人をターゲットにしやすい、という事です。
ほら、犬ってわりと素直で感情が表にでやすいじゃないですか。
喜んでいるときは尻尾をぶんぶん振るし、怒ったらウ〜ッてうなるし。
そして、主人に忠実だから嫌なことでも我慢しちゃうし。(犬って、主人に「待て」と言われて目の前の餌を我慢しますよね。)
そういう人は操作しやすいからターゲットになりやすいんですよね。
逆に猫。
猫は何考えてるか分からないし、ちょっと手を出したら引っかかれそうな、何をするか分からないイメージがありますよね。
そして、目の前に餌があれば主人の「待て」なんて言葉無視してさっさと食べるし、嫌なことは我慢せずに、プイッとどこか行っちゃうし。
そういう人は(そもそも逃げちゃうので)ターゲットにしにくいんですよね。
----------
※でも、猫派でも絶対にターゲットにならないわけじゃありません。
長年観察していればどういう表情の時どういう事を考えているかはだんだん分かってくるし、逃げられないように閉じ込めればターゲットにできる可能性もあります。(例えば、猫を閉じ込めるための結婚という檻を手に入れたから、結婚後本性を表す自己愛もいます。)
また、操作しにくい相手を操作することで征服欲を満たす自己愛もいるので、猫派だからと言って絶対安全というわけでもありません。
----------
ということで、自己愛性人格障害者のターゲットになりにくい人になるには、犬派よりは猫派になれば良いのですが、もともと犬派だった人が猫派になるのは割と難しいのです。
犬にだって犬の幸せがあります。
誰かに尽くすことで幸せを感じたり、自分の感情を素直に表に出すことが幸せだったりするのです。
だから、自己愛性人格障害者のターゲットになってしまったら、猫派になるのも手ですが、自分本来の幸せを手にするには、やはり逃げるのが一番だと思います。
某speedの某BODY&SOULではないですが、「奪われたものは取り返さなくちゃアタシらしくいられなきゃ意味がない」んです。
↓上原さんの騒動でこの間久々に聞きました。
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(以前も同じような記事をかいた気がしますが、過去は振り返らないことにします。)
それは、犬派の人ですね。
犬か猫のどちらが好きか、と問われて「犬です。」と答える犬派ではなく、自分の性格が犬か猫かどちらかに似てるか、と問われた時に「犬です。」という方です。
どういうことかというと、自己愛性人格障害者は思ってる事が素直に顔に出て、行動が予測しやすい素直な人をターゲットにしやすい、という事です。
ほら、犬ってわりと素直で感情が表にでやすいじゃないですか。
喜んでいるときは尻尾をぶんぶん振るし、怒ったらウ〜ッてうなるし。
そして、主人に忠実だから嫌なことでも我慢しちゃうし。(犬って、主人に「待て」と言われて目の前の餌を我慢しますよね。)
そういう人は操作しやすいからターゲットになりやすいんですよね。
逆に猫。
猫は何考えてるか分からないし、ちょっと手を出したら引っかかれそうな、何をするか分からないイメージがありますよね。
そして、目の前に餌があれば主人の「待て」なんて言葉無視してさっさと食べるし、嫌なことは我慢せずに、プイッとどこか行っちゃうし。
そういう人は(そもそも逃げちゃうので)ターゲットにしにくいんですよね。
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※でも、猫派でも絶対にターゲットにならないわけじゃありません。
長年観察していればどういう表情の時どういう事を考えているかはだんだん分かってくるし、逃げられないように閉じ込めればターゲットにできる可能性もあります。(例えば、猫を閉じ込めるための結婚という檻を手に入れたから、結婚後本性を表す自己愛もいます。)
また、操作しにくい相手を操作することで征服欲を満たす自己愛もいるので、猫派だからと言って絶対安全というわけでもありません。
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ということで、自己愛性人格障害者のターゲットになりにくい人になるには、犬派よりは猫派になれば良いのですが、もともと犬派だった人が猫派になるのは割と難しいのです。
犬にだって犬の幸せがあります。
誰かに尽くすことで幸せを感じたり、自分の感情を素直に表に出すことが幸せだったりするのです。
だから、自己愛性人格障害者のターゲットになってしまったら、猫派になるのも手ですが、自分本来の幸せを手にするには、やはり逃げるのが一番だと思います。
某speedの某BODY&SOULではないですが、「奪われたものは取り返さなくちゃアタシらしくいられなきゃ意味がない」んです。
↓上原さんの騒動でこの間久々に聞きました。
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2017年09月11日
【モラハラ】その人と仲良くする意味あるの?
「自己愛性人格障害と自己愛スペクトラム」の記事でも書いたのですが、私は人は誰でも自己愛を持っていて、あまりにも強い人が自己愛性人格障害と考えています。
また、人格障害とまではいかなくても、やっぱり自己愛が強めの人は「なんとなく付き合いにくいな」と感じます。
コメントで「この人は自己愛性人格障害でしょうか。」と聞いてくる方がいますが、大体この私のマイナーなブログを読むほど思い悩んでいる方は、自己愛性人格障害者の被害に遭っていると考えて良いと思います。
(相当色々検索して思い悩んでますよね。)
というより、問題だと思うのは、もし私やほかの人が、「いいや、あの人は自己愛性人格障害じゃないですよ。」と言ったらどうするのでしょうか。
このまま、嫌だなぁと思いつつ、その人と付き合いを続けるのでしょうか。
個人的には、自己愛性人格障害者であろうが、一般人であろうが、自分が不快に思う事をしてくる人間とは距離を置いた方が良いと思っています。
一度きりの人生なんですよ?
嫌いなものを嫌いと言えず、表面上はニコニコと取り繕って、苦しいままで死んでいっても良いんですか?
それで、死ぬ間際に、「あぁ、良い人生だった…。」と言えるのでしょうか?
私は、私にモラハラしてきたバカ男のことを、他人がどう言おうがもう気になりません。
あいつが出世して社長になったとしても、総理大臣になったとしても、あいつから逃げたことは自分の人生で一二を争うほどの英断だったと断言できます。
例え、あいつが自己愛性人格障害者でなくても、どうでも良いです。
大事なのは、自分が幸せに生きていくこと。そして、私が大事に思う人たちを出来るだけ幸せにすることです。
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また、人格障害とまではいかなくても、やっぱり自己愛が強めの人は「なんとなく付き合いにくいな」と感じます。
コメントで「この人は自己愛性人格障害でしょうか。」と聞いてくる方がいますが、大体この私のマイナーなブログを読むほど思い悩んでいる方は、自己愛性人格障害者の被害に遭っていると考えて良いと思います。
(相当色々検索して思い悩んでますよね。)
というより、問題だと思うのは、もし私やほかの人が、「いいや、あの人は自己愛性人格障害じゃないですよ。」と言ったらどうするのでしょうか。
このまま、嫌だなぁと思いつつ、その人と付き合いを続けるのでしょうか。
個人的には、自己愛性人格障害者であろうが、一般人であろうが、自分が不快に思う事をしてくる人間とは距離を置いた方が良いと思っています。
一度きりの人生なんですよ?
嫌いなものを嫌いと言えず、表面上はニコニコと取り繕って、苦しいままで死んでいっても良いんですか?
それで、死ぬ間際に、「あぁ、良い人生だった…。」と言えるのでしょうか?
私は、私にモラハラしてきたバカ男のことを、他人がどう言おうがもう気になりません。
あいつが出世して社長になったとしても、総理大臣になったとしても、あいつから逃げたことは自分の人生で一二を争うほどの英断だったと断言できます。
例え、あいつが自己愛性人格障害者でなくても、どうでも良いです。
大事なのは、自分が幸せに生きていくこと。そして、私が大事に思う人たちを出来るだけ幸せにすることです。
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2017年09月10日
自己愛性人格障害と自己愛スペクトラム
自閉症スペクトラムってご存知ですか?
スペクトラムというのは、英語で連続体・分布範囲のことを指します。
自閉症と言うのは、こっからここまでが自閉症で、こっからここまでが普通の人だよ、とパッキリ決まっているわけではなく、自閉傾向が強い・弱いによって診断名が違ってきたり、社会に適応できるかが異なってくるんです。
昔、クラスに一人はいたなんか変な子。
友達と上手く遊べなかったり、落ち着きがなかったり、何かについて異常にこだわったり(図鑑の虫の名前を全部覚えているとか)という子供は、今は自閉症スペクトラム障害や発達凹凸として、今後の生活で苦労をしないように色々と支援を得られるようになっています。
で、この自閉症スペクトラムと同じように、自己愛に関しても自己愛スペクトラムがあると、個人的に感じています。
図にするとこんな感じですね。
自己愛があまりにも強すぎると、社会でまともに生きて行けず、入院加療が必要な【自己愛性人格障害(重症)】レベルになります。
次に自己愛が強い【自己愛性人格障害】は、社会には出ていますが、やはり適応できていない部分がモラハラやDVやいじめなどに現れるのだと思います。
そして、次の【なんかこの人付き合いにくいなと感じる人】。
自己愛性人格障害とまでは言えなくとも、なんか一緒にいるとモヤっとすることがある、とか、なんかこっちを見下しているように感じる、という人たちです。
この人たち、普段は一般人のような感じなのですが、「先輩が馬鹿にしてたから俺も馬鹿にしよう」とか、「この人は絶対に反論してこないからいいや」とかいう感じでちょいちょい自己愛的な言動が出てくるのです。
なお、この【なんかこの人付き合いにくいなと感じる人】は、【自己愛性人格障害者】と上手くやっていける人でもあります。自己愛が強いもの同士で同調出来るのかもしれません。
で、世の中にはとても優しくて人に対して絶対に反論しないような人がいるじゃないですか。
そういう人って、【自己愛性人格障害者】のターゲットになるのはもちろん、この【なんかこの人付き合いにくいなと感じる人】の被害者にもなってしまうのではないかと思います。
だから、「世の中自己愛だらけだわ…」と感じる人は、その優しくて反論できそうにないキャラを変えてみるのも良いかもしれません。
なお、自己愛の存在する割合は日本人全体の何パーセントか、という話で言えば、経験上5%くらいかな、と思います。
クラスに1人くらいかな?って感じです。
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スペクトラムというのは、英語で連続体・分布範囲のことを指します。
自閉症と言うのは、こっからここまでが自閉症で、こっからここまでが普通の人だよ、とパッキリ決まっているわけではなく、自閉傾向が強い・弱いによって診断名が違ってきたり、社会に適応できるかが異なってくるんです。
昔、クラスに一人はいたなんか変な子。
友達と上手く遊べなかったり、落ち着きがなかったり、何かについて異常にこだわったり(図鑑の虫の名前を全部覚えているとか)という子供は、今は自閉症スペクトラム障害や発達凹凸として、今後の生活で苦労をしないように色々と支援を得られるようになっています。
で、この自閉症スペクトラムと同じように、自己愛に関しても自己愛スペクトラムがあると、個人的に感じています。
図にするとこんな感じですね。
自己愛があまりにも強すぎると、社会でまともに生きて行けず、入院加療が必要な【自己愛性人格障害(重症)】レベルになります。
次に自己愛が強い【自己愛性人格障害】は、社会には出ていますが、やはり適応できていない部分がモラハラやDVやいじめなどに現れるのだと思います。
そして、次の【なんかこの人付き合いにくいなと感じる人】。
自己愛性人格障害とまでは言えなくとも、なんか一緒にいるとモヤっとすることがある、とか、なんかこっちを見下しているように感じる、という人たちです。
この人たち、普段は一般人のような感じなのですが、「先輩が馬鹿にしてたから俺も馬鹿にしよう」とか、「この人は絶対に反論してこないからいいや」とかいう感じでちょいちょい自己愛的な言動が出てくるのです。
なお、この【なんかこの人付き合いにくいなと感じる人】は、【自己愛性人格障害者】と上手くやっていける人でもあります。自己愛が強いもの同士で同調出来るのかもしれません。
で、世の中にはとても優しくて人に対して絶対に反論しないような人がいるじゃないですか。
そういう人って、【自己愛性人格障害者】のターゲットになるのはもちろん、この【なんかこの人付き合いにくいなと感じる人】の被害者にもなってしまうのではないかと思います。
だから、「世の中自己愛だらけだわ…」と感じる人は、その優しくて反論できそうにないキャラを変えてみるのも良いかもしれません。
なお、自己愛の存在する割合は日本人全体の何パーセントか、という話で言えば、経験上5%くらいかな、と思います。
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【モラハラ】私さえ我慢すれば…は間違い
モラハラって、傍から見て分かりにくいものだし、本当に自分が悪いような気もしてくる(自分を責めさせる行為)なので、「自分さえ我慢すれば丸く収まるから」と、我慢してしまう事が多いと思います。
でも、それは間違いなんです。
@加害者は無自覚である
モラハラしてくる奴は、本当に自分が正しいと思っています。
いくら言っていることが理不尽でも、自分が正しいと信じて疑わないのです。
自己愛性人格障害と言うのは病識がないですから。
例えば、目の間でひったくりが起きたとします。
これは、完全にひったくりをした犯人が悪者ですよね。
そんな風に、モラハラ加害者はモラハラ被害者を見てるのです。
「こいつはひったくりをした犯人なんだ。完全な悪者なんだ。」と。
そういう感じに自分も被害者もマインドコントロールしてくるので、加害者は自分が正義に基づく行為をしていると気持ちよくなってるし、被害者は本当に自分がひったくりなんかの犯罪を犯したかのように罪悪感に苛まれるんです。
だから、被害者が我慢をすればするほど、被害者が悪の権化だと自分自身をマインドコントロールしている加害者の行為はどんどんエスカレートしていくのです。
A周りが気付きにくい犯罪行為である
モラハラというのは、加害者=正義、被害者=悪、という形をとるために、虐待が分かりにくいのです。
だから、もし被害者の周囲に、被害者を助けてあげたい、という人がいたとしても、被害者が「私が我慢すればいい事だから」と思って相談などをしなければ、周囲も手を差し伸べることが出来ません。
幸い、昔と違って今はモラハラというものの認識がかなり世間に浸透しています。
加害者にされていることで、自分が精神的に苦しいのであれば、それを我慢せず誰かに相談することで、これ以上の被害に遭わずにすみます。
B我慢することは人権侵害を助長している
いじめられたり、虐待されたりすると、なぜ辛いのでしょう。
それは、被害者の人権が侵害されているからです。
人は生まれながらに人間らしく自由に生きる権利を保障されています。
いじめや虐待は、それを侵害する行為なのです。
だから、怒って良いのです。
あなたは、いじめや虐待に対して、怒ったり反抗したりする権利を生まれながらに持っているのです。
それに、もしあなたに子供がいた場合。
あなたがいじめや虐待を受けて我慢するということは、子供に対して、「他人の人権というのは尊重しなくても良いんだ」というメッセージを与えてしまうことになります。
そうじゃないでしょ?
男女の性別や、人種、国籍、家柄などで差別するのは間違いなんです。
全ての人は、人間として生まれたからこそ尊重しあわなければいけないわけです。
だから、モラハラを我慢するという事は、自分の人権を侵害させ、周囲の人々に「私は人権が侵害されて構わない人間です。」というメッセージを与えてしまうので、間違っているわけです。
参考:
いじめと人権
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でも、それは間違いなんです。
@加害者は無自覚である
モラハラしてくる奴は、本当に自分が正しいと思っています。
いくら言っていることが理不尽でも、自分が正しいと信じて疑わないのです。
自己愛性人格障害と言うのは病識がないですから。
例えば、目の間でひったくりが起きたとします。
これは、完全にひったくりをした犯人が悪者ですよね。
そんな風に、モラハラ加害者はモラハラ被害者を見てるのです。
「こいつはひったくりをした犯人なんだ。完全な悪者なんだ。」と。
そういう感じに自分も被害者もマインドコントロールしてくるので、加害者は自分が正義に基づく行為をしていると気持ちよくなってるし、被害者は本当に自分がひったくりなんかの犯罪を犯したかのように罪悪感に苛まれるんです。
だから、被害者が我慢をすればするほど、被害者が悪の権化だと自分自身をマインドコントロールしている加害者の行為はどんどんエスカレートしていくのです。
A周りが気付きにくい犯罪行為である
モラハラというのは、加害者=正義、被害者=悪、という形をとるために、虐待が分かりにくいのです。
だから、もし被害者の周囲に、被害者を助けてあげたい、という人がいたとしても、被害者が「私が我慢すればいい事だから」と思って相談などをしなければ、周囲も手を差し伸べることが出来ません。
幸い、昔と違って今はモラハラというものの認識がかなり世間に浸透しています。
加害者にされていることで、自分が精神的に苦しいのであれば、それを我慢せず誰かに相談することで、これ以上の被害に遭わずにすみます。
B我慢することは人権侵害を助長している
いじめられたり、虐待されたりすると、なぜ辛いのでしょう。
それは、被害者の人権が侵害されているからです。
人は生まれながらに人間らしく自由に生きる権利を保障されています。
いじめや虐待は、それを侵害する行為なのです。
だから、怒って良いのです。
あなたは、いじめや虐待に対して、怒ったり反抗したりする権利を生まれながらに持っているのです。
それに、もしあなたに子供がいた場合。
あなたがいじめや虐待を受けて我慢するということは、子供に対して、「他人の人権というのは尊重しなくても良いんだ」というメッセージを与えてしまうことになります。
そうじゃないでしょ?
男女の性別や、人種、国籍、家柄などで差別するのは間違いなんです。
全ての人は、人間として生まれたからこそ尊重しあわなければいけないわけです。
だから、モラハラを我慢するという事は、自分の人権を侵害させ、周囲の人々に「私は人権が侵害されて構わない人間です。」というメッセージを与えてしまうので、間違っているわけです。
参考:
いじめと人権
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2017年09月01日
自己愛性人格障害者の思考に近づくには
自己愛性人格障害者の思考に近づくには、共感性をオフにし、物事を勝ち負けで見ることが大事です。
@共感性をオフに
普通の人と言うのは、他人と接するときに無意識に共感性を発揮してしまいます。
「病気になった」と言われれば、辛い気持ちに共感し、「それは大変だね」なんて言います。
しかし、自己愛性人格障害者の場合、他人と接するとき共感性は発揮されません。
彼らが使うのは計算などを行うのと同じ領域です。
この場合、どうしたらより自分にとって得なのか計算して言動を決定するのです。
だから、自分より強い相手が「病気になった」と言えば、「それは大変ですね。頑張りすぎなんじゃないですか?」なんてことを言い、自分より弱い相手が言った場合は、「だから何?それで仕事が出来ないなんて言わせないよ」なんて冷酷なことが言えるわけです。
よく、妻が病気になった時、夫が「俺の晩飯はどうなるの?」なんて聞いてきた、というような酷い話をネットで目にしますが、それも共感性のなさ故です。相手を思いやるより、自分の損得に頭がいってしまうのです。
で、自己愛性人格障害者の気持ちに近づくには、このように無意識に働いてしまう共感性を、意識的にオフにすることが大事です。
誰かが「病気になった」と言ったら、意識的に共感しないようにし、自分より相手が強いのか弱いのか計算するのです。
多分、最初はちょっと時間がかかると思います。普段してることではないので。でも練習すれば早くなります。
自己愛性人格障害者は、こういう思考を普段からしているので、反応もものすごく早いんです。
(逆に、雀の涙の共感性を働かせようとすると時間がかかります。)
A勝ち負け思考に
普通の人というのは、AさんとBさんがいた場合、Aさんがロレックスの時計、BさんがCASIOのG-SHOCKだった場合、「Aさんすごい時計しているなぁ」と思うだけです。それでAさんがBさんより優れているとは考えません。
しかし、自己愛性人格障害者の場合、AさんはBさんより優り、BさんはAさんより劣った存在となります。
AさんBさんの人格とか、バックグラウンドとかは関係ありません。
ロレックスをしている方が勝ちなのです。
ベンツとダイハツだったらベンツの勝ちだし。
シャネルとユニクロだったらシャネルの勝ちだし。
ブランド物を持っているのといないのでは、持っている人の方が勝ちだし。
つまり、色々な物事を勝ち負けで判断しているわけです。
しかし、人間と言うのは色々な生育環境や経験でそれぞれ性格が変わってきます。
一卵性の双子として同じDNAをもっていたとしても、生育環境や経験が異なるせいで、次第に性格や趣味・好みが変わってきたりします。
それと同じように、同じ自己愛性人格障害者と言えども、何を勝ちとみなしているかはそれぞれ違うのです。
ある人は、自分の着るもので勝ち負けを意識し、
ある人は、持っている資格で勝ち負けを意識し、
ある人は。夫の年収で勝ち負けを意識し、
その人が属するコミュニティによっても違ってきますし、付き合う相手が変わることにより、勝ち負けを判断するポイントも変わってきたりします。
でも、一つ絶対と言えるのは、彼らは勝ち負けにとらわれているのです。
他人に勝つ事を渇望しているです。
それと同時に負けることが大嫌いなので、勝てる勝負はしますが、自分より強い相手には媚びへつらいます。
そういう風に、物事を勝ち負けという観点で見るようにしていると、自己愛性人格障害者の思考に近づくことが出来ます。
暇な人は、この二つを念頭に置いてちょっと生活してみてください。
なんで彼らが空っぽなのかわかってくるかもしれません。
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@共感性をオフに
普通の人と言うのは、他人と接するときに無意識に共感性を発揮してしまいます。
「病気になった」と言われれば、辛い気持ちに共感し、「それは大変だね」なんて言います。
しかし、自己愛性人格障害者の場合、他人と接するとき共感性は発揮されません。
彼らが使うのは計算などを行うのと同じ領域です。
この場合、どうしたらより自分にとって得なのか計算して言動を決定するのです。
だから、自分より強い相手が「病気になった」と言えば、「それは大変ですね。頑張りすぎなんじゃないですか?」なんてことを言い、自分より弱い相手が言った場合は、「だから何?それで仕事が出来ないなんて言わせないよ」なんて冷酷なことが言えるわけです。
よく、妻が病気になった時、夫が「俺の晩飯はどうなるの?」なんて聞いてきた、というような酷い話をネットで目にしますが、それも共感性のなさ故です。相手を思いやるより、自分の損得に頭がいってしまうのです。
で、自己愛性人格障害者の気持ちに近づくには、このように無意識に働いてしまう共感性を、意識的にオフにすることが大事です。
誰かが「病気になった」と言ったら、意識的に共感しないようにし、自分より相手が強いのか弱いのか計算するのです。
多分、最初はちょっと時間がかかると思います。普段してることではないので。でも練習すれば早くなります。
自己愛性人格障害者は、こういう思考を普段からしているので、反応もものすごく早いんです。
(逆に、雀の涙の共感性を働かせようとすると時間がかかります。)
A勝ち負け思考に
普通の人というのは、AさんとBさんがいた場合、Aさんがロレックスの時計、BさんがCASIOのG-SHOCKだった場合、「Aさんすごい時計しているなぁ」と思うだけです。それでAさんがBさんより優れているとは考えません。
しかし、自己愛性人格障害者の場合、AさんはBさんより優り、BさんはAさんより劣った存在となります。
AさんBさんの人格とか、バックグラウンドとかは関係ありません。
ロレックスをしている方が勝ちなのです。
ベンツとダイハツだったらベンツの勝ちだし。
シャネルとユニクロだったらシャネルの勝ちだし。
ブランド物を持っているのといないのでは、持っている人の方が勝ちだし。
つまり、色々な物事を勝ち負けで判断しているわけです。
しかし、人間と言うのは色々な生育環境や経験でそれぞれ性格が変わってきます。
一卵性の双子として同じDNAをもっていたとしても、生育環境や経験が異なるせいで、次第に性格や趣味・好みが変わってきたりします。
それと同じように、同じ自己愛性人格障害者と言えども、何を勝ちとみなしているかはそれぞれ違うのです。
ある人は、自分の着るもので勝ち負けを意識し、
ある人は、持っている資格で勝ち負けを意識し、
ある人は。夫の年収で勝ち負けを意識し、
その人が属するコミュニティによっても違ってきますし、付き合う相手が変わることにより、勝ち負けを判断するポイントも変わってきたりします。
でも、一つ絶対と言えるのは、彼らは勝ち負けにとらわれているのです。
他人に勝つ事を渇望しているです。
それと同時に負けることが大嫌いなので、勝てる勝負はしますが、自分より強い相手には媚びへつらいます。
そういう風に、物事を勝ち負けという観点で見るようにしていると、自己愛性人格障害者の思考に近づくことが出来ます。
暇な人は、この二つを念頭に置いてちょっと生活してみてください。
なんで彼らが空っぽなのかわかってくるかもしれません。
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