平日の通勤電車の乗客と言えば朝は学生と会社員、夜は会社員と決まっている。
4/16(日)日曜日は天気が良く関東地方は今年初の夏日を記録した。その日は昼間に電車を利用したからいつもは見掛けない家族連れが多かった。ドリンクの自動販売機近くで電車の到着をホームで待っていたらこんな会話が聞こえてきた。
若いお母さんと5歳前後のお兄ちゃん、その弟の3人組だ。
お母さん「暑いから何かジュースを飲む?」
兄「僕コーラ」
弟「ボクも」
兄「あれ?コーラないよ」
お母さん「本当だ。無いねー」
弟「コーラ無いなんてボク死にたい」
お母さん「そんなこと言うんじゃないの」
弟「コーラ飲めないなんてボク死にたい」
4〜5歳の幼児が「死にたい」と言うことに驚き耳を疑った。幼児が死の概念を理解しているとは思えないから誰かの口癖を真似しているのだろう。いったい誰の口癖なのだ?幼児が観るテレビ番組からだろうか?
「オレってラッキーじゃないから死にたい」なんて言う戦隊ヒーローはいないし、
「ゲームオーバーになったらから死にたい」なんて言う仮面ライダーは見たことないし、
「スイーツ作りに失敗したから死にたい」なんて言うプリキュアは知らないし、
「ジャムおじさんが新しい頭を焼いてくれないから死にたい」なんて言うアンパンマンを食べたことないし、
「オラ春日部に帰れなかったから死にたいゾ」なんて言う幼稚園児にも会ったことない。
太宰治の「人間失格」やゲーテの「若きウェルテルの悩み」に傾倒するにはまだ早過ぎる。この話を会社の同僚にしたら「お婆さんでは?」と即答された。
今まで元気だったら祖父母が怪我や病気で不自由な生活を余儀なくされ、この家に引き取られ同居する様になったら、確かに何かあるごとに「死にたい」と愚痴を言いそうだ。幼児がそれを見聞きしていたら口癖にもなるだろう。
「孟母三遷の教え」の通り、子供を育てる環境は大切だと思う出来事だった。