このブログを始めてから、だいぶ長い年月が経過しました。
しかし、本当の私たちの冒険はまだ始まったばかり。
真の知性の獲得も、躍動する身体感覚も、「正典主義」の遂行も、そして、「正典主義」という生活様式から生み出される24時間漬けの圧倒的なトランス状態・催眠状態も、実際には此処から始まるのです(^^)
その前に、私の思想の根幹となる「正典主義」に関して、此処では初期総括を行いたいと思います。
最終総括ではなく、初期総括としているのは、私はまだ若い為、今後もこの思想は発展・成長する可能性があるからです。
それでは、私の独創としての「正典主義」の思想について、幾つか項目に分けて、ポイントを整理します(^^)
まず、1つ目。
「昔は家に、本とラジオとレコードしかなかったから」という戦前戦中生まれの老作家の述懐に感化され、
漫画、アニメ、ゲームなどのサブカルチャーを批判するようになったこと。
また、「正典主義」が一種の現実逃避であり、引きこもり的なライフスタイルだったとしても、
漫画・アニメ・ゲームだけのサブカルチャーに染まった引きこもりに対しては極めて批判的であり、
このような引きこもりのライフスタイルを徹底して反面教師にしている事に「正典主義」の意義がある事。
もし、引きこもりの生活が戦前・戦中のように、本とラジオとレコードしかなかったなら、
その引きこもりは無限に精神的成長を遂げるのであり、
24時間、このような生活意識でトランス状態に陥るのであれば、
それは、とても創造的な幻覚・催眠状態、特殊な身体感覚の体験であり、
自分にとっても世界にとっても、大変有益な活動である事。
「正典主義」の目的とは、戦前戦中のように本とラジオとレコードしかないような部屋で、
創造的なトランス状態・催眠状態、特殊な身体感覚を構築する事にある。
2つ目。
「サブカルチャー批判」が、「正典主義」の出発点だったわけだが、
自分の考えを進めていくに従い、自らと対象との関係性を考慮すれば、
他に、球技・グルメ・育児の三領域も自らの実生活上から排除するべきであるという思考に到達した事。
仮に、球技・グルメ・育児の価値を認める事があっても、
それは歴史的視点・理論的価値から派生的に把握するべきであり、
あくまで「正典主義」の脈絡で捉えるべきであるという事。
3つ目。
私にとって、独身主義を生涯貫き、独居老人となる事は、今後、「正典主義」を進行させる上でとても重要であり、
独居生活と「正典主義」の二つの組み合わせは、
世間では当たり前のように受け容れられている、学校を卒業したら、就職→結婚→出産→育児や住宅ローンの為に定年まで働くという人生のライフスパイラルを遥かにマウンティングする生活スタイルである事。
4つ目。
戦前戦中の老作家が述懐した「昔は家に、本とラジオとレコードしかなかったから」というライフスタイルに、
今日的視点から付加するべきモノがあるとすれば、私と対象との関係性においてそれは、
古映画蒐集とベンチプレスとインターネット、木刀の素振りや棒術、木人椿による鍛錬、せいぜい、将棋やチェスくらいなものである。
近年、古映画のプリントがどれもデジタル処理されていたとしても、それを鑑賞する事自体は別に問題ない。
将棋やチェス、その他のボードゲームをインターネットやパソコンでプレイするのも、特に問題視しない。
インターネットは、現代人の生活にとって必需のインフラであり、中毒症が懸念されるのは、ケータイ・スマホ依存と、オンライン・ゲーム依存、ビデオゲーム依存だというのが、私の考え。
同じゲームでも、将棋や囲碁、チェスやオセロなど、緊張感を伴うボードゲームであれば、ネットやパソコンでプレイしたとしても、ビデオゲーム以上の中毒性は懸念されない。
なので、「正典主義」は、古映画のデジタルプリントやボードゲーム、武術・拳法、パワーリフティングは大いに奨励する。
以上が、此処で一つの節目となる「正典主義」の初期総括です!\(^0^)/
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