2014年12月22日
こんなモノ、欲しいのかぁ〜?(/0\)
最近のニュースで、東京駅百周年記念発行の限定Suicaが話題になっていますが(販売中止になって東京駅で暴動が起きたとか)、戦後最低の投票率を更新した今月の比例代表選挙には、殆ど並ぶ人がいなかったですね。新型スマートフォンやOS新機種の発売、または限定品には行列が出来る傾向がありますが、統一地方選挙の投票で人だかりや行列が出来たという事は未だ嘗てない事です。日本の政治家は、この事実を重く受け止めるべきでしょう。
無論、これまでの記事から皆さんが察せられるように、私は、その限定Suicaとやらには全く興味がないので、暴動や怒号が起きた時に東京駅には居ませんでした。買い物をする際に、皆の持っているモノは私も欲しい、という考えの人たちが日本にはかなり多いらしいですが、私のスタンスはコレとは全く逆ですね。つまり、
皆が持っているモノとは、違うモノが欲しい!
コレが、私の買い物のスタンスであり、コレクションの神髄です。
ですから、私は毎回、政党選挙の時には、投票に行きますけれど、新型スマートフォンやOS新機種の発売、その他限定品の為に並んだ事は一度もないのです。
一般的に、私の世代の不良とかワルと云われる人たちは、その時々のトレンドに鋭敏に反応する習癖があって、だからこそ、限定品や新型が流行すると、すぐにその行列に徹夜して並ぶという傾向があるようですが、一世代昔の不良やワルと云われる人たち(高倉健や菅原文太の世代)は明らかにこの傾向とは異なっていた筈です。
私は昨今のトレンドを軽蔑していますし、そのトレンドを追っている昨今の不良やワルをも大した事ないとさえ思っているのです。
結局、これまでの文脈から判断するなら、私は昨今のトレンドや限定品の価値を個人的に承認していない訳で、その価値を承認した人たちは徹夜組しながらその行列に並ぶのです。そのトレンドや限定品に欲望を感じたとするなら、それらの行列に並んだ人たちは、その価値を肯定的に承認している事になりますから。
これまで綴って来た通り、
その対象の価値を承認しなければ、それは欲望の対象とはなり得ない!
というわけですね。
詩人の古賀学故は、何かに挑戦する事を渋る人たちに対して、「林檎の味は食べてみなければ分からない」という事を繰り返し強調する人なのですが、
林檎の味がその人にとって価値があるか否かは、やはり、本人の味の好みが判断する事で、林檎を特に美味しいと思わない人たちは、やはり、その後で自発的に林檎を食べる事はまずないでしょう。
閑話休題。
最近、放送大学ラジオで、大卒の若者に、学生時代に何をしていたかインタビューする番組があったのですが、私はそれを聴いていて、自分が学生の頃とだいぶ違うなぁという感慨を持ちました。
ある男子学生は、陸上競技のサークル活動が学生生活の中心で、ある女子学生は海外旅行をする為にアルバイトを重ねたとか、主に、サークル活動と旅行とアルバイトがその生活の中心で、19歳の頃の私よりも遥かにアグレッシブな活動をしている訳です。
そのインタビューの中で、古典を読むとか、テクストの研究をすると回答した若者は一人もいなくて、大学の講義というのは、学生のそういう勉強をサポートする為に存在していると考えていた私は、肩透かしを喰らったわけです。
文芸評論家の渡部直己も、
「大学の講義は、書物(古典)への誘致の場!」
と明快に言い切っています。
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旅行やアルバイトやスポーツには欲望を感じなかった19歳以降の私は、古典の読解やテクストの研究に注意が傾いていて、他の事にはほとんど価値を感じていませんでしたね。
語学を学んだり、海外旅行をしたりするにせよ、その先にある目標は、古典を原書で読んだり、宗教建築を観光したりする事が狙いで、このインタビューに回答していた学生のほとんどは、当時や今の私とは全く違う現実認識というか現実感覚で行動しているような気がしましたね。
要するに、これらの学生のほとんどは机上の学問よりも、「経験重視」だという事に尽きるのではないでしょうか?
私は余り、経験で人を見たりしないので、学問だけの象牙の塔で、日夜研究室にこもって、一人で論文を書き続ける人生の方がよっぽどマシだと思ってしまうのですが(−−;
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