2014年08月20日
物事の価値や判断の尺度を決定するのは、本人と対象との「縁(=関係性)」である!(^0^)/
多くの人が抱える悩みや問題に、物事の価値や判断の尺度を決めるものは何か? という疑問があります。
創価教育学会の創立者・牧口常三郎先生は、カントが唱えた「真・善・美」という価値の基準に抗して、
「美・利・善」の三価値を主唱しました。
対して、反価値とは「醜・害・悪」です。
日蓮大聖人の仏法=大善(一閻浮提広宣流布)を実践する事で、人間はその社会の中で「美・利・善」の価値を創造し、追求することが出来る、これが牧口常三郎先生の『価値論』の主張だったように思います。
ですが、牧口先生が唱えたこの三価値を良く知らない人の中には、このように反論する人もいます。
「何が美で、何が利で、何が善なのか、それは判断する人によって違うのでは?」
その点についても、牧口先生は既に御考察済みで、「美・利・善」の三価値にしても、「醜・害・悪」の反価値にしても、
その価値を判断する尺度とは、本人とその対象との関係性によって決まる、との考えを示されているのです。
この「本人とその対象との関係性」とは、仏教用語でいえば即ち「縁」となります。
個人の一生を左右するのも、世の中の動きが時代によってどう変わるかも、物事を支配しているあらゆる動きも、全ては「縁(=関係性)」という一語で括ることが出来るのです。
これは、以前にこのブログで私が唱えた「情報価値・利益価値・性的価値」の三価値にしても同じで、
その対象に価値があるかどうかを判断するのは、結局、本人とその対象との関係性(=縁)によって決まるのです。
例えば、1984年に生まれた私は今年で30歳を迎えましたが、人間の一生が永く生き長らえても、せいぜい90歳か80歳までには自分一人で身動きできないヨボヨボのお爺さんになってしまう事を考えると、
今の私の肉体は2064年(80歳)までには亡くなっているか、歩けない体になっている筈です。
私の生年だと、2044年には60歳を迎え高齢者の仲間入り、2054年には70歳の老人になります。
それくらい人間の一生とは短いモノなのですね。
仮に、私が2054年に70歳で死ぬとしたら、私は元々、1984年〜2054年までの限られた時代しか経験せず、生きる事も出来なかった、という考え方がその後の世界では定着するでしょう。
私たちの肉体とは日々運動を続ける宇宙の中に、敢えて、その時代だけに限定して生きるように無理矢理、嵌め込まれた(設定された!?)現実的存在なのですよ。
コレはどういう事かというと、1984年に生年を享けた者たちは、せいぜい2054年〜2064年までの世界しか経験できない、そういう「縁」だったと考えることが出来るわけです。
つまり、私たちはこの世に誕生した時点で、自分たちと深く関わる時代との「縁」が既に決定しているのです(別に運命論者ではないですが……汗)。
子供の頃から数学が得意な人は、やはり数学との縁が濃厚でしょうし、同じように幼少年期から野球やサッカーを続けている若者は、スポーツとの縁が深いわけです。
創価学会の宗教とは、一念三千の大御本尊に祈ることによって、全ての「縁」を変毒為薬し、本人にとっても周りの人たちにとっても、プラスの価値に変えていける、そういう信仰なのです(^^)
仏法を否定する人たちも、仕事や職場で経験する「縁」を否定することは出来ないでしょう!
機会があれば、また書きます!
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