2014年05月19日
天才の浪費癖、偉人の借金癖、その本質とは何か!?
新品価格 |
鹿島先生の本を読んでいたら、偶然にも、私の過去の借金癖にも通じるような本質が、ワーグナーという天才を媒介にして詳説されていたので、その解説を引用します(^^)
以下、鹿島茂氏の著書からの引用。
↓ ↓ ↓ ↓
人間のような人格をもちながら人間ではない存在。ところが現実にはこうした存在はちゃんと存在しているのである。即ち、「法人」である。
「法人」の場合、前借することは少しもおかしい事ではない。というよりも、前借をしなければ「法人」として存在することは出来ない。こうした前借をする法人を普通、我々は「株式会社」と呼んでいる。株式会社とは、何か有望な事業を行う為に、出資者から株式という形で資本金を前借する為の「法人」に他ならない。
従って、ワーグナーを一人の個人としてではなく、一つの「法人」と見做した場合、彼に金を貸す債権者たちは将来、有望な事業に投資する「株主」であり、ワーグナーは「ワーグナー株式会社」という事になる。そして、株主であれば、金を貸しているから返せとは言わないのが普通である。将来性を見込んでの投資なら、株式会社が利益を計上するようになるまで、我慢強く待たなければならない。それどころか、増資の必要が生まれたら、コレに応ずるのは当然である。というよりも、それが株主の「義務」である。どうしても金に替えたいというのであれば、株券、つまり、ワーグナーへの債権を他の人に譲るしかない。
ひとたび「法人」という概念を導入しさえすれば、ワーグナーの主張する、身勝手極まりない借金の理屈は、極めて近代的な経済思想に変わる。ワーグナーとは、実に「ワーグナー株式会社」の事であり、ワーグナーの借金が増えるという事は、この株式会社が増資をしていることを意味する。ワーグナーの債権者たちは、「ワーグナー株式会社」の株式が公開されるまでその株式を保有する事を義務付けられた株主に他ならないのである。
(引用終了)
バルザック、ワーグナー、ドストエフスキイ、ジュリアス・シーザーの天文学的な数字の借金の原因は、この箇所にほぼ書き尽くされていると思います。
それだけではなく、私は彼等のような偉人ではありませんが、「個人ではなく、法人として借金し、生活している」という点に関しては、私もこれらの天才たちと同じ意識で動いているのです。
既にこのブログで何度も述べている通り、私の過去の借金(今は借金なんかない)はそのほとんどが書籍やクラシック映画DVDに充てられていました。
パチンコやスロット、競馬、その他のギャンブルにお金を遣ったことは一度もありません。
私の浪費の対象は最後までコレクションの蒐集に充てられており、それは研究目的でしたし、個人としてではなく法人、つまり隠喩としての株式会社として借金を重ねていたとしか言いようがありません。
私を批判する人たちは、「お前、自分の親に金を返せ!」と煩かったですが、車も子供もない私にとっては、親の貯金だけではなく、自分が得た収入のほとんどもこうした株式会社の運転資金に投じて何も問題はありませんでした。
恐らく、私の批判者たちの目的とは、私の隠喩としての法人活動やその蒐集物、表現作品などの権利を彼等にそっくりそのまま譲渡させる事だったに違いありません。
私を批判する連中の代表格は「お前には軍師がいない!」等々と、堂々と公言していましたが、この発言だって本当は、私の法人活動の実権を彼が握りたいと暗に言っているようなものなのですよ。
つまり、彼等の目的とは、私の一連の行動や法人活動の主導権を握ることなのです(これは被害妄想ではありません)。
その為には、私が表現したコメントや発言、作品だけではなく、私がこれまで一人の法人として蒐集して来た書籍やDVDのコレクションだって、その権利を買い取らなくてはいけないわけです。
こうした事が原因で、私はだいぶ痛い立場にまで追い込まれましたが(ストーカー被害に遭っているのと同じです)、彼等の意図だけは、私には本当に良く分かるのです(笑)。
補足。
↓
ちなみに、買いたいコレクションはほぼ揃えた、他にまだ買いたいモノがあるとしてもそれは発行・出版まで待たなければならない商品だったり、毎月の小金で賄える品物だったりするので、
私の借金癖が終わったという事は、前半生に自分が前借する分は全て、前借した。私の前借は全て終わっていて、もう借りるモノがないことを意味します。
この記事でいう私の法人活動とは、これまで何度も述べている「正典主義(前時代優越主義)の遂行」に他ならず、「正典主義」の個人用私設道場(=マイホームorトランクルームの購入?)を建設することが、私が望んでいる数あるステップの内の最初の目的になります。
高校時代の同級生たちを含む私の批判者たちが、私を攻撃しながらも、私の存在を追い掛けるのは、恐らく、未来において私の私設道場に陳列され、その後の仕事の小道具として使いこなされるだろう様々なコレクション(書籍、DVD、トレーニング用具)、そして、その道場やアイテムを媒介にして生み出された私の様々な法人活動の権利を全て、横奪りするか、彼等にその全権を委嘱させてくれる事を望んでいたからでしょう。