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プロフィール

評論家
36歳・独身、親元実家暮らし、第一子で長男、現住所は東京都内。 35歳の時に痛感したのは、自分の宿業(カルマ)=宿命というテーマ。 私は既に以前までの生き方や生活を変えているのに、周囲の私に対する印象は変わっていない。 私は既に何人かの女性たちとオフパコしている(中出しも経験済み)のに、周囲には未だに童貞だと勘違いされている。 子供の頃は据え置き型ゲームの熱心なプレイヤーでしたが、それはもう15年以上前に辞めていて、今は自宅に一機もゲーム機を持っていないのに、周りの同世代からは未だにゲーマーだと誤解されている。 また、18歳〜20代前半までは確かにひきこもり系ニートでしたが、今は外で働ているのに、未だにニートではないかと周りは疑っている。 真面目にやっているのに、誤解しかされていない。これが私の宿業(カルマ)=宿命です!\(^w^)/
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2013年03月16日
「肉体の鍛錬」には、「目的の細分化」が必要である!\(^0^)/
 中学時代に読んだコヴィー博士の『7つの習慣』には、全ての人間には、「関心の輪」というものがあると説いています。

 試しに、このブログをご覧になっている方は、紙の上に、自分が最も関心を持っていることを全て書き出すように努力してみましょう。

 そうして、自分にとって関心のあるものを紙の上に全て書いたら、その周りをグルッと円で囲むのです。

 すると、アナタにとっての「関心の輪」がそこで出来上がります。

 さて、その「関心の輪」の中で、アナタ自身がコントロールできる項目は、どれだけあるでしょう?

 アナタ自身が書き出した「関心の輪」の中の項目から、アナタ自身の意志でコントロール可能なものと、アナタの一存ではなく他者の意志を介在しなければコントロールできない項目とを分けて下さい。

 そして、アナタ自身でコントロール可能な項目をさらに円で囲むのです。

 すると、コヴィー博士が指摘するところの「影響の輪」が出来上がります。

 人間の関心は概ね、自分の意志でコントロールが出来ない分野にまで広がっています。

 ですから、自分の関心の全ての項目を「関心の輪」として捉えた時に、その輪の内側で、自分の意志でコントロール可能なものは、「影響の輪」として、コントロール不可能なものとは区別するのです。

 私の関心には、常に、文学や古典をはじめとする「正典」、アウトロー気質の礎石となる「肉体の鍛錬」がありました。

 村上春樹は世界的作家であると同時に、マラソンランナーでもあり、トライアスロンの選手でもありますが、彼の関心も、恐らくは最初から、「正典」と、「肉体の鍛錬」に限定されていたのでしょう。

 この場合、「正典」とは、広義の「正典」です。

 村上春樹がその作品世界で引用している洋楽ロックやジャズの名演奏、クラシック映画のタイトル等々も、この「正典」という語には含まれています。

「聖典」と区別しなければならないのは、「聖典」は信仰や宗教の讃美であるのに対し、「正典」というのは、絵画や造形美術、建築、世界遺産、文学作品、哲学や思想、あらゆる学問の古典籍、クラシック音楽から現代音楽、演劇や映画、歴史上の人物まで、ありとあらゆるものを包含しているからです。

 そういう捉え方をすると、「聖典」も、「正典」の中に含まれているのです。

 後期のゴダールが『映画史』などで繰り返し描いているのは、アレは要するに、西欧の文化の「正典」の再検討、なのです。

 晩年の三島由紀夫も、その関心はきっと、「正典」と、筋肉・ボディビルだったのでしょう。

 石原慎太郎氏の関心も、作品を読む限り、「正典」と、「肉体の鍛錬」には並々ならぬ関心を傾注している筈です。

 何せ、三島由紀夫、村上春樹、石原慎太郎の三氏の御述作それ自体が、今ではそれ相当に「正典」と同じ扱い方をされています。

 っていうか、この三氏の作品は既に、「正典」です(笑) 間違いありません(笑)

 私が自ら説いている「前時代優越主義」という生活法も、要するに、この「正典主義」に他なりません。

 漫画の世界では、手塚治虫氏の作品だって、立派な「正典」でしょうが、私は個人的に興味がない。

 というわけで、私の「関心の輪」も、先の三氏と同じく、「正典」と、「肉体の鍛錬」に限定されるわけですが、

 さて、知識を蓄えるだけの「正典」への関心はまだしも、「肉体の鍛錬」となると、各自で、その目的と鍛錬法は自ずと異なって来ます。

 三島由紀夫にとっての「肉体の鍛錬」が圧倒的に、筋肉増強やボディビルに偏っていたのに対し、石原慎太郎氏にとってのそれは、ヨット、あるいは、サッカーやテニス等の反復運動で次第に身について来るような「技術(テクニック)」だったりするわけです。

 村上春樹にとっての「肉体鍛錬」とは、息の長さを伴う総合的な持久力、つまり、トライアスロンと長距離マラソンに限定されるわけです(筋力トレーニングも、もちろん欠かさないでしょうが)。

 つまり、「肉体の鍛錬」とはいうものの、その目的は人さまざま。

 目的が違えば、トレーニング方法は、百八十度、全く異なったものになっていきます。

 例えば、最近、テレビで話題の医師・南雲吉則先生は、独自の若返り方法で、今、注目を浴びていますが、

 あの先生は毎朝、ウォーキングはしても、ランニングやジョギングは絶対にしない。

 これは、村上春樹のようにマラソンやトライアスロンなどで、総合的な持久力を鍛えるためではなく、南雲先生の場合はあくまで、「若返り」という目的に焦点を当てているからです。

 だから、彼の場合は、真冬に薄着のシャツ一枚で外出するというような「痩せ我慢」はしても、運動量という観点からいえば、それほど無理をしていない筈なんです。

 目的が「若返り」なのか、筋肉の増強なのか? あるいは、トライアスロンやフルマラソンの大会に出場して、前人未到の新記録を打ち立てることなのか。

 目的が異なれば、その鍛練法は全く違ったものになる筈です。

 運動神経が悪いといつも嘆いている人は、まず、今の自分が最も鍛えたいのは、一体、何なのか、その目的を定めることから始めましょう。

 私の場合ですと、22歳から筋トレを習慣化し、つい二年ほど前からは、自宅でベンチプレスを続けていますが、

 同じバーベル競技でも、ウェイトリフティングとパワーリフティングでは全く、種目が異なる。

 さらに、パワーリフティングの三種目に限定しても、スナッチやスクワットを省いた、ベンチプレスだけの大会というのも日本にはあります。

 また、肉体美を晒すことだけを目的にしたボディビルダーという人たちにとっては、有酸素運動は筋肉を分解してしまう為に、絶対にジョギングをしたり、走ったりしません。

 自分は運動不足だからという理由で、目的を細分化せずに、一挙にいろんなトレーニング法に手を出すと、結局、長く続かないという人も、かなり多いのでは?

 高校や大学の体育にしても、一般教養の為だからという口実で、いろんなスポーツを生徒にやらせると、生徒の方は目的や意志が散漫になる恐れがあるので、

 まずは、どのスポーツジムでもやらせているように、どの生徒にも、「自分の身体のどの部位を鍛えたいか?」、「どんな身体的能力を身に付けたいか?」という目的観を持たせるべきだと思います。

 サッカーの中田選手は、野球では絶対に成功できなかった筈なので。

 まだ、書き足りないのですが、記事が長くなってしまったので、続きは次回に書きます(^0^)

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Posted by 評論家 at 02:55 | この記事のURL
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Posted by 評論家 at 05:26 | この記事のURL
2013年03月03日
私の関心は何故、「純文学」に転向したのか?
 16歳の時、私の関心がミステリやハードボイルドから、純文学の世界へと転向したきっかけは何か?

 高校時代の知り合いや友人の中には、私が思春期の恋に破れたせいで、作家を目指すようになったとか、成人を迎えるまでに「モテ期」を経験しなかったことが原因で、純文学に転向した、とか、周りで余計な事を考えている輩が多いようですが、こういう憶測は、全部間違いです。

 私が純文学に転向する直接のきっかけとなったのは、文芸評論家・福田和也氏による『作家の値うち』、『「作家の値うち」の使い方』です。

 この本の事は、今更、説明するまでもありませんね。

 ワイン誌「ミシュラン」の採点方式を用いた批評家・福田和也氏による究極のブックガイドといわれ、今ではごく少数の読書家の間で、ほとんど「伝説化」している本です(ちなみに、両書共に今では絶版です)。

 私が、このブログのアバターに、文豪バルザックのピクチャを貼付しているのも、高校在学中に、その本に掲載されていた仏文学者・鹿島茂氏と福田氏との対談を読んだ為です。

 私の場合、村上春樹や石原慎太郎、古井由吉の三賢人に関心を強めたのも、福田氏のこの本による影響が大きい。

 そういう意味で、私は、16歳の頃から、福田和也氏の批評センスというのをずっと追っているんですね。

 ジャズの名盤を買い揃える場合は、もっぱら、中山康樹の批評に頼っていましたが、

 それと同じように、

 日本の現代小説を評価する基準というのは、私の場合、福田氏の批評に負う所が大きいわけです。

 ネタバレですけどねw

 と、こういうことをウェブ上で書くと、話題は一気に拡散して、いきなり、

『作家の値うち』、『「作家の値うち」の使い方』は両書共に復刊、という事になるかも知れませんが、

 現実の話ですね、掲示板とか「朝までから騒ぎ」での私の書き込みに触発されたことが原因で、

 アート系映画のDVDを買い集めるようになったり、実際に小説を書いて、作家デビューを果たしてしまった(?)と思われる歳の近い若者が最近は、多いんですね。

 本当に、私の書き込みに影響されたのかどうかは、作家になってしまった人たち御本人は意識していないでしょうし、仮に分かっていたとしても、絶対に認めないでしょうが、

 私が最近、ビックリしたのは、某掲示板で、匿名で激賞したデビューしたてのグラビアアイドルが、それまでは目立っていなかったのに、その書き込みをしてから一年も経たない内に、その年のナンバーワンに輝いてしまったことがあったんですね。

 私の書き込みを閲覧した人がどれだけいるのかは知りませんが、

 某掲示板で、鶏ガラ野郎に散々、痛罵されていた私にも、一応、それだけの「批評センス」だけはあるわけです。

 センスを磨く、とは、どういう事か? それはやはり、「批評」のセンスだと思うんですよ。

 先の記事で、私の「前時代優越主義」というコンセプト、

 つまり、1960年代以前の映画や本を中心に、純文学とクラシック・アート系の映画と、洋楽の三分野だけで、自らの生活を固めるという独自の批評的スタイルを貫くことが、

 私の仕事と使命であるとすれば、その批評スタイルやセンスを他人の前で持ち出した途端に、そのセンスに強烈に影響されてしまうという友達が現れた。

 ということは、以前にも書きました。

 この事実の意義は大きくて、ゲームの批評にしても、グラドルや女優の批評にしても、皆さんお気付きの通り、私は全く無知ではないのですが、

 いざ、私が、その批評センスを他の分野にも適用してしまうと、どこかで、それに大きく影響されてしまう人が現れる、

 という「思い」が先にある為、私には敢えて、他人には「教えない」、他人には「教えたくない」、他人に洩らしてしまったら一気に波及する「恐れ」のある批評が存在するというのも事実なわけです。

 考えてみると、福田和也氏の『作家の値うち』にしても、あの本の中には、福田氏本人にしか分からない評価の基準というのも、多分に含まれている気がするんですね。



 追記。

 17歳から19歳にかけての間は、私にとって、様々な能力開発に没頭していた時期でした。

 友達から、何かのコネを見つけて、速聴のCDを借りたり、

 下記のバナーで掲載の『DUO3.0』を速聴機械で、3倍速・4倍速にしたモノを聴いたり、

 それと相俟って、福田和也の『作家の値うち』の理論や中山康樹の『マイルスを聴け!』、等々、

 小説や音楽への様々な批評意識が、語学や速聴の能力開発と折り重なって、

 高校卒業後に進学しても、とても大学の授業どころではなかった、と回想します。

 私の能力開発と批評スタイルは、19歳の時点で、既に、一つの生活を形成する志向を担っていたのであり、

 それは、従来の大学教育・学校教育で奉じられている「戦後民主主義」教育とは、相対立するモノでした。

 大学の必修で、語学や体育を受講することになっていたとしても、誰も本気になって、それが自分の将来に役立つと考えた人はいなかった筈です。

 今でこそ、私は、第二外国語を選択する場合、フランス語やドイツ語、ロシア語を学びたいと強烈に感じていますが、

 本やDVDの買い物でお金を濫費してしまった今となっては、もう遅い。

 30歳になりつつある今、第二外国語を学ぶ機会は、もう二度とやって来ません。

 考えてみると、「能力開発」にはこだわっていながら、十代の頃の私は、

 ある特定のスポーツや科目で、特に優秀な成績を収めるわけでもなく、

 夢中になったことと言えば、

 本をたくさん読んだことと、分厚いレポートを一冊仕上げることだけだったのです。

 私には元々、学校が向いていないのかも知れません。

 せっかく入り直した大学の経済学部でも、ウェブ上の書き込みが原因で、教員から目を付けられているのか、卒業間際になって、成績が芳しくありません。

 きっと、数年前に、鶏ガラ野郎の中傷に対し、私が反応したことが原因なのでしょう。

 ハッキリ言いましょう。

 私はこれ以上、何かに足を引っ張られる人生はもう嫌です。

 何かを選択した以上は、その責任を引き受けるというのが、人間の人生ですが、

 いつまでも同じ責任に引っ張られて、次の段階へステップ・アップ出来ないままでいる苦労は、もう二度と味わいたくない。

 目的を達成した以上は、それは既に要らないモノなのであり、私にとって、前の責任に引きずられたままでいるのは、苦痛以外の何物でもありません。

 これは、学校や仕事に限らず、友人関係や恋愛、結婚、家庭生活だって同じです。

 ある目的を達成した以上は、その責任から早く解放されること。

 自分が次の段階へ到達する事を望んでいる以上、以前まであった責任には早いうちに区切りを付けたいのは、人間なら誰でも同じでしょう。

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Posted by 評論家 at 05:48 | この記事のURL

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