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プロフィール

評論家
36歳・独身、親元実家暮らし、第一子で長男、現住所は東京都内。 35歳の時に痛感したのは、自分の宿業(カルマ)=宿命というテーマ。 私は既に以前までの生き方や生活を変えているのに、周囲の私に対する印象は変わっていない。 私は既に何人かの女性たちとオフパコしている(中出しも経験済み)のに、周囲には未だに童貞だと勘違いされている。 子供の頃は据え置き型ゲームの熱心なプレイヤーでしたが、それはもう15年以上前に辞めていて、今は自宅に一機もゲーム機を持っていないのに、周りの同世代からは未だにゲーマーだと誤解されている。 また、18歳〜20代前半までは確かにひきこもり系ニートでしたが、今は外で働ているのに、未だにニートではないかと周りは疑っている。 真面目にやっているのに、誤解しかされていない。これが私の宿業(カルマ)=宿命です!\(^w^)/
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2013年02月27日
本当の「無職」は、働く必要のない金満家だけ!
 コレは、何ですか?

 http://r25.yahoo.co.jp/fushigi/jikenbo_detail/?id=20130225-00028451-r25

 学生ではない無職でも、今はウェブ等を駆使して、内職している方がほとんどなのでは?

 例え、就職することが「組織に帰属する」事を旨とするモノであっても、

 仕事をしている以上は無職ではないのでは?

 確かに、90パーセント以上の内職者は、お小遣い程度の稼ぎしか懐に入って来ないでしょう。

 ですが、それも十年、二十年と続けた方の中には、内職だけで何とか食べていけるようになった方も多いのでは?

 自宅をオフィスに構えて、身内だけの会社を経営しながら、時間の空いた時にはバイトも兼ねる。

 という「遊牧民(社長兼フリーター)」は、今では珍しくありません。

 ニートとか、ネオニートで政治家とか、名称は色々付けられますけど、

 私が考える限りでは、現在、無職の方で、本当に何もしていない方は珍しいと思います。

 ネットで検索すれば、アフィリをやったり、モニタをやったり、FXで稼いだり、頭を使えば、それなりに小遣い稼ぎになる仕事は多いです。

 小説家だって、家でモノを書いている以上は、「内職」に近い側面もありますが、

 彼等のほとんどは、大学や創作教室で教鞭を執り、そこから多くの収入を得ることもある筈で、

 実際には、作品を書くことの方が副業に近いという方もいるのでは?

 専業作家なんか、村上春樹くらいでしょう(話が逸れましたが……汗)

 つまり、今は、小企業の社長でもアルバイトを兼務しているし、組織に所属しない無職でもウェブでは内職をしている、

 作家を端緒として、一発屋のお笑い芸人、一発屋歌手等々も、

 偶に作品を発表したり、懐かしのテレビ番組に出演する傍ら、かつての自分たちと同じ志を持つ後継たちに教室を構えている。

 良く考えたら、学生の身分で、既に会社を構えている人もいますし、

 世の中の実相を見渡すと、本格的に、個人のアイデンティティーが「分化」していき、一人の人材が職種の異なる分野に跨って、ほどほどに稼いでいくという時代に入るのではないでしょうか?

 何を言っているのか、自分でも分からなくなって来ましたが、

 ごく普通に考えて、「内職」もできるし、「一円起業」もできる昨今に、ニートもネオニートもないような気がするんですがねえ。

「学生ではない未婚の無職」にしたって、コレは同じで、彼等だって、内職はしている筈で、

 内職をしている以上は、単に、「組織に帰属していない」というだけであり、「無職」という表現は適切ではないと思います。

 本当の「無職」は、一切働く必要もなく悠々と暮らしていける金満家くらいなものでしょう。

 皆さんはいかがお考えですか?

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Posted by 評論家 at 03:00 | この記事のURL
2013年02月21日
「賞賛」が機能するメカニズム(^0^)
 某掲示板で、鶏ガラ野郎に散々、罵倒されていれば自然に分かって来ることなのだが、

 人間は、自分が不利益を被ることは、絶対に称賛しない。

 これは、芸術作品の批評にしろ、人物の風評にしろ、対象が何であれ、通底している事であり、

 オリンピックの競技種目から、柔道やレスリング、テコンドーを除外するかどうか論議する際にも、責任者の側には必ずと言って良いほど、この計算が頭の中に入っている。

 学校でいじめがあった場合にも、自殺した生徒がいるにも関わらず、学校側は、遺族からの賠償請求から逃れる為に、いじめはなかった事とする。

 それがあったことを認めてしまえば、自分たちが不利益を被るからである。

 逆に、

 自分たちが利益を被る立場なら、その対象は、幾らでも賞賛される筈だ。

 これは、私が明らかにした三価値、情報価値、利的価値(利益価値)、性的価値、の観点からしても、明らかな事である。

 対象との関わり方で、

 その対象を賞賛することで、自分たちの懐が潤うなら、

 彼等は幾らでも、その対象を賞賛するのだ。


 初日映画の舞台挨拶などで、新人女優が競演の男優を「どんな仕草も、本当に格好良くて」、等々、観客の前で褒めまくるのも、最初から、そうすることで彼女たちの懐に入って来る利益が計算に入っているのである。

 数年前のポプラ社小説大賞だって、水嶋ヒロの作品それ自体は、小説としての体裁が整うように様々な配慮がされていたのだろうが、

 その背景には、彼のような有名タレントがこの賞を受賞すれば、自分たちは甘い汁を吸うことが出来ると画策した、老獪な玄人たちの計算が働いていたのではないか?

 まぁ、これは、綿矢りさも同じだが。

 恋愛にしたって、意中の異性の前で、本人の恋敵を称賛する人というのは皆無だろうし、もし、そんな人がいるとしたら、単なる愚か者だろう。

 多くの人の視線が集まる中で、ある人が最も苦手とすることをわざとやらせようとするタイプの人間がいる。

 この人間の目的は、その相手が衆人の前で恥を掻き、皆の前で立場を損なうことで、本人の階層(ヒエラルキー)を上げたいと目論んでいるのだ。

 香取勇進が、私に対し、企んだのは、まさにコレである。

 この友人が私に対し、企んだのは、

 叩けば、儲かる(得する)! という真理によるもので、卑近な例を挙げれば、

 少し前の塩谷瞬の二重婚騒動だとか、数年前の酒井法子の薬物依存・逮捕騒動の報道を思い出してみれば良い。

 こうした騒動自体も、根底にあるのは、「賞賛」が機能するメカニズムと同じで、

 叩いて儲かる(得する)なら、徹底的に叩く!

 とする利益追求型のマスコミ側の極端な反応である。

 鶏ガラ野郎の立場は、ネット上で、私を叩けば、

 ボロ儲け出来る地位にいたのかも知れない。


 少し次元は異なるが、アメリカでもこれは同じで、エミネムが「Stan」などのシングルを矢継ぎ早にヒットさせていた時、多くの音楽評論家や社会評論家が新聞やコラムを売る為に、彼を批判する記事を書いた。

 確か、1960〜70年代に、レイ・チャールズがゴスペルをリズム・アンド・ブルースに編曲して、全米でヒットを飛ばしていた際にも、同じような騒動が持ち上がっていたと思う(勿論、この楽曲は、今ではリズム・アンド・ブルースの定番中の定番となっている)。

 つまり、叩いて、お金になる場合は、人間は徹底的に、その相手をダメ出しするのだ。

 鶏ガラ野郎にしろ、香取くん(アンダーソン?)にしろ、彼等が私に求めたのは、

 彼等の損な役回りを私が引き受けることだったのだろう。

 つまり、私が自らの目的(我が儘)を追求することに関しては、彼等はきっと反対だったのだ。

 しかし、私は、人生の脇役ではない。主人公である。

 だからこそ、私小説を書き、会社を経営するのだ。

 自分にとって損になることが、

 社会にとっては、大きな利益になるのだ!

 としても、自分が不利益を被るならば、

 私はそんな対象は、高く評価しない。


 これは、当たり前の事だ。

 何を言われようと、私の意志は変わらない。

 仮に、自分たちの利害の立場を超えて、

 愛せる対象が存在したり、賞賛できる対象があるとすれば、

 その人はきっと、偉大な人なんだろうなぁ。


 後でまた書きます。

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Posted by 評論家 at 12:26 | この記事のURL
2013年02月07日
「他人の生活」を欲しいと思ったことはあるか?
 果たして、自分が望んでいるモノを手に入れる為の生活とは何か?

 このブログの読者は、有名人のブログを閲覧したり、友人や知人のフェイスブックを覗いたりした時に、

「他人の生活」を欲しいと思ったことがあるのか?

 今年の直木賞では、平成生まれの早稲田大学卒業生が、男性最年少で受賞に選ばれたが、

 文学賞が欲しい若者がたくさんいたとしても、

 彼と同じ生活をしてみたいと思う人は、ごく僅かなのではないだろうか?

 私は、その受賞者の作品を全く読んでいないので、書かれてあることを推し量ることは出来ないのだが、

 例えば、就職活動期間中の大学生が、フェイスブックで、自分たちの自意識について書き込んでいる、その生の日常が写実的に作品の中に描かれていたとして、

 私は既に、彼等の世代を通り過ぎてしまった年齢になりつつあるし、

 フェイスブックなんか面倒臭いだけで、絶対に登録しようとは思わない。

 ツイッターも最初は、絶対に登録しないつもりでいたのだが、

 名前を聞いたことのあるプロの批評家や知識人が多数、アカウントを所有していた為、

 彼等の公式の発言を読んでみたいばっかりに、遅ればせながら、登録したという経緯がある。

 私は、石原慎太郎の著書を十冊以上、所有しているが、

 彼の本を読んだからといって、自分もヨットが欲しいとか、海に行きたいとは思わない。

 同じように、知人のフェイスブックに、スキーやスノボの記事が掲載されていても、

 私は、そんなことで自分の欲望を触発されたりはしない。

 テレビでも、有名人の食べ歩きをグルメ番組として特集していることは多いが、あんなものを観て、

 自分も同じ店で食事したいと思ったことは、私の場合は、一度もない。

 それでは、当の私が、「他人の生活」を手に入れたいと思った瞬間があるなら、それは一体、どんな時か?

 今、そんなものはない。

 既に就職している世間の男たちの中には、自分の年収が他と比べて、少ないのではないか? と、気にしている輩も多いらしいが、

 果たして、年収が低いからといって、何なのだろう?

 自分が満足して食べていけるだけの収入があれば(私にとっては、自分の趣味を満喫できるだけの収入があれば)、それ以外に何の不足があるだろうか?

 年収が低いのではないか? と、思い悩んでいる男たちの多くは、きっと、結婚し、家庭を持つことを人生の視野に入れているに違いない。

 しかし、それなら、彼等の年収とは、自分の女房と子供を満足させるための分け前として、機能するだろうことを自ら認めているようなものだ。

 私は、元々グルメに関心がないので、女房や子供を美味しい店に連れて行きたいとも思わないし、車で、家族をどこかのテーマパークまで連れ出して、レジャーを楽しもうという気分にもなれない。

 そんなものは所詮、他人の欲望でしかないから、結婚に対する関心も湧かない。

 結婚し、子供を育てようという意志がなければ、男の収入とは、自分を満足させるためのモノとしてしか機能しない。

 それさえ分かっていれば、無職の身であっても、自分の収入が低いことに頭を悩ませる男の数は、グンと少なくなる筈だ。

 機会があれば、また書きます。

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Posted by 評論家 at 16:05 | この記事のURL
2013年02月06日
その「やり方」で、本当に効果はあるか?
 中学時代、私はどちらかというと、余り優秀な方ではなかった。

 勉強の計画ばかり立てて、いつも、その計画通りには勉強が進まないというタイプの子供だった。

 それでも、中学三年の時に、漢検二級を取得したことは今でも誇りにしている事だが、

 高校に入学してしまえば、精神疾患に罹病したせいもあって、

 やはり、同じ偏差値の同級生たちとは何となく反目するようなところがあり、

 学力が平凡であるばかりでなく、人間関係においても、悲惨なまま終わってしまった面がある。

 私が優秀になれなかったのは、偏に、才能の有無によるものではない。

 その「やり方」で、本当に効果があるのかどうか、

 徹底的に吟味しなかったせいである。


 これは、企業に就職しても、きっと同じことが言えるだろう。

 高校時代の私は、毎朝、コンビニパンとペットボトルのコーヒーで、朝食を済ませていた。

 これは、いつもの習慣だったわけだが、

 私の場合、食べ物に関しては、「大好物しか口にしない」という習癖がある。

 お菓子は絶対に口にしないし、ファーストフードで食事を済ませるという事は絶対にないが、

 資質的には、偏食しやすい体質なのである。

「大好物しか口にしない」という習癖は、

 仕事や趣味に換言すれば、「自分の好きな事しかしない」という信条と相通じるものがある。

「自分の好きな事しかしない」。

 しかし、この信条には、見落としがちな欠点がある。

 それは、本人が、その対象や方法を追究したり、愛したりする余り、

 その「やり方」で、本当に効果があるのかどうかは、

 案外、見過ごされやすいという事実である。


 自分の好きな「やり方」に逃げるという事は、

「逃げ」の場を確保する、

 ということでもある。

 私が毎日の習慣で、コンビニパンを頬張っていたのを非難した、ある友人は、

 私がいつも、「逃げ」の場を確保していることを勿体ない、

 と思っていたのかも知れない。

 世間の風潮について考えてみよう。

 最近は、有名なアイドルや芸能人が何か一つでも変わったことをすれば、

 忽ち、世間の注目が一極に集中するように、社会のシステムが出来上がってしまっている。

 世の中の最新の流行とかセンスといわれるものは、

 芸能界(ショービズ界)が先導している、


 とすら思われる節がある。

 それまで、経済効果がなかったことでも、

 有名なタレントや芸能人が一押しすれば、

 時間を要せずに、多大な利益を得ることが出来る。


 これは、

 現代における「費用」対「効果」の、

「80対20の法則」として機能している面がある。


 時間がないので、後でまた書きます。

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Posted by 評論家 at 17:42 | この記事のURL

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