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プロフィール

評論家
36歳・独身、親元実家暮らし、第一子で長男、現住所は東京都内。 35歳の時に痛感したのは、自分の宿業(カルマ)=宿命というテーマ。 私は既に以前までの生き方や生活を変えているのに、周囲の私に対する印象は変わっていない。 私は既に何人かの女性たちとオフパコしている(中出しも経験済み)のに、周囲には未だに童貞だと勘違いされている。 子供の頃は据え置き型ゲームの熱心なプレイヤーでしたが、それはもう15年以上前に辞めていて、今は自宅に一機もゲーム機を持っていないのに、周りの同世代からは未だにゲーマーだと誤解されている。 また、18歳〜20代前半までは確かにひきこもり系ニートでしたが、今は外で働ているのに、未だにニートではないかと周りは疑っている。 真面目にやっているのに、誤解しかされていない。これが私の宿業(カルマ)=宿命です!\(^w^)/
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2011年10月29日
4色ボールペン情報活用術


 教育界の現場だけではなく、ビジネスセミナー等での講演も多い斉藤孝氏。

 今回は、その斉藤孝氏の「3色ボールペン情報活用術」を紹介します(^^)

 3色ボールペンといっても、黒以外の赤、青、緑を使った、いわゆる4色ボールペン活用術なんですが(−−;

 まず、この本で活用法の基礎を学んで下さい。
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 良く言われることなんですが、

 本を読んでいる時、人間の脳の活動はいつも止まっています(^^)

 それは、活字の本というのはいつも、白い紙の上に黒い文字。

 白と黒の二つの色しか使われていなくて、とりわけ、黒は、人間の思考を停止させてしまう色だからなんですね。

 ですから、書斎にこもって、文献ばかり相手にしている学者は、実は、外で運動している筋肉体質の老人よりもずっと若いうちにボケてしまいます。

 本を開いて、両目で黒の活字ばかり追っているよりは、十本の指を使ってPCをカチカチ打ち鳴らしながら縦横無尽にネットサーフィンしている方が、ピアノの鍵盤を叩くのと全く同じ原理で、人間の脳の老化を防ぐのには遥かに役立つ、とさえいわれています。

 ところが、斉藤孝氏の「3色(4色)ボールペン活用術」はどうでしょう?

 以前に、行間さえ読めない人間が本をどうやって読んでいるんだ? と叩かれましたが、私は、この斉藤孝氏の4色ボールペン活用術を駆使して、古典や百科事典などに挑むことで、四六時中、紙の上に活字で描き出されたパラレルな世界で遊んでいます(^^)

 これを使い始めると、本を読むのに全く飽きません(^^)

 活字を読むことがまるで、中毒のようになることを保証します。

 色の使い分けについては、上記のバナーで本を購入すると、詳細に解説されていますので、気になった方は、早速、アマゾンのサイトで中味チェックをしてみて下さい。

 ちなみに、私が推奨しているのは、十本セットのコレです(^^)
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 仕事をする時も、勉強する時も、生活の必需品となっている文房具ですので、是非、購入をお勧めします(^^)

 4色ボールペン10本入りで3千円台というのは、決して、高い価格ではありません。

 ペンの検索は、アマゾンのサイトでは非常に難しいですから、上記の商品バナーをクリックしての購入をお勧めします(^^)

 私が推奨している商品は、かなり良い品であることを保証します(^^)

 商品表示名でのブラックとか、ホワイトとかは、ボールペンの外装の色を示しているので、この2タイプはどちらにしろ、

 黒、赤、青、緑、の4色のインキが出て来ます。

 アナタの仕事の能率アップや学力向上に、この4色ボールペン情報活用術を是非、お試しあれ!





Posted by 評論家 at 02:37 | この記事のURL
2011年10月29日
『ドストエフスキイの生活』 小林秀雄


 余り紹介したくないんですが、今日は、小林秀雄の評論を紹介します。

ドストエフスキイの生活 (新潮文庫)

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 小林秀雄の『ドストエフスキイの生活』です。

 ドストエフスキイと言えば、若い作家志望者なら一度は憧れる文豪です。

 口にこそ出しませんが、十代の頃に作家になりたいと思った、ほとんど全ての若者はきっと、このドストエフスキイになることを夢見ている筈です(^^)

 青臭いと批評するオヤジ世代もいるかもしれませんが(汗)

 しかし、その願望を他人の前で口にすれば、同じ文学志望者や違う分野の仲間たちからは中傷されますから、

 作家を目指していることは口にしても、ドストエフスキイになることだけは黙って、口を閉ざしている筈なんですね(どうせ、面白くもない人生なんだから、一人でそう考えていたって、世の中に害はない筈です。可哀想なんて思わないで下さい)。

 人に依っては、ノーベル文学賞なんていらないから、ドストエフスキイやポスト村上春樹のような地位が、文学的成功として手に入れば良い、などと思っている方もかなりの数、いると思います。

 日本の作家志望者のほとんどは、ポスト春樹を目指しているわけですから(^^)

 ユリウス・カエサルの記事でも書きましたが、ドストエフスキイと言えば、その文学的成功とは裏腹な実生活上の破綻です。

 小林秀雄は、この偉大な老人の生活を「計算された無秩序」と括っています。

 賭博癖、浪費癖、途方もない借金、元祖ひきこもりでありながら、生活破綻者スレスレです。

 ルーレット必勝法を編み出すことに執心し、過度のギャンブル依存症により、その都度、大きな借金を拵えます。

 まあ、しかし、こうした濫費癖は、ドストエフスキイ以前のプーシキンにしろ、ゴーゴリにしろ、決して珍しくはなく、却って、伝統的といっても良いくらいなのですが(−−;

 冒頭の章だけ難解な論述ですが、それ以降の章は比較的、平易に読むことができます。

 文豪のルーレット依存症は、今でいうと、スロットやゲームにハマるオタクの若者とそれほど変わらないのでしょうか? (?‐?)

 初心者の方にも楽しく読める筈ですので、騙されたと思って、購入してみることをお勧めします(^^)

死靈 1945〜95 (埴谷雄高全集)

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 日本の文壇において、真に、ドストエフスキイの模倣者ともいえる、埴谷雄高の『死霊』です。

 意図が難解だとか、文が読みにくいとか、書いてあることが分からないという前に、兎に角、まず、読んでみて下さい。

 満月の夜に、西洋墓地の周辺を亡霊が彷徨っているような暗黒的神秘を味わうことができます(^^)

 私は元々、西欧のゴチック小説とかも原書や未訳の書まで入手しているくらいですから、こういうホラーチックな純文学小説は、好きで好きで堪らないわけです。

 難しいと敬遠されている方もおりますでしょうが、きちんと読んでみれば、冒頭からホラー小説です(^^)

 全一冊にまとめてあるので一万円くらいしますが、買って損はないです(^^)

小林秀雄全作品〈20〉ゴッホの手紙

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 小林秀雄による『ゴッホの手紙』です。

 日本で最も信頼に値する、有名画家ゴッホに関する本格評伝です。

 意外なことなんですが、ゴッホが西洋絵画の修業を始めたのは、27歳からなんですね。

 それまでの五年間、修道士として遍歴する他は、これといった経済活動もせず、仕事もしないまま、のらりくらりとしているわけです。

 彼は、25歳の時に「僕はきっと、後十年も生きられない」と未来を予言していて、その予想の通り、36歳でピストル自殺してしまいます(^^)

 27歳から始まった彼の絵画修業は、僅か10年に満たない筈です。

 今でいうと、元祖ニートというべきなんでしょうか?

 生前はほとんど絵も売れなかったため、亡くなった当初は、単なる落伍者としか見做されていなかったのは有名な話ですよね。

 ちなみに、坂本龍馬が土佐勤王党に参加するのも27歳で、27歳という年齢から自分にとって新しいことを始める方も多いそうです。

 ヘルマン・ヘッセやヘミングウェイの場合は、27歳で処女作を成功させ、華々しい作家デビューを飾りましたが(汗)

 関係ないですが、エミネムが音楽業界で本格的にヒットしたのも、27歳でしたね(笑)

 27歳で既に結果を出す人もいれば、27歳から新しいことを始める人もいる。

 歴史に名を残した人の道も、人それぞれですね。






Posted by 評論家 at 02:37 | この記事のURL
2011年10月29日
大学の教育方針とはなんだ?








 当時の私の心は今よりも狭かったと思う。

 何せ、大学への入学当初、既に、純文学さえやれば良い、古典文学さえ押さえておけば良い、というのが私の考えだったから、

 講義やガイダンスを受講する度に、教授たちのその左翼的な思想や常識的な考えが鼻についた。

 私はある意味、苦悶を抱えていた高校時代、ガンジーの非暴力主義を奉じる一方で、それとは全く対極にある、中西輝政の『国まさに滅びんとす』を読んでいて、右翼的な論調にも正当性があるとして、一目置いていた。

 つまり、表面的には、非暴力主義を掲げてはいても、高校時代の時点から、教師たちが奉じる戦後民主主義教育とやらに対しては、それを全否定する考えの持ち主だったのだ。

 強者の非暴力 > 弱者の非暴力

 の論理は既に解説した通りだが、私は、ガンジー主義は肯定しても、戦後日本の日和見的な平和主義や民主主義教育に対しては、否定的な考えだった。

 まあ、当時の風潮が確かに、そうした方向へ傾き始めた時期ではあったが。

 教師たちの態度や、同じ学校の同級生たちには、どこか根底的に、僕たちは「戦後民主主義」の世界に生きている、という雰囲気があって、

 まさか高校を卒業した後も、大学がこのような教育方針に則って、運営されているとは知らなかったから、

 私はその時点で、大学は一旦、辞めようと思ったのだ(念のためですが、その大学とは、創価学会の教育機関とは違います)。

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 この記事は後で、修正するかも知れません(−−。









Posted by 評論家 at 02:36 | この記事のURL
2011年10月29日
自分の世界って、なんだ?




 それほど重労働ではないが、私は一時期、肉体労働のようなこともしていて、

 その時は19歳の時とは既に全く違っていたので、

 特に同僚からも文句を言われず、上司からの評価も好意的だった。

 私の書き込みを読んでいたある人は、

 この人、仕事をしたことがあるのか? とか、

 社会に出てから、いじめられるようになったのかも知れない、などと判断したが、

 この時は既に、信心も長くしているし、肉体も鍛えているので、そんなことは既に解決済みだった。

 現実に、仕事の方が巧くいって来ると、私の頭の中は、常に過去を追憶するようになった。

 それは今の仕事のように順調に進行している筈のものではなくて、

 あの時、どうしても巧くいかなかった高校時代の生活だった。

 百枚小説『黒水晶』は、その巧くいかなかった時の経験を作品にアレンジしたものだった。

 今のところ、全てが巧くいっている私にとって、あの時の苦痛や感情は貴重なものだった。

 高校生活を送っている間、私が既に頭の中に抱えている事柄や考えは、

 誰にも認められないという苦悶を味わった。

 私が通っていたのは都立の高校で、創価学会の教育機関ではなかった。

 高校に入学した当初、私は本当に時間がなくて、

 友達とコミュニケーションしている暇もなく、休み時間の間も勉強をこなしたり、普段は読めない本を読んだりする必要があった。

 馴染めないのではなく、私の方から進んで馴染もうとはしなかったのだ。

 こういうことをしていると、次第に、周囲からもその存在を煙たがられるようになってきて、

「あいつは、俺たちを無視して、一体、何をしているんだ〜?」

 という話になって来る。

 しかし、高校時代の私が価値を置いていたのは、友達に馴染むことではなくて、自分の優先事項をこなすことだった。

 結果として、三年生の終わり頃にはほとんど勉強していなかったのに(予備校は二年次で辞めていた)、現役で大学に合格し(これも、創価学会の教育機関ではない)、

 その後、大学の教育方針とは相容れず、世間に対する反感や悪意を抱えたまま、一年もしないうちに退学してしまった。

 私の発心はその後から始まるのだが、それから何年か後に、作家になれないまま、実際に仕事を経験するようになった。

 つづく。
















Posted by 評論家 at 02:36 | この記事のURL
2011年10月29日
対話とはなんだ?
 自分の考えが肯定される世界で生きていきたい、と思うのは、

 凡俗な人間であれば、誰しも願うことだろう。

 きっと、天才でさえそうかもしれない。

 自分の考えが肯定される世界で生きることが、

 本当の自由だ!


 自分の考えを否定する人間とは付き合いたくない。

 何故なら、自分とは反対意見の持ち主は、自らの行く手を阻む可能性があるからだ。

 自分の行く手が第三者によって塞がれたり、阻まれたりすることに、私は異様な嫌悪感を持つ人間だ。

 私は、私の考えのままに、私自身が正しいと思う事柄に身を修めたい。

 その道のままに突き進む場合、当然のことながら、

 私とは違うことを視野に入れている友人の存在ですら、場合によっては邪魔になる。

 ある友人の考えは、私の考えとは違う。

 人生で大切にしているものも多分、違う。

 しかし、それは生き方や考え方の相違として、対等な立場で互いに認め合えば済む話である。

 ところが、自分の考えを否定する世界で、自分の行く道を阻もうとする友人がいた場合、

 私は、彼の存在を邪険に思う余り、ある事をきっかけに前後の見境も付かずに殺してしまうかも知れない。

 自分の考えを否定する世界で、自分の行く手を阻む人間だけは嫌だ。

 私には、かつて、そういう友人がいた。

 そして、その友人は現に今、何をしているか?

 出会い系業者として、A8のサイトを荒らし回っているのである。

 その顔写真は、前回の記事で既に貼ってあります(^^)

 しかし、こう考えると、余りにモノローグの世界に生きている私は、

 結局、対話に成功しなかった人間なのだろうか?

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 主義も信条も全く異なる、世界で最も優秀な超一流の知性と、

 対等な立場で、

 七色の虹の橋を架けるような対話を結ぶには一体、どうすれば良いのだろう?

 名誉会長は単に、該博な知識や意見で対話しているのではなく、

 きっと、相手の生命と対話しているのでしょう。

 言葉にまみれた生命としてではなく、

 一個の生命同士のやり取りとして、地球上の全ての知性を結びつけるのが、池田博士の役割だったのだと思います(^^)

 私はまず、表面的な言葉のやり取りに終始せず、相手の「生命」と対話することを学ぶ必要があるのかも知れません(^^;

Posted by 評論家 at 02:36 | この記事のURL
2011年10月29日
天文学的な数字の借金

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 バルザック、ドストエフスキイ、アレクサンドル・デュマなどの文豪は言うに及ばず、レンブラントやファン・ゴッホなどの有名画家、30歳以前までは人生の落伍者とすらいえたビスマルクでさえ、世に天才として名を遺した人の負の側面として、まず、真っ先に挙げられるのが、その浪費癖であり、賭博癖であり、本人の死後も支払いを継続された莫大な借金です。

 今回、紹介する古代ローマの英雄、ユリウス・カエサルもまた、若い時には、仕事での名声よりも、まず、借金によって名を馳せた人でした。

 歴史を紐解けば、これはいくらでも出て来る事実で、彼等は、大きな仕事で名声を得る前に、まず、莫大な借金を抱えていることが多いわけです(^^)

 当然ですが、借金が多いから、英雄になれるわけではありません。

 歴史に名前を残さなかったのに、後には借金だけが残ったというような人だって昔はかなりいた筈です。

 ですが、色々な種類の評伝を読んでみると、不思議なことに、英雄や偉人の生涯には、生前の借金が憑き物のように彼等を苦しめているわけです。

 戦略に長けたローマの独裁者としてだけではなく、『ガリア戦記』『内乱記』の著者として、文筆家の才能も示したカエサルですが、

 まだ、その才能を充分に発揮していない30代前半の頃は、万や億や兆の単位でも測ることのできない、天文学的な数字の借金を抱えていたようです。

 天文学的な数字の借金。

 万や億や兆の単位ではないわけです。この言葉の意味を考えてみましょう。

 出費のその中味はというと、

 書物、衣服、友人との付き合い

 主に、この三種類だったらしいです(^^)

 本も、衣服も、

 全て、自分を高めるための借金だったわけです(笑)

 当時の本は巻物ですし、16世紀のグーデンベルグの出版革命よりも1500年以上前ですから、活版印刷も普及していません。

 それに、衣服もお洒落をすると、べら棒に高い値段なわけですから、まあ、カエサルほどの欲がある人なら、これほどの出費は仕方ないわけですね。

 論理的に説明するつもりはありませんが、カエサルやバルザックほどの英雄や偉人ではなくても、借金できる人はやはり凄いなぁ、と思うわけです。

 私のように、活字の本や白黒映画のDVDにばかりお金を遣っている人は珍しいのかも知れませんが、例え、その借金の原因が、競馬やスロットなどのギャンブルだったり、インターネットのゲームなどでアイテムを購入することだったりしても、これは、価値あることなんじゃないか、と考えるわけです(私は絶対、そんなことには使いませんが)。

 19世紀パリ・イマジネールなどの鹿嶋茂の著作に目を通した方なら、この辺りの考えは共鳴して頂ける筈です。

 このテーマに関しては、後ほど詳述しましょう(^^)

Posted by 評論家 at 02:35 | この記事のURL
2011年10月29日
借金は、お金があるからできる!
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20111106-00000007-pseven-int

 一週間ほど前に、大王製紙で107億円の不正な借り入れが発覚しましたが、

 107億円!

 いやぁ、コレは見上げるような大金ですねぇ!

 サラリーマンが一生に稼ぐ額が2億円だとして、

 カジノに使った借金が107億円とは、驚嘆に値する額です。

 私の場合は、数ヶ月前に経理を半分任されたので、2〜3ヶ月かけて、全額支払えるほどの借金しか背負ったことがないですが、

 認証が得られれば、銀行もお金を貸してくれますから、借金は元々、お金があるからこそ、できる、という側面があるわけです。

 私はせいぜい、数十万円の買い物で、借金はもう懲り懲りだ、と強く思うようになったので、

 今月はクレジットの枠もまだ埋まっていないわけです。

 ハッキリ言って、借金できる奴というのは凄いです! 天才です!

 それに羨ましい!

 私自身、歴史上の英雄や天才に憧れて、自分の身の丈に合わない借金をしてやろうと意気込んでいたくらいなのですが、

 勢いに任せて、買いたいものをボンボン買ってしまうと、そのうち欲しいものは全部手に入れてしまって、さすがに、これ以上、買いたいモノなんか一つもなくなってしまうわけですね。

 こんなもの別に買わなくて良いじゃないか〜、と、思うようになるわけです。

衝動買い日記 (中公文庫)

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 バルザックに匹敵する借金王といえば、御存知、フランス文学の雄、鹿島茂御大ですが、

 私のブログのタイトル「オタクの穴」、「衝動買い日記」は、鹿島茂氏の著書から捩っています(^^)

 鹿島茂氏へのインタビュー、「オタクの穴」はこちらの巻末に掲載されています。
    ↓    ↓    ↓    ↓

歴史の風 書物の帆 (小学館文庫)

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 ついでにコレも!
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 鹿島茂氏の仕事量は評論家としては膨大過ぎるくらいで、まさに、天才という称号に相応しい方だと思います。

 私は、一人のファンとして、「この人、普通に村上春樹よりもずっと偉大な人なんじゃないか?」と考えているくらいで、

 「文學界」誌上に連載中の『モンフォーコンの鼠』を皮切りに、今後、ずっと連作が続けば、軽〜く、春樹を追い抜いて、先にノーベル文学賞を受賞してしまうのでは? という妄想を逞しくしているわけです(^^)

 著書を拝読すると、

 鹿島氏は、クレジットカードを十枚も二十枚も財布の中に持っていて、

 とても一つの財布に全てのカードが収まりきらない位の借金があるそうなんですが、

 いやぁ、コレはまさに、若輩の私が天を仰いでもきっと超えられないくらい、

 嫌になるほど、天才なんでしょうね。

 私はお金があっても、借金できるほど広い視野や器量を具えた人間ではないですし、

 これ以上、欲しいものなんて、一つもないので、

 大王製紙の借金王子や鹿島茂氏のような英雄は、一生、超えられないんだなぁ〜、と、つくづく現実を悟った次第です(^ー^;

 所詮、世の中のスキャンダルになるような大きな失敗も、元々、生きている世界のスケールが桁違いに大きいからこそ、大事件にもニュースにもなるわけです。

 逆に言えば、生きているスケールが大きくなければ、大きな失敗だって、出来ないわけですね。

 小さなスケールの人間には、せいぜい小さな失敗しかできない。

 大きな失敗すらできない立場にいる私は、やはり、天才でも英雄でもなく、唯の凡俗の徒に過ぎないようです(笑)

 コレはもう、ハッキリと認めましょう(笑)

 いやぁ、俺も生きているうちに、借金できる英雄になりたかったなぁ〜!

 \(^0^)/

Posted by 評論家 at 02:35 | この記事のURL
2011年10月29日
団塊世代への憧れ 2
 それでは中学に入る前のお前は一体、何を読んでいたんだ〜?

 これまでの私の書き込みを読んでいて、強くそう感じた方はかなりいらっしゃるのでは?

 この記事だけは恥を晒すつもりでアップしようと思うのですが、

テロリストのパラソル (講談社文庫)

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ひまわりの祝祭 (講談社文庫)

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 小学校高学年の時に、同じクラスの女子たちがSPEEDの曲やら、Globeの曲やらで騒いでいましたが、私は唯一人、その軽薄な流行とやらに対抗意識を燃やして、上にリンクを貼ったオジサン向けのミステリーを読んでいたわけです。

 藤原伊織の『テロリストのパラソル』、『ひまわりの祝祭』です。

 自分なりに楽しんで読んでいましたが、昔、これを読んでいた私は、あの時も今も、世間に無視される、センスのない若者なわけですね。

 何せ、子供の時分に読んでいるわけですから、良いものと悪いものの区別もつかないわけです。

 高校に入学した時に、福田和也氏の『作家の値うち』を手に取り、酷い採点をされていたので、

 ああ、こういうのは余り、読んではいけないんだなぁ、と気付いたのですが、

『テロリストのパラソル』は、発表当初、江戸川乱歩賞受賞作でありながら、直木賞もダブル受賞するという快挙を成し遂げた作品なので、これは、ミステリ界における大事件だったわけです。

 この藤原伊織という著者は、元々は、純文学でデビューした書き手なので、こういう著書もあります。
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ダックスフントのワープ (文春文庫)

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 福田和也氏は、この著者に対して、相当、厳しい評価を下しているわけですが、私は子供の時分、こういう本をとても面白く読んでいました。

 高校に入る前は、小説に世界水準の視野を持ち込む考えなど、全くなかったわけですから、

 文学は衰退して、テレビドラマや映画は二流、やがて、その後には、コンピュータゲームやビデオゲームこそが文化の主流と呼ばれる日が来る、

 などと、当たり前のように考えていたわけです(^^)

 これは、高校を入学してから思考を試みた「前時代優越主義」とは、全く対極にある考え方なわけですね。

 福田和也氏の『作家の値うち』を手に取るまでは、本は読んでいても、世界水準の古典を自分から進んで読もうとするような若者ではなかったわけです。

 そう考えると、やはり、思春期の影響というのは大きくて、あの時の私の存在は確かに小さかったけれど、大きな思考の転換点にいたわけです。

 ただ、団塊世代への憧れ、全共闘世代へのシンパシーというのは、この藤原伊織の著作に目を通した時から延々と、私の人生を形成するのに役立っていて、その点に関しては、福田和也氏のような辛口批評家から、

「全共闘世代の妄想がテンコ盛り」

 などと、どれほど扱き下ろされようと、全く変わりません。

 鵜の目、鷹の目で、私の秘密を暴こうと狙っている人たちは、

 私のこういう恥晒しな一面を敢えて、アップして欲しかったのでしょうか〜?

 まあ、こういう本を思春期以前から読むことを積み重ねて、

 やがて成長すると、石原慎太郎氏のハードボイルド作品や北野武氏のマフィア映画に、限りなく傾斜していくわけですね(^ー^;

 それに傾斜する以前は、子供の時分から、新聞の時評などを参考にして、こういう本を読んできた過去があるわけです(^ー^;

Posted by 評論家 at 02:34 | この記事のURL
2011年10月29日
団塊世代への憧れ 1




 自分のテンションで物事を考え続けられるかどうか?

 という問題は、私にとって重要な意味合いを持っている。

 私は、常に、相手の考えではなく、自分のテンションによって、物事を運んだり、思考を続けていきたい。

 そうするためには、友達の横槍というのは非常に厄介な代物で、

 このブログもコメントやトラックバックが一切禁止になっている事実からも分かる通り、

 私は常に、自分の価値観によって、創造的な思考を進化させていきたい。

 他人の横槍は本気で邪魔だとしか思わない。

 私はサッカーや野球などのスポーツに憧れたことが一度もなくて、

 ボクシングやK‐1の試合なら観たことがあるけれど、

 友達がボールを蹴ったり、リフティングしたりするのを見ても、

「あんなもののどこが格好良いんだ〜?」と、子供の頃から、妙に冷めていたような気がする。

『カンバセーション・ピース』という最高傑作の中で(今は、絶版か?)、

 保坂和志氏が西武ドームの野球観戦の模様を実況で描写するシーンがあって、

 このシーンを読んでいる時だけは、さすがに私でも、「へえ〜、野球ってこんなに面白いんだ〜」と夢中になったのは憶えている。

 他には、マリナーズのイチローとか、大リーグの松井とか、数年前のワールドベースボールクラシックで日本は優勝に輝いた、とか、世界の情報としての野球のニュースには、まあまあ興味がある程度で、しかし、それ以上の関心はない。

 10代の頃から、ビジネスマン向けの成功文献や推理小説を読んでいた過去からも察せられる通り、

 中学高校時代から、私が頭の中に思い描いていたのは、中年のオヤジが会議に出席しつつ、電車の待ち時間に本を読んでいる、という大人のイメージで、確かにこの像には、サッカーに興じる少年に対する羨望よりも強いものがあった。

 今まで本を読んで来た若者よりも、これまではそんな本を読んでいなかったのに急に読書の楽しさを知った、

 というタイプの若者が好きだ、と保坂氏も、高橋源一郎氏も対談で語っていたのを思い出すが、

 これは、私が文章添削を受けた学校でレジュメを書いている渡辺直己氏もそうなのではないか、と思う。

 おそらく、若い頃からの中年男性に対する羨望には何かおかしなものが混じっていると、私自身、気付いていたからこそ、

 意識的に、石原慎太郎氏(当時の若者小説)、保坂和志氏、村上春樹氏の作品を摂取したのだと考えることもできる。

 彼等の作品を読むことは、明らかに、これまでの自分には足りないものを埋める行為だった。

 コレは、事実を回想しているので間違いない。

 取り敢えず、ここまでの思考を記事にアップしておきましょう(^^)

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Posted by 評論家 at 02:34 | この記事のURL
2011年10月29日
ドストエフスキイ 『地下室の手記』








 鶏ガラ野郎が私を否定している意図を一言に要約すると、こうなるだろう。

「厳然たる事実として、アナタは人間を人間たらしめている高次機能が、一般的な人間よりも明らかに劣っている。(だから、アナタは天才になれない)」

 要するに、彼が言いたかったことは、この一言に尽きるわけだ。

 私が発達障害かも知れないという指摘は、この一言を論理づけるための便宜的なものでしかなくて、本当に彼が言いたかったことは、この一つの事実に集約される。

 頭が壊れているとか、知性が未発達とか、それを現代の医学で解明できるかということはさて置き、まず、彼が指摘したかったのは、この事実なのだ。

 そこで今回は、彼のこの意図に賛同を示して、この商品を紹介します。
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 何も、自分が、ドストエフスキイが描いた人物に酷似していることを示そうとしているわけではありません。

 私じゃなくても、ドストエフスキイが作品の中に描いた人物は、この日本においても、現実に行き、外を歩いているからです(^^)

「厳然たる事実として、アナタは人間を人間たらしめている高次機能が、一般的な人間よりも明らかに劣っている」

 何も、鶏ガラ野郎に指摘されなくても、私は既にこの現実には気付いているわけです(^^)

 漫画も読まず、ゲームもせず、家の中ではただ、ひたすらに活字の本を読みまくるという前時代優越主義なる生活を考案したのは、そのような重大な欠陥を持った自分でも今後、生きやすくするための対症療法に過ぎません。

 漫画やゲームがある方が、生きにくいわけですね。

 逃避の手段として、活字の本を手に取ることは少なくなるわけですから(笑)

 それに、私個人が、天才をどう捉えるか、その観点も問題です。

 私は、鶏ガラ野郎とは違う意見の持ち主で、

「厳然たる事実として、アナタは人間を人間たらしめている高次機能が、一般的な人間よりも明らかに劣っている。だから、天才にはなれない」ではなくて、

「厳然たる事実として、アナタは人間を人間たらしめている高次機能が、一般的な人間よりも明らかに劣っている。だから(まともな人間にはなれなくても)、天才にはなれる」という考えなわけです(笑)

 仮に、私が昭和医大で診察を受け、『大人の発達障害』という診断を下されなくても、彼は、私には、別の問題があると判断することでしょう。

 現代の医学では解析不能な原因不明の病に陥っていると診断するかも知れません。

 しかし、その診断とやらも所詮は、便宜的なもので、彼が本当に私に言いたかったことは、

「厳然たる事実として、アナタは人間を人間たらしめている高次機能が、一般的な人間よりも明らかに劣っている」

 この一言に要約されるわけです。

 結果として、だから、人は天才になるのか、あるいは、天才になれないままなのか、論理の筋道は、ここで一旦、意見が別れるのではないでしょうか?

 ちなみに、誰を天才に選ぶか? という問題も、人に依って意見が別れることがありますが、

 近年、没して話題になったスティーブ・ジョブス氏や歌手のマイケル・ジャクソンなどは、客観的には、歴史の上に名前を残す存在らしいけれど、

 私個人としては、別に尊敬もしなければ、自分が想定する「天才」のイメージからも遥かに外れているわけです。

 私が尊敬する天才は、日本でいうと、日蓮その人だったり、軍国主義時代に活躍した日蓮系の思想の持ち主だったり、あるいは、創価学会の広宣流布の歴史において名前を残した人たち(創価学会の天才は、名誉会長一人ではないわけです)だったりするわけだけれど、

 そのような立場で活躍する有能な人たちを無視する方もいるのでは?

 私は技術系ではないので、スティーブ・ジョブス氏やビル・ゲイツ氏、歌手のマイケル・ジャクソン等々は、確かに世間では一般的に評価されている才能らしいけれど、個人的には、自分が想定する「天才」とは少しイメージが違うな、程度にしか思わないです(^^)

 まあ、重要な論旨となるのは次の一点。

「厳然たる事実として、アナタは人間を人間たらしめている高次機能が、一般的な人間よりも明らかに劣っている」

 だから、人は天才になるのか? あるいは、天才になれないままなのか?
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「馬鹿と天才は紙一重」というくらいですから、この点に関しては、だいぶ意見が別れると思います。興味のある方は、この方面から研究されてみると良いと思います(^^)

















Posted by 評論家 at 02:33 | この記事のURL
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