コレです。
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元々、小説の作風が斬新過ぎて、一部の批評家やクリエイターたちにしか評価されていなかった保坂氏は、筆一本で収入を得るために、小説論に手を染めるようになったそうです(^^)
聖書風の表現を用いるとすれば、上記に掲げた三冊こそ、現代文学にとって、知恵の実となることは間違いなしです。
実はこの小説論、保坂氏ご自身の作品よりも、読者の方で手に取った方、かなり多いと思うんですね。
『アウトブリード』や『言葉の外へ』などのエッセイと共に、保坂氏の脈動する思考を伝播する新しい啓蒙書、とでもいうべきでしょうか。
少なくとも、書かれている内容は、村上春樹の思考や作品よりもずっと新しいと思います。
ここに書かれてある言葉は、
もし、21世紀の文学やアートが直線で進むと仮定したら、いかなる思想家、いかなる信条の人であれ、一度は通過しておかなくてはいけない哲学のように思われます。
最終章に割かれる聖アウグスティヌスの神学論解釈は、とてもレベルが高過ぎて、私のような仏教徒には足下にも及ばない考察が展開されていましたが、その章に至るまでの思索の過程を読めば、私のような頭の悪い読者が書かれた内容をどこまで咀嚼できるかは別として、既にして、国境や宗教の枠を超えた思考がここにはあると強く感じました。
同時に、これらのシリーズを通過することによって、私は良い意味で、軽薄な人間になることができたと自負できます(^^)
純文学のファンには神経症的なところがあって、保坂氏の著作にハマった場合は「ホサカ症候群」といって、特有の病にかかるんです。
これは、村上春樹にハマった読者が「ハルキ症候群」に罹病するのと同じで、読者が著者の思考の形跡を後追いしたことによって、読者の人間的な特質にまで影響が及んで来るということなんです。
例えば、上記の三冊に限らず、保坂氏には他の作家には比較しようのない、ほとんど独自の読書体験がありますから(普通の文学者が読まないものを読むように保坂氏本人も心掛けているらしいんですね)、読者は、他の作家にはない、元々、保坂氏にしかないものを求めて、まるで彼の後を追うようにして、そのエッセイの引用文献を図書館から借りて来たり、本屋で注文して自宅にコレクションしたりするんですね。
これは、保坂氏の読者だったら、皆、やっているんじゃないかな?
実際に、保坂氏の著書を愛読するあまり、彼のストーカーになってしまった女性がいたことをかつてご自身で書いていました。
その女ストーカー、保坂氏のエッセイを読んでいるうちに、保坂氏がその中で引用している文献や音楽にまで興味を持つようになり、彼がこれまで読んできた本やCDを彼女も後を追うようにして読んだり、聴いたりしていったらしいのですね。
気持ち悪いと思う方もいるかもしれませんが、「ホサカ症候群」に罹病した者の観点から言うと、コレは無理もないんですね。
何しろ、それら保坂氏が引用している文献や音楽、芸術などには、一度、紹介されてしまうと、不思議に人を惹き寄せてしまうカルト性が秘められていて、しかも、そうしたカルト性には意味があるばかりでなく、既にして、先駆的な内容が含まれているからです。
まさしく、このブログを運営している私も全く同じ症状に罹病していて、保坂和志氏が引用文献として用いている書籍やCDなどで、例え、一万円くらいするような古書や中古品でしか購入できない品があったとしても、アマゾンのマーケットプレイスなどでわざわざお金を出して買うようなこともあったわけです(爆笑)。
この症状を、私は「ホサカ症候群」と命名していて、罹病した患者は、何となく知的で軽薄な気持ちになれる(軽薄な人はもっと軽薄になる)、物凄く、心が身軽になる、良い病だと思っているわけですね。
0(^ー^)0
コレは皮肉ではなくて、本当に良い病で、元々、重い病に罹病していた人は、この病を対症療法にして治せるのではないか? と思っているくらいで、
何となく心が重いんだけど、21世紀をリードしていく先駆的な哲学を先取りしたいという方は、上記の三冊の商品バナーをぜひ、一度、クリックし、アマゾンのページで詳細な情報を得てみて下さい(^^)
購入を考えるのは、そこで思案してからでも遅くはない筈です(笑)