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プロフィール

評論家
36歳・独身、親元実家暮らし、第一子で長男、現住所は東京都内。 35歳の時に痛感したのは、自分の宿業(カルマ)=宿命というテーマ。 私は既に以前までの生き方や生活を変えているのに、周囲の私に対する印象は変わっていない。 私は既に何人かの女性たちとオフパコしている(中出しも経験済み)のに、周囲には未だに童貞だと勘違いされている。 子供の頃は据え置き型ゲームの熱心なプレイヤーでしたが、それはもう15年以上前に辞めていて、今は自宅に一機もゲーム機を持っていないのに、周りの同世代からは未だにゲーマーだと誤解されている。 また、18歳〜20代前半までは確かにひきこもり系ニートでしたが、今は外で働ているのに、未だにニートではないかと周りは疑っている。 真面目にやっているのに、誤解しかされていない。これが私の宿業(カルマ)=宿命です!\(^w^)/
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2011年02月25日
私は、真理の探究者である!(^0^)












 こうして書き綴っていくと、どうしてか、タイプ2の眼には、誰かに相手にしてほしい人間という風に映ってしまいがちなようだが、それは、タイプ2自身が、自分のフィルターを通してしか、相手のことを観察したことがないからだろう。

 私が他人と付き合ったり、関わったりする理由は、何かを知ること、ある特定の分野に関して、新しい知識を得ること、これしかない。

 それが得られない相手との人間関係は、メリットがないとして、すぐに断ち切ってしまうし、利益のない人間関係ほど、つまらないものはないというのが、私の本音だ(^^)

 その人との付き合いが、何も得られない人間関係だと分かったなら、それ以上付き合う必要などないではないか。
 関わるだけ、無益である。

 実際の話、私はこれまで、そうして来た(^^)
 そして、それで困ったことなど、一度もないのだ。

 場合によっては、人と接することなく、一人で、本を読んだり、インターネットをする方が良い場合もあるのでは?

 私が人と関わる目的とは、新しい知識を得ること、真理について知ること、それだけなのだ(^0^)

 全てのタイプ4w5は、真理の探究者であり、真実の道を求める(^0^)

 だが、私を毛嫌いしているタイプ2は、そうではない。
 彼等は、抽象的な思考を極度に嫌う(^0^)

 本能中枢と感情中枢しか使えないタイプ2には、真理を求める姿勢や新しい知識を求める傾向というのが欠如している(笑)

 何故なら、タイプ2には、思考中枢がない。
 思考中枢がないから、彼等が自我について考察したり、
 哲学書を読み耽って思索に没頭したりするという姿を、
 私は、これまで目にしたことがない。

 タイプ2は二重人格だし、多くの場合、真理や哲学といった精神的・哲学的な話題を嫌がる(^^)
 難しい話題や抽象的な思考を嫌う、極度の面倒臭がり屋なのだ(^0^)
 彼等と対話していても、彼等はいつも、自分の知っているごく身近な人について話題にしている。
 物事を普遍的な視野に入れて考察しようとする姿勢は、彼等との人間関係には全く見受けられない(^^)
 大抵の場合、彼等の話は他愛のない世間話、仲間の間でのごく些細な内輪話に終始してしまうのだ。

 だから、タイプ2は、小説はおろか、哲学書を読むのも、面倒臭がる。
 第一、彼等の多くは、本を読むことが良いことだなんて、ちっとも思っていないのだ。
 勉強が好きな奴が身近にいたとしたら、そいつのことを可哀そうだ、くらいにしか思わない。

 彼等は、学ぶ楽しさや真理を究明する尊さを知らない(^0^)

 新しい知識を得て、これまでの常識を覆してやろう! 
 世間の風潮に喧嘩を売り、彼等の通念に風穴を空けてやろう!
 
 というような気迫には著しく欠けているのだ(^^)

 彼等が好み、尊ぶ思想といえば、簡略化された、誰にでも分かる、一般常識的な道徳律とかマナーに限られてしまうのでは?(^^)

 常識に喧嘩を売るような思想、
 マナーに対し、挑発を与えるような考え方や言動に対しては、
 タイプ2は、怒りを覚えるらしい。

 だが、タイプ4w5の私自身は、思想というのは本来、そうしたものではなければなるまいと考える。

 常識に喧嘩を売ったり、それを挑発したりできるようでなければ、それは、本物の思想ではない。

 それが、私の考えだ(^0^)v

 感情中枢と思考中枢でしか行動できないタイプ4は、本能中枢をほとんど使うことができない。

 私が、白黒映画ばかり観ているのは、恐らく、この性格が起因しているのだろう(^^)

 私のウィングは5に傾きがちなので、一人でいる時は、もっぱら本を読むか、インターネットしかしない(^^)

 繰り返すが、私は、真理の探究者である。
 インターネットを使う目的も、知識欲を満たすという一点に限定されている。
 だから、私は、本を読む時も、ネットを使う時も、基本、活字しか追わない。

 典型的な活字オタクなのだ(^^)

 私が自分を天才的と言える所以は、恐らく、この一点に起因している。

 私はそれ以外の情報媒体を極力、自分の生活から排除している(^^)

 このブログを書いているのも、人と接することを求めているのではなく、

 新しい知識を得るため、有益な情報を交換するため、

 そして、思索を重ね、書き続けていくうちに真理に目覚めることを目的としている(^^)

 仏教でいえば、ほとんど小乗仏教的な、二乗(掛け算の二乗のことではなくて、仏教用語の十界論でいう声聞界、縁覚界の悟りの総称)の知識欲や願望を満たしたいのである(^^)

 ところが、そういう私の行動も、タイプ2の視線というフィルターを通すと、どうしてか、誰かに相手にされたがっている人間という風に映ってしまうようなので、

 私の方は、とんでもない、そういう捉え方は間違いだ、今のうちに、レンズの角度を調整し直して、きちんと映るようにしてくれ、と念を押しているのだ(^0^)

 といっても、思考中枢を使うことのできないタイプ2には、知識欲を満たしたり、真理を求めたりするといったタイプ4の心理など、到底、把握し難いだろうが(^^;

























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Posted by 評論家 at 17:49 | この記事のURL
2011年02月24日
実は、何もしたくない♪








 どうして、それをやってはいけないんですか!?

 そんな風に叫び出したくなることも多々あったが、

 ぶっちゃけ本音をいえば、実は、何もしたくない♪









 しょうがないじゃないか♪

 事実として、何もしたくないのだから♪





 小学生の頃に、いつも憧れていたのは、

 いつも、テレビの討論番組で椅子に腰かけたまま、偉そうに喋ってばかりいるオヤジ評論家(^^)

 自分は何もしないで、相手のやることばっかり、偉そうに批評している(^^)

 そういう人間が一番、格好良いじゃんか〜〜♪

 という思いが、何となく、胸の内にあったのかと。





 私自身、小中学生の頃から、同学年に「親父臭い」などと言われるのが、

 何かこうユニークな存在みたいで、非常に嬉しかったし、

 北野武や「あぶない刑事」みたいなワルそうなイケメン親父にも憧れていた(^^)





 実は、何もしたくない。

 それで、何が悪い。

 机の前にでんと座って、偉そうに踏ん反り返りながら、

 権力者ぶって、

 他人のやることをああだ、こうだと、批評している方がよっぽど楽しい(^^)

 あんたの話なんか誰も聞かないよ、と言われても、

 私にはそれしか出来ないから、私はそれをやるだろう(^^)

 評論家、万歳 ♪ \(^0^)/









 どうして、それをやってはいけないんですか〜?

 もう一度、それを問う!

 活字の幻想に浸っているだけなのだから、他人には害がないではないか♪

 自己陶酔や幻想に逃げていて、何が悪い? ♪

 物語創ろうが、新興宗教開こうが、結局、何もしていないことには変わりがない。

 そんなことを批判する必要がどこにあるんだ? ♪

 俺の相手なんてしていないで、あんたは、あんたのやりたいことをやりたまえ! ♪

 あんたは、あんたの信じる道を突き進むが良い! ♪

 僕は、何もしたくない ♪





 嗚呼、何もしない天才に栄光あれ!♪ \(^0^)/

 ようやく、自分の本音がハッキリしたぞ〜〜。

 実は、僕は何もしたくなかったんだ〜〜♪

 漫画や絵を描くことすら出来ないんだ〜 ♪

 だから、小説やブログを書いているんだ〜〜 ♪

 洋楽聴いてても、CDをコレクションするばっかりで、楽器は弾かないんだ〜 ♪





 以上、この記事はここで終わり〜〜! ♪ ♪ ♪

Posted by 評論家 at 07:35 | この記事のURL
2011年02月23日
俺のことなんて相手にするな♪








 以前の記事でも書いた通り、私はこのブログでコメントや返信を求めていない(^^)

 誰にも相手にされない人間は何やっても駄目!

 誰にも相手にされない奴は、何もやっちゃダメ!

 私のことを「気違い、気違いwww」などと、罵って来るタイプ2の旧友は、

 恐らく、そんなことを言いたいだけなのだろうが、私は抑々、相手の反応など必要としていない。

 自分の主張や意見を書くために、このブログを綴っているだけで、
 コメントやレスがなくたって、やることは変わらない(^^)

 20歳を過ぎてからは、人と接する際に、相手を選ぶようになったと痛感する(^^)

 私は互いに、相手の才能を認め合うか、有益な知識や情報が得られるような人脈でない限り、

 もう、その人とはこれ以上、接しようとは思わない(^^)

 このブログにも、繰り返し、私のことを「気違いwww」などと、
 罵りのコメントを寄せて来るタイプ2の旧友がいるが、
 彼も、私にとっては、そんな相手に過ぎない。

 彼は、高校時代の同級生だが、
 私は、個人的に、この相手からは返信を寄せられたくない(^^)

 このタイプ2の旧友は、
 私の人生にとって何か有益となる知識や情報を持ち合わせているわけではない(^^)

 彼との友情や人脈からは、何も得られないし、メリットもない♪

 第一、彼に相手されなくたって、
 このブログは既に、いろんな人の目に晒されているのだから、
 そんなこと気にする必要がない(^^)

 相手にされたくて仕方ないのは、寧ろ、彼の方なのではないか?

 だが、幸運なことに、私の方は、高校時代の旧友とは、このまま一生、誰にも会わないと心に決めている。
 これは、君にとっても、私にとっても、良い運の巡り会わせではないだろうか?

 そこで、↓ に掲げたセネカの著作をもう一度、紹介しよう。

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 いずれ、↑ この本は、もう一度、取り上げることになるだろうと思っていました(^^)

 人生は、有限である。
 この限りある資源を有効に使うためには、
 自分にとって、何を優先順位とするべきか、それを把握しなければならない。

 私の人生にとって、それらの重要事項に、
 横並びの人間関係や仲間意識、友情や連帯感などは含まれない(^^)

 誰にも相手にされない奴だと思うなら、
 そんな奴には、コメントすら寄せて欲しくないものだ(^^)

 君だけが、このブログの閲覧者であるわけではないのだから(^^) 

 君も、君自身の優先順位とやらがハッキリしているなら、
 早いうちに、信じる道を見つけて、その道を一直線に進みたまえ! ♪ \(^0^)/

 私になんか構っている暇はないだろ! ♪

 分かったら、ブックマークから、このブログのURLを消したまえ♪


























Posted by 評論家 at 23:51 | この記事のURL
2011年02月22日
責任ある立場で堂々と公言できますか?




 いじめは、いじめられる側に原因がある、との書き込みに関して、
 一つ思い当たることがあったので、今日は記事をもう一つ増やします(^^)

 インターネットの本質とは、社会的には、匿名性であるということだ(^^)

 だから、何の肩書きも、地位や権限がなくても、書いている本人にとっては、
 言いたいことが言えてしまう。

 顔を見たこともない人の病を診断するなんて、その最たる例だろう(笑)

 ネット社会だからこそ、
 いじめは、いじめられる側が悪いと書いても、その本質において、彼等には責任がないわけだ。

 問題は、もし、彼等が地位も、責任も、肩書きもある立場だったら、
 公衆の面前で堂々とそれを主張できる度胸があるのか、ないのかということだろう(^^)

 一般大衆を前にして、「いじめはいじめられる側が悪い」などと主張すれば、
 それ相応のバッシングは敢えて、覚悟しておかなければならない。

 それでも、強硬に自説を展開する自信があるなら、その人は本物だろう。

 何故なら、
 その人自身が、自分が悪いと主張している、いじめられる立場の人間になるからである(^^)

 こんなことをしたら批判に合うだろう、
 いじめられるだろうという計算ができない奴が悪いんだと主張したいなら、
 それはちょっと、次元の違う問題だろう(^^)

 そういう人は狡賢く、巧く立ち回るばかりで、
 自分が心の内で本当に思っていることは口にできない、
 という臆病者に過ぎないではないか♪ o(^0^)0

 自分がもし本当に、責任ある立場で、公衆の面前に立たされていたら、

 いじめは、いじめられる側に100パーセント原因がある!

 などと、堂々と主張し、批判や罵声を浴びても、自説を展開できる度胸があるか、
 真剣に考えてみたら良い(^^)

 一旦、公衆の前に立ったら、卑怯や逃げは許されない(^^)

 いじめは、いじめられる側が悪い、などとは、

 自分に責任がないからこそ主張できる意見であって、

 仮に、その主張者が社会的に大きな力や権限の持ち主であったとしても、

 インターネット社会という匿名性を主とする世間だからこそ、

 自らの素の顔を隠して、そのような考えを公言することができるのだo(^0^)o

 とはいえ、いじめはいじめられる側に原因がある、とは、
 多くの日本人の一般的な考えかも知れない(^^)

 それらの風潮も考慮に入れて、これからは、真面目に議論に取り組みたい(^0^)






























Posted by 評論家 at 21:16 | この記事のURL
2011年02月22日
友達は普通に欲しくないな(^0^)









 ブログを書いていると、友達が欲しくてそれをやっているという風に、
 あるタイプ2の旧友は捉えたようだが、
 これは、タイプ2である彼本人が、
 他者の像に対して、自分の影を投射した最も良い例として記憶に残るに過ぎない(^^)

 人は、他人の行動について考え、把握する時に、
 自分の心理を投射して、それを捉えようとする(^^)

 それまでは影となって息を潜めていた自分の深層心理なり、自分の考えが、
 他者の行動について把握する際に、光を当てられ、明らかになるのだ(^^)

 つまり、友達を欲しがっているのは、私ではなく、タイプ2の彼の方なのだ♪

 本来、友達が欲しいとか、友達を作りたいというのは、タイプ2の願望である。
 タイプ2は、心理の根底で、自分が友達を欲しがっているから、
 他者の行動を観察しても、本能的に相手もそうだと思い込み、信じ込んでしまうのだ(^^)

 だが、これは大いなる曲解であり、誤解だ(^^)

 これほど、自分の行動が相手の視線に晒された時、「曲がる」という瞬間を、
 私は他に例を見ない(笑)

 あくまで、それは、タイプ2がブログを書く際の目的であって、

 私がこのブログを綴っている目的ではない(^^)

 彼の目的と、私がやろうとしていることは全く異なるのだ♪

 何故なら、友達を作ることは、このブログを書く目的ではない(^^)
 そもそも初めから、コメントやレスなど必要としていない。
 そんなものがなくたって、私はこれを書き続けるだろう(^0^)

 私の目的は、自説を堂々と展開し、それを公然と衆人の目に晒すことにある。
 そうすることで、自分の新しい考えを、皆に広めようとしているのだ(^^)

 重点を置いているのは、
 金儲けをすることでもなく、新しい友達を作ることでもなく、
 持論を主張し、自分の説によって、他者に影響を与えることである(^^)

 これは、何かと、今の日本で賞揚されがちな、
 横並びの人間関係とか、友達付き合いとか、仲間意識などとは、
 別次元に位置する考え方ではないかと思う(^^)

 自説を展開し、他者に影響を与える(^^)

 つまり、これは、私一人が信奉するある主義なり、
 ある考え方なりの機関誌のようなものだと思って頂ければ良い(^^)

 機関誌ということは、私がこのブログでやっていることは、
 横並びの友達つくりとは全く異なる、
 言論闘争に類するものだと捉えて頂いた方が良いかもしれない(^^)

 私は、このブログを書き続けることによって、
 今の日本に流布しているある考え方なり、あるモノの見方に対して、
 宣戦布告し、それまでの憂さを晴らすために報復しているのだ!\(^0^)/

 だから、このブログを読むことで、
 自然に、これを書いている私に対し、敵意や反感を覚えた方も、
 決して、少なくはないだろう(^^)

 私は、まだ、自分の主張について、全部を書いていない(^^)
 言いたいことはまだまだ多い。

 取り敢えず、手始めにここで確認しておきたいのは、
 私が何故、自分を天才だとか、イエス・キリストであるなどと主張するのか、

 それは、特別な才能など何も持っていないし、作品を仕上げる技術も劣っているが、

 確実に、私は、自分が個人的に崇拝するある考え方なり、コメントなり、
 ある思想なりの創始者であり、体現者であると勝手に思い込み、
 自負しているからである(^^)

 断っておくべきだが、その思想とは、私の信仰とは全く関係がない(^^)

 あくまで、私の個人的な考え方の立宗宣言をしているに過ぎない(^^)
 だからこそ、このブログは、私個人にとっての機関誌なのである(^^)

 そして、繰り返すが、その考え方は、
 私の帰依する信仰とは全く無関係であるとここで断っておきたい(^^)






















Posted by 評論家 at 16:39 | この記事のURL
2011年02月19日
神経科の病は、全部、合併症なんじゃ?








 ふと思ったんだが、統合失調症とか、鬱病とか、全部、発達障害の合併症なんじゃ?(^^)

 本来、二大精神病と呼ばれる症例だが、根底に、発達障害の症状がなかったら、統合失調症にも、躁うつ病にもなる筈がなかろう(^^)

 神経科の病は、全部が元々、発達障害の合併症として、発生するのでは?


























Posted by 評論家 at 18:24 | この記事のURL
2011年02月18日
意図的にイメージが操作される!?










 こんな記事を見つけました♪

 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110217-00000007-ykf-soci

 情報を恣意的に歪めてしまうマスコミ側の手口ですが、

 現実的には、私たちも、他人とコミュニケーションをする上で、

 似たような誤りを犯していないでしょうか?

 つまり、相手が「こうだ」「こう思っている」などと、

 彼本人の正直な気持ちを率直に口にしているにも関わらず、

「いや、彼は本当はこう考えている」などと裏読みしてしまう(^^)

 タイプ2の方に多いのではないでしょうか?

 人は、相手がどんな人間であるかを捉える時、

 自分の受け取りたいように受け取る、自分が見たいように見てしまう、

 という誤りを犯しやすいのです(^^)

 つまり、大抵の人間は、自分が目にした現実の人や光景を、

 自分自身が捉えたいように捉えてしまう、という悪癖がある。

 だからこそ、自分が相手に与えたい自己イメージを、

 他者に共有することができなくて苦しんでいるタイプの男や女は、意外に多いのです。

 他者の視線とは、他者の願望を映し出す鏡である。

 私は、私の願望を持っているが、その願望は常に、

 他者の願望によって妨害され、他者の意図するままに歪められ、捏造されてしまう(^^)

 タイプ2の友人と関わっていて、これは最も強く感じることだ(^^)

 私が一生懸命、頑張っていても、

 タイプ2は、私の自己イメージについて、意図的に歪めたり、誤解させたり、マイナスの要素を強めるために、ありもしないことを捏造したりすることもできるわけだ(^^)

「白黒映画観ながら、オナニーしてろ!」みたいな発言が、その典型だろう(笑)

 タイプ2は、他人が今していることだけでなく、

 他人がこれからしようとしていることや、他人がこれまでして来たことまでをも、

 意図的に自由に改変し、台無しにして、思うがままに操ってやろうとする悪癖がある(^^)

 他人の努力など、眼中に入れないのだ。

 そのくせ、表面的には、「仲良くしておこう」という態度を崩さないから、始末に負えない。

 皆さん、相手が一体、どんな人物であるかを見極める時も、

 他者の恣意的な操作によって、自分自身の発言や行動、自己イメージなどが、

 不当に歪められたり、誤解されたりするようなことがあっても、

 そうした相手の卑怯を正面から指摘できるだけの勇気を持つようにしておいて下さい(^0^)

 くれぐれもタイプ2との人間関係は気を付けて下さいね ♪


























Posted by 評論家 at 01:29 | この記事のURL
2011年02月16日
苦手なものは嫌いになるって、嘘だ!?












 以前の書き込みで、坂本龍馬をはじめとする三偉人が発達障害であることを確認した件だが、いくら論証能力の優れた者といえども、最後の結論で間違えてしまうというケースがある(^^)

 論証能力があっても、直観力に優れていないためだろう。
 某サイトで、私と白熱する議論を交わしていた相手が良い例だ。

 自称オジサンと呼ぶ、その相手は、エニアグラムの理論も虚妄であると否定した。

 だが、私はこれを信じない。それは現に、私自身が、エニアグラムの理論を利用して、相手の心を深く傷付けてしまったことが幾度かあるからだ(^^)

 エニアグラムの人格類型論は、当たり過ぎるくらいに良く当たる。
 だからこそ、相手の心に深く突き刺さる言葉の一つや二つ、口から出てしまうことだってあるのだ。

 エニアグラムによって他人を傷付けた人間は、自分が傷付けたその相手によって、いずれ同じように深く傷付けられる。復讐されるのである。
 だから、私は、自分が昔、手酷く傷付けてしまった旧友とは、もう二度と会おうとは思わない。ネットで顔を合わせるのも御免被る。せいぜい、シカトしておいて欲しい(^^)その方が身の為だ。

 自称オジサンを名乗るその相手は、ひょっとしたら、私の知り合いだったのだろうか?

 誰かに頼まれて、あのサイトに来たのだろうか?

 現に、そのサイトには、私が昔、手酷く傷付けてやったタイプ2の旧友が、しつこく付きまとって離れなかったからだ(^^)

 そのタイプ2の旧友が、自称オジサンを連れて来たというケースは、大いに考えられるのだ。

 全く面識がないにしては、貴方のことをよく知っていますよ〜、みたいな内容の書き込みが何となく見受けられたし、まるで、最初から、相手が運動神経が悪いと決めてかかっているかのように、

「出来ないから、嫌いなんだろ〜? 辞めたんだろ〜?」

 などと言い放ち、挙句の果てに、最期には、私を異常者であると決めつけた上で、「犯罪だけは起こすな!」と、命令までして来た。

 私は、命令されるのが大嫌いだ。

 そのタイプ2の旧友も、私に対して、嫌に命令口調を放つ性格だったという思い出がある。

 本人の嫌がっていることをわざとやらせるのである。本人のやりたくもないことを、チームワークや仲間意識という美名の下に、わざわざ無理に、やらせようとするのである。
 これほど、気に喰わないことはない。

 他人に命令し、他者を操ろうとする悪癖があるのだ(^^)
 その癖、自分と仲良くしていた相手の陰口を裏では平然と口にしている。その悪口とやらは、誰も考え付かないような汚い罵言だったり、淫猥な罵り語だったりすることも多い(^^)
 八方美人ともいわれるタイプ2は、常に、二重人格なのだ。

 しかし、不思議なことに、タイプ2が放つ悪口を耳にした周囲の人間は何故か、彼のそうした発言に誘導され、共鳴してしまう。
 彼がいくら、ひどい陰口を言っていようと、周りにいる人たちは、共感してしまうのだ。
 よって、タイプ2は非常に巧く、自分の周りにいる人間を味方に引き寄せて、チームワークをつくり、自分が気に喰わない相手や、敵視する相手、いじめてやりたい相手に対しては、容易にスケープゴートし、除け者扱いすることが出来る(^^)
 その癖、表面的には、人に好かれる技術に長けている(裏では、何を言っているか、知れたものじゃないですが)
 学校や職場などで、このタイプ2は、まさに、いじめを創り出している元凶なのだ(^^)

 自称オジサンの「出来ないから、嫌いなんだろ〜? 出来ないから、やらないんだろ〜?」という発言に関して、以下に応えたい。

 苦手な分野だから、嫌いになるわけではない(^^)
 もともと興味がない分野は、いくら得意でも関心が湧かない(^^)

 現に、私個人の場合でいえば、高校時代に、運動神経は鈍いを通り越して、全く出来ないくらいだったのに、よくK−1やプロボクシングの試合は生中継で観ていたし、少林寺拳法系の総合格闘技の道場にだって、二年半ほどは、通い続けていた。
 その後、22歳を過ぎた辺りからは、健康のために、もう一度、運動や筋力トレーニングなどを始め、現在まで習慣化している(^^)

 苦手だから嫌いになる、とか、出来ないから嫌いだ、なんて大嘘だ!

 人間は、嫌いなものには、元々、興味がないし、関心も湧かないのだ(^^)

 野球やサッカー、バスケットボール、スキューバダイビングなど、お金と時間があればいくらでもやってみたいが、どんなにそれが巧くなったところで、私が、それによって得られるチームワークや仲間意識なんかに充足を見出すことは、恐らくなかろう(^^)

 相手を平均的にしてやろうという魂胆ほど、癪に障るものはない(^^)

 私が快楽を見出すツボは、タイプ2のそれとは明らかに違う。言いたいことはそれだけです。最後の行まで読んで下さった方には感謝します(^^)






















Posted by 評論家 at 04:37 | この記事のURL
2011年02月13日
一体、何が気に喰わないの〜?









 今の世に、天才を目指している若者は少ないだろうから、

「天才になりたい!」などと叫んでも、

 おそらく誰にも相手にはされないだろうと鷹をくくっていたが、

 いざ、その言葉を叫んだら、かつての旧友が必死になって否定して来ました。

 別に、私が天才になろうが、なるまいが、そんなこと、あんたの生活には、一切関係のないことだろうに……(^^;

 私を攻撃してきた相手は、かつての知り合いです(^^)
 きっと、何かの因縁をつけるネタを探していたのでしょう(^^) 

 天才になりたい人間がいるなら、勝手に、天才にさせておけば良いのだ。
 別にあなたの損になることではないのだから(笑)
 誰にも相手にされない奴なんて、放っておけば良いじゃないか〜〜\(^0^)/

 そういう人間は、例え、一人のまま、時代に取り残されたとしても、
 それなりに自分で巧く考えて、人生をエンジョイすると思うぞ〜〜\(^0^)/
 だから、相手にしなきゃ良〜い!\(^0^)/

 私は単に、自分がイエス・キリストだと言っているに過ぎない。
 別に、そんなこと堂々と明言しなくても、私自身のあらゆる行動の根底に、そうした認識が元々あるということを説いているだけだ(^^)
 これ自体は大したことではないでしょう?

 天才について考える場合、IQが高いとか、偏差値が高いとか、論証能力があるとか、そんなことは、私は一切、考慮に入れていない(^0^)

 覚醒した人間としての自覚があるか、ないか、それが問題なのでは?

 人生の主人公は自分自身だ! みたいな、

 覚醒者としての自覚がなかったら、人生は退屈で平板で、つまらないものになってしまいますよ〜(^0^)

 楽しい人生を生きたいなら、皆、自分を天才とか、ヒーローみたいに思えば良いじゃないですか?

 一人でそう思う分には、他人の勝手でしょ〜〜? 

 私は、私の人生を生きているのだから、あなたには、関係な〜〜い!(^0^)

 あなただって、あなたの思い描いたような人生を自由に生きていれば良いんです。
 勝手に生きることなんて、誰も否定していません。


 さて、本の紹介です。

 最近、ブームになっている古代ギリシアの哲学者、セネカの登場です。

 必読です! 若い人に強くお勧めします! 生きているうちに、↓ これだけは読んで下さい!

 三色ボールペンで読んでいたら、線だらけになってしまいました(^0^)

 機会があれば、同じ本をまた紹介することもあるかも知れません(^0^)

生の短さについて 他2篇 (岩波文庫)

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Posted by 評論家 at 16:36 | この記事のURL
2011年02月12日
発達障害の偉人たち





発達障害に気づかない大人たち (祥伝社新書 190)

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 あるスレッドで議論をしていたら、レオナルド・ダ・ヴィンチや坂本龍馬、トーマス・エジソンの三偉人は、発達障害ではない、との見解に接した。

 私は、数年前に、テレビのある情報番組で、この三偉人は、明らかに発達障害であるとの報道を目にしていたので、「おかしいな。こんな筈はないぞ?」と思い、種々の文献に当たってみたら、ありました、ありました、↑ 上記の本に、以下のような記述を発見しました(^0^)

「実際、歴史に名を残す偉人や天才には発達障害を抱えていたとされる人物が多く、音楽家のベートーヴェンやモーツァルト、科学者のエジソン、アインシュタイン、レオナルド・ダ・ヴィンチ、画家のピカソ、ダリなどはその典型と言われています」( ↑ 上記の書、228〜229頁)

「日本の歴史を振り返ってみても戦国時代に『天下布武』を掲げて登場した織田信長をはじめ、エレキテルで有名な江戸中期の鬼才・平賀源内、幕末に誰も思いつかなかった薩長連合を結ばせた坂本龍馬、実に19ヵ国語を操ったという明治の博学の巨人・南方熊楠など発達障害であったとされる偉人や天才はたくさんいます」( ↑ 上記の書、232頁)

 な〜んだ。私の言っていたことは、やはり正しくて、トーマス・エジソンも、レオナルド・ダ・ヴィンチも、坂本龍馬も、この三偉人は、よく調べてみたら、結局、発達障害だったことが分かりましたよ〜〜。(^0^)

 ちなみに、既出の天才に関する記事で、アイヒバウムの『天才』という著書が既に復刊されていたことが分かりましたので、↓ に、ご紹介しておきま〜す(^0^)

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Posted by 評論家 at 02:37 | この記事のURL
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