2015年08月21日
同時代人の見たバルザック (東京創元社版バルザック全集第26巻付録から引用)
先月、東京創元社版のバルザック全集を第25巻まで読了し、第26巻(最終巻)の書簡集の付録がとても興味深かったので、ここに引用する事にします。
題して、「同時代人の見たバルザック」であり、書き手は高山鉄男、内容はバルザックのファンなら一度か二度、見聞きした事があるだろう記述になっています。
私は(バルザック全集の)第2巻『結婚の生理学』と第26巻の書簡集以外、全集に収録されているバルザックの全ての作品を読んだのですが、この第26巻の付録は、本篇の書簡集よりも遥かに面白い。
なので、バルザック研究者のみならず、フランス文学初心者の方々にも一度、読まれる事を期待します。
「伝記作者の描いたバルザックと、同時代人が見たバルザックの間にある相違は、作品と生活の落差であり、夢想と現実の乖離である。
(中略)
アンスロ夫人によれば、バルザックは会話の技術というものをまるで知らなかったという。彼の話には確かに活気があった。しかし騒々しい上に、会話と云うよりも独白に近かった。何しろバルザックが話題にするのは自分の事ばかりで誇張が多く、どんな話を聞いても本当とは思われなかった。晩年になると、バルザックは金の話しかしなくなった。要するに彼が話す事は、自分がいかに厖大な借金を抱えているかという事、それから、いかに厖大な財産が転がり込むあてがあるかという事、そんな話ばかりだった。
(中略)
ある日、アンスロ夫人は、パリの有名文士や芸術家たちと知り合いになりたくてわざわざやって来たアメリカの上院議員を伴って、フランツ・リストの演奏会で、彼をバルザックに会わせた。(趣意)演奏会で運良くバルザックに紹介された上院議員は、早速、バルザックの作品を褒めたりして、愛想をふりまいた。ところが、バルザックの方は幾らお世辞を言われても一文になるわけでもないしといった様子で、フランスの小説家がいかに貧乏しているかという話ばかりした。それから、自分が夕食の為に時計を質に入れた話などした。財産はその人の才能に正しく比例すると信じているこのアメリカ人にとって、バルザックに対する失望は大きかったと、アンスロ夫人は記している。同じ日の晩、アンスロ夫人は、ダブランテス侯爵夫人のサロンで、再びバルザックと顔を合わせた。するとバルザックは、自分が間もなくいかに大金持ちになる筈であるか、という話を人々にしていた。著書の厖大な印税によって、彼はパリ有数の大富豪になろうとしているのだ……。
バルザックとの会話が耐え難かったことは、アンスロ夫人だけではなく、多くの人が回想録の中で記している。それは、バルザックが恐ろしく饒舌だった上、自分の事しか話さなかったからである。バルザックは自分の夢で頭がいっぱいだったので、相手の気持ちに配慮する暇などはなかったのだろう」
会話が下手な人にとって、コミュニケーション技術とは後天的に学習して得られる能力なのですが、バルザックが生きた時代にはまだ、そうした技術が開発されていなかったのですね。
以下、抜粋を続けます。
「バルザックは1837年9月、パリ郊外のセーヴルに土地を買い、そこにジャルディ荘なる屋敷を建てた。この時、土地の売買に立ち会ったメナジェという公証人から、シャンフルリーは次のような話を聞いた。公証人メナジェによれば、バルザックに土地を売ったのは、織物業者のヴァルレという人で、売買価格は4500フランだった。土地の売り手と買い手は、公証人事務所に来る前に、値段その他についてもう話をつけていて、公証人は但、証書を作成しさえすれば良かった。ところが、いざ証書作成の段になって、買い手(つまりバルザック)が土地の全部は要らないと言い出した。当然、売り手の方では話が違うと言い、あの土地は全部まとめてでなければ売らないと主張した。すると買い手(バルザック)はこんな事を云うのだ。『私が欲しいのは、小さな家と小さな土地でね……全部では大き過ぎるのですよ。だから全部は要らないのです。約束した金は払うのですから、売り手にとっては同じ筈ですよ。残りの土地は好きなように処分すれば良いじゃありませんか』。売り手の織物業者には、はじめバルザックの話の意味が解らなかった。やっと分かったことは要するに、金は全部払うが、土地の全部は要らないという不思議な話で、公証人も驚いたが、本人の云う通りにしない訳に行かず、バルザックが要らないという部分の土地を売買から外した。しかし一年後、バルザックは証書の記載からわざわざ外した土地を、再び代金を払って買い足さざるを得なくなった。この挿話は、バルザックがいかに経済観念に乏しかったかを良く示している。経済生活上のこういう無能力者に借金が増えなかったら寧ろ不思議だろう」
「1848年2月24日は、例の二月革命が勃発した日の翌日でパリの民衆は蜂起し、チュイルリー王宮を占拠した。シャンフルリーによれば、『バルザックは2月24日、最初にチュイルリー宮に入った人の一人であった』という。バルザックが頑固な王党派である事は良く知られていた。だから民衆に混じって、王宮に入るバルザックの姿を見かけて、シャンフルリーが驚いたのも無理はない。しかしバルザックは、王様を追い払う為にチュイルリー宮に来たのではなかった。実は彼は、王座のビロード地が欲しかったのである。(改行)晩年のバルザックは骨董に凝っていた。凝るという段ではなく、殆ど気違いじみていた。しかも、現実と幻想を混同するのが常の彼の事だから、何でもないガラクタを天下の逸品と思い込み、高い金を出して買い集めていた。バルザックが集めた美術品、古家具などの目録が残っていて、名立たる名品がずらりと並んでいる。しかも殆どが贋物である。先に紹介した二月革命の際のバルザックの行動も無論、彼の骨董趣味に出た事である。49歳にもなったこの大小説家が王座のビロード地欲しさに、民衆に混じって王宮を彷徨う姿は滑稽でもあり、情熱というものの悲惨さをまざまざと見せているようでもある。
(改行)
以上に紹介したエピソードは、いずれも『人間喜劇』の作者の名誉を高からしむるようなものではない。しかし同時代人の回想録に出てくるバルザックは、だいたいこんなものである。そこに現れているのは客観的なものの見方というものをまるでする事の出来なかった、一種の生活無能力者の姿である。但、生活人としては全く無能なこの人物は、内面に恐るべき天才と、夢に満ちた金無垢の心を持っていた。同時代人たちには一部の人を除いて、それが解らなかった。それを良く知っているのは、専ら作品を通じてバルザックに接する我々後代の読者の方である」
バルザックを愛読した読書家なら、こうした逸話は一度か二度、聞いた事があるでしょうが、それにしても凄いエピソードですね。
何故、長々とこのような引用をしたのかと云えば、今後このブログに書き綴る内容の執筆意図を皆様に理解して頂く為に、参考までに挙げておいたのですね。
実際には、生前のバルザックのこうした所行を踏まえた上で、私がこのブログの次の記事で書きたい内容と云うのがあるのです。
時間に余裕があれば、今回の記事の内容を踏まえた上で、さらにこのブログの内容をモデルチェンジしていきますので、今後も御期待下さい!\(^0^)/
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