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2013年06月09日

母の運動会

昨日は超寒かったぁ・・・

仕事に行く前に、背中と腰にホッカイロを貼って、
セーターもアクリルからウール100%のに替えて、コートを着て仕事に行きました。
コートを着ていても店内は寒くて、コートを脱ぐのが怖ろしいと思いました。

それでも半袖で仕事をしている人もいました。
若いんだなぁ・・・

仕事をしていてカイロを貼って正解だと思いました。
このところマジで、純毛のももひきを買おうと思い、
ネットで検索中です。

EBさんがお店に買い物に来て、まゆみさんのレジに来て、
「どうだ?」と尋ねるので
「つま先が暖かくてすっごくいい!
 でも今日は背中にカイロ貼ってる」と答えました。
「ここは寒いものな。
 じゃあもうひとつ買えばいい。もうひとつを背中に貼ればいい」とのことでした。

そうだなぁ。カイロは使い捨てだし、アシラークは一生ものです。
もうひとつ買おうと思います。


さてさて、今朝親戚のおばちゃんの娘からメールが来て、
「今日運動会に行く?」と。
「え?今日運動会だったの?知らなかった。休み取ってないし。
 何時から何時まで?」
「10時半から11時半まで」
「ああ、その時間なら行けるよ。教えてくれてありがとう」

早速運動会に行きましたが、母の姿が見当たりません。
職員さんも「Kさんはどこだ。Kさんはどこだ」と探してくれました。
なんと母は朝はぐったりしていたのでベッドに寝かせたままだったとのことでした。

母の所に行ってみると全然ぐったりしてなくて
あと30分でもいいから外に出して、日に当ててやりたいと思い
職員さんにお願いして外に出してもらいました。

「日に当たると疲れるので、日陰に連れて行きましょう」と言われて
木陰に連れ出してもらいました。





うちの母、別嬪さんでしょう?
今度、かたつむりのシワ取りクリームを塗ってあげようと思いました。



入所者さんの車椅子でのパン食い競争です。
この後綱引きがあって、母は白組だったので白組の綱引きに参加しました。
白組があっけなく勝ってしまいました。

母は去年までは車椅子でのフォークダンスにも参加していたので
それを写して、姪っ子に送ってあげたかったのです。

今年はフォークダンスはなかったようです。
あっても母は参加できませんでしたしね。

次のイベントは8月の夏祭りです。
posted by まゆみさん at 12:14| Comment(0) | 家族

2013年04月12日

父の命日

今日はまゆみさんの父の命日です。

父は短気で気難しく、家族の支配者のような人でした。
自分の子供でもよく殴りました。

まゆみさんは従順な子供だったので
まゆみさんだけは殴られたことがほとんどありません。

兄も姉も妹もよく殴られました。

母は昔、看護婦をしていて、家族の便の状態を見て
健康状態を把握していました。

父の便の色がおかしいから検査に行くようにと
父に何度も言いました。

父は病院嫌いで、自分の健康に自信を持っていて
「何だ、お前は!人の糞をいちいち観察して
気持ちの悪いやつだ!」
そう言っていました。

母は父の便が真っ黒なので、消化器官のどこかで出血している。
しかも、鮮血ではなかったので、大腸あたりではない、腸からずっと前の部分で出血していると
確信していました。

母の予想通り、父は胃癌だということが後でわかりました。
癌は肝臓にまで転移していて、もう手遅れでした。

後半年の寿命と告知されました。

人は病気になると苦しさでわがままになるものです。
ただでさえ短気な父は病気の苦しさを闘っているときは、とてもわがままになりました。

まゆみさんが中学の卒業を控えた頃のことでした。
まだ子供だったまゆみさんは病気の苦しさがわかりません。
父のお見舞いに漫画本を持っていって、父のベッドの横で漫画ばかり見ていました。

父はお見舞いに来たのだったら背中をさすってもらったり、
足を揉んで欲しかったらしく、それを母に言いました。

「まゆみは見舞いに来ても、背中ひとつさすってくれない。
 あんな奴は見舞いになんか来なくてもいい!!」

まゆみさんはカチーンときて、お見舞いに行くのを一切止めてしまいました。

父はどんどん衰えていき、母が言いました。
「お父さん、明日あたり危ないんだってよ。行ってあげて」
それでもまゆみさんは行きませんでした。
翌日また母が言いました。
「お父さん、今日あたり危ないんだってよ。行ってあげて」
まゆみさんは仕方なく出かけて行きました。

まゆみさんの目に入ってきた父の姿は、あのわがままな父ではありませんでした。

呼吸器の拍動によってカクン、カクン、と胸が上下しているだけのほぼ死人でした。
その変わり果てた姿を見て、まゆみさんは激しく泣きました。

「これでご家族はみんなそろいましたね。では呼吸器を外します」
担当医が言いました。
「5時5分」

なぜ今までお見舞いに行ってあげなかったんだろう。
お父さんはきっと、「まゆみは最後まで来てくれなかった」
そう思いながら死んでいったに違いない。

今までお見舞いに行ってあげなかったことを激しく後悔して
まゆみさんは号泣しました。

そして心に決めました。
どんな人にもお別れをしなければならないときが来る。
その時に二度と後悔しないように、自分と出会った人には最後の最後まで
誠心誠意のことをしようと。

父は札幌出身でした。
石原裕次郎「恋の町札幌」



最近になってスピリチュアルの勉強をして、
人は死後、ずっと意識があって自分の死体や家族を見ている、
自分の葬式の様子もみている、
そういうことがわかりました。

「まゆみは最後まで来てくれなかった」とは思っていないことがわかって安心しました。
posted by まゆみさん at 09:36| Comment(0) | 家族

2013年02月04日

母賛歌

今日はまゆみさんの娘が生きていたら29歳の誕生日です。

娘と私は母娘という血縁以上の絆で結ばれていました。

戦いの最も厳しい戦場の、最前線で共に戦った戦友のような絆で、
それは母娘という血縁以上に深い絆でした。

最後の母の日に着うたフルで、「母賛歌」という歌をプレゼントしてくれました。

歌の内容は私たち母娘のことをまさにそのまま表現したかのような内容でした。
娘は昭和59年2月生まれ。

歌の内容も「あれは昭和59年、私が生まれた故郷は3月の春を運ぼうとしていた時だった」
娘と全く一緒です。

「父はいませんがなぜだか笑って暮らせていた」

「母よ、母よ感謝してます。私を生んでくれてありがとう」

最後の頃、娘は「私はお母さんの子に生まれて幸せや。私を生んでくれてありがとう」
と、いつも言ってくれていました。

最後のメールは「来世も貴女の子でありますように」と。



娘が生まれた年は、今年の冬のように全国的な大雪でした。
明石でも30cmくらい積もりました。

娘のこれからの厳しい人生を象徴するかのように・・・


この曲は、葬儀屋さんの計らいで告別式に流されました。
posted by まゆみさん at 07:56| Comment(0) | 家族

2012年11月22日

姉の命日


今日はまゆみさんの姉の命日です。

まゆみさんは4人兄弟の中でも特に姉と仲良しでした。
電話もよくやり取りしていました。

まゆみさんがうつ病になったときはまゆみさん本人が受け止める以上に姉の方がショックを受けていました。
「えぇっ?まゆみがあのうつ病になったの?」
「うつ病ってそんなにショックな病気なの?」
「ショックに決まってるべさぁ。あのうつ病なんだべ?」

その姉は、まゆみさんが発病してから4年後に発病して、たった半年で他界しました。

「葬式はなるべく目立たないように家族だけで小さく見送ってください」
と遺書を残して。

甥っ子や姪っ子は途方にくれていました。
兄が「お母さんの遺言なんだから形式的なことは一切やらないで小さく最少限のことだけで済ませよう」
と甥っ子に言って小さく納めようと取り計らいました。

ところが近くに親戚の叔母さんがいて、親戚中に話してしまいました。
香典や花輪が届きました。

叔母さんは姉の死に顔に向かって
「H子の馬鹿が自殺なんかしてっ!本当にバカな女だよこの子はっ!」
とか、死者に向かって散々と罵詈雑言を吐きました。

「私は残された子供たちを案じて言っているんだ」とでも言っているつもりのようでしたが
私には胸をえぐられるような言葉でした。
子供たちも聞いていて心地よくはなかったはずです。

そしてその後、「香典返しがどうしてないのっ?」と言い出して
「形式的なことはなしでしようって言ったんじゃなかったんですか?」と言いましたが
「常識でしょうっ?」と言って叔母さん、ぶち切れました。

それからあわてて姪っ子と香典返しを買いに出かけました。

買って戻ってくると「いらないわよっ!そんなものっ!」と言って
自分が使ったお金の明細書を甥っ子に叩きつけました。

「私はH子のためにこれだけ使いました。」
香典2万円
花代1万円
果物代5000円
野菜3000円
ガソリン代4000円
等など・・・

姪っ子は言いました。
「私たちお母さんが死んで悲しいのに、どうして親戚からも虐められなきゃならなの?」

死者を悼むとか、残された家族を労わるというようなおばさんじゃありません。

だから私の娘が死んだことも親戚には話していません。
知ったらきっと「何で私に言わないの!」って怒り狂うと思います。
posted by まゆみさん at 15:06| Comment(0) | 家族

2012年08月31日

父との思い出・札幌


まゆみさんの父は札幌出身でした。
父が生きていた頃は父に連れられて一緒に札幌に行きました。

七戸から札幌までの旅は当時、一日がかりでした。

今ではそんなに時間はかからないと思います。
父が亡くなって以来札幌へは行った事がないので実際のところはわかりませんが。

青函連絡船に乗って、汽車に乗って一日がかりで行きました。

船酔いするのでいつも甲板に出て風を浴びながらずっと甲板で過ごしました。
父と一緒にトランプをするのですが、
風が吹くたびにトランプが飛ばされて、ゲームになりませんでした。

汽車に乗ると、普段は高いから食べる機会のないホタテの貝柱の干物を買って食べました。
父と旅行するとき以外は食べたことがありませんでした。
たまの旅行だから奮発するんでしょうね。

エアコンのない時代で、汽車の窓を開けて風を浴びながら色んなおしゃべりをしました。

「昔はなぁ、石炭で走っていたからトンネルに差し掛かれば、トンネルだー!窓しめろー!
って言ってみんないっせいに窓を閉めたんだ。
トンネルに入れば汽車の煙が窓から中に入ってくるからな」
「へえぇーー」

札幌の地下街はすっごい素敵なところでびっくりしました。
今から40年ほど昔のことでしたから、
七戸の田舎しか知らないまゆみさんは、地下にこんなに広々としたきれいな街があるなんて
札幌ってすっごい都会なんだぁ!!って思いました。

小樽の水族館にも連れて行ってもらいました。
そこにはゴマフアザラシがたくさんいて、手というかヒレというかわからないけど
その手でおなかをパンパンたたいて自分にエサを投げてくれってアピールするんです。
その中で一頭だけが、おなかではなく両手をパンパンたたく子がいました。
他の子たちとは違うアピールを考え出したそのアザラシのところへは
すっごくいっぱいみんなが魚を投げてやりました。

「うぅーん、あの子は賢いね」
みんなが言っていました。

北海道のどこかの海に行って、父と兄と、従兄弟が海に潜ってウニをたっくさん獲っては
陸にポンポン投げてよこしました。

まゆみさんは一人だけまだ潜れないので、陸の上にいました。
砂浜ではなく岩だったので、一歩も海には入れませんでした。

ポンポン投げてよこすウニを次から次へとまゆみさんが食べ続けました。
この辺でやめておこうかなぁ・・って思ってもウニがとってもおいしくて

「お父さ〜ん、いっぱい食べたよ〜」
「おお、食え食え」
「もっと食べてもいい〜?」
「おお、なんぼでも食え」

ウニでおなかがいっぱいになるほど食べました。
こんなすごーーーい贅沢は一生ないだろうってくらいウニを食べました。

それでもまだまだたくさんあって、家に持って帰って、
殻をはずして塩漬けにしました。

「全部塩漬けにするのぉ?」
「そうだ」
「もったいない、生のをお母さんにも食べさせたかった」
「お母さんに食べさせるんだから塩漬けにするんだ。
生のままだとすぐに腐ってしまうんだ」

家に帰ってから母に言いました。
「お母さんも行けばよかったのに!お母さんにも生のウニ食べさせたかったのに!」

父の実家は母とは相性が悪くて、昔さんざんいびられていた母は
父の実家では歓迎されない人間だったことをもう少し大人になってから知りました。


父が亡くなって以来札幌へは行った事がありません。
父方の親戚がどこで何をして暮らしているのか全然わかりません。

北海道って何か同じ日本なのになぜかしら異国的な雰囲気があります。
地名なんかを聞いただけでなんとなく別世界のような響きを感じます。

また行きたいなぁ・・
posted by まゆみさん at 22:19| Comment(0) | 家族

2012年08月24日

ウチの妹

まゆみさんの妹は超気が強いです。
ヤクザ相手でも喧嘩をふっかけます。
正義感が強くて理不尽なことには誰が相手でも黙っていません。

そして姉御肌でいつも弱い人を助けています。

数々の修羅場を経験しています。

そして妹は男に超モテます。
しかも年下の男ばっかり、みんな妹に貢ぎたい人ばかりです。
これまでどんだけ男に貢がせてきたか数知れないです。

でも妹は超クールで、
「私は永遠の愛なんて存在するわけがないと思ってるから」
そう言ってました。

妹の腰には鳳凰の刺青が入っています。
肩には龍の刺青が入っています。

はじめて腰の鳳凰の刺青見たときはまゆみさんは
「なんてバカなことをっ!!」って思いながら
一応は「へぇ〜、かっこいいね〜」って言いました。

次に現れたときにはタンクトップで龍の刺青丸出しでした。
しかも髪の毛超短いし、
「この前スキンヘッドにしたんだぁ」って言ってました。

妹はまゆみさんと同じ親から生まれたとはとても思えない
全く正反対の性格です。

最近好きな人が出来て付き合い始めたようです。
さっきメールが来ました。

私も子供たちも本当に大切にしてくれています。
彼を大切にします

って。

永遠の愛なんて存在するわけがないと言っていた妹が
今度は幸せになってくれるといいなと思いました。
posted by まゆみさん at 18:01| Comment(0) | 家族

2012年08月15日

麦と兵隊



「徐州、徐州と人馬は進む。徐州居よいか 住みよいか・・」
まゆみさんの父は、よくこの「麦と兵隊」という歌を歌っていました。

父が歌うのを聞いて、一緒に歌うようになりました。

1番から4番まで全部覚えました。

まゆみさんは2番の歌詞が好きでした。

「戦友(とも)を背にして道なき道を
往けば戦野は夜の雨
「済まぬ、済まぬ」を背中に聞けば
「馬鹿を言うな」とまた進む」
兵の歩みの頼もしさ。

負傷した戦友を背に負って進む兵士の姿が目に浮かぶようでした。

父は大正15年うまれ。
計算すると、終戦の年に二十歳を迎えています。

10代の後半を戦地で過ごしたのです。
召集令状が来て、満州に送られたそうです。

祖国を離れて戦地に送られた戦友たちは、
この「麦と兵隊」を歌って励ましあっていたんだなぁ・・と思いました。
令状を受けて初めて知り合い、お互いに命をかけて戦った戦友たちの絆は
家族の絆よりも深かったに違いありません。

父の背中には大きな傷がありました。
「お父さん、これどうしたの?」
「これは戦争の時に銃弾がかすった痕だ」

銃弾の雨嵐の中、恐ろしくて父は気が狂いそうになって
いっそ弾に当たって死んでしまいたいと思い、銃弾の中を突っ走って行ったそうです。

「F男ーー!!行くな!伏せろーー!!伏せろーー!!」と言われたが
父は突っ走って行きました。

「伏せろーー!!伏せろーー!!」と言った戦友のほうは父が振り返ると
弾に当たって死んでしまったそうです。

死のうとしていた自分の方が生き延びてしまった。
戦友の死を見たときに罪悪感が残ったそうです。

幼いまゆみさんは父が生き残ってくれてよかったと思いました。

戦争の記憶を持つ人たちは次々に寿命が来て、
当時のことを語る人間はどんどんいなくなってしまっています。


今日は終戦記念日。
祖国のために命をかけた多くの犠牲者たちのために黙祷をしましょう。
posted by まゆみさん at 06:11| Comment(0) | 家族

2012年08月08日

息子の命日

今日はまゆみさんの息子の命日です。
まゆみさんには娘の下にもう一人子供がいました。

胎内にいるときから心臓の病気がわかっていました。

その頃娘は4歳で、夫はシャバにはいませんでした。

母子手帳をもらって以来ずぅっと定期健診に行ってなかったので、たまには検診に行かなくちゃ・・・
そう思って明石市民病院に行って検査を受けると
「胎児の心臓が普通の4倍あります。これはウチではとてもムリです。
大阪の循環器病センターに紹介状を書きますからそこへ行ってください。
循環器病センターは心臓病に関しては日本で1,2位のレベルの病院ですから
最善の医療が受けられます」
そう告げられました。

家に帰ってそれを姑に告げると
「うちはいらんでぇー!! そんな心臓の悪い子なんかうちはいらん。堕ろしてまいんか!!」
そう叫びました。
うちはいらんでぇって、私の子やんか。あんたの子とちゃう。

親戚中が集まって私のおなかの子を堕ろすための相談をし始めました。

子供は私のおなかにいるのにあんたたちがどうやって堕ろせるの?
バカみたい。

親戚たちがああだこうだと話をしている間、私は話しに加わらず
黙々と台所仕事をしました。

循環器病センターに行くと5万人に1人の病気でしかも相当な重症とのこと。
三尖弁閉鎖不全と肺動脈閉鎖と心室中核欠損。
肺動脈が閉鎖しているため流れて行くはずの血液が逆流するために
心臓がどんどん肥大しているとのこと。
胎児に負担がかからないように入院して安静に過ごすようにとのこと。

姑は「入院なんかさせへんでぇ! ほなこの子いらんねんな?この子放かすんやな?」と言う。
「Mがいらんのと違う。ちょっとの間我慢してもらうだけや。おなかの子が一刻を争うんや。
おなかの子も私の子やねんで。」
「そやから堕ろしてまい言うとんやないか!」

自分の孫なのに、心臓が悪いという理由でそんなにこの子が憎いんだろうか?

生まれても1度も顔を見に来てももらえませんでした。
誰にも愛されずに病気と闘った子はついに亡くなりました。

私が一人で産んで、一人で見送りました。
posted by まゆみさん at 18:47| Comment(0) | 家族

2012年07月14日

娘の武勇伝


娘が小学校6年生の頃のことでした。
Aちゃんという仲の良い友達がいました。
AちゃんにはB君という好きな男の子がいました。

「Bくんなぁ、私のことどう思ってるんやろ。
知りたいんやけどな、確かめるのが怖いねん。」

娘はいつもAちゃんの気持ちを聞いてあげていました。
Aちゃんは娘をとても信頼していて
どんなことでも娘に心をさらけ出して話していました。

AちゃんはB君への思いがどんどんつのってきて
耐えられなくなってついに手紙で告白しました。

するとB君のとった行動は信じられないものでした。

Aちゃんの手紙をみんなの前にさらけ出して
「あいつなぁ、こんな手紙よこしてんでぇ」
そういってみんなに見せて回りました。

B君の周りにはAちゃんを笑いものにする子達がたくさん取り囲んでいました。
その中には女子も何人かいました。

娘はそれを見て、男子だけならともかく女子まで炎
娘の怒りは心頭に達しました。

娘はさりげなく近づいて、「ふぅ〜ん?何?それ。面白そうやな。あたしにも見せてんか?」
そういうとB君はその手紙を笑いながら娘に差し出しました。

そのとき娘はB君の手首を片手でつかんでもう一方の手で
ランドセルの肩紐をぐいっと引っ張ってB君を地面にたたきつけて
ボッコボコに腹に蹴りを入れましたVS

小6くらいでは女子の方が腕力ありますからね。

腹をぐりぐり靴で踏みながら「ほ〜お?痛いんかい?痛いんかい!?
もっと痛がっている子がいると思うんやけどなぁ!」

周りを取り囲んでいた子達も青ざめていたようです。

娘はAちゃんの家に行きましたが、お母さんが出てきて
「Mちゃん、せっかく来てくれたのにごめんな。ウチの子今誰にも遭いたくないゆうてんねん」
そういっているのを聞いてAちゃんが
「Mちゃん?Mちゃんやったら会うーー!」といって玄関に走って来ました。
「Mちゃん、ウチもう学校行かれへんわ。どうしよう〜」
「大丈夫やで。明日学校来てみ。面白いことになってるから。」

翌日B君の姿はありませんでした。
B君はそのままその小学校に姿を現すことなく即行で転校したそうです。

あたしなぁ、B君なんか別にどうでもよかってんけどな、
周りにいた女子たちに対する憤りのほうが強かってん。
それが全部B君に向けられたんや。

娘の武勇伝でした笑顔
posted by まゆみさん at 10:55| Comment(0) | 家族

2012年07月13日

母の武勇伝

さて、昨日はちょっと父の寛大さについて、ご意見を賜りましたが
実際に寛大だったのはやはり母の方でした。

父はゲンチャリひとつを移動手段として仕事をしていて、
職場は六戸がほとんどでした。
六戸に小さな古いアパートを借りていて
仕事が忙しい時期は何ヶ月もそこで暮らして
仕事が暇なときは何ヶ月も家にいました。

何ヶ月も自宅を離れるわけですからそこで何事もなかったわけではありません。

結構女遊びをやっていたらしいです。
あるとき、ヤクザの女に手を出して、それがバレて、殺されそうになりました。

母が働いていたお店に真っ青な顔で飛び込んできて

「K、助けてくれ!助けてくれ!殺される!!」と叫んだそうです。
母は終始冷静に父を座敷の奥にかこまってから
ガラッと表玄関を開けました。

そこにはヤクザが数人いて
「F男を出せ!」「F男を出せーー!!」「ぶっ殺してやるっ!!」
そう叫んでいました。

母はその男たちの目を一人ひとり見回してから
「F男はここにはいないっ! ここからは1歩も中に入ることはゆるさんっ!!」

その場は一瞬沈黙して、仁王立ちをしている母の前から
ヤクザたちは黙って引き返して行き、
その後、ヤクザたちが現れることはなかったそうです。

命拾いした父はしばらくはびびっていて、
終始冷静にしている母を見ながら
「Kは怖い女だ」「Kは怖い女だ」と話していたそうです。

このことは家族の中でもずっと封印されていて
私が40歳くらいになったときに初めて聞かされたお話です。

女遊びの不始末を自分の妻にしてもらった父の情けなさを口外するなんて
父のプライドに関わる話ですからずっと封印していたんですね。

まさに武勇伝です。
posted by まゆみさん at 13:11| Comment(0) | 家族
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