2010年07月31日
中村誠
国際空手道連盟極真会館 松井派関西地区本部長兼兵庫大阪南支部長である。段位は七段。身長183センチメートル・体重120キログラム。第2・3回とオープントーナメント全世界空手道選手権大会を唯一連覇したことから、KING OF KYOKUSHINの異名を持っている。
エピソード
プロレス
第2回オープントーナメント全世界空手道選手権大会後に新日本プロレスから契約金5,000万円で勧誘されたが、プロレスへの転向を断った
結婚式での出来事
第14回オープントーナメント全日本空手道選手権大会後に引退を宣言し、大山倍達の仲人で結婚式を挙げた。第3回オープントーナメント全世界空手道選手権大会の出場を当初、中村は考えていなかったが、その考えを翻す出来事が結婚式で起きた。それは、大山が祝辞で結婚する両人へお祝いの言葉を述べるのではなく「世界大会の前に結婚して引退するとは何事だ。世界大会に出なさい。それまでは盆も正月もない」と復帰をしろという命令をその場でした。中村の親族はあまりの大山の迫力に、唖然としてしまった。
1977年(昭和52年)4月 日本代表極真会館チームvsハワイ代表チーム対抗戦出場 優勢勝ち 開催地:ハワイ
1977年(昭和52年)10月 第9回オープントーナメント全日本空手道選手権大会3位
1978年(昭和53年)3月 ハワイ大会出場
1978年(昭和53年)11月 第10回全日本選手権3位
1979年(昭和54年)3月 アメリカ・アラバマ州空手道選手権大会重量級3位
1979年(昭和54年)4月 アメリカ・コネチカット州選手権重量級優勝
1979年(昭和54年)5月 第11回全日本選手権優勝
1979年(昭和54年)11月 第2回オープントーナメント全世界空手道選手権大会優勝
1980年(昭和55年)11月 第12回全日本選手権準優勝
1981年(昭和56年)11月 第13回全日本選手権準優勝
1982年(昭和57年)11月 第14回全日本選手権ベスト16
1984年(昭和59年)1月 第3回全世界選手権優勝
第2回世界大会では、のちの映画俳優、ドルフ・ラングレンと対戦している
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プロレス
第2回オープントーナメント全世界空手道選手権大会後に新日本プロレスから契約金5,000万円で勧誘されたが、プロレスへの転向を断った
結婚式での出来事
第14回オープントーナメント全日本空手道選手権大会後に引退を宣言し、大山倍達の仲人で結婚式を挙げた。第3回オープントーナメント全世界空手道選手権大会の出場を当初、中村は考えていなかったが、その考えを翻す出来事が結婚式で起きた。それは、大山が祝辞で結婚する両人へお祝いの言葉を述べるのではなく「世界大会の前に結婚して引退するとは何事だ。世界大会に出なさい。それまでは盆も正月もない」と復帰をしろという命令をその場でした。中村の親族はあまりの大山の迫力に、唖然としてしまった。
1977年(昭和52年)4月 日本代表極真会館チームvsハワイ代表チーム対抗戦出場 優勢勝ち 開催地:ハワイ
1977年(昭和52年)10月 第9回オープントーナメント全日本空手道選手権大会3位
1978年(昭和53年)3月 ハワイ大会出場
1978年(昭和53年)11月 第10回全日本選手権3位
1979年(昭和54年)3月 アメリカ・アラバマ州空手道選手権大会重量級3位
1979年(昭和54年)4月 アメリカ・コネチカット州選手権重量級優勝
1979年(昭和54年)5月 第11回全日本選手権優勝
1979年(昭和54年)11月 第2回オープントーナメント全世界空手道選手権大会優勝
1980年(昭和55年)11月 第12回全日本選手権準優勝
1981年(昭和56年)11月 第13回全日本選手権準優勝
1982年(昭和57年)11月 第14回全日本選手権ベスト16
1984年(昭和59年)1月 第3回全世界選手権優勝
第2回世界大会では、のちの映画俳優、ドルフ・ラングレンと対戦している
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