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2015年06月07日

「学び」から逃走する子どもたち 主旨の説明


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「学び」から逃走する子どもたち
 岩波ブックレットNO524 岩波書店
 佐藤 学 東京大学大学院教育学研究科教授を経て
      学習院大学文学部教授

教職を離れて2ヶ月が過ぎ、私自身も「勉強」から「学び」に、ということで、上記の本を「学び」ました。現在小学校高学年から中学2年生までの7から8割が「学び」から逃走しているのが現状のようです。家庭で学ぶ子どもの時間は、世界でも最低になっています。そこで佐藤学氏の「学び」から逃走する子どもたち、という本の主旨について自分なりにまとめてみました。この本は、大学の教職課程でよく使われているそうです。東アジア型の教育の終焉と破綻が「学び」からの逃走の重要な現象として認識しなければなりません。あくまでも自分なりにまとめたものですから、ご理解ください。



教育の急速な近代化は、日本を含む東アジアの国々の特徴である。東アジア型の教育の近代化は、いくつかの特徴を持っている。@「圧縮された近代化」である。教育による社会移動の流動性を高めて、一挙に国民の統合と産業化を推進してきた。社会移動の流動性は、「圧縮された近代化」の最大の推進力で、急速な産業化を可能にした。この「圧縮された近代化」という東アジアの近代化の終焉と破綻が、現在の東アジアの国々の教育危機を考える上で重要である。A競争の教育である。東アジアの国々においては、教育の自由とは競争の自由であり、教育の権利とは競争に参加する権利であり、教育の平等とは競争の機会の平等である。B産業主義化との親和性にある。競争原理による「圧縮された近代化」は、産業主義社会の急速な発展により、受験競争によるピラミッド型の学歴社会の構造を生み出した。C中央集権的官僚主義的な統制である。国家の強力な統制によって教育の「圧縮された近代化」を達成してきた。D強烈なナショナリズムにある。急速な普及と成長を推進する要素として機能してきたが、教育に混乱と混迷をもたらす主要な原因にもなっている。E教育の公共性が未成熟な点である。教育の公共性が国家に吸収されてきたことと、公教育が個人主義的・利己主義的に意識されていることである。以上のような特徴をもつ東アジア型教育の「圧縮された近代化」の終焉と破綻が、「学び」からの逃走という、現象として認識することができる。「学び」からの逃走の背景に家庭の崩壊と、一連の教育改革の失敗がある。「学び」からの逃走を克服するために、「勉強」から「学び」への転換をはかる必要がある。学ぶ意味を見失い、学ぶ仲間を見失い、学びを支える教師を見失い、自分自身を見失って彷徨しているのが一番の危機である。第一の課題は「モノや人やこと」との出会いと対話による「活動的な学び」を実現すること。第二は、他者との対話による「協同的な学び」を実現すること。第三は、知識や技能を獲得し蓄積する「勉強」から脱皮して、知識や技能を表現し共有し吟味する「学び」を実現すること。大人が子供達とまなざしを共有し、学びを問い直しながら子どもと手を携えて学びの世界を開くとき、社会と教育を覆っているニヒリズムとシニシズムを克服して、未来を開く学びを創造する闘いを開始できるに違いないと考える。







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