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2017年10月30日

vol.10 ありがとう

10年ほど前に、僕の相方が作った
『ありがとう。』という歌がある。

この歌は、僕の嫁ちゃんが
4人目の子どもが生んだ時
僕の気持ちを代弁して
相方が作ってくれた。

いつも側に居ててくれる
素敵な笑顔に癒されるから
面と向かっては照れるけど
君に伝えたい『ありがとう』

サビの部分のこの歌詞が好きで
今でもライブで唄い続けてる。

あなたは大切な人に
『ありがとう』と伝えていますか?

そう聞かれると…

僕は、大切な人に
『ありがとう』って
言えてないことに気づく。

いつもそこにいることが当たり前になり
何かをしてもらって当たり前で
炊事洗濯をしてもらうことが当たり前

そうなると
毎日の暮らしが当たり前になる。

日々の生活が当たり前だと思い込み
『ありがとう』と言う言葉を
言わないことが当たり前になる。

『ありがとう』の反対の意味が
『当たり前』という言葉だ。

僕たちの心から感謝がなくなると
『当たり前』が増えていく…

いつでも感謝ができる人は、
なかなかいない。
それでも少し意識をすることで、
感謝はできる。
『ありがとう』は言える。

初めは少し恥ずかしいかも知れない。
その恥ずかしさを越えた時
大切な人に心からの
『ありがとう』が言える。

想いは口に出して伝えよう!

毎日僕のメルマガを読んでくれて
『ありがとう』

さぁ、あなたも大切な人に伝えよう!
『出逢ってくれて ありがとう』



2017年10月27日

vol.9 笑顔

笑顔には人を和ませる力がある。
笑顔でいるだけで人に好かれる。
笑顔でいると幸せな気持ちになる。

僕は数年前に
そのことを知った。

うちの親父は、
家ではほとんど笑わない人だった。
おまけに無口で頑固で偏屈
それが親父だと思っていた。

僕はそんな親父が苦手で、
小学校の高学年くらいから
ほとんど会話がなくなった。

その頃から僕は、
顔色を伺うことを覚えた。

同じ家族なのに、
機嫌を損ねまいと
いつも神経を使って生きていた。

今思えば、
もっと笑顔で話かけてあげれたならば、
親父はどれだけ幸せを
感じれたのだろうと反省する。

数年前に親父が他界するまで
僕は親父には甘えた記憶がない。

親父がなくなってから
僕の耳に入ってきたのは…

家以外での親父は
ニコニコとしてよく笑い
とても愛想が良い人だった!

親父に似てることが
僕のコンプレックスだった。
声も顔も性格も…
そんな親父が残してくれたものがある。

親父にそっくりな僕を見て
近所の人たちは口を揃えたように言う。

『あんたはお父さんに似て、良い笑顔やね!』

親孝行したい時には親はなし

親父が居なくなって気づくことが
たくさんあった…

昨年初めて唄いに行ったお店のマスターから
『俺はお前のそのキャラが好きじゃ!』
『お前はほんとええ笑顔やのぉ』
と褒められた。
そのことがとても嬉しかった。

親父譲りの笑顔と愛嬌で
これからもがんばろう!
そう思うことができた。

笑顔でいることは
誰にでもできる。

少しだけ気持ちに余裕を持って
鏡の前で笑顔のチェック。

IMG_0386.JPG

今日も素敵な笑顔で
行ってらっしゃい!



タグ:笑顔

2017年10月26日

vol.8 壁は乗り越えられる





今までにどれだけ
壁を乗り越えてきただろう?

数え切れないほどの壁を乗り越えてきた。
そして、そのことが自信になった。

目の前に大きな壁が立ちはだかった時、
もうダメだとあきらめてしまうことは
簡単なことだと、ある偉人は言う。

この壁は乗り越えられない
もう無理だ、諦めようと、
自分を恨み卑下し
苦しみ泣きつぶれた夜もある。

何度もつまづき
何度挫けたことか…

僕が落ち込み挫ける度に
励ましてくれる人がいた。

『ここで腐ってはいけない!』
と励ましてくれた先輩の言葉に
涙したこともある。

『大丈夫!大丈夫!』と
いつも笑顔で支えてくれる先輩に
何度も励ましてもらった。

どんなに不可能と思える壁だとしても、
乗り越えられない壁はない。

それは、
今だから言える言葉かもしれない。

本当に苦しい時というのは、無我夢中だ。
だから、どうやって壁を乗り越えたかなんて覚えていない。
ただ、その必死さこそが、
壁を乗り越えるポイントになる。

その壁を乗り越えるために
全力を出せているか?
ありとあらゆる努力をしているか?
余力も残らないほど全力を傾けた時、
大きな壁は乗り越えられる。

僕は苦しみの中で
その事を知った。

壁にぶち当たった時は
どうしようもないほど苦しいかもしれない。

しかしその苦しみも
すべてあなたが生まれる前に
決めてきたものなんだ!

僕の大好きなイチローは語る。

『壁というのは、
できる人にしかやってこない。
超えられる可能性がある人にしか
やってこない。だから、
壁がある時はチャンスだと思っている』

壁と捉えるか
チャンスと捉えるかで
人生は大きくかわる。

ピンチをチャンスに変えよう!

きっとあなたなら
その壁を乗り越えられる!

ベルリンの壁.jpg

2017年10月25日

vol.7 奇跡



あなたは奇跡を信じますか?

いつの日か僕は、
奇跡を信じるようになった。

何でこんな家に生まれてきたんやろう?
何で僕には彼女ができないんだろう?
何で?何で?
って思ってばかりいた10代

その頃、僕が想う奇跡と言えば
自由になることと、
彼女ができるということだった(笑)

その両方が一気に叶った20代のはじめ
奇跡は起こることを知った。

僕の尊敬する方が
私の趣味は、
“奇跡を起こすこと”だと
笑いながら言われた。
そのことが、すごく印象に残っている。

その方曰く、
奇跡とは何か…?

奇跡というのは、
滅多に起きるものでなく
まったく起こらないものは
奇跡とは言わない。
頻繁に起こることも奇跡ではない。

タンポポは固いアスファルトを突き破り
花を咲かせる。
一見不可能に見えることも、
実は、力を一点に集中することで、
不可能を可能にすることができる。

これが奇跡なんだ!

人は無理なことは不可能だと思い込む。
しかし、それはやってみなければわからない。

僕の座右の銘は、
やってやれないことはない。
やらずにできるわけがない。

何事もあきらめた地点で物事は終わる。

奇跡とは、
あきらめないこと。

不可能を可能にしようとする
その一途な想いが奇跡を起こす。

あなたの心が奇跡を起こすんだ!

あなたが今朝、
目覚めたことから奇跡は始まる。

実は…
あなたが生まれてきたことが奇跡で、
あなたが今日まで生きてきたことが奇跡
あなたが出会うすべての人達が奇跡なんだ!

奇跡は起こる!

今日も奇跡の一日を!



2017年10月24日

vol.6 夢

僕の好きな作曲家の方の歌に、

この地球にあるものみんな
誰かの夢でできている。

という歌詞がある。

あなたには夢がありますか?

小さい頃、僕は野球選手になりたかった。
小学生の頃は、プロレスラー(笑)
中学生の頃に、歌手になりたいと思い始め
そこからの夢は、ずっとミュージシャンだ。

夢はいつも側にあった。
夢はいつも力を与えてくれた。

ある先輩に教えてもらったことがある。
『夢は掴める!』
夢を掴むために目標を立てよう!

目標とは、壁を破るための手段だ。

夢を現実にするために、
いつまでに
何をするのか
という目標をたてる。

自分が目指すものを
できるだけ具体的にイメージする。

このイメージができるかどうかが
すごく大事になる。

イメージすることによって
不可能が可能になる。
そして、夢が現実になる。

夢を現実させる為に必要なものは、
“あきらめない”ということだと思う。

ほとんどの人は、
夢なかばで諦めてしまう。

何故か?

その夢を
応援してくれる仲間がいないからだ。
転けそうになった時、
挫けそうになった時、
支えてくれる人がいないからだ。

僕はありがたい事に、
応援してくれる仲間や
支えてくれる人に
出会うことができた。

何があっても夢だけは忘れる事なく
生きてきた。

その人に必要なことであれば
必ず夢は叶う。

僕はそう信じている。

だからあなたも、
夢を持ち、夢に向けて
一歩踏み出してみよう!

DREAM&DREAM



タグ: 夢は叶う

2017年10月23日

vol.5 幸福の女神

これは、お母んに教えてもらった話

うちの両親は、
僕が小学3年の時に離婚した。
僕は妹と二人、親父に引き取られた。

それから数年が経ち
僕が二十歳の頃
訳あってお母んと半年ほど暮らした。

その頃の僕は、
よっぽど生気のない顔をしていたのだろう(笑)

僕に会うなり、お母んが言った。
『あんたの目は死んじょるよ』

一緒に暮らした半年間で
お母んは僕に、
いろんなことを教えてくれた。

一番初めに教えてくれた話が
『幸福の女神』だった。

いいかね。よく覚えておきなさい。
幸福の女神ってのは
前髪しかないんよ!
しかも、あんたの目の前を
一瞬で通り過ぎる。

その一瞬の間に、
前髪を掴んだ者だけが幸せになる。

やから、あんたがボサっとしとると
幸福の女神はあんたの目の前を通り過ぎてしまうんよ!

あんたの前を通り過ぎる
幸福の女神に
まず気づきなさい!

そして、
チャンス(前髪)は自分で掴み取りなさい!
両手でしっかり掴みなさい!

やりたいことがあるなら
やってみなさい!

後から悔いるくらいなら
行動をしなさい!

その人に、『幸福の女神』は訪れる。

この話を聞いたのは20年前
この話を思いだす度に、
今でも鮮明にあの時の衝撃が蘇る。

あれから何度
僕の前を『幸福の女神』は
訪れただろう…

僕は今とても幸せです。

きっとあなたの目の前にも
『幸福の女神』はやってくる。

チャンスは必ずやってくる!



2017年10月19日

vol.4  仕事

感謝看板.jpg

朝が苦手だった
朝の憂鬱が嫌いだった
仕事に行かなきゃいけない
そう思うことが怖かった…

どうして人は朝から仕事をするのか?
なんてことを本気で考えたこともある(笑)

『働く』とは
傍を楽にすること

そう教えてもらっても
なかなか腑に落ちないでいた。

仕事することが苦手だった。
逃げてばかりの人生だった。

仕事以外のことなら本気になれるのに
仕事となると
途端に力が入らない…

嫌なことから目を背け
人と比べて生きてきた。

そんな生き方を変えてくれた言葉がある。

『あなたには大切にしたい人がいますか? 』
この言葉に出会い衝撃を受けた。

そしてこう続く…

『その人は笑っていますか? その人を幸せにするために、あなたはどう命を使いますか?』

『大切にしたい人』
そう想える人の存在が力をくれる。

それは家族だったり、恋人だったり、友達だったり、仲間であったり…

『この人の為なら』
あなたにはそう想える人がいるだろうか?
その人のために命を使うことができているだろうか?

誰かのために動くことが
『仕える』『事』になる。

さぁ今日も『仕える事』を始めよう!



2017年10月18日

vol.3 勇気






一歩踏み出す勇気があれば
大概のことは乗り越えられる


ただ、その勇気を
出せる人と、出せない人がいる

その違いは天と地との差があると
僕は思う。

でも…
どちらかと言えば、
勇気を出せない人の方が多いのが
この世の中だと感じる。

勇気とは何だろう…?

目の前で溺れている人を見て
助けようとするのは勇気

好きな人に告白するのも勇気

苦しい時に苦しいと言えるのも勇気

誰かを傷つけた時『ごめんなさい』と
いうことも勇気

『ありがとう』って
素直に言えることも勇気

勇気は身近に存在する

だからあなたもちょっとだけ
勇気を出してみて。

僕は、
その勇気の積み重ねが
自分を変えていくことを知った。

あなたの勇気があなたを変える。
まずは自分にできることをやってみる
さぁ今日からスタート!

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2017年10月17日

vol.2 今日はいい日だ!

2年ほど前、僕は心が折れました。
それまではどんな苦しくても
心が折れるまではいきませんでした。

心が折れるとは、よっぽどです。

苦しみの渦中にある僕を救ってくれた方が
僕の現在のお師匠さんです。

そのお師匠さんのおかげで
今の自分がいます。

僕の尊敬する人の言葉に
誰と出会うかで人生は大きく変わる
という言葉があります。

僕はこの言葉通りの体験を
たくさんしてきました。

人生の節目節目で
必ず素晴らしい人に出会って来た自分がいます。

たった少しの出会いでも
人生を左右する縁を持っていることがある。

今日は誰に出会うかな?

まだ見ぬ人との出会いが
あなたの人生を変えるかもしれない。

今日出会う人の中に
あなたを変える人がいるかもしれない。

だから毎朝想う。
今日はいい日だ!



2017年10月16日

Daddy上田のこっそり教えちゃろう!





はじめまして!
Daddy上田と申します。

Daddy上田のちょっと聴いちゃり!
ということでメルマガを配信させてもらっております。

ここでは、バックナンバーを随時アップしていきますので、
どうぞよろしくお願い致します。

初めてという事で、
今日は自己紹介をしてみます。

1975年 僕は上田家の長男として、
本州の一番端の町に生まれた。

10歳の時に両親が離婚してね。
父親に引き取られ、ばあちゃんと叔父に育てられた。
14歳の時に叔父の影響で矢沢永吉を知ることになる。
『成りあがり』を読み、彼の生き方に感銘を受けた。
心の奥でミュージシャンになりたいという思いが芽生えたのもこの時期かな。

中学時代の親友が、
ブルースハープを教えてくれたのをきっかけに、
19歳の時 その友人の影響でギターを弾き始めた。
ようやくFのコードが抑えられるようになると、
小倉駅の路上でストリートミュージシャンとしての活動を始めた。

父親とウマが合わない俺は、
家に居りづらくてね。
何度も家出を繰り返し、
生活費を歌で稼ぐようになった。

そのことをきっかけに
プロのミュージシャンになりたい!
その想いは益々大きくなった。

仕事もせずに歌でお金を稼ぐ中
一人の女性と出逢う。
この女性との出逢いが僕の運命を変えた。

彼女になるまで半年かかった(笑)
生まれて初めての奇跡の体験やった。

実はね。この時…
僕は初めて女性と付き合った。

お付き合いを初めて2ヶ月が過ぎた頃
2度目の奇跡が起きる。
彼女の家に泊まりに行ったのを期に同棲を始めた(笑)

ミュージシャンを目指す僕は
彼女に言った。
『俺と一緒に東京に行ってくれんか?』

思いもかけない彼女の答えはNO…

プロのミュージシャンになりたいという夢をあきらめ、
僕は大好きな彼女と結婚した。

それからしばらくの間、仕事をするようになる。
しかし、夢をあきらめきれずにいる僕は仕事が長続きせず、
仕事を転々とした。
嫁ちゃんの親からも非難され始めた。

『あんなのと結婚さすんやなかった!』

嫁ちゃんの口から聞いたこの言葉は
一生頭から消えることはないと思う。

そんな頃に長男が誕生した。
このままではいけん…
そう思った僕は
朝が苦手な自分に合った仕事を見つけた。

その仕事は牛乳屋の店長だった。

この仕事が俺をもう一度、
音楽の道に引き戻すことになった。

僕が入社して二週間…
一人の男が入社してきた。
以来こいつとは、くされ縁になる。

この男との出逢いが人生を変える。
25歳の時 この男とアコギデュオ 『ミルクスタッフ』を結成。
下関の路上を中心に活動し始める。
音楽に飢えた時代やった。

オリジナルミニアルバムを3枚出した。
現在は活動休止中…

34歳の時 人生初のバンド 『UGG』のヴォーカルとして活動する。
インディーズとして、
シングルCD1枚と、8曲入りアルバム1枚を作る。

しかし、わずか1年足らずでバンドを脱退。
この時初めて音楽活動を止めようと思い悩んだ。

2011年3月11日
東日本大震災発生

翌月、相方から電話をもらった。
『もう一度一緒にやろうや!』

ちょうどその頃、下関市の火の山展望台にて
東日本大震災復興チャリティーライブが行われていた。

毎月第3日曜日
この年の夏から、ミルクスタッフとしてレギュラーで出演し始める。
ここからいろんなミュージシャンとの縁が広がった。

2013年3月 運命的な出会いをする。
JR黒井村駅前にある『髪結床』という美容室で
毎月一回プロアマ問わず、音楽好きな仲間が集い
ライブをしていた。
相方に誘われて初めて『髪結床』に歌いに行った。
そしてそこで運命的な出会いをする。

38歳の時 町に元気を!との想いから
ただ一人、無人駅ライブを開始した。

誰もいない無人駅…
ここに焦点をあて
ここで歌う。
意味があるのかないのかわからない。
しかし、多くの人に励まされ応援をいただき、
今日まで続けてきている。

そしてこの年『髪結床』にて、
プロミュージシャンの津田圓三師匠と笑撃的な出会いをする。
圓三師匠に出逢い縁したことで、
これまで諦めていた夢をもう一度観るようになった。

『俺はプロのミュージシャンになる!』

そして現在…
シンガーソングライター津田圓三氏の二代目として、
Daddyの名を継ぎ、Daddy上田として、
無人駅ライブを持続し幅広く活躍中!

Daddy上田の更なる活躍に乞うご期待!

多くの人に支えられ、仕事をしながら
ミュージシャンとしてがんばっています!

あなたの街にもお伺いできるよう
がんばって参ります!

これを縁に、応援よろしくお願い致します♪

最後まで読んで下さり、
ありがとう
感謝しています♪

IMG_0386.JPG



Daddy上田でした
タグ:Daddy上田
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