2016年08月16日
【報告】明智光秀公 首塚
久しぶりの更新。
明智光秀を偲び、ゆかりの地を訪ねて始めたブログ。
更に2年ちかく更新してませんでした・・・・
生きてましたよ
てことでまたまた久しぶりに縁の地に行ってきたので報告します。
2011年5月に訪問した亀岡の首塚
https://fanblogs.jp/akechimituhide/archive/31/0
とは異なり、ここには京都市東山区。骨壺も納められています。
2014年12月に更新した内容の続きとなる場所
天正10年(1582年)、本能寺にいた主君の織田信長を急襲した明智光秀は、すぐ後の山崎(天王山)の
戦いで羽柴秀吉(豊臣秀吉)に敗れ、近江の坂本城へ逃れる途中、小栗栖の竹藪で農民に襲われて自刀、最後を遂げたと言われる。
家来が、光秀の首を落とし、知恩院の近くまできたが、夜が明けたため、この地に首を埋めたと伝えられている。
京都市
世界ふしぎ発見
第1401回
新説 本能寺の変 434年目の真実
2016年7月9日 夜9時〜
リンクhttp://www.tbs.co.jp/f-hakken/bknm/20160709/p_1.html
にて放送されました。
明智光秀公を尊ぶ者としては非常に嬉しく想いました。
「本能寺の変 四二七年目の真実」の著者、御氏族である明智憲三郎さんも拝顔させて頂き喜びもひとしお。
目印となる場所はここ!
「餅寅」
江戸時代から続く老舗の和菓子屋さん。代々敷地内にある首塚の祠を守ってきました。
名物は光秀まんじゅう
お店の外観
お店の角地には明智光秀墳の石碑が
続く
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投稿者:akechimituhide|20:12|明智 明智光秀 織田信長 首塚 墓 歴史
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