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2019年05月19日

天海=明智光秀 延暦寺

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2017年10月04日

足利義秋

実はわたくし、山崎の合戦にて明智光秀公に使え参戦した小川 祐忠の末裔。
切っても切れない縁なのです。

関ヶ原の戦いでは寝返り、子孫を残すために必死だったんです。
その結果私がいるのです。

私にとって祐忠は裏切り者でも何でもありません。
私がいる意味です。

家紋は明智光秀公が擁護していた足利家の家紋を頂いております。

今後とも宜しくお願いいたします。


2016年08月16日

【報告】明智光秀公 首塚


久しぶりの更新。

明智光秀を偲び、ゆかりの地を訪ねて始めたブログ。

更に2年ちかく更新してませんでした・・・・

生きてましたよ

てことでまたまた久しぶりに縁の地に行ってきたので報告します。

2011年5月に訪問した亀岡の首塚
http://fanblogs.jp/akechimituhide/archive/31/0

とは異なり、ここには京都市東山区。骨壺も納められています。



2014年12月に更新した内容の続きとなる場所

天正10年(1582年)、本能寺にいた主君の織田信長を急襲した明智光秀は、すぐ後の山崎(天王山)の

戦いで羽柴秀吉(豊臣秀吉)に敗れ、近江の坂本城へ逃れる途中、小栗栖の竹藪で農民に襲われて自刀、最後を遂げたと言われる。

家来が、光秀の首を落とし、知恩院の近くまできたが、夜が明けたため、この地に首を埋めたと伝えられている。
                                                                   京都市



世界ふしぎ発見
第1401回
新説 本能寺の変 434年目の真実

2016年7月9日 夜9時〜
リンクhttp://www.tbs.co.jp/f-hakken/bknm/20160709/p_1.html

にて放送されました。

明智光秀公を尊ぶ者としては非常に嬉しく想いました。

「本能寺の変 四二七年目の真実」の著者、御氏族である明智憲三郎さんも拝顔させて頂き喜びもひとしお。



目印となる場所はここ! 

「餅寅」

江戸時代から続く老舗の和菓子屋さん。代々敷地内にある首塚の祠を守ってきました。

名物は光秀まんじゅう



お店の外観明智光秀 饅頭 首塚



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お店の角地には明智光秀墳の石碑が
明智光秀 首塚

続く


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2014年12月23日

明智光秀最後の地 明智藪・本経寺境内

久しぶりの更新。

明智光秀を偲び、ゆかりの地を訪ねて始めたブログ。

2年以上更新してませんでした・・・・

生きてましたよ

てことで今日は久しぶりに縁の地に行ってきたので報告します。



1582年山崎の合戦に敗れ、坂本城へ退却しようとした光秀。
2014年での推奨ルートは

徒歩では6時間半もかかるんですね。

その道半ばにある本経寺。

【明智軍記】にある、「小栗栖の竹薮で土民の竹槍に刺された」とされている場所。
本能寺の変を起こし、秀吉との天下分け目の合戦(山崎の合戦)に敗れた光秀はここ小栗栖で息絶えたとされている。



小栗栖街道から中に入ると小栗栖八幡宮前に案内標識がありました。
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標識に従って道を進むとさらにお地蔵さん横に標識。
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更に進むと民家前にまた標識。
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まずは本経寺へ向かいます。
ここから少し坂道を登るともう境内にはいります。
外観
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階段を上り、本堂左側にありました。
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供養塔。
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このホームページをご覧の方は明智光秀公に少しでも興味がある方だと思うので是非近くにお立ち寄りの際はお参りください。






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明智光秀公追善法要

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命日に行われる法要。
菩提寺とされる滋賀県は西教寺。

明智光秀公を慕う者であれば是非参加されてみては。

明智光秀顕彰会
http://akechimitsuhide.net/






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2012年05月24日

本能寺跡地

この季節、歴史的事象が。

信長の首は何処に。




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2011年08月23日

明智左馬之助の恋









2011年05月21日

明智光秀公首塚〜亀岡〜


京都は今日は暑い。
この時期に永代語り継がれる歴史的事象が発現する。
天正10年(1582年)5/15徳川家康が安土城の織田信長に招かれ参上、接待役明智光秀公による歓待を受ける。 この時に「本能寺の変」への大詰めとして、家康・細川藤孝(幽斎)・光秀公の密談が行われたのであろう。
5/17織田信長が明智光秀公に、徳川家康の接待役を解き中国出陣を命じる。その理由は諸説あるが長年にわたり尽力を尽くし築き上げた亀岡・福知山の地を奪われた光秀公の心中は察する。


写真は谷性寺(亀岡市)。光秀公首塚は白川筋にもある。谷性寺の首塚は亀岡の民に愛された光秀公を偲んで造られたのではないかと考えられる。


『心しらぬ人は何とも謂はば謂へ 身をも惜まじ名をも惜まじ』






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2011年05月05日

明智光秀展

戦国武将の明智光秀直筆の書状やゆかりの品が見られる「明智光秀展」が、大津市坂本5の西教寺で開かれている。5日まで。

 坂本城主だった光秀は西教寺とのかかわりが深く、光秀の命日とされる6月14日に営まれる法要前の大型連休に合わせ、寺が保管するゆかりの品が公開されている。

 本堂隣の表書院に戦死した部下18人を供養した際の光秀直筆の書状などを展示。主催側が現代語に訳した明智家の軍法も掲示され、光秀の人となりに触れることができる。

 主催する明智光秀公顕彰会の中島真瑞代表幹事(74)は「ファンが多い武将。展示品で人物像を感じ取ってほしい」と話す。
毎日jpより








2011年05月04日

明智光秀公の高野山墓(高野山昭和初期)

ある古本屋で珍しい写真を見つけた。現在の高野山明智光秀公の墓とはかけ離れた質素な墓。

上記写真裏面。

現在↓
明智光秀.jpg





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