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2017年11月25日

会津の旅「湯野上温泉」

茅葺き屋根がどこか懐かしい「湯野上温泉駅」は、大内宿の最寄り駅で、多くの観光客に利用されています。駅横にある広場には足湯もあり、待ち時間の間、
くつろぐこともできます。
川沿いには、温泉宿が点在し秘湯の雰囲気をかもしだしています。

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2017年11月23日

会津の旅「東山温泉」

東山温泉の歴史は古く、開湯は、天平年間に行基によってなされたと伝えられています。
江戸時代には会津藩の湯治場として栄え、会津若松の奥座敷として発展しました。
民謡・会津磐梯山に登場する小原庄助ゆかりの温泉でもあります。

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泉質は、硫酸塩泉(カルシウム・ナトリウム-硫酸塩・塩化物温泉)で、効能はリウマチ性疾患・運動器障害・慢性皮膚疾患など。

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幕末の戊辰戦争時、新撰組副長・土方歳三が戦傷を癒したことでも有名です


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毎年お盆には(8月13〜8月15日)、東山温泉盆踊りが実施され多くの観光客や見物客で賑わいます。

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2017年11月20日

会津の旅「鳥追観音」

西会津町にある鳥追観音如法寺は、仏都会津の祖・徳一大師が、千二百年前の平安初期大同2年(807)に、会津の西方浄土として御開創なされた屈指の観音霊場です。

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御本尊鳥追聖観音は、僧・行基御作と伝えられ、衆生を導いてこの世の寿命を全うさせ、あの世は西方浄土の阿弥陀仏の世界へ安楽往生させるという御誓願と、子授け・安産・子育て・厄除け・健康・長寿の広大無辺なご利益から、老若男女の厚い信仰を集めています。

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また、会津ころり三観音の一つとしても知られます。観音堂の欄間の彫刻は左甚五郎作といわれ、隠れ三猿が有名です。

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2017年11月19日

会津の旅「大内宿」

江戸時代の宿場町の姿を今に残す南会津下郷町の大内宿です。


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現在は多くの観光客で賑わい長ネギを箸代わりに食す高遠そば等が有名ですが、この大内宿(村)は、その昔は山本村という名称でした。

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後白河天皇の第二皇子・高倉以仁王(たかくら もちひとおう)が1180年、源三位頼政と平家・平清盛を倒すため兵を挙げましたが宇治での戦いで敗れ、渡部唱等と越後国小国の源頼之を頼って逃亡しました。その途中、当時の山本村(現在の大内宿)に逗留され「高峰の風吹き戻す山本にこころとどめし道しるべして」と詠い、この里が宮中の大内(だいり)によく似ているということで大内と改めたといわれます。

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以後、大内村となり江戸時代から幕末にかけ会津藩の交通の要所として重要な宿場町となりました。


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2017年11月18日

会津の旅「新宮長床」

喜多方市にある新宮熊野神社長床のライトアップが11月15日〜11月22日までの期間(17:30から19:30)開催されています。ご神木の樹齢800年以上と言われる大銀杏が見事です。

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元々新宮熊野神社は、平安時代後期の天喜3年(1055年)前九年の役の際に源頼義が戦勝祈願のために熊野堂村(会津若松市)に熊野神社を勧請したのが始まりであるといわれ、その後、寛治3年(1089年)後三年の役の時に源義家が現在の地に熊野新宮社を遷座・造営したといいます。この時、同時に熊野本宮社を岩沢村(喜多方市上三宮町)、熊野那智社を宇津野村(喜多方市熱塩加納町宇津野)に遷座・造営しましたが、後年、この2社は新宮社に遷され、現在、神社には本宮・新宮・那智の3社が祀られています。

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最盛期には300余の末社や寺院・霊堂が立ち並び、100人以上の神職がいましたが、12世紀末に越後の城長茂の押領により一時衰退し、その後、源頼朝によって200町歩の領田を与えられて再び勢力を取り戻しました。奥州合戦後に会津を与えられた佐原義連の孫・時連は神社の北東に新宮城を築いて新宮氏を名乗り、これ以後約200年間会津盆地北西部(現在の喜多方市一帯)を支配することとなりました。新宮氏が蘆名氏に滅ぼされると、後ろ盾を失ったことから神社は衰退していき、16世紀後半になると戦乱に巻き込まれた影響もあって社殿は荒れ果てたものになっていたということです。

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慶長年間に入り蒲生秀行が会津領主の時に50石を支給されましたが、慶長16年(1611年)の会津地震で本殿以外の建物は全て倒壊してしまい、その後、慶長19年(1614年)、蒲生忠郷によってかつてのものよりも一回り小さい拝殿(長床)が再建され、会津松平氏時代は祈願所とされ、度々藩主の代参が行われました。明治時代初めに廃仏毀釈のあおりを受けて多くの仏像や文化財が失われてしまいましたが、神社は存続し、現在は神社近辺の集落住民で結成された保存会によって維持管理されています。

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2017年11月16日

会津の旅「会津坂下町」

         
 かつては越後(会津)街道の宿場町として賑わった会津坂下町です。

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                 旧越後(会津)街道の束松峠


現在は、国道49号線沿いに街が形成されています。

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坂下町には、会津ころり三観音の一つ、恵隆寺はじめ宇内薬師堂や吉田松陰も立ち寄った心清水八幡神社等々歴史的建造物が多数現存しています。

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                  恵隆寺(立木観音)

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                   宇内薬師堂

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                  心清水八幡神社


また、昭和の大スター「春日八郎」の生誕地でもあります。今でも夕方5時になると、名曲・別れの一本杉が町中に響き渡ります。

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会津坂下町は、会津馬刺し発祥の地とされ多くの精肉店が点在します。なかでも国道49号線沿いにある「ドライブインほり」は駐車場も広く、多くの観光客が訪れています。

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会津坂下町は、古代の史跡も多くあり古墳も点在しています。町の中に公園として利用されている古墳址もあり、歴史好きにはたまらない隠れスポットです。平安時代の城址もあり、かつては会津の中心的な土地柄であったようです。
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公園として利用されている杵ヶ森古墳



幕末の会津戦争で娘子隊を指揮し、壮烈な戦死を遂げた中野竹子の墓も、ここ坂下町にあります。

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会津地方は、そば処で有名ですが、この坂下町も美味しいお蕎麦屋さんがあります。お勧めは国道49号線沿いにある「紋平茶屋」。ここは、三種類のつけだれで蕎麦を楽しめます。

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実は坂下町には一押しの蕎麦屋があります。場所は非常に分かりずらいのですが、「水車」とかいて「くるまや」と読みます。ここの蕎麦は絶品です!

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旧商店街には、冷やしラーメン発祥の店「いしやま」があります。真夏の食べ物と思いきや、このラーメンは真冬に思いつたと言うから驚きです。

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酒も有名で、今や全国的に知られる「飛露喜 」は、ここ会津坂下町の造り酒屋で作られています。

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2017年11月10日

会津の旅「伊佐須美神社」

「会津」という地名は、第10代・崇神天皇の時に派遣された四道将軍、大彦命(おおびこのみこと)、武渟川別命(たけぬなかわわけのみこと)、吉備津彦命(きびつひこのみこと)、丹波道主命(たんばみちぬしのみこと)のうちの2人、北陸道を進んだ大彦命と東海道を進んだ武渟川別命が会津で行き会ったことに由来するといわれ、「相いの津」→「会津」という地名が起こったと伝えられています。2人の将軍が会津の開拓神を祀ったのが伊佐須美神社の創祀とされています。

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楼門そばには、会津五桜の1つ「薄墨桜(うすずみざくら)」があります。花びらは八重に一重が交わり、初めは薄墨を含んだ白色であるが、時期が進むに連れて紅色を帯びていきます。この薄墨桜は会津美里町指定天然記念物に指定されています。

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このほか、境内南の道路を挟んだ地には神苑の「あやめ苑」があります。苑内には約150種・10万株のあやめが植えられており、これらの花が見頃を迎える6月15日から7月5日には「あやめ祭り」が催され多くの観光客が訪れます。

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この地域は、日本一の大粒の梅、高田梅が有名で、1`あたり1,580円ほどする高級品です。

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2017年11月08日

会津の旅「大町通り」

蘆名氏黒川城の城下だったころから、既に大町の町名があったとされています。
会津松平時代に入ると、大町は若松の城下町となり、原ノ町、紺屋町(こんやまち)、北小路町(きたこうじまち)、道場小路町(どうじょうこみちまち)などができました。

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大町は若松城下の城郭外北部、当時の上町に属する町で、大町口の郭門から北方向に向かう通りで、傍出町として一之町、二之町、三之町、四之町、道場小路町があったとされ、大町のうち五之町から北を大町名子屋町といったとされています。当時の若松城下において商業の中心地で、刀鍛冶、荒物屋、茶屋、油屋、絹布屋などをはじめとする店があったほか、通りは若松城下の中心的な通りとして賑わいました。

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この大町通りには、彌勒寺、融通寺、実成寺などの会津藩士縁寺院があります。

彌勒寺は、幕末の会津藩公用方を務めた廣澤安任の廣澤家の菩提寺です。

因みに、廣澤安任は、日本初の牧場経営に成功した人物です。

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融通寺は、天皇家縁の寺で、寺院の大屋根には現在も菊のご紋が見えます。会津戦争の折も、そのおかげで、焼失を免れ、西軍の陣屋として使われました。また、ここは会津のラスト侍といわれる町野主水の町野家の菩提寺としても有名です。


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融通寺に隣接したところに、会津戦争で戦死した西軍の墓地、「西軍墓地」があります。



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実成寺は、会津藩家老・梶原家の菩提寺です。梶原家は、鎌倉幕府の御家人・梶原景時に繋がるそうです。

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ぷら〜と、散歩するだけで、会津の歴史に触れることができる大町通りです。


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会津の旅「会津の基礎をつくった蒲生氏郷」

蒲生氏郷は、天正18年(1590年)の奥州仕置において伊勢より会津に移封され、のちの検地・加増により91万石の大領を与えられました。これはあきらかに奥州の伊達政宗を抑えるための配置でした。また、秀吉は氏郷の器量を恐れ会津に移したとも・・・。その際、「松島侍従(氏郷)を上方に置いておくわけにはいかぬ」と側近に漏らしたとも伝わります。

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         【蒲生氏郷】




会津において、氏郷は会津黒川城を七層楼の天守を有する城へと改築し、鶴ヶ城と名付けられました。


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氏郷が築いた七層の天守は、慶長の大地震(1611)で大きく傾き、加藤明成の時代に鶴ヶ城の大改修が行われ、大手門を北側、天守を5層に改め、石垣を改修・新築、出丸を拡張、空堀に水をたたえるなど鶴ヶ城を現在のような形態としました。
天守閣は戊辰の役で砲撃され、明治7年に取り壊されたが、昭和40年に内部を郷土博物館展示場として再建され、多くの観光客が訪れています。
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            【千少庵の為に、鶴ヶ城本丸内に築かれた茶室・麟閣】


氏郷は切支丹大名で、会津の領民にも改宗を勧め、会津若松市内には天子神社という教会跡があり、支城の置かれた猪苗代にはセミナリオがあったとされます。

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氏郷は農業政策より商業政策を重視し、旧領の日野・松阪の商人を若松に招聘し、定期市の開設、楽市楽座の導入、手工業の奨励等により、江戸時代の会津藩の発展の礎を築きました。

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伊達政宗と度々対立しながらも、天正19年(1591年)の大崎・葛西一揆、九戸政実の乱を制圧するための遠征も行っています。氏郷は和歌にも秀でた文化人で、ある時、政宗は氏郷領内の安達が原の川を挟んだ向かいにある黒塚は自分の領土だと難癖をつけてきました。しかし氏郷は「みちのくの安達が原の黒塚に鬼こもれりといふはまことか」と拾遺和歌集に載っている平兼盛の歌を引用して自分の領地であることを主張し、政宗を黙らせたということです。

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                    【黒漆塗燕尾形兜】


文禄元年(1592年)の文禄の役では、肥前名護屋城へと参陣、この陣中にて体調を崩した氏郷は文禄2年(1593年)11月に会津に帰国したが病状が悪化し、文禄3年(1594年)春に養生のために上洛し、文禄4年(1595年)2月7日、伏見の蒲生屋敷において、病死した。享年40。当初あまりにも早すぎる死に毒殺説等も噂されましたが、今でいう直腸癌だったということです。

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                【会津若松市・興徳寺 蒲生氏郷の墓】
蒲生氏郷の墓がある興徳寺は、会津若松の商店街・神明通りからすぐの所にあります。

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蒲生家の家督は家康の娘との縁組を条件に嫡子の秀行が継いだが、家内不穏の動きから宇都宮に移され12万石に減封され、会津にはやはり伊達政宗に対抗させる目的で上杉景勝が入ることになります。

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 【会津若松市・弘真院  二代・蒲生秀行の墓】  【会津若松市・高巌寺  三代・蒲生忠郷の墓】

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2017年11月07日

会津の旅「白虎隊の学び舎・日新館」

会津藩校日新館は1798年(寛政10年)、会津藩家老・田中玄宰の進言により計画され1803年(享和3年)、若松城の西隣に日新館の校舎が完成します。

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東西約120間(218m)、南北およそ60間(109m)の敷地に水練場や天文台までをも備えた、全国有数の藩校となりました。
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幕末、吉田松陰と宮部鼎蔵が東北旅行を行った際も行きと帰りの二度に渡り立ち寄り日新館教授・高津平蔵と見聞を深めています。

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1868年(慶応4年)、会津戦争により校舎は焼失してしまいます。現存するのは若松城址西側に残る天文台跡のみですが、現在は、観光施設として郊外に日新館が復元されております。

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会津若松市在住、妻、保育士の娘、高2の息子、平凡な50代。 お城・神社・仏閣・史跡巡りが好きです。
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