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2017年10月31日

会津の旅「野口英世」

千円札にもなった野口 英世(のぐち ひでよ)は、1876年(明治9年)11月9日に猪苗代町に生まれます。
現在は、野口記念館として英世の生家も保存されています。野口記念館は磐越自動車道・猪苗代ICからすぐです!
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                     野口英世生家

英世は、幼少の頃、左手に大火傷をおいます。英世のの左手を治すため若松で開業していたアメリカ帰りの医師・渡部鼎の下で左手の手術を受けます。その結果、不自由ながらも左手の指が使えるようになり、英世はこの手術の成功に感激したことがきっかけで医師を目指すこととなりました。
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                会津若松市大町にある旧会陽院跡

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                野口英世像(野口英世青春通り)   

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会津のソールフード・カレー焼きそばは、会津若松市の食堂「トミーフード」が焼きそばにカレーをかけて提供したのが始まり。安さとボリュームが高校生らに受け、やがてほかの飲食店にも広がった。この料理を会津若松市の名物料理として全国に発信しようと、2010年11月に同市の18の飲食店が「会津カレー焼きそばの会」を設立させ、活動をしている。
  

Watanabe_Kanae.gif渡部 鼎(わたなべ かなえ)は、西会津町出身の医師、政治家で、会陽医院院長。衆議院議員を2期務めた。野口英世の左手を手術した人物として知られる。
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                 西会津町にある渡部鼎の墓






会津の旅「西会津」

西会津は、新潟県境の位置する町で、国道49号線、磐越自動車道西会津IC沿いにあります。会津ころり三観音の一つ、鳥追観音や大山祇神社(おおやまづみじんじゃ)が有名です。

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2016041911370000.JPG銚子の口(ちょうしのくち)は、福島県耶麻郡西会津町にある阿賀川の峡谷の中でも特に有名な景勝地。新潟県境に近く只見柳津県立自然公園の最下流部分にあたり、奇岩が両岸よりせりだしている部分で、付近の地形が銚子のくびれに似ていることから名づけられた。幅広だった川が急に十数メートルに狭まって江戸時代の大坂廻米舟運では最大の難所と呼ばれ、人々を苦しめていたという。


西会津は、味噌ラーメンが有名で、なかでも「越後屋」は、道の駅でもお土産用も販売しています。
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会津の旅「芦ノ牧温泉駅」

芦ノ牧温泉の最寄り駅、昨今は、「猫駅長の駅」で全国的に有名になりました。
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この駅の近くに、よく行列ができるラーメンの繁盛店があります。
「牛乳屋食堂」その名のとおり昔は牛乳屋だったそうです。
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「うえんで」うえんでの由来は、昔、この辺りの地名が「上ノ台(うえのだい)」といったそうで、それが地元なまりで、「うえんで」となり、そのまま店名になったそうです。
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2017年10月30日

会津の旅「湯野上温泉」

茅葺き屋根の駅舎が何とも味わい深い「湯野上温泉駅」大内宿の最寄り駅でもあります。
温泉街では湯巡りを実施しており、湯巡り手形を発行し、この湯巡り手形はこけしの形をしており、1つの券で入浴可能な3湯を入湯した後、塔のへつり近くの作業場にて絵付け可能である。
川原には無料で入浴可能な露天風呂が存在したが、この露天風呂は2009年5月7日に公衆浴場法を理由に閉鎖されてしまった。ただし、今でもその付近の河原を掘ると湯が湧き出て野湯を楽しめる。
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泉質は単純温泉 源泉温度60℃、5つの源泉が存在し、それぞれ猿湯、上ノ湯、姥湯、舘ノ湯、舘新湯という名前である。
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近くには大内宿、塔のへつりがあり、これからの紅葉シーズンは多くの観光客が訪れます。
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会津の旅「湯川村」

湯川村は、会津盆地のほぼ中央に位置し、主産業は農業であり、スローガンは「米と文化の里」。コシヒカリの会津湯川米や会津牛、アスパラガスが特産物で、昨今は、ふるさと納税の村としても有名です。湯川村には、徳一によって平安時代初期に開山された勝常寺や蘆名時代に築かれた北田城址などの史跡も残されています。

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勝常寺(しょうじょうじ)は会津地方の河沼郡湯川村にある真言宗豊山派の寺院で、平安時代初期の弘仁年間(810年 - 824年)に法相宗の学僧・徳一大師によって開かれました。当時は、大伽藍と東西の五重塔を持つ大寺院でしたが、火災で焼失、現在は、中門と金堂が存在するのみです。

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会津の旅「七日町(ナヌカマチ)周辺」

七日町の名は、毎月七の日に市が立っていたことからとされます。江戸時代には越後街道の経路で、米沢街道、下野街道も経由しており、問屋、旅龍などが存在していました。特に旅籠の数は多く、幕末には、吉田松陰や土方歳三、新島襄夫妻が宿泊した清水屋旅館はじめ明治時代初期まで30軒の旅籠があったそうです。
沿道にはレオ氏郷南蛮館や洋館、白木屋資料館、阿弥陀寺御三階などが存在し、歴史的景観が楽しめます。また、2002年には只見線七日町駅の駅舎が改修され、アンテナショップなど役割も備えた「駅Cafe.」がオープンしているほか、会津若松市内で運転される観光向けのバス、「ハイカラさん」、「あかべぇ」も七日町通りを経由して観光客に喜ばれています。
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渋川問屋は、江戸時代は乾物問屋として営業していました。現在は、旅館と会津の郷土料理などを提供しています。
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阿弥陀寺は、別名を東軍墓地ともいい、会津戦争の戦死者を埋葬したことろです。境内には、新選組三番隊組長・斉藤一の墓もあります。
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P1010425.JPG慶応4年8月21日、土方歳三らが奮戦するも旧幕府軍800に対し新政府軍2,200、母成峠が突破され、いよいよ新政府軍は若松城下に殺到する結果となりました。鶴ヶ城落城間近の状況下において、会津を共に去ろうと言う土方に対し、斎藤は「ひとたび会津(へ)来たりたれば、今、落城せんとするを見て志を捨て去る、誠義にあらず」と言い放ち、斎藤は、最後まで会津と運命を共にしました。現在は、藤田五郎として、会津若松市七日町の阿弥陀寺に眠っております。

会津観光に人気の周遊バス「ハイカラさん」も七日町から乗車できます。
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2017年10月29日

会津の旅「猪苗代〜裏磐梯」

猪苗代湖(いなわしろこ)は、日本国内で4番目に広い湖で、別名、天鏡湖(てんきょうこ)ともいいます。湖畔には、坂の上の雲のロケにも使われた旧有栖川宮・高松宮翁島別邸・天鏡閣があります。
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猪苗代も蕎麦の産地で有名で、特に「ら・ね〜じゅ」の蕎麦は絶品です!!
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2016042213490000.JPG土日祝日は、行列必至の繁盛店です。
店内に入ってからも、かなり待たされますが
きっちした蕎麦が食べられます。


裏磐梯は、1888年(明治21年)7月15日の磐梯山噴火時に発生した小磐梯の山体崩壊により、裏磐梯側に12〜15億立方メートルともいわれる岩屑(がんせつ)なだれが起きて出来ました。その時、河川がせき止められ桧原湖はじめ五色沼など多くの湖沼群も誕生しました。
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岩屑(がんせつ)雪崩れがおきたところを、そのままゲレンデにした裏磐梯スキー場です。
ゲレンデを登っていくと、その状況がよくわかります。また、裏磐梯湖沼群の水源「銅沼」も見ることができます。
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遠藤現夢は、1888年(明治21年)の磐梯山噴火に伴う膨大な岩屑なだれに覆われて数十年間荒地のままだった裏磐梯を、もう一度野鳥のさえずる森に変えたいと願い、約2年をかけて気の遠くなるような1340haに及ぶ植林をなしとげ、裏磐梯を現在の緑豊かな磐梯高原として蘇らせました。会津戦争当時、現夢は4歳位であり、戦乱で会津の街が一面焦土と化した記憶が焼き付いていたため、自分が裏磐梯を緑に変えようとしたとも言われています。鶴ヶ城に1000本の桜植樹し、全国的桜の名所にしたのも遠藤現夢の功績です。
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P1030928.JPG遠藤現夢の尽力のおかげで現在の裏磐梯の自然が
保たれました。遠藤現夢の碑は、毘沙門沼遊歩道の中にあります。


会津の良さは酒の良さ

会津地方は全国有数の酒の産地でしられ、多くの造り酒屋があります。これは、今から約400年前に蒲生氏郷が上方から優秀な職人を招き入れ、会津の地場産業の基礎を築いたおかげです。


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全国的にも有名になり、なかなか手に入らなくなった「飛露喜」醸造元、廣木酒造酒造は、会津坂下の街中に蔵元さんはあります。
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会津の郷土料理「鰊の山椒漬け」や「馬刺し」は、酒のおともには最高です!
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高遠そば

高遠そば(たかとおそば)は、高遠藩3万石の領主であった保科正之が山形藩20万石を経て会津藩23万石として会津入りした際、一緒に連れて来た蕎麦打ち職人から続く伝統の蕎麦で、辛味大根のしぼり汁で食べるのが特徴です。名前は正之が初めて藩主となった高遠藩に由来して「高遠そば」と呼ばれていますが、会津地方に根ざしてきた会津地方の蕎麦で、近年になり、その名称は発祥地とされる長野県伊那市高遠町に逆輸入されました。
また、元々蕎麦好きだった保科正之が、山形や会津に、そして四代将軍・徳川家綱の補佐をしていた江戸にも蕎麦を広めたと考えられ、信州高遠藩からは徳川将軍家に、寒ざらし蕎麦を献上する慣例もあったそうです。

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2016052113050001.JPGピリッと辛い辛味大根の絞り汁、お好みに合わせて、そばつゆを加えて味を調整します。

2017年10月28日

会津の旅「奥会津」

会津柳津町は、奥会津地方の玄関口に位置します。
福満虚空蔵尊圓蔵寺は、大同2(807)年、徳一大師によって開創された会津を代表する名刹で通称「虚空蔵様」と呼ばれ、親しまれています。日本三大虚空蔵尊の一つとして有名で、歴代の領主・蒲生家、加藤家、松平家はもちろん、織田信長、豊臣秀吉・秀次なども代参し、徳川家からは10万石の待遇で、5年に1度の将軍拝謁を住職に許していました。 会津徳一大師五大寺の一つで、延歴23(804)年、弘法大師空海が唐の修行から帰国してから弘法大師は霊木を3つに分け、海に流した所、現在の千葉県天津小湊町に流れ着いた霊木は能満虚空蔵尊が刻まれ、茨城県東海村では大満虚空蔵尊が刻まれ、柳津町に流れ着いた霊木には、福満虚空蔵尊が刻まれました。それを収めるための圓蔵寺を、大同2(807)年、徳一大師が草創したと伝えられています。境内にある「開運撫牛」を擦りながら願い事をすると叶うといわれています。寺を建立する際の難工事で困っていたら、赤い牛が現れ、材料の運搬など手伝いました。そして、蔓延していた疫病を、追い払ったといいます。 会津の「赤べこ」の発祥の地でもあります。
幕末の会津戦争の折は、越後方面から攻め上がった西軍が、鶴ヶ城と間違え鉄砲を撃ちかけたエピソードも残っております。
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P1030661.JPG寺を建立する際の難工事で苦慮しているところ、どこからともなく赤い牛が現れ、材料の運搬など重労働を手助けしました。そして、蔓延していた疫病をも、追い払ってくれたといいます。


3002-001.jpg会津柳津町の日本三大虚空藏尊・福満虚空藏菩薩圓藏寺の伝統行事、七日堂裸まいりは、千数百年余りの伝統を今に受け継ぐ奇祭で、毎年、凍てつく真冬の1月7日の夜、下帯姿の若い衆が円蔵寺本堂の麻縄によじのぼり、大鰐口を目指します。
この七日堂裸まいりの始まりは、その昔、村に疫病が蔓延し村人は大いに苦しんでいました。そこで只見川の川底に住む龍神から、宝照の球を手に入れて疫病を退散させましたが、その宝照の玉を1月7日の夜に竜神が取り返しにやってきました。そこで信者たちが菊光堂に集まり、大声でもみ合い、大いに騒いだところ、その迫力に竜神も驚き、 姿を隠したという伝説に由来しているそうです。



柳津の名物「粟饅頭」は、1818年(文政元年)6月15日に柳津で大火が発生、円蔵寺の堂塔伽藍や門前の集落が焼けてしまいました。幕府や会津藩等と掛け合い資金を調達して復興に取り組み、1829年(文政12年)8月には、なんとか円蔵寺本堂の再建に至りました。その際「もう二度とこのような災難に『あわ』ないように」との願いを込めて、当時、多く生産されていた粟を使った饅頭を奉納することを思い立ち、門前の菓子職人に作らせたのが始まりと伝えられています。

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会津若松市在住、妻、保育士の娘、高2の息子、平凡な50代。 お城・神社・仏閣・史跡巡りが好きです。
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