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沖家室島D・沖家室中学校跡地

沖家室島 山口県


沖家室中学校は、昭和22年5月、開校。
昭和41年4月、東和中学校に統合された。




































沖家室島C=山口県大島郡周防大島町

沖家室島

島の路地




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海龍山泊清寺

創建年月日未詳。往古は、禅宗であった。

寛文三(1663)年、開基頓誉円隆上人の時、浄土宗知恩院直末寺となった。

江戸時代は、毛利藩主や参勤交代で島に立ち寄る諸大名の本陣を勤めていた。また、長崎奉行・代官の出張、朝鮮信使の御用宿ともなった。

安永二(1773)年より、常念仏の道場となり、栄えた。

文政四(1821)年、現本堂、再建。

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沖家室島B=山口県大島郡周防大島町

沖家室島・常夜灯

海岸に沿って、道路と家並みがつづいている。


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沖家室島A=山口県大島郡周防大島町

沖家室島






沖家室大橋

沖家室島と本島である屋代島とを結ぶ橋。全長380m。






洲崎港






港の風景







常夜灯













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沖家室島@=山口県大島郡周防大島町

沖家室島周防国大島郡のうち、屋代島中部の南海上にある島



沖家室島は、くびれ部があって、二つの島にみえるが、細長い一つの島で、一枚の写真に、その全容を収めることはできなかった。







屋代島本土との間に、潮流の速い沖家室の瀬戸がある。







地家室(じかむろ)に対して、沖にあるので沖家室(おきかむろ)というようになった。













室町時代のものと推定される宝塔の塔身一・相輪一、五輪塔の水輪三・火輪一が、本浦の山の中腹、中三道にあり、また、島には昔から海賊浦と呼ばれている地名もあり、中世には、大島海賊の根拠地であったと推測されている。

石崎善兵衛は、伊予河野氏に仕え、興居島などを領していたが、河野氏滅亡後、一族・家来ともに、手船七艘で、小泊村に着き、屋代村に滞留した後、慶長年間、一族・家来を多数召し連れて沖家室に移住し開拓したという。

江戸時代は、萩藩領。大島宰判に属した。

元禄四(1691)年、江戸に赴いたドイツ人医師ケンペルは、途中、沖家室を望見した。

現代、人の住んでいる島としては、大島郡では最南端という。集落は、本浦(もとうら)と州埼(洲崎・すさき)に分かれている。









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富貴寺にて=大分県豊後高田市

富貴寺 大分県豊後高田市蕗


仁王様と









駐車場にて







昭和39年7月頃撮影









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富貴寺の石塔=大分県豊後高田市

国東塔



国東塔(国東型宝塔ともいう)は、国東半島を中心に分布する宝塔の一地方型で、基礎と塔身の間に反花・蓮華座を有するなど一般の宝塔とやや趣を異にする外観上の特徴がある。

明治45(1912)年3月、京都帝国大学教授天沼俊一は、富貴寺大堂の修理に来県し、境内ニ立つ変わった石塔に興味を持ち、その後、国東半島各地に同形式の石塔が分布していることを知り、所在地に因んで、国東塔と命名した。

国東塔は、大分県内の北部・西部に分布しているが、約9割は国東半島に集中している。








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六地蔵塔


六地蔵は、六道において、衆生の苦患(くげん)を救うという六種の地藏。すなわち、地獄道を化す壇陀(だんだ)、餓鬼道を化す宝珠、畜生道を化す宝印、阿修羅道を化す持地、人間道を化す除蓋障、天道を化す日光の総称。ただし、異説もある。








笠塔婆

鎌倉時代、僧広増によって建てられたと伝えられる。五基。昭和39年7月頃撮影。






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富貴寺=大分県豊後高田市

富貴寺大堂・宝形造の屋根(昭和39年7月頃撮影)。

12世紀頃の建築と推定されている富貴寺大堂(阿弥陀堂)は、現存する九州最古の木造建築物。

屋根は宝形造(ほうぎょうづくり)の瓦葺き。「行基葺き」と呼ばれる、上方がすぼまり、下方が開いた特殊な形の瓦を次々に差し込んでいくものである。






富貴寺大堂・内陣
昭和39年7月頃の撮影。

富貴寺は、養老二(718)年、仁聞の開創と伝える。

大堂(阿弥陀堂)は、12世紀の建築と推定されている。

本尊は、阿弥陀如来。

堂の正面柱間が3間、側面が4間で、正面幅よりも、奥行きが長く、堂内後方に仏壇を置いて、その前方に礼拝のための空間が広く取られている。





阿弥陀如来














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馬城山伝乗寺跡(真木大堂)

馬城山伝乗寺跡(真木大堂)=豊後高田市真中 真木

養老二(718)年、仁聞菩薩の開基と伝える。

藤原時代の阿弥陀如来坐像(木造)・木造不動明王二童子立像・木造大威徳明王像・木造四天王立像の九体が安置されている。

仁王像
昭和39年7月頃撮影



   
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