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現代の闇に潜むコントロールされた不安定な「悪」は隣に住む奇妙な隣人の行動から始まった・・・


最近、映画を見に行った時に、毎回パンフレットを購入する僕なんですが、その日は給料日後の土曜という事もあり新宿のグッズショップを大盛況で約10分ぐらい並び僕の番が回ってきて、720円のパンフレットを1020円出して購入しようとし、可愛らしい店員さんが「先に、商品です」と手渡されその後レシートを受け取り、長蛇の列から解放され、ふと気づくと「300円もらったっけ?」と不確かな疑問にぶち当たり、小銭入れを見ても100円玉3枚の影は無く、もう一度店員さんに確認しようと尋ねたら「そんな事はないです」と笑顔で答えられ、「もう映画も始まるし・・・いいや」と心の何処かではイライラ感を覚え、上映が終わりふと「あ、ヴェノムの前売り買わなきゃ」と思いだし再度、先ほどのショップへと買いに行ったら、またもやあの店員さんで、心の中にある感情をしまいつつ紳士的な対応で臨んでいた最中、その店員さんが前売りの入った袋を渡そうとした瞬間、急に引っ込めてせっせと、袋の折まがった小さい角をせっせと人様の為に綺麗にしようとしていて、その姿を見た瞬間、300円ぽっちで心を荒ぶっていた自分自身が恥かしくなってしまった僕がお送りするNo.movie No.lifeのお時間です。





さて、多分ここ最近で一番前置きが長かったと思うんですが・・・・今回僕が独断と偏見でお送りする作品は上記とは全く関係ない作品でございます。

それは、「クルーピー偽りの隣人」でございます。
え〜実はもう一つご紹介したい作品があったんですが、それは「冷たい熱帯魚」という作品でございました。

この「冷たい熱帯魚」という作品なんですがR18指定で結構グロイ描写があるんですね。
しかも、1994年にあった「埼玉・愛犬家殺人事件」という実際の事件を元に制作されている事もあり僕自身、最初に見た時は少しトラウマ・・・まではいきませんでしたけど衝撃的だったのです。

将来的にはご紹介したいなと思っているのでその時は宜しくお願いします!!


では、今回の「クルーピー偽りの隣人」なんですが、この作品には絶対的な「悪」が基盤となって、それを中心に不透明な悪が重なりあっている映画でもあり、その「悪」という存在は人間をいとも簡単にコントロールできやすい=人間というものは不完全で弱い生き物という事を再認識したような作品でもありました。


そんな、「クルーピー偽りの隣人」では主人公の隣に住んでいる奇妙な隣人に対し、最初は嫌っていた彼らなんですが、変な事から隣人との時間を過ごしていくうちに、いつの間にかその奇妙な隣人に操られ主人公の妻は最初は嫌悪感さえ抱いていたが、最後は隣人の肩を持つようになり、いわゆる「マインドコントロール」と呼ばれるものにハマってしまい、そのせいで主人公は物語が進むに連れ肉体的・精神的に追い詰められていく・・・というめまぐるしい描写も見どころの一つだと思います。

それではここで奇妙な隣人に侵されていくマインドコントロールの恐怖を描いた「クルーピー偽りの隣人」のあらすじをご紹介します。

元刑事でもある高倉は、ある事件をきっかけに警察を辞め大学で犯罪心理学を教えていた。
ある日の大学の放課後、同じ職場の同僚が関東での過去の事件の資料を作っていた。

興味本位で同僚の資料を見ていた高倉は、ふとある一つの事件が目に留まった。

8年前に発生した「日野市一家三人行方不明事件」

元同僚の野上からこの事件の分析を頼まれるのだった。
そんな中、この事件の唯一の被害者である長女・早紀にコンタクトを取り記憶を辿ってみても彼が求めていた
核心にはなかなかたどり着く事が出来なかった。

そんな中、妻・康子と共に引っ越した新居の隣人・西野はどこか奇妙な存在だった。
最初は、高倉も康子も不気味がっていたにも関わらず、康子はいつの間にか高倉に許可も無く西野の娘でもある澪と一緒に新居へと招き入れたり別の日には西野家へ赴いたりしていたのだった。

一方、高倉は行き詰る行方不明事件を分析する中、ある一人の人間が浮かび上がった。
その犯人が新居の隣にいる西野に特徴が類似しておりこの事実に困惑する中、大学から帰宅した時に偶然出会った娘の澪が高倉に驚愕の真実を告げた。

「あの人、お父さんじゃありません。全然知らない人です。」

さて、今夜ご紹介している「クルーピー偽りの隣人」という作品なんですが、見どころの一つに香川照之演じる隣人・西野の怪演が魅力的でございます。

今作の冒頭でも「サイコパス」というワードが登場するんですが、西野という存在も何処かサイコパスのような雰囲気を出しているような感じなんですね。

西野と妻・康子との会話でも何処か会話のキャッチボールが少しずれていたり、観客が彼を見る第1印象で「こいつは何処かオカシい」とイメージ出来てしまう程の演技なんですね。

そんな俳優さんの見どころもそうなんですが、僕自身、今回作品を見て感じたのが上記でも書いたんですが絶対的な「悪」というものが存在し、その周りを不完全な「悪」が蠢いていたという印象でした。
今作で描写されているこの「悪」は殺人とかそのようなものではなく、非常に身勝手なモノであり、人間個々が感じる一般的にも少しだけ常識から反しているという意味でございます。

例えば、西野の娘・澪も、常識では考えられない犯罪行為ですら否定もなく作業のように淡々とこなしている様子も、心の何処かではいけない事と知りながらも、どうしていいか分からないアンバランスに生み出された感情で西野に服従し不完全な「悪」を演じているのです。

さらに劇中内で西野という一家消息不明事件の犯人と思われる人間を調べる為に、犯罪心理学者の高倉も被害者の娘に対してマスコミのような「聞き方」「趣味」「面白い」などとあまりその雰囲気にはそぐわない行動が劇中にて所々あったんです。

被害者の娘の前でそのような不適切な発言をした際に一瞬我に返って「いえ、本気です」と彼女に対し答え直したんですね。
この自分勝手で己の欲求を満たすかのような聞き方に、彼女は高倉に対して「あなたはヒトの心を持ってるんですか」と罵倒までされてしまう始末。

結果、この行為も被害者の家族である彼女からしても「悪」という意味合いになってしまうんですね。
なので高倉という存在は第三者からしてみたら1番?普通?まともという印象があるんですが、上記で書いたように垣間見える彼が持ち合わせている裏の人間性、すなわち「悪」という思いも存在しているという事実も描写しているのかなと思えたんです。

しかし、何も考えずに見てみたら高倉以外の人間が西野によって狂気に侵されていくという部分が目立ち過ぎてしまい高倉目線での感情移入が自然な流れになると思うんですが、その感情移入した先の高倉でさえ、裏の顔、サイコパスな部分を持っていたのであれば、第三者である僕たちもこの作品で登場する偽りの人間性にいつの間にかマインドコントロールされてしまっていたのかもしれません。

上記を含めて今作で人間には表の顔・裏の顔ありそれらを隠す「偽り」が必ず存在するというメッセージ性も含まれているのかなと感じたんですね。

そして、今回はマインドコントロールというテーマも一つだと思うんですが、何故康子は、最初に毛嫌いしていた西野に対して服従するようになったのか・・・僕の独断と偏見なんですが高倉との夫婦生活があまり上手くいってないように思えました。

それを表現するかのように、物語の冒頭は引っ越しのシーンから始まるんですね。
その後、康子が「環境を変えたら・・・」など口走っているシーンや高倉に隠れて電話をして「相手は誰だ!!」と問い詰められた後の康子の異常なまでの豹変ぶりなど、あまりイイ夫婦生活ではないのかなと思ったんですね。

この何処かもどかしくすれ違いな思いを埋める存在が偶然、西野であったり、娘の澪だったような気がするんですよね。

劇中でこの2人と一緒にご飯を作ったり高倉との生活ではあまり考えられない「理想の家族」がポッカリ空いた康子の心を支配してしまったのかなと思ったんですね。

なので、「マインドコントロール」という存在は、人間の心の中に存在する常に個々が欲するモノを手に入れる手段であり、この洗脳によって欲している「モノ」に対して不完全でできるだけ近いものに置き換えてそれで現状納得し満たされていく事では無いのでしょうか。

まー結論から言うと人間が幽霊よりも1番怖いという事ですかね(笑)

そして、その場に置かれている状況に慣れてしまうという行為。
それが当たり前になって逃げられるにも関わらず逃げない、はたまた逃げる事が出来ない。
絶対的な存在に心を支配されバランスが崩れてしまったら人間というものはとても弱い生き物に成り下がってしまうような気がしました。
ん〜この辺りは精神的な見解なので僕は何とも言えないんですが。

でも、実際マインドコントロールでの殺人事件も起きているのも事実なので、一概に映画の中の作り話では済まないかもしれません。
明日は我が身と思いながら自分を信じて頑張って行こうかなと思いまする(笑)

偽られた人間性の中に秘めた「悪」の意識を様々な角度から描写したサスペンス映画。「クルーピー偽りの隣人」

是非ご覧あれ。


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