アフィリエイト広告を利用しています

広告

posted by fanblog

人間が食物連鎖の頂点に立つ時代は、ある日突然終わった・・・いや 突如現れた、得体の知れない生物に食べられた。


皆さんこんばんは。やや欠け月
先日、電車に乗っていた時に、3人組の仕事帰りだろうと思われる男性が乗車してきて、その中の2人が、面白おかしく話している様子を、もう1人が黙って聞いていた光景を数分間見ていると、とある駅に到着し、黙って頷いていた男性が、喋っていた男性2人に何も別れの挨拶も無く他人のように素早く電車から降りていった光景を目の当たりにして思ったのが、もしかしたらその男性はただ、他人である喋っていた2人の男性の会話を聞いていて、共感する部分があったので頷いていたという事なのか?という盗み聞きの大胆さに、勝手に感服してしまった僕がお送りする、NO,movie NO,life!!のお時間でございます。



さて、今年初めての映画ブログでございますが、本当にご無沙汰の更新でございまする。
去年の最後にお送りしましたのが、キョンシー映画だったような気もするんですが・・・

最近、久々に自分の今までご紹介したブログを見て見たんですが、グロい映画しか、紹介していないという事に気付き、このままでは僕の人格まで疑われそうなので、少しは健全な感動作やコメディー系や、あとラブコメなんかも、今年は、頑張ってお送りしていきたいと思っておりまする。

さて、軸の軽い前置きはこの辺にして、今夜ご紹介する作品は、原作コミックに今でも根強いファンが多い、「寄生獣」でございます。

はい、題名からして、これは確実にグロい描写が満載の映画でございます。
今年一発目に、いきなりウソをつきました。

だって、メチャクチャ面白そうじゃないですか(笑)
さて、今夜も僕の独断と偏見でお送りする、NO,movie NO,life!!に、お付き合い下さいませ。

寄生獣と言えば、僕が知る限りかなり昔の作品だと思うんですが、正直僕は原作をそこまで読まずにいきなり映画を見た方なんです。

見終わった後、 なかなか面白くて直ぐに本屋に行って、漫画とその夜はアニメ化されていた寄生獣を見ていました(笑)
それほど、僕の中では面白かった作品なんです。

一言で言ったら、劇中で描かれている描写がフィクションでは無く、明日にでも起こりえる可能性の一つとしても考えられる要素も織り交ぜながら描かれている部分が印象的だったんですね。

それではここで、謎の生物に右手を乗っ取られた青年と人間の脳を乗っ取る寄生生物との戦いを描いた
「寄生獣」のあらすじをご紹介しましょう。


謎の寄生生物パラサイトが現れた。パラサイトは人間の脳に寄生し肉体を操り、人間を捕食していく。
高校生の泉新一にもパラサイトが近づき脳に寄生しようとするが失敗。
パラサイトはやむなく右腕に寄生する。

この信じがたい事態を周囲に話すわけにもいかず、新一は右腕のパラサイトにミギーと名前を付け奇妙な共生生活をするうちに、友情のようなものを感じるようになっていく。
パラサイトは次々に現れ、新一の幼馴染の同級生・里美にも危険が迫る。
人とパラサイトの殺し合いが進む中、高校教師として現れたパラサイトの田宮良子らはそれぞれの考えを持ち始めていた。

地球を破壊する人間を淘汰するために生まれてきたというパラサイトに、生き残りをかけ戦う人間たち。
価値観が揺らぐ中、新一とミギーはパラサイトとの戦いに身を投じていく……。

さて、今夜ご紹介している寄生獣なんですが、ブログの冒頭でも書いたんですが、今、僕たちが生きている、このリアルな現実に起こり得そうなテーマも含まれているんじゃないのかなという部分が凄く印象的だったんですね。

例えば、劇中に登場する寄生生物は、一見普通の人間なんですが、少しでも正体がバレそうになると、何の感情も無くただ無感情に殺してしまうんです。

僕が思ったのはこの寄生生物という生き物は、凄く純粋な生き物だと感じたんです。

彼らのセリフの中に、「人間の数が半分になったら、いくつの森が焼かれずに済むのだろう・・・人間の数が100分の一になったら垂れ流す毒も100分の一になるだろうか?」という言葉が流れるんですが、現実的に考えてこのような事を実際に実行しても100%上手く行くとも限らないし、もし彼らが望む方向に進んだとしても最初に描いていた理想の世界には少なからず実現化は不可能だと思うんですね。

でも、彼らは何も迷いも無くそのセリフを発しているという事から純粋に、言い方を変えれば人間のように「もし」という先の心配など全く考えていない単純な生物とも言えるんです。


他にも、ミギーが新一に、人間は牛や豚など他の生物を食べて生きているのに対して寄生生物は、人間一種のみしか食べないから、人間よりも非常に合理的だという思考回路を持っており、ここでも人間と寄生生物の考え方がハッキリと差別化されているシーンでもあるんです。

さらに、人間となった寄生生物は、同じ姿をした人間のみを捕食するのに対して、寄生されていない人間は同種ではなく、
他の生物の命を奪っていきている‥僕達からすれば、当たり前の事なんですが、寄生生物の立場からだとかなり理不尽で勝手な生き物とみなされているんですね。

少し話がズレましたが、上記の事も含めると物事を常に深く考え生きている人間に対して、
寄生生物がいかに突発的でブレない思考を持ち合わせた純粋な生き物かという部分が伺える事も出来るんです。

原作にも書かれている台詞なんですが、新一がミギーに「この悪魔め」と言う捨てセリフを吐いた後に、ミギーは新一が寝た後、朝方まで、「悪魔」という意味を調べるんです。

そして起きた新一に向かって、「悪魔という意味を色々調べてみたが、それに1番近い存在はやはり人間だと思うぞ」
という結論を新一に伝えるんです。

これらのセリフ、行動、思考回路を含め考えてみたら、今作において描かれている寄生獣という作品は、人間からの観点からの作品であり、その証拠に寄生生物が人間を殺して捕食しているシーンにグロテスクさを感じる事が当たり前と感じ、逆に寄生生物の観点から、この「寄生獣」という作品を描いていったのであれば、人間が当たり前のように、他の動物を無造作に殺し、森林を燃やしこの地球を我がもの顔で歩いている姿に、彼らは我々人間を「悪魔」という表現を使って呼ぶかもしれませんね。


なので、今作は人間側からの視点、寄生生物からの視点という場合を考えて観た時に、それぞれによって全く別の作品になり得る映画でもあると感じましたね・

他にも、原作で寄生生物は空か降って来るんですが、映画版では海から誕生して来るんです。
僕自身思ったのが、 全ての生物の誕生の場所となっている「海」を設定したことにより、人間という生き物に自然の恐ろしさ自分達の無力さを、極限に思い知らせるという意味も込められていたのかな、とも思えたんです。

過去にも、ジャンルはあまり変わりませんが、ゾンビ映画や、ウィルスによって人類が、絶滅寸前まで追い込まれる映画が沢山存在していると思うんですが、僕個人的にはこれらの作品も、人類の無力さというテーマをゾンビやウィルスという表現を込めながら描写していると思っていて、今作でも映画の冒頭でも発せられる「人間の数が半分になったら、いくつの森が焼かれずに済むのだろう・・・人間の数が100分の一になったら垂れ流す毒も100分の一になるだろうか?」というセリフも、上記の事を踏まえて考えてみたら、多少なりとも納得する部分があるのではないでしょうか?


ま、簡単に言えば地球をもっと大切にして下さいという事をですよ(笑)


でも、さすが指定が制限されているだけあってグロテスクな描写が盛り沢山でしたね。
当初、実写化不可能とい言われていた作品でもあり、実際にリアリティのある寄生を見せられると、映画が終わって帰り道で、この中にもしかしたら寄生生物がいるんじゃないのかなとも思わせてしまえるぐらいの映画でした。
実際に目の前に現れたら僕は一瞬でやられちゃいますけどね。

空から飛来した謎の生物を右手に宿してしまった青年と、謎の寄生生物との戦いを最新のVFXを駆使したエンターテイメント作品、「寄生獣」。

ぜひ、ご覧下され。



寄生獣

コメント

お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:


この記事へのコメント

   
ACEproject
ACEproject
×

この広告は30日以上新しい記事の更新がないブログに表示されております。