2012年03月11日
3.11東日本大震災原発による自主的避難等対象区域で変わった事 fukusima
3.11東日本大震災原発による自主的避難等対象区域で変わった事 fukusima 。
東日本大震災から一年
原発が二つも爆発したため自主的避難等対象区域になり
自主的避難等対象区域で起こった事や変わった事などをここに記しておきたいと思います。
福島県はご存知かと思いますが東京電力(東電)の原子力発電所があり
東日本大震災のときの影響で爆発してしまいました
福島県民であればほとんどの人達が義務教育の現場で、福島原発について教育されていると思います。
少なくても私は小学校中学校と福島原発で事故があったときは外に出ないほうがいいとか
雨には絶対に濡れては駄目とか教育されてきました。
小学校でそんな授業があると小学生なので「雨に当たると禿げるよー」とかいって騒いだ思い出がありますw
もちろん福島県に原発がありそのおかげで、県や原発周辺の地域が金銭的に潤っているという話も教育現場で聞かされました。
なので、福島原発は「とっても安全」のような認識がある人はあまりいなかったと思います。
個人的な考え方や思いも入ってしまう文章になるかと思いますのでここからは、生暖かく読んでいただけると幸いです↓
しかしながら、今回のような地震があり津波があると言う事はあまり想像していませんでしたが。
地震直後に津波があったときには「原子力発電所は大丈夫か!?」と、とっさに感じました。
おそらく教育されていた為、感じたことであり、多くの福島県民も感じたことだと思います。
悪い予感は的中し最悪の事態になってしまいます
一号機そして三号機と爆発する映像をテレビで見ることになりました
一号機爆発直後は、大騒ぎになり外を歩く人間はほとんどいなくたまに車が走っている光景や
ガソリンが手に入らないため歩いて食料品を買って歩いている人を稀にみる程度になります
みなカッパやマスクを買い求め外出時はマスクや帽子をかぶり、少しでも雨や雪が降れば
近くのお店等に入り、お店が無ければ見ず知らずの事務所に駆け込み難を逃れる様な状況です
家に帰れば玄関で服を脱ぎ即洗濯ですw
政治家がまるでゴーストタウンだと言ったように、60キロ県内の自主的避難地域ですら
ゴーストタウンのような状態で地震の爪痕も多く暗くなると車すら走っていませんでした
そんな中ついに二度目の三号機の爆発が起こります・・・
このときは、テレビの映像を見てほんとうに生きた心地がしませんでした・・・・
職場でも避難する為、退職する同僚が増え始め、即避難して避難場所から電話で退職という事もありました。
そして連日テレビでは放射線量や注水の報道などもありましたが、空では昼夜問わず原発に向かってヘリコプターが飛びまわり
何台ものヘリコプターが同時に飛んでいるときもあり「また爆発するのか」と不安でした。
市内では大きな消防車のような車が原発に向かう為何台も待機していたり自衛隊の車も乗用車と同じくらい原発や
太平洋側に向かっていたと記憶しています。
そして現在・・・・
市内では外で遊ぶ子供達はほとんど見かけず、子供達専用の屋内で遊ぶ施設が建設されとても混んでいるようです
外で遊ぶ時間も制限されているようです
そして首からは放射線の合計被爆量を計る装置をぶら下げていたりします
国道沿いや通学路では高圧洗浄や泥やチリの回収作業いわゆる除染作業が行われ
学校や公園の表面の土は削られ放射線の量を少しでも低くする為に行われています
しかしながら、ひとつ裏道に入ってしまえば何も行われていない道や住宅や建物がほとんどで
私はいまだに住宅や施設の除染作業をしている光景には遭遇していません・・
仮に道や建物を除染したとしても山や雑木林は無理と思います。
外を歩く人や車は、自主的避難地域でしたが仮設住宅も多く建設され、避難して来た人も多く
一年前に比べると、あきらかに人や車が増えた印象で、以前は混んでいなかった場所も
平日ですら混んでいるような状況で休みの日ともなると出掛ける気が起きないほど混んでいます
私の周りではこの一年で何人もの人達が県外に移住しており、
学校ではクラスメイトの半分が引っ越して行ったという話しも多く聞きます
原発放射能の問題もですが地震も頻繁に起こっておりまだまだ安心して暮らせるには程遠い感じです。
東日本大震災から一年
原発が二つも爆発したため自主的避難等対象区域になり
自主的避難等対象区域で起こった事や変わった事などをここに記しておきたいと思います。
福島県はご存知かと思いますが東京電力(東電)の原子力発電所があり
東日本大震災のときの影響で爆発してしまいました
福島県民であればほとんどの人達が義務教育の現場で、福島原発について教育されていると思います。
少なくても私は小学校中学校と福島原発で事故があったときは外に出ないほうがいいとか
雨には絶対に濡れては駄目とか教育されてきました。
小学校でそんな授業があると小学生なので「雨に当たると禿げるよー」とかいって騒いだ思い出がありますw
もちろん福島県に原発がありそのおかげで、県や原発周辺の地域が金銭的に潤っているという話も教育現場で聞かされました。
なので、福島原発は「とっても安全」のような認識がある人はあまりいなかったと思います。
個人的な考え方や思いも入ってしまう文章になるかと思いますのでここからは、生暖かく読んでいただけると幸いです↓
しかしながら、今回のような地震があり津波があると言う事はあまり想像していませんでしたが。
地震直後に津波があったときには「原子力発電所は大丈夫か!?」と、とっさに感じました。
おそらく教育されていた為、感じたことであり、多くの福島県民も感じたことだと思います。
悪い予感は的中し最悪の事態になってしまいます
一号機そして三号機と爆発する映像をテレビで見ることになりました
一号機爆発直後は、大騒ぎになり外を歩く人間はほとんどいなくたまに車が走っている光景や
ガソリンが手に入らないため歩いて食料品を買って歩いている人を稀にみる程度になります
みなカッパやマスクを買い求め外出時はマスクや帽子をかぶり、少しでも雨や雪が降れば
近くのお店等に入り、お店が無ければ見ず知らずの事務所に駆け込み難を逃れる様な状況です
家に帰れば玄関で服を脱ぎ即洗濯ですw
政治家がまるでゴーストタウンだと言ったように、60キロ県内の自主的避難地域ですら
ゴーストタウンのような状態で地震の爪痕も多く暗くなると車すら走っていませんでした
そんな中ついに二度目の三号機の爆発が起こります・・・
このときは、テレビの映像を見てほんとうに生きた心地がしませんでした・・・・
職場でも避難する為、退職する同僚が増え始め、即避難して避難場所から電話で退職という事もありました。
そして連日テレビでは放射線量や注水の報道などもありましたが、空では昼夜問わず原発に向かってヘリコプターが飛びまわり
何台ものヘリコプターが同時に飛んでいるときもあり「また爆発するのか」と不安でした。
市内では大きな消防車のような車が原発に向かう為何台も待機していたり自衛隊の車も乗用車と同じくらい原発や
太平洋側に向かっていたと記憶しています。
そして現在・・・・
市内では外で遊ぶ子供達はほとんど見かけず、子供達専用の屋内で遊ぶ施設が建設されとても混んでいるようです
外で遊ぶ時間も制限されているようです
そして首からは放射線の合計被爆量を計る装置をぶら下げていたりします
国道沿いや通学路では高圧洗浄や泥やチリの回収作業いわゆる除染作業が行われ
学校や公園の表面の土は削られ放射線の量を少しでも低くする為に行われています
しかしながら、ひとつ裏道に入ってしまえば何も行われていない道や住宅や建物がほとんどで
私はいまだに住宅や施設の除染作業をしている光景には遭遇していません・・
仮に道や建物を除染したとしても山や雑木林は無理と思います。
外を歩く人や車は、自主的避難地域でしたが仮設住宅も多く建設され、避難して来た人も多く
一年前に比べると、あきらかに人や車が増えた印象で、以前は混んでいなかった場所も
平日ですら混んでいるような状況で休みの日ともなると出掛ける気が起きないほど混んでいます
私の周りではこの一年で何人もの人達が県外に移住しており、
学校ではクラスメイトの半分が引っ越して行ったという話しも多く聞きます
原発放射能の問題もですが地震も頻繁に起こっておりまだまだ安心して暮らせるには程遠い感じです。