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東日本大震災から7年。

東日本大震災から7年。


はい!!失業中のおっさんです。^^


東日本大震災から7年です。


当時、私は福島原発から「半径80キロ圏内に在住する米国民に避難勧告」が出た地域にすっぽり入る地域に住んでおりました。


震度は6弱の地域で全壊した家も一軒や二軒ではありませんでした。



当時、私はまだ介護職をしており、私の勤める老健では原発周辺から非難してきた高齢者の受け入れで、定員オーバー状態で介護しておりました。


非難した職員もいましたので完全にオーバーワークです。


おそらく介護職としてあれほど過酷な経験、介護職冥利に尽きる経験は、もうないだろうなという経験をしております。



※当時の様子を知りたい方は、カテゴリーの「東日本大震災」をご覧頂けると幸いです。

https://fanblogs.jp/864/category_47/2



それにしてもあれから7年しか経っていないんですね、私には遠い昔の話のように感じます。




私事ですが、あのころと私が変わったことは、独身になった事と移住したことと無職であるということです。ww


当時はまだ若かったので、肉体的な疲労はあまりありませんでしたが、精神的な疲労は半端なかったです。w



県外に非難した同僚や知人も、多くいましたので、ほんとにこのままここに住んでいていいのだろうか?


色々な葛藤がありました。



非難する人達が多くいる一方で、避難して来る人達も多くいましたので、よく考えると不思議な感じです。


ちなみに県外に避難した知人は、私が知る限りでは帰ってくることはありませんでした。



まぁあまり暗い事は書きたくないのでこの辺にしておきますが、人生って色々だなと思います。


ご覧頂き有難うございます。これからもよろしくお願いいたします。

2016年11月22日地震!!


2016年11月22日地震!!


朝から地震があり大変です!!


私の住む地域でも5弱の揺れでした!M7.4です!!


かなり揺れた感じですが突き上げるような揺れは無かったので


私の家の中では物が倒れたりとか飛び出したりとかは無かったです


車で街の中を移動しましたが、目に見える被害は少ないようですが


怪我をされた方や、津波もありましたので大きな地震でしたね


電車等も運転見合わせだったりかなり影響が出ているようです


1メートルの津波でも死亡率100%だそうですから、甘く見てはいけないです


30センチの津波でコンテナが浮くそうですので、津波の破壊力は想像を絶します!!


11月23日に大地震が起きるんて話もありましたから、まだまだ気が抜けない感じですね


東日本大震災の時もニュージーランドの地震の後に東日本大震災がありましたが、今回もニュージーランドの地震の後でした


地球規模で見るとたいした距離じゃないから連動しちゃうんだろうなとか色々考えさせられます


ちなみに、何か地震の前兆・予兆的なものがあったか?というと、


いつもは起きてる事なんて無いのに、夜中に隣に住む100歳のおじいちゃんが歌を歌ってたことくらいです。←マジです。


良いサイト沢山ありますよ↓

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3.11東日本大震災から3年


3.11東日本大震災から3年

東日本大震災から3年になりますので、私の住む地域や

私の周りで起こった事などを書いていきたいと思います。

壊れた家や道路はほとんどが修復されるか、更地になり

地震直後の爪跡を見る場所といえば、橋等のつなぎ目の段差くらいです。

除染作業も仕事として行っている場所に行けば見れる程度で

住民が総出でおこなっていたり、住民が自主的に除染ているような状況は

少なくても私の住む地域(福島県)では見られません

3年にもなりますので当たり前かもしれませんが、、、、


しかし、津波の被害にあわれた地域はTV等で見る限りほとんどが、がれきは無いものの

がれきがないだけにみえます。

また圏外に避難した家族が戻ってきたという話は私の周りではありませんでした

その代り県内の他の地域から移住してきた人達の話は多く耳にするようになり

体感的には人口が今までの1.5倍位になった感じです

移住以外で県外から仕事で、住んでいる方達もいらっしゃいますので

色々な地域の方言も聞くようになりました。

私の職場でも原発周辺から避難して移住してきた人達が働いています


テレビを見ていると、いまだに福島県では「絆」や「がんばろう福島」という言葉をよく耳にしますが

一部の人が騒いでいるだけで、このような言葉を口にする人はとりあえず私の周りには

存在しません(笑)逆に人間関係が希薄になったように感じます。


私自身で変わったことは、震災関連の番組が放送されている裏では

バラエティー番組が放送されていたりして、芸人さんが騒いでいたり

原発などのマスメディアや国の情報操作など、目の当たりにしてしまったため

まったくテレビを見なくなりました。

震災直後に、会社の為に頑張ったつもりでしたが

会社の為に頑張ったところで、何も変わらず「絆」など、うまれないことを知りました。

もう会社の為に頑張ることは辞めました。

当たり前のことかもしれませんが、家族や自分自身の為にだけ頑張ろうと思います。

賛否両論あるかもしれませんが、今の私の正直な気持ちです。

ときどき、研修や資格を取ったところで、今の日常が続くわけでもないし

いつ何が起こるかわからないんだから、やっても無意味だなと、ふっと思うことがあります。

こんな文章かいていて、自分は震災関連の病気かなと今、思いましたけど(笑)

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3.11東日本大震災原発による自主的避難等対象区域で変わった事 fukusima

3.11東日本大震災原発による自主的避難等対象区域で変わった事 fukusima 。

東日本大震災から一年

原発が二つも爆発したため自主的避難等対象区域になり

自主的避難等対象区域で起こった事や変わった事などをここに記しておきたいと思います。

福島県はご存知かと思いますが東京電力(東電)の原子力発電所があり

東日本大震災のときの影響で爆発してしまいました

福島県民であればほとんどの人達が義務教育の現場で、福島原発について教育されていると思います。

少なくても私は小学校中学校と福島原発で事故があったときは外に出ないほうがいいとか

雨には絶対に濡れては駄目とか教育されてきました。

小学校でそんな授業があると小学生なので「雨に当たると禿げるよー」とかいって騒いだ思い出がありますw

もちろん福島県に原発がありそのおかげで、県や原発周辺の地域が金銭的に潤っているという話も教育現場で聞かされました。

なので、福島原発は「とっても安全」のような認識がある人はあまりいなかったと思います。


個人的な考え方や思いも入ってしまう文章になるかと思いますのでここからは、生暖かく読んでいただけると幸いです↓

しかしながら、今回のような地震があり津波があると言う事はあまり想像していませんでしたが。

地震直後に津波があったときには「原子力発電所は大丈夫か!?」と、とっさに感じました。

おそらく教育されていた為、感じたことであり、多くの福島県民も感じたことだと思います。

悪い予感は的中し最悪の事態になってしまいます

一号機そして三号機と爆発する映像をテレビで見ることになりました

一号機爆発直後は、大騒ぎになり外を歩く人間はほとんどいなくたまに車が走っている光景や

ガソリンが手に入らないため歩いて食料品を買って歩いている人を稀にみる程度になります

みなカッパやマスクを買い求め外出時はマスクや帽子をかぶり、少しでも雨や雪が降れば

近くのお店等に入り、お店が無ければ見ず知らずの事務所に駆け込み難を逃れる様な状況です

家に帰れば玄関で服を脱ぎ即洗濯ですw

政治家がまるでゴーストタウンだと言ったように、60キロ県内の自主的避難地域ですら

ゴーストタウンのような状態で地震の爪痕も多く暗くなると車すら走っていませんでした

そんな中ついに二度目の三号機の爆発が起こります・・・

このときは、テレビの映像を見てほんとうに生きた心地がしませんでした・・・・

職場でも避難する為、退職する同僚が増え始め、即避難して避難場所から電話で退職という事もありました。

そして連日テレビでは放射線量や注水の報道などもありましたが、空では昼夜問わず原発に向かってヘリコプターが飛びまわり

何台ものヘリコプターが同時に飛んでいるときもあり「また爆発するのか」と不安でした。

市内では大きな消防車のような車が原発に向かう為何台も待機していたり自衛隊の車も乗用車と同じくらい原発や

太平洋側に向かっていたと記憶しています。

そして現在・・・・

市内では外で遊ぶ子供達はほとんど見かけず、子供達専用の屋内で遊ぶ施設が建設されとても混んでいるようです

外で遊ぶ時間も制限されているようです

そして首からは放射線の合計被爆量を計る装置をぶら下げていたりします

国道沿いや通学路では高圧洗浄や泥やチリの回収作業いわゆる除染作業が行われ

学校や公園の表面の土は削られ放射線の量を少しでも低くする為に行われています

しかしながら、ひとつ裏道に入ってしまえば何も行われていない道や住宅や建物がほとんどで

私はいまだに住宅や施設の除染作業をしている光景には遭遇していません・・

仮に道や建物を除染したとしても山や雑木林は無理と思います。

外を歩く人や車は、自主的避難地域でしたが仮設住宅も多く建設され、避難して来た人も多く

一年前に比べると、あきらかに人や車が増えた印象で、以前は混んでいなかった場所も

平日ですら混んでいるような状況で休みの日ともなると出掛ける気が起きないほど混んでいます

私の周りではこの一年で何人もの人達が県外に移住しており、

学校ではクラスメイトの半分が引っ越して行ったという話しも多く聞きます

原発放射能の問題もですが地震も頻繁に起こっておりまだまだ安心して暮らせるには程遠い感じです。

避難所における認知症の方への配慮をお願いします。


避難所における認知症の方ご家族への配慮をお願いします。




平成23年(2011年)東北地方太平洋沖地震の被害状況及び対応について(第34報)

平成23年(2011年)東北地方太平洋沖地震の被害状況及び対応について(第34報)


平成23年3月11日に発生した東北地方太平洋沖地震の被害状況及び対応について、平成23年3月31日14時00分時点の状況は別添のとおりです。



平成23年(2011年)東北地方太平洋沖地震の被害状況及び対応について(第34報)(PDF:KB)
平成23年(2011年)東北地方太平洋沖地震の被害状況及び対応について(第34報)下線なし(PDF:KB)


http://www.mhlw.go.jp/stf/houdou/2r98520000017gg7.html

介護職として「いったい自分に何が出来るのか?」A


もちろん地震が今までに経験した事のない大きさだっったこともあります

しかし、私の中にはいつのまにか、介護職として人の命を預かっているという

気持ちが強烈に残っていたなのかもしれません

何を今更・・・介護職なんだから当然でしょ・・・・

と聞こえてきそうですが

確かに私もそう思っていましたが

実際に危機的状況になった場合、本当に私はそう考えて行動できるのか

正直自信がありませんでした。

同僚の事はもちろん心配するでしょう

しかし、その先のお客様まで、すぐに心配できるのか・・・・

はじめての経験でした

商品を扱っていたのなら、迷わず商品が無事だったのか考えたでしょう

しかし、人の命を考えたのです

私は4月1日からデイサービスに異動になりお給料が減り

介護職から私自身が退いたとして、違う業種に就いたとしても

この気持ちや行動は変わらない事でしょう。

そのくらい今回の震災での変化や

介護職としての老健での経験は私にとってはとても大切なものでした。

改めて介護職とは人の命を預かる仕事だと再認識いたしました。

またつまらない事を書いてしまったかもしれませんが、お許しください(笑)

介護職として「いったい自分に何が出来るのか?」

私の勤める介護老人保険施設は、今回の東北地方太平洋沖地震等で損壊はあまり無かったですが。

ライフラインなどの影響で、とても大変な状況に陥りました

食料・水・オムツ類はとても重要であり、寒い時期なので暖房器具もとても重要だと感じました

長期化するとガソリン等の燃料類もとても重要です。

だいぶ復旧はしてきたものの原発の影響で、いつ避難指示がでるのか予断を許さない状況です

まだまだ現在進行形の状態が続いておりますが

介護職として、色々と考えさせられる状況が多く

自分の中での介護職としての変化を書いていきたいと思います。


介護職として「いったい自分に何が出来るのか?」

いったい何が出来るのか、介護職として・・・・

私にとって一番大事なのは「家族」です。

次に「お金」です。

なので私の中には、恥ずかしい話ですが

「会社職場」が大事という考え方は

あまりありませんでした、おそらく私の今までの過去の日記をご覧頂いている

方であれば想像できる事かもしれません

しかし、今回の震災を経験し職場も大事なんだと考えさせられました

老健で介護職として働いているからかもしれません

避難しようと思えば、いつでも家族とともに避難できる状況にあり、避難した職員もいます。

私はただの介護職員ですから、避難して職場からいなくなっても責める職員はいなかったでしょう。

私は現在も避難した職員を責めるつもりもありませんし当然の行動だと思います。

しかし、そこ(介護を必要としている人達)には、命があります・・

そう考えたとき介護職として逃げるわけにはいかなかったんです!

もちろん家族も大事です、幸い家族は無事でした

次に私の頭に浮かんだのは施設の利用者様達や同僚でした

「大丈夫だったかな・・・・」

心配で押しつぶされそうになり、すぐに電話してみましたが、電話は通じませんでした

当然でした職場のある地域は電話回線が利用不可能、停電となっていました・・・

夜になり携帯電話のメールにて職場にいる同僚と連絡が取れ無事が確認できました

ほっとしました・・・

しかしそのあとに何故こんなにも職場が気になったのか・・・・


つづく

平成23年(2011年)東北地方太平洋沖地震の被害状況及び対応について(第33報)

平成23年3月30日

厚生労働省災害対策本部事務局

榎本、中村、杉渕、林田

(代表) 03-5253-1111 内線2085

(直通) 03-3503-6047

平成23年(2011年)東北地方太平洋沖地震の被害状況及び対応について(第33報)


平成23年3月11日に発生した東北地方太平洋沖地震の被害状況及び対応について、平成23年3月30日14時30分時点の状況は別添のとおりです。



平成23年(2011年)東北地方太平洋沖地震の被害状況及び対応について(第33報)(PDF:KB)
平成23年(2011年)東北地方太平洋沖地震の被害状況及び対応について(第33報)下線なし(PDF:KB)

http://www.mhlw.go.jp/stf/houdou/2r985200000175fl.html

福島県)私の住む地域・近況B


まだまだ私の施設では色々な物が足りませんw

しかし、もっと物や人手などが足りない施設が沢山あります

高齢者等の介護をしている私達は

語弊があるかもしれませんが、お店のように施設等を簡単に閉める事などできません

そこには、その先には介護を必要としている人達や

介護しなければ絶たれてしまうかもしれない命があるとわかっているからです

避難はできるでしょうがADLの低下や認知症の進行など

あらゆる状況が考えられます

医療介護福祉分野にも、もっと支援物資が必要です

違う事業所間でも助け合いの精神がとても重要だと思います。



短い文章ですが、早く状況が改善されるのを祈るばかりです。

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