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丸八屋
丸八屋です。 ご贔屓にあずかり有難うございます。 新鮮で甘みのある情報をお届けします。
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2008年06月26日
このような凶悪事件に「共感」してどうする?

昨日、ブログに「事件から母親の存在を考える」のタイトルで綴った。秋葉原事件を採り上げたが、それに関連する週刊誌の記事をもう一つ紹介する。


それは週刊朝日7/4の「 酒鬼薔薇からアキバ事件まで 私たちは特別な世代だった 1982年生まれの衝撃 」である。既に読まれた方も多いと多いと思う。


記事の冒頭を紹介する。


”魔の17歳”と呼ばれた世代があった。8年前、「西鉄バスジャック事件」など立て続けに起きた少年事件の犯人と同じ1982(昭和57)年生まれのことである。そして、日本中に衝撃を与えた「酒鬼薔薇事件」も、今回の「アキバ」事件も犯人は皆、同い年だ。「他の世代とは違う」。そう語る同世代人たちの心の底に何があるのか----。


そして、世相の解説コメントを織り交ぜながら、この世代の何人かの男女の声を載せている。週刊朝日がこれらの人物に本当に取材したのか、いつ何処で取材したのかの疑問が残るものの、以下に同世代の声のいくつかを紹介する。(記事の中の世相の解説コメントは省略)


●「秋葉原の事件の犯人が私と同い年と聞いた時、なんだかわかる気がしたんです。82年生まれは”特別”な世代ですから」(関西出身の女性:26)


●私たちは”お試し”世代なんです。苦労はどの世代も一緒と言われるけど、私たちは小さい頃から事あるごとに[格差]に直面してきました。自分の力に振り回されることが多くて、どこかイライラしてた。受験も就職も[運河悪かったわね] [その世代、可哀想にね]で終わって何のフォローもない。色々試されてきたのに、(試した側は)何の責任も取っていない。信用しろと言われてもできないですよ」(上記と同じ関西出身の女性:26)


●「授業に追いつけなくて、塾や家庭教師があたりまえになった。でも、おカネがなくてそうできない家の子たちは落ちこぼれる一方だった。私たちは”実験台”として、試行錯誤の教育を受けてきたんです」(福岡県出身の男性)


●「[ローンはどうする] [あの子の家は大変みたい] なんて大人の事情を聞かされて、純粋な子供ではいられなかった」(福島県出身の女性)


●「ゲームの[スーパーマリオワールド]とか流行ったけれど、買える家と買えない家で大きく差が出て、友人関係にも影響が出ましたね。人のゲームを取り上げる子もいれば、仲間はずれにされる子もいた」(神奈川県出身の男性)


このように、同世代の男女の声が紹介されている。最後にこの記事は次のように結んでいる。


ついていない----加藤容疑者の歪んだ心を占めていたこの感情に「共感」する同世代は、決して少なくないようである。


さて、週刊朝日は一体何を言いたいのか。読者に何を伝えたいのか。世相の分析としては良いだろう。しかし、この記事の中には加藤容疑者の犯行の本質に迫り、その原因を追究しようとする姿勢など全く見当たらない。取材した同世代の男女の声の中にも、勿論それは無い。寧ろ、全て社会が悪いのだ、と言わんばかりの上で「共感」を呼ぼうとしているように私は受け止める。


「共感」と言う情緒的な言葉でこの凶悪な事件を記事にする事に、私はメディアに携わる人間の良識を疑いたくなる。




Posted by 丸八屋 at 16:26 | この記事のURL
2008年06月26日
事件から母親の存在を考える

犯罪社会学。犯罪社会学とは、社会学的な分析方法を用いて犯罪の原因を解明しようとする学問である。主に近代以降のアメリカ合衆国に於いて、行動科学の発展と連動して進化した学問分野であり、遺伝よりも環境に重点を置き犯罪原因の特定を試みる点に特徴がある。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


前回、「何が彼女を狂わせたのか?」と「何が教諭をそうさせたのか?」のタイトルでブログを綴った。前者は大阪駅通り魔事件、後者は中学校教諭の強姦事件である。二つの事件の容疑者の共通点は、年代が30歳代で、奇しくも同い歳の38歳である。二人の人物像に迫リ犯罪の原因を知りたい、更には秋葉原事件を詳しく知りたい、と思い始めた矢先、手にしたのが2冊の週刊現代である。これらの2冊は秋葉原事件を特集している。


週間現代6/28は、「秋葉原通り魔の弟が独占手記・ゆがんだ愛情」、同7/5は「アキバ通り魔の弟独占手記・衝撃の第2弾 」のタイトルである。


弟の告白が事実だとした上で両方の特集を読むと、容疑者の生い立ちや人物像が浮き彫りにされて来るが、その背景としての環境、特に家庭内環境に於ける容疑者の母親の母親としてのあり方に疑問を抱かざるを得ないのである。


この母親は、他人から良く見られることを徹底的に意識するような教育、例えば、先生受けのする作文指導や熟語を使った意図への質問など、に熱心だったようである。良かれと思ったのか、誤った方針の教育を施し、誤った愛情を注いでしまったのではないだろうか。母親のこのような行動が容疑者の屈折した心を育み、犯罪の引き金になったと十分に考えられるのである。とすれば、母親が長い時間をかけて子供が犯罪者なる素地を作り上げてしまった、と言っても過言ではあるまい。


家庭内に於ける母親の存在、母親のあり方は重要である。素人ながら、犯罪社会学に於いてもこれは考察されているものと思われる。


母のぬくもりは慈しみの愛である。大地のようなお母さんのぬくもりは、子供のあるがままを抱き、受け止め、育む。抱きしめられると、自分の心の中の核、そして身体の核のようなものが出来る。しっかり触れられていないとないと、「受け止められている」と言う経験が持てなくなる。(講演会:家庭を良くする より)


知識も学歴も要らない。母親に必要なのは、子供にどの様に接するかの本当の意味での教養、リベラル・アーツである、と私は思っている。



Posted by 丸八屋 at 16:13 | この記事のURL
2008年06月24日
何が教諭をそうさせたのか?

小学校5年生だった女児(当時11)に性的暴行を加えたとして、茨城県警は23日、同県行方市立北浦中学校教諭、小島秀和容疑者(38)=同県鉾田市札=を強姦と児童福祉法違反の疑いで逮捕した。「間違いありません」と容疑を認めているという。


以上は、6月24日の朝日新聞朝刊より抜粋したものである。新聞がこの様に報じているのだから、恐らく間違いはないだろう。


前のブログでも記したのだが、このような短絡的で心の痛む事件が何故起きるのだろうか。何かが病んでいる、狂っているとしか言いようがない。


何がこの教諭を病ませたのか、狂わせたのか?


この事件の容疑者は、大阪駅通り魔事件の容疑者、大山和歌と同年代の30歳代、奇しくも同い年の38歳である。


今の30歳代は病んでいるのか、狂っているのか? どの様な教育と躾を家庭と学校で受けてきたのか? 何を学んできたのか?


教諭。教(キョウ)とは、おしえることである。 諭(ユ)とは、さとすこと、いいきかせることである。教え諭すのが教諭である。


教諭、教師、先生。色々な呼び方で構わないと思うが、教師と教育者の違いは何かの議論はさておいて、そのような立場にある小島秀和容疑者を病ませ、狂わせたのは何だろうか?


社会が病んでいる、狂っていると言ってしまえばそれまでである。多面的な観点から、問題点を浮き彫りにしなければなるまい。


Posted by 丸八屋 at 23:56 | この記事のURL
2008年06月24日
何が彼女を狂わせたのか?「大阪駅通り魔 38歳女逮捕」
今日の朝刊は、「大阪駅通り魔 38歳女逮捕 傷害容疑 公開画像に酷似」と報じています。一日振りに事件が解決した訳ですが、今後この女性の取調べが行われ、事件の動機や背景が明らかにされるでしょう。

この女性は、電車のドアにはさまれたと駅員に言いがかりをつけたり、一人暮らしで近所付き合いも無く、一人でぶつぶつ呟いたり、アパートの住人とすれ違った時に態と体当たりをしたそうです。

容疑者は通り魔を行う事でどの様なメッセージを発信したかったのでしょうか。コンプレックスの裏返しとしての自己顕示欲の表出だとしたら、逮捕された事で満足感を覚えているのかも解りません。

しかし、38歳の年齢にしては幼稚すぎます。自己本位的な行動です。被害者の方にどの様な申し訳を述べるのでしょう。本当は、自分でも動機が解からないのではないでしょうか。

誰もが持っているコンプレックスと自己顕示欲。内在するこれらのエネルギーの放出方法を間違えている事すら解からないのでしょう。

昨日のブログにも記しましたが、このような短絡的で悲しい事件が、豊かである筈の日本でなぜ起きるのでしょうか。何かが狂っています。何処かが狂っています。

狂っているのは、この女性の頭脳です。精密なコンピュータであるはずの頭脳の思考回路の何処かに配線ミスがあるのでしょう。配線ミスはなぜ起こるのか?

最後に余談を一つ記します。ある博物館が面白い展示手法を採り入れていました。
「この世の中で最も恐ろしい動物は何でしょう」とタイトルが表示されています。箱の中を覗き、暫く待ちます。するとモザイク画像が現れます。何の形か姿か未だ解かりません。画像は段々と小さくなってゆきます。最後には、覗いている自分の顔になります。
この展示手法、面白いです。どの様なメッセージ性が込められているのか?

Posted by 丸八屋 at 11:26 | この記事のURL
2008年06月23日
ブルーライト・ヨコハマ


夜行バスに乗って遥か遠方の地に旅に出ました。この地には学生時代に暮らした事があるものの、再び訪れるのは何年ぶりかです。

もう一日、この地に留まりたかったのですが、再び夜行バスに乗る決心をしました。

学生時代、帰省の際には屡夜行バスを利用したものです。バスに乗車する前の待ち時間が落ち着かず、何故かそわそわしていました。それで、地下街に下りて待ち時間を潰したのですが、その時、地下街のBGMから流れていたのは、「街の明かりがとてもきれいねヨコハマ、ブルーライトヨコハマ」でした。それと、何処からとも無く漂ってくる香り、確かコーヒーの香りだったと思うのですが、それが印象的でした。途中の駅まで見送りに来てくれるその人は何時も物憂げに「ブルーライト・ヨコハマ」を口遊んでいました。化生気も無く口遊んでいました。

遠い過去の日を思い出し、地下街に下りてみました。「ブルーライト・ヨコハマ」は流れていませんでした。でも、あの時のあの香りは漂っているのです。バスに乗る決心が揺らぎました。

我に返って、バスSTOPに踵を返しました。既に大勢の乗客が並んでいました。


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Posted by 丸八屋 at 13:05 | この記事のURL
2008年06月23日
朝の風景

何時もの様な早朝からの学生たちのテニスの練習音や声が響いて来ません。今日は練習は休みなのでしょうか。テニスコートには人影がありません。曇り空の下で、テニスコート周辺の樹木がしっとりとした緑の輝きを放っています。


久々に近くのコーヒーショップに行きました。ゆっくりとコーヒーを味わい、タバコをくゆらしながら新聞を読みました。


悲しいニュースが紙面を飾っています。


「JR大阪駅で通り魔 カメラに不審女性 3人切られる 秋葉原の連鎖反応か?」


「橋下知事暗殺書き込み男逮捕」


週刊誌に目を通しました。何の週刊誌も秋葉原事件の容疑者の特集です。


このような短絡的で悲しい事件が、豊かである筈の日本でなぜ起きるのでしょうか。何かが狂っています。何処かが狂っています


秋葉原事件の容疑者は、高校生の頃まで成績が優秀だったのですが、次第に低下したとの事です。何の取り得も無い自分だとの想いから、次第にコンプレックスが強くなると共に、この様な自分でもその存在を認めて欲しいと言う自己顕示欲が増大し、それが今回の事件の引き金になったと言われています。JR大阪駅の通り魔の容疑者にも共通点があるのでしょう。


コンプレックスと自己顕示欲のエネルギーのベクトル、放出方法が誤っています。これらの容疑者には、「甘ったれるんじゃないよ!」と声を大にして言いたい。秋葉原事件の容疑者の最も身近な親御さんは、なぜこれを見抜けなかったのか?学力で優秀な点を取る事に第一義的な価値を見出していたのでしょうか?


私も何の取り得も無い男です。コンプレックスと自己顕示欲の塊です。ですから面白くも無いブログを毎日綴っています。


コンプレックスと自己顕示欲は、人間なら誰でも持っているもの。勉強が苦手な若い頃の私はコンプレックスの強い人間でしたから、悩みましたし、失恋もしました。とに角、精神的な飢餓状況でした。ですから空腹ながらも貪る様に本を読みました。多くの芸術作品に接する事を心がけ、特に演劇と映画には傾倒しました。田舎出の貧乏学生の私には、コンプレックスから脱却する術はそれらしか無かったのです。


今はこの歳になって、私に宗教心が欠落していた事を初めて気づき、反省しています。


「私は無宗教者だ、と言う人は私は犬や猫などの動物と同じだ、と言っている様なものである」と何かの本に書いてありました。


このような事件が起きると、「今の若者は何を考えているのか」と言った論議が必ずや展開されます。しかし、目立たないながらも確りとした自己探求を伴って学び働く若者は大勢います。事実です。これに大人はもっと光を与えて欲しいと思うのです。


私は何の取り得も無い男ですが、専門学校で15年間デザイン教育に携わっていました。デザイン教育よりもデザイナー教育と言った方が適切かも知れません。専門学校は目的意識を持って真摯な態度で学ぶ学生が圧倒的大部分を占めています。若い人を指導する事を通して、私自身が勉強させて頂いたのだと思っています。


少しバラついていた雨があがりました。雲の間から光が射し始めました。ポン、ポンと言うテニスの打音が響き始めました。学生たちの練習が始まった様です。




Posted by 丸八屋 at 12:58 | この記事のURL
2008年06月18日
居酒屋日記「かずら橋」

私の仕事場の近くに「もみじ」と言う居酒屋があります。毎日、決まった様に夕刻の5時には赤い暖簾が出ます。冬の寒い日も、春の暖かい日も、初夏の暑い日も、カウンターの上の花瓶には紅葉の造花がさり気無く、無造作に飾られています。


今では私はこの店の常連客になりましたが、まだ名前を覚えていない3月半ば頃、「さくら」と呼んでしまって女将さんに睨まれました。


女将さんは、三沢あけみさん似です。さり気無い表情が林家パー子さんに似ています。私は、時々パー子さんと呼ばせて頂いています。頓智が利く上に、演歌がプロ並みに上手いのです。


先般、ブログに「小松島って・・・」のタイトルで綴りましたが、昨日「もみじ」を訪れると、女将さんがこの様に言うのです。


「小松島のこと、お客さんとの遣り取りが面白くって。あれから、小松島の方、来られてないのですよ。お元気そうだと思いますが・・・。また、お会いして喋れたら楽しいのに・・・」


その言葉に、私は四国のある地名を思い出しました。それは、徳島県祖谷です。「祖谷のかずら橋」で有名です。香川県仁尾で太陽博覧会が開催されていた頃、その視察を兼ねてデザイナー仲間と「祖谷のかずら橋」を訪れた記憶があります。確か、神戸からフェリーで四国に渡り、日帰りで帰ったと覚えているのですが、詳細は忘れてしまいました。


「ところで、かずら橋ってあるよね、四国に」と私。


「有名よ、徳島県の東祖谷山村にかかるかずら橋は。伝説よると1185年屋島の戦いで源氏に敗れた平氏が追っ手を逃れて祖谷山に入ったとか・・・」


「パー子さん、演歌が上手やから、教えて欲しいんだけど、〔かずら橋の女〕って演歌は無いかなあ」 


「・・・・・・・・」


「〔祖谷の女〕、〔粗谷物語〕、〔祖谷情話〕、それからか、〔かずら橋情話〕とか」


このとき私は、以前ブログに綴った壷阪情話を思い出していました。


「何考えているのよ、また、洒落のネタづくり?」


「いや、また、あそこを訪れて、かずら橋に佇んでみたくて」


「変な気持ちを起こさないでよ」


「・・・・・・・・」


あれこれ喋っている内に酔いが回ってきました。どれ程の時間、「もみじ」にいたのかは記憶にありません。雨に濡れながら仕事場に帰った事だけは覚えています。



Posted by 丸八屋 at 19:09 | この記事のURL
2008年06月18日
梅雨の合間の風景






公園を散策しました。菖蒲と蓮が綺麗でした。多くの方々が訪れ、梅雨の合間の晴れ日和を楽しんでいました。

「蓮の花はね、朝、咲くんだよ」
「じゃあ、明日の朝、もう一度来ようか?」
「そうだね」
「それにね、蓮が多いところは鯉も沢山いるんだ」
「どうして?」
「餌になる微生物が沢山あるからかな、蓮の根元に・・・」

中年の夫婦がそれぞれの自転車を止めて仲睦まじく会話をしていました。
その横で、鳩が長い間翼を休めていました。

Posted by 丸八屋 at 19:06 | この記事のURL
2008年06月18日
夜更けの街角で

夜中の3時頃まで仕事場のパソコンに向かっていました。一服しようとしたら、タバコが切れていました。


散歩がてらにコンビニに出かけ、買い求めた後は気持ちよくくゆらしながら歩いていました。


路地の角近くまで来たとき、「トラ」が街路灯の下を小走りで此方に向かって来るのが見えました。こんな夜更けに何をしているのだろう、と思いながらタバコをもみ消し、


「やあ、トラじゃないか」


と声をかけました。気が付いたのか、立ち止まって


「にゃーん」


と返事をしました。


トラとは茶色の縞模様のオス猫です。痩せていて哀しそうな顔をしています。馴染みの居酒屋「もみじ」で知りました。トラは、必ず夜の10時に家族を引き連れてこの店を訪れる馴染みの常連猫です。餌を貰いに来るのです。


トラは、私の足元に来て、上目使いで見上げています。


私は、腰を下ろして、


「一人かい、今日は? 何処をパトロールしていたのだ?」


「うにゃー」


「明日の天気はどうだろうね」


「・・・・・・・」


「また来るかい、明日、もみじに・・・」


「にゃ」


「じゃあな」


「にゃー、にゃー」


私は腰を上げて、歩き出そうとしました。それでもトラは私の足元を離れません。


無理やり歩き出したところ、トラも諦めたようで、首を項垂れ、尻尾を下げてトボトボと路地の方に歩き始めました。


暫く歩いて後を振り返ると、トラが同じようにして此方を見ています。更に5歩ほど歩いて振り返ると、トラも同様の事をするのです。お互いの距離が遠ざかって、お互いが見えなくなるまでそれを繰り返しました。


今度トラと「もみじ」で出会ったら、焼酎を振舞って遣ろうと思いました。


実は、「もみじ」のお客さんがトラ一家に小魚などを与えている時、私は日本酒の熱燗を飲まそうとして女将さんに怒られたのです。雪の寒い日の事です。


「猫に酒を飲ませた事があるんや、僕は、子供の頃・・・。酔うてしもうて、足がふらついていたけど」


「飲めへん、飲めへん」


と女将さんが厳しい口調で、しかし笑顔で答えたのを思い出しました。


今日、夜の10時に「もみじ」に行くかどうかは未だ決心が付いていません。成り行き次第です。





Posted by 丸八屋 at 19:02 | この記事のURL
2008年06月03日
見直そう郷土の近代遺産

ある会合に出席しました。そこで講演会が開催されました。演題は「見直そう郷土の近代の遺産」。講師は○○大学の○○先生。スライドによる具体的な資料を伴っての講演でした。


講演の主旨を、掻い摘んで紹介します。


堺市内には近代日本における戦争に関わる遺構が残ってます。大阪周辺の戦争遺構の調査・研究は、始まったばかりです。


昭和の戦争は考え方の違いによって調査が難しい面もあります。しかし、それらを乗り越えて、戦争遺構についての正しい評価を急がねばなりません。


戦争遺構は資料や記録が少ないため、現在、聞き取りを中心に調査を進めています。近代建築史の研究方法を、戦争遺構に生かせればと考えます。


戦後60年の歳月が流れ、戦争の風化が心配される中、残っている戦争遺構を通して、戦争の実像に近づき、少しでも平和の大切さ、戦争の悲惨さを学び、若い人たちにそれらを伝えなければならないと思っています。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


私は講演の主旨に賛同しました。イデオロギーの問題は別として、歴史の重さ、特に近代史のそれを受け止めることは重要であると思うからです。歴史へのアプローチの方法は色々とありますが、形として残された戦争遺構の調査・研究は、究めて意義深いものであると考えるのです。


賛同したもう一つの理由は、デザイン関係の仕事(主に博物館や郷土資料館の企画・デザイン・設計)や専門学校での造形・デザイン教育に携わっていた事から、その延長上として博物館や博覧会の調査・研究、近代建築や産業遺産の研究に関心を抱いていからです。私自身、研究と言う程の事は行っていませんが、関連書物を読む事が多いです。また、色々なところへ旅をすると、どうしてもその様な視点で見てしまいます。それらは新たな発見や感動が伴って実に楽しいのです。


この様な折、「見直そう郷土の近代遺産」を拝聴できた事は、私にとって大きな収穫であり、喜びです。


早速、戦争遺構研究会のホームページを見ました。会の団体概要とイベント情報が掲載されています。参加するのが楽しみです。


Posted by 丸八屋 at 17:43 | この記事のURL
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