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2020年08月03日

修験道の道場で教わった話

以前10数年通っていた道場の先生の話から気に掛かったことを書いてみます、

東西南北で言うと東は発心、南は修行、北は涅槃、西は菩提と言うことです、人が亡くなった時には北枕で寝

かせますね。。。また仏壇の向きは西向きにすることだそうです、菩提の方角にです、でも私の家は土地の都

合で南西向きになっています、昔のように子供が跡を継いで仏様を看ることが少なくなったようですが仏様の

世界では長男が継ぐか男がいなければ長女が跡を継ぐべきらしいです、これを勝手に変更すると仏様の世界で

は大きな罪をつくることになるそうですよ。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。

私は門徒のお寺様が大分自動車道にかかって建て替わった時に納骨堂を購入していました、手付けに5万円払

って残り15万円は後で払いましたが本堂の裏側にあります、自分が一番に入るものと思っていましたが息子

がガンで亡くなり親不孝にも程があり先に入ってしまいました、今は家内と二人で生活していますが朝夕のお

経は欠かさず上げています、考えてみると今まで何のために頑張って生きてきたのかと思うと空しい気もしま

す、皆それぞれの考え、生き方はあると思います、それなりに悔いのないような残りの人生を全うしたいと

思います。。。暑いので毎日の投稿は出来ませんがも少しは頑張って書いていきます。。eX;JA6AER




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2020年07月29日

土用の丑

子供のころから釣りが好きだった、祖父がなくなた頃は母が人に分からないようにと言って釣りに行かせてくれたことが忘れられない、フナやナマズなどの川魚である、雨が降って水かさが増せば糸で編んだ目の大きな網を登りにつけて明けの朝上げに行く、取れた魚はタライに入れて外に置いていると近所の人たちが勝手に来て持って帰ってくれる。近くの宝満川では店で買った釣り針でウナギ釣り、なかなか釣れない、ある時どこかの人が穴釣りしてるのに出くわして釣り針を目せてもらおうとしたらすぐに隠されるが形だけは頭の中に入っていた、

勤め先には釣り針作りに適したバスのアクセルリターンスプリングはある(噴射ポンプのスロットルレバー用)、工具は自分用があるので頭に入れ込んでいた形の釣り針を10本ばかり作る、そばで見ていた同僚が笑うような釣り針、笑われながらもそれ持って井関の石垣の穴にミミズつけて入れ込むとウナギが入っていれば食いつく、飛び出してくれば釣れないのだが中に引き込もうとするから確実に釣れる、右手で竹ヘゴの竿左手ではウナギの胴体握って。。。。。今までは穴釣り用の釣り針買ってつりにいっていたが15パーセントくらいの確率しかなかった、針を自作してからは99パーセントの確率、仕事が早く終わった日はかならずウナギ釣り、
大体同じ穴に入ってるからそこを全部回ると3〜4匹は釣れる、自分で捌いて蒲焼、とても旨い、夏が終わるとこの釣りは終わり。。。

定年退職後のウナギ釣りは筑後川の夜釣り、夕方からかリール竿3本持って出かける、釣れるのはナマズ、イダなどが多いがウナギ以外はリリース、たまに大きなウナギが釣れることもある、何年か前に今までで一番大きなウナギ釣ってきて蒲焼にしたが家内が嫌いで食べない、一人で一匹食べたのはよかったが二日くらい腹が張って食べ物を受け付けなかったことがある、無理せずにワン公にやっておけば良かったと思った経験あり。。。。

今年はまだ食べていないが天然物は自分で釣らなければ食べられない、養殖物は黒いが天然物は黄色がかっているのですぐわかる(生きてるうち)、隣町(久留米市)には天然もの食わせる店はあるが高いのと自分があまり好きでないから家内誘っても頭を縦に振らん(払うのは家内)今年は食べそこなうような気。。。。。

2020年07月27日

大型台風の後始末

2003か2004年だったかな台風17号と19号に続けて見舞われる、カーポーチの屋根のタキロンが飛ばされてしまう、休みの日に高価な方を買ってきて修理完了、でも今度は19号(これは17号より強かった)の襲来、カーポーチがまたやられてしまう、今度は安いやつで休みの日に修理完了、19号はここ甘木市(今の朝倉市)はなんと風速67.2メーターの記録がある、なんでも自分で修理やっていました、二階の踊り場から外を見てると新築中の隣の家の瓦が水平に飛んでいて50メーターばかり離れた家の2階の窓迄飛んでいくし、そのころは太陽が見えていた気がする、このあたりは台風の目のあたりだったのだと思う、また自分の車にも瓦がガラスを割って入りこんでいた、今までは台風と言えば風が強いだけと思っていたが自然の力になすすべはないことを思い知らされました、停電が何日か続きましたが片付けには手間取りました、被害には火災保険から100万たらずの見舞金が出ましたが瓦他の修理費には程遠い、少しでも足しになったことには感謝です。。。

反省して考えたことは台風の時には外に出ないこと、窓際から離れることを身をもって知らされた。。。。。
もう今の歳になれば自分には修理なんかできないから外注しかありませんが。生きていれば色々な経験は出来ます、でもこんな災害の経験は嫌ですナー。。。


2020年07月23日

その後

タクシーの乗務し始めてからしばらくして、娘が友人の入院してる病院で盲腸の手術の手続きをしたらしい、
自分たち夫婦も盲腸の手術はしてるから何も考えずに病院に送る、「退院のときには迎えに来てね」と言って。。仕事中だったが家内から手術後娘がおかしいとの電話あり、駆け付けてみると呼吸からおしい。。。。
すぐに久留米大学医学部の救命救急センターに送られて手当もむなしく植物人間に、ちょっとの間でも脳に酸素が送られないとこんなになるのだと思った、これが我が家の不幸の始まり、家内は泊りがけで病院に、自分は休日の前の晩から妻と交代、息子は高校生、仕事の時は朝早く起きて息子の食事に弁当作りと忙しかった、まだ若かったせいもあり娘の意識回復を願って頑張っていたことが昨日のことのように思い出される。。。。3か月程して佐賀県の障がい者施設(国立東佐賀病)に転院していまだに寝たきりの状態、看護師になると張り切っていた娘ですが今は看護師さんのお世話になってる状態です、入院時の「退院の時には迎えに来てね」の言葉が最後になった。。。
息子も進学を断念して就職、自分の結婚した年頃になっても結婚する気配なし(妹のこと考えてか?。。。)
職を転々として最後には西日本鉄道の福岡市内バスに乗務するようになったが何年かして健康診断で精密検査
の結果腎臓ガンらしい、手術はしないと漢方薬の高価な奴を飲んでいた模様、帰ってくるたびに身体は大丈夫
か?と聞いてはいたが大丈夫としか言わない、結局膀胱ガンで52歳の生涯を終える、亡くなった2か月後に孫娘が小学校に入学、子供のころに親を亡くした経験がないから孫の気持ちはわからないが可愛がっている。

家内について、5〜6年ばかり前に目に幕が張ってるような感じがするというので自分が通ってる眼科に連れて行って検査してもらった結果最悪。。。網膜色素変性症とのこと、失明率の高い難病で治療法はないらしい
診断前によく物にぶつかっていたのを思い出す、自分で生活する上には今のところ支障はないが視野が狭い。
テレビはよく見ているのであまり見ないでラジオを聞くようには言っていますが見えるうちには見させてもやりたいと、買ってやったブルーライトカットの眼鏡かけて。。でも明るい性格ですから安心しています。。

  「悪いことは続くものですね、悪いことはしてないのに」もう先は見えているが明るく行こう。。。






2020年07月21日

家の建て替えに取り掛かる

10年余り住んでいた家から建てなおす決意、いろいろ考えて近所の大工さんに依頼2階建て、2階に2部屋造る
洋間と和室両方とも各6畳の部屋に2畳分の押し入れ、洋間は娘が、畳の部屋は息子が入ると言うから振り分けは決定、注文住宅だから1間は192センチで結構広い、出来上がってからの引っ越しは古い家の裏側に建てたので窓越しで何日かかけて終わる、これで新築の家に2回住むことになる。。
銀行から金借りるのに所得証明貰うのに会社の支店長に話すと「家建てたものはみな身体壊しておかしくなる」と言われたが借りることに、取引の銀行の支店長代理で兄がいたのですんなり借りることはできた。。。
払い込みは殆んどが利息で阿保らしくなり結局は残金を一括払いで終了させる、そうこうしてるうちに川の上流にダムが出来てから地下水の出がおかしくなり40メーターばかりのボーリング、家を持つと結構維持費などかかるものです。。。。。
身体壊して(腰)入院4カ月、1カ月仕事してまた1カ月ばかりの入院、生命保険の1日1万円の保証は助かった
これ以上仕事続けていたらカタワになると思って辞める、その後は大型二種免許を持っていたのでタクシードライバーに変身、給料は安いが家族賄うためには仕方ない。タクシー会社には雇ってもらってるとゆう気持ちはなく来てやってるんだと言う気持ちの方が強かったと思う、電気屋の学校で勉強して機械屋になり最後は馬車引きから雲助になった自分をドラマチックに思う、でも家内には結婚してから働いてもらったことがないのは自慢できると思うが家内のやりくりがうまかったのはゆうまでもありません、感謝しています。。。
以後は不幸ばかりの連続になりますが持ち前のひねくれた精神で頑張っています。

次回からは不幸の始まりからゆっくり書いていきます、くだらない一人の生きざまを。。。

2020年07月19日

ずる休みから脱出

身体持て余し新聞の求人欄を見ていたらトラック運転手の募集欄に目が行く、履歴書書いて面接に行く、すぐに合格の通知あり、まず一般道路での運転検査(班長さんが同乗)バスより運転席が高いので運転しやすい、明けの日に行ってみると構内をぶらぶらしているだけで明日も10時に来てくれとのこと、5〜6人一緒に入社、その状態が何日か続いていた、でも着替えと金は用意していた、そんなある日大垣便に乗務するように言われたので先輩と荷物を積み込む、家に電話入れて何日か帰ってこられないむねの連絡、8トン車での九州から本州までの初仕事、困ったことに道がわからない何とか本社までの片道は終わったが明けの日荷物積んで帰り道、明石位から交代で自分の運転、先輩曰く姫路の陸橋は下を通るように言われる、備前の運行管理センターによらなければいけないのだが分からず通過、冷や汗ものだったことが思い出される、
1か月過ぎて初めての給料、まあ、びっくりした、あれだけの仕事で西鉄時代の給料の2倍以上る、その後は本社勤務の先輩と大垣定期便にしばらく乗務。。。続いて名古屋定期の先輩と乗務するようになり半年ばかり過ぎたころ担当車を貰うことになる、名古屋までは2マンだったが帰りはそれぞれワンマンでの運行。。。
運転のテクニックは自然と身に付くものです、ブレーキに頼りすぎないようにエンジンブレーキこれが大事。
運転手してるうちに子供(息子、娘)が小学生,3畳の部屋に机二つ並べてやっていたが娘が元気良すぎて喧嘩ばかりするらしい、それで家の建て替えを検討して贅沢をやめて1年で100万円目標をたてて家内が毎月8万円余り銀行に預けていた様子、これくらいの預金には苦労はなかった様に思う、まだ30代だったから。
この続きは次の機会にします。。。

(私のすきな言葉「形あるものは必ず壊れる、形ないものを求めよ」通っていた修験道道場の先生の言葉)

  

2020年07月16日

アマチュア無線のあれこれ

工高時代に学校のラジオいじり仲間と無線機をそれぞれに作りアマチュア無線バンド(7MHz,AM)に無免許で電波出していました、結局監視所に見つかる、たまたま学校の名前が出たのがいけなかった、家に監視員が来た時には自分は外出中で母がみんな壊していると言ってくれたらしい、卒業して2年目から免許取得の勉強を始める、そのころは1級アマチュアと2級アマチュアしかなかったので2級アマチュア無線技士を受験、見事不合格。。。。。。
 2回目の受験で合格、また少し金掛けて送信機、受信機作りなおして局の申請、予備免許貰って試験電波発射しながら昭和33年12月29日に落成検査(このころは10ワット出力でも検査あり)ヘテロダイン周波数計を持ってきていたのでVFOの校正もしてもらい合格しばらくは電話で各地の人達としゃべっていた、電波法改正で2アマも電気通信術に受からなければ電話急になるとのこと、それからジャンク物の縦ぶり電検買ってきてモールスの練習、移行試験1回目送信術で単点と長点の区別がつかないからやり直してこいと言われる。
2回目は少し自信があったので通知を待つのが楽しかった、新2級アマチュア無線技士の免許貰って最初にしたのが(A3にA1の追加)、時々電信で出るようになる、ある夕方聞いているとカリフォルニアからの呼び出し信号が聞こえたからダメもとでコール、一発で応答あり、初めての海外交信、手が震えたのを思い出す、、、

それからは殆んど電信での交信が多くなり外国とは英文の略符号で、、、、しばらくは50MHzをメインにやっていましたが 500ワットの免許は欲しくなり1級受験を目指す、欧文60、和文50の通信術、通勤の20分が練習、欧文90をランダムで打ち込んだテープを聞いて、和文は人の交信をテープに摂ったやつで練習

1回目は電気通信術は一部合格、3回は免除だから学科の勉強もする、3回目で合格58歳、免許は貰ったものの結局は50ワットの移動局のまま、町村合併で新しい「市」が増えましたが福岡県、佐賀県は全部と郡や町村、道の駅などもサービスに回りました、思い出多いアマチュア無線(58年間)。
        

        話題が飛び飛びと下手な文章で申し訳ない。    

                       「5年ほど前に廃局届提出」

                                     eX; JA6AER

2020年07月14日

彼女とのその後

二日に1回は手紙が来る、文字は奇麗で読みやすいが自分は書くのが雑な方だったから恥ずかしながら丁寧に書く練習を始める、何回かデートみたいなこともあった、就職してからも続いていて家に連れてきて母にも合わせたこともある、母は一緒になるのかと聞くので「うん」と答えていた、大事な彼女だったから手も付けずに。。。
しばらくその状態であったが酒飲んで最終電車で帰ってきたら病院の車、母がウメキながら医者から手当受けていた、即入院、次に日には息を引取りこの世から消える、母が姉に自分にはいい嫁もらってやるように言っていたらしい、その後は母を亡くした腹いせにか相当荒れていたように思う、彼女のことは頭から消え去っていたように思う、兄が見合いしろと言うのでいつまでも迷惑かけられないからと思い頭を縦に振る(先輩の話で見合いはただ酒飲めるから何回でもいいぞと話していたことを思い出す)、兄夫婦と姪(3歳くらい)4人で家内宅に付く。。
しっかり飲むから兄が早々に引き上げた、あれだけ飲んでいたから断られると思っていたが親父さんが男は酒くらい飲めんといかんと言うこと、嫁は義姉と従妹でもある、兄が悦子(義姉)の顔も立ててくれと言うからOKする、西鉄でバスガイドしてたから知っていた、義姉に話すと人が悪いとびっくりしていた。。。。

子供ができ今の場所を買い金融公庫から金借りて一回目の小さな家を建てる、
  飲んべえに今まで!!


2020年07月11日

3番目の兄について

兄は自分より10才年上同じ学校(鳥栖工高)の先輩、卒業してからと思う、親父が日本は戦争に負けるからと兄を満州に送り出す(戦時中負けるなんて言葉は使ってはいけない頃分かれば特高に逮捕されるころ)、生き残って仏様を看てもらうため、終戦になり兄が帰ってくる日には鳥栖まで歩いて迎えに行ったことを思い出す、一番可愛がってくれた兄です、電気科卒業していたので電検3種の免許はあったと思う、九州発送電?(今の九州電力)に入ったらしい、しかし技術屋は嫌ということで東海大学に2年まで行って福岡商大(今の福岡大学)に3年から転入して結局銀行員になっております、兄は大学まで行くように勧めましたが勉強が嫌いで西鉄に入社、
福岡市内バスの車掌を3年余り続けました、途中から何回か職種変更の登用試験受けますが駄目、入社時の紹介者によって結果が左右されていそううな気がしてきます(試験には自信あり)、2番目の兄が新聞社の営業部長していて西鉄の知り合いのお偉いさんに話してくれて次の試験で合格(汚い手をつかったもんだとも思う)、バスの整備士になり転勤、まず電装品係から、貸し切りバスの放送設備の修理も(このころはまだ真空管時代)、少し慣れてくると欲が出ます、3級ジーゼルエンジンとシャーシの免許取得(給300円UP)、それから2年ばかりして2級ジーゼル自動車整備士免許取得(給500円UP)、バスもたまには試運転が必要で運転免許取得に取り掛かる、このころは大型から受験が可能だったから系列の自動車学校に通い大型免許取得、
慣れてくると給料は安いし仕事が面白くないし汚れるので止めようかと思っていたころ新しい営業所が出来そこの整備主任にになる人から電装品係で来てくれと依頼がありまた転勤、長距離バス路線が多い営業所で30台くらい冷房装置あり、型が古いから故障の連続、フロンガスは30キロのボンベは常備、しっかり苦労しました。
整備主任の転勤を機に退職。 3か月くらいブラブラの生活が続く。。

2020年07月09日

彼女の事、少し前

小学生のころだったか一番上の兄がビルマから復員して帰ってきた夏の暑いのに布団何枚もかけて

震えていたことがある「マラリア」にかかっていたらしい、やっと帰ってきたのに死ぬのかと思った

くらいである、  


昭和28年に工高入学した年,大水害、家は床上浸水片付いたので歩いて学校まで行くが水害のためすぐ

帰される、途中はズボンぬいで腰までつかって帰ってきたことが思い出に残っている

水が引いた後が大変だった、匂いが強いし暑いし、その後は順調に学生生活を送っていたが親父と

喧嘩して家を飛び出したことがあった、1週間くらい友達の家を転々として学校にだけは行っていた

3番目の兄が自転車を学校まで持ってきて置いて帰ったのだある、西日本相互銀行鳥栖支店に勤務していた

し、工高の3回生で先輩でもある

仕方なく家に帰ることにした苦い思いでがある、そのころ彼女と付き合っていたらそっちに泊りに行って

いただろうと思う、彼女の家には母と(ミス?社)美人の姉との3人家族だったから。。。

     「用件で出かけるので今日はここまでにします」
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