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シュミルソン
達郎マニアであります。ついにサンソン超常連になりました。カジュアル、シューズ、コスメ等を扱う小さな広告会社やってます。ゴルフは竹林隆光さんにクラブセッティング90点いただきながら未だに100叩いたりしてます。ハワイでゴルフしてシャワー浴びてビール飲むと寿命が5年延びるというのが持論です。オオーベイベー!
プロフィール

2023年05月12日

片岡義男が描くよき時代のハワイの風景に想いを寄せる

今から40年くらい前、片岡義男に凝っていた時期がありました。

ちょうどバイクに乗っていた時期で、代表作「彼のオートバイ 彼女の島」には大いに感化されました。
また、当時雑誌POPEYEに連載されていた「片岡義男のアメリカノロジー」というエッセイは毎号必ず読んでいましたね。

サーフィン、アメリカンカルチャー、ポピュラーミュージックそして青春ラブストーリー・・・
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それらの小説・エッセイのテーマの中で特に自分に刺さったエピソード、シーン、それはバイクと並んで "HAWAII”でした。
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先日本棚を整理した際、片岡義男の文庫本を手にして何冊かを読み返してみると、ハワイのローカルタウンやホノルル郊外のストリート、お店の名前が色々と出てきます。(文庫の値段が300円!)

その多くがそれらの小説・エッセイを購読したあとに実際に訪れていた場所だったのですが、別に片岡作品を意識した上で行った訳ではありません。今回読んだら「そういえばここ行ったことあるよね」って感じです。

例えば、マウイ島ワイルク、ハナのハセガワジェネラルストア、カウアイ島リフエショッピングセンター、カパア、ホノルル デューク・カハナモク記念プール、アラ・ワイのゴルフコースetc.etc.
(時差のないふたつの島)
ハワイ島ヒロ マモ・アンド・ケアウェの角にあるファウンテンサービス、ワイキキウールワースのレストラン、ハマクアコースト、オレンジ色のハイビスカス柄の垂直尾翼etc.etc.
(頬よせてホノルル)
オアフ島ワイアルーア フジオカ・ストア 、カフク・シュガー・ミル、モクレイア、ライエetc.etc.
(限りなき夏1)

その街、道、店、あるいは食事について活字で読むと、むしろその場所の写真を見るより一層の感慨に浸れる気がします。
訪れてから20年30年経った今でも、黄色く焼けた文庫本の中質紙に印刷された「ワイルク」というカタカナ4文字が街角にあったWAILUKU GRILLのカレーサラダの味を思い起こさせてくれます。
ハセガワジェネラルストアにぐちゃぐちゃに山積みされたTシャツとか、アラ・ワイ・ゴルフクラブでスライス打って運河にボールを放り込んだ際、同伴プレイヤー ニノミヤさんの「アローハ」のかけ声、ファウンテンサービスのシノハラ夫妻のお姿とか、3ドルで食べられたウールワースの朝食のトーストの食感などなど。

この先、30年後自分が生きているか分かりませんが、例えば今年これからホノルルに行ってどこかのレストランで食べた朝食の味を果たして30年後の活字から思い起こされるものなのでしょうか?

いや、もう活字=紙に印刷された文字なんてこの世の中から消え去っている事でしょう。さらに言えば、今でさえスマホ、パソコンのディスプレイからこんな感慨に浸る事は難しくなっていると思います。
ただ、Google mapでそれら訪ねた事ある場所を俯瞰できるのは楽しいんですけどね。

昨今コロナが収束して多くの人がハワイ訪れ始め、またブログやYouTubeアップし始めましたが、それを見ていると特にホノルルはもう自分が頻繁に通っていた1980年代〜90年代とは違う街になってしまった感を強く持ちます。まあ、大きな都市ですから変化があるのは仕方が無い事なんでしょうけど。

でも、カウアイ島のコロアやハナぺぺ、ビッグアイランドのホノカワやカパアウとかへ行けば、昔ながらの片岡ワールドのハワイが残っているのかな。
さらに言えば、行った事無いけどモロカイ島ならもっとそんな気分になれること間違い無しでしょうか?

もし、あなたが何度もハワイに行かれていて、ワイキキやアラモアナのショッピングや食事に、なんかちょっとねって感じるのなら、片岡義男のハワイを舞台にした小説・エッセイを読んでみるのも良いと思います。
今までとは違ったハワイの魅力を探せると思いますよ。

IMG_8786.jpg FUJIOKA STORE WAIALUA OAHU
IMG_8788.jpg KAFUKU SUGAR MILL OAHU
IMG_8789.jpg ELSIES FOUNTAIN SERVICE HILO BIG ISLAND
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IMG_8797.jpg HASEGAWA GENERAL STORE HANA MAUI
IMG_8796.jpg WAILUKU GRILL MAUI
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IMG_8794.jpg HONOLULU INT'L AIRPORT OAHU
IMG_8790.jpg WOOLWORTHS RESTAURANT WAIKIKI OAHU













2021年01月09日

MOTORCYCLE Vol.2 "GIRL ON THE BIKE"

あけましておめでとうございます。
本年も「凝れば凝るほど」お付き合いよろしくお願いいたします。

「どこから来たの?」
「東京」
「これで?」
「そう」
「うわあ、うらやましい!」
ぼくのうしろのほうにさがっていてなにかやっていた彼女は、
「カワサキさん」
と、呼んだ。
(片岡義男 彼のオートバイ、彼女の島より)
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ここからバイク乗りの彼と瀬戸内の島からやってきた彼女のラブストーリーが始まります。
この会話の後kawasaki W3に乗る彼と、ほどよい長さの髪に化粧っ気のない小麦色の顔の女の子は、信州上田の混浴公衆浴場でばったり再会します。

当時80年代初頭にバイク乗ってた少年たちは誰しもこの妄想に取り憑かれ信州を目指したものです。
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かくいうこの私も・・・
でも、彼女は現れませんでした。当然か。

「わたしはつなぎの下にビキニだけ着て、海まで走ってつなぎ脱いでそこで肌を焼くのをやってみたいの」
そんな話をしてくれた女の子と出会ったことをふと思い出しました。これは実話です。アルバムひっくり返したら写真が出てきました。会社の同僚に誘われて参加した大所帯のツーリングクラブで出会った結構好みのタイプの女の子。
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何でそのとき電話番号聞かなかったんだろう?
誰かと付き合ってた時期?
そんなのカンケーネェだよね?
今ならLINE交換とかしたんだろうけどね。
今となっては遠い昔の思い出です。

タンデムラン(二人乗り)は疲れるからあまり好きじゃありませんでした。でも当然親密度合いは深まりますよね。
こんなCMがありました。


今と違って高速道路は二人乗り禁止だったので遠出は出来ません。
そこで妙案を考えました。
中央自動車道府中バス停で待ち合わせ、女の子が乗った高速バスの後ろをひたすら甲府まで付いて走ります。
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甲府からは甲州街道〜清里〜野辺山への快適なワインディングロードはすぐそこです。
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これも今となっては遠い昔の思い出です。

さて、話は戻って「彼のオートバイ・・・」の彼女について。
この彼女「ミーヨ」こと白石美代子は片岡義男さんが小説に書いた全くの想像上の女性です。
しかし、ミーヨのイメージに極めて近い女性が実在したのであります。
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高校時代バイクで日本一周をした女性ライダー
ご覧ください、このライディングフォーム
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片岡義男さんは彼女の存在に感激し、自身の愛車HONDAの旧車CB450Kをプレゼントしたのです。
しかしこの彼女、格好よすぎませんか?
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彼女、三好礼子さんとの超私的思い出をひとつ。
1985年のある日、ボクは青山から銀座に向かって50ccスクーターで内堀通りを走っておりました。
するとヘルメットから長い髪をなびかせた大型バイクの女性ライダーが前方に。
そして実に堂々たるライディングフォーム。
女性ライダーって前屈みで上目遣いで乗ってる方が殆どなんですが、この女性は背筋伸ばしてどっしりと構えて走っている。
スケベ根性丸出しで、国会議事堂前交差点の信号待ちで隣に並んでヘルメットの中のお顔を拝見すると・・・
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思わずドキッとするような美人、と言うかマジドキッとしました。
ハーフにも見えました。モデル?
そんなことあり得る?
次の桜田門交差点の赤信号でも隣に並ぶと、乗ってるバイクがホンダのかなり古いCB。
あれ〜?ひょっとして・・・
三好礼子!?
次の祝田橋交差点で止まったとき、意を決してお声がけをしました。
「それって片岡さんのバイクですよね?」
「ええ。でも最近洗車してないから汚れぱなしで・・・」
三たび並んでスタート。
すると有楽町マリオン前でテレビカメラが待っていて、彼女はそこでバイクを止めました。
なにかの取材だったのでしょうね。
その先の信号で止まって振り返ると、大きなジェスチャーで手を振ってくれました。
今となっては遠い昔の思い出です。

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昨年のfacebbokでご本人からレス頂きました!

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そのコメント入れた三好礼子さんのfacebook投稿 
お隣の男性はもちろん片岡義男さんです。

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(片岡義男 幸せは白いTシャツより)

今こうやって写真見ているとあまりに素敵で心が痛いです。
あの頃に戻りたい。


2020年12月17日

MOTORCYCLE. Vol.1 "ツーリングは2日目の朝が最高"

外に出てみると、深夜に雨が降ったのだろうか、前庭に引き詰められた芝が濡れて朝日に光っていた。
濡れたシートをウエスで拭ってから跨がると、1/8ほどアクセルを開けてセルボタンを押す。
2秒ほどモーターが咳き込むような音をさせると、248cc単気筒4バルブのOHCエンジンが目を覚ました。オートチョークのせいで2000rpm辺りでタコメーターが安定すると、荷物のバッグを取りにペンションの玄関に戻ってオーナー夫妻に挨拶をする。「お気をつけて」「有り難うございます」の会話から、荷物をタンデムシートに括りつけ、このツーリングのため新調したARAIのジェットヘルをかぶりグローブを左手からはめる。グローブは必ず左手から。無事故を約束するおまじないだ。
再度シートに跨がる頃にはアイドリングは1000rpm弱に落ち着いて、130kg弱の斜体を起こしサイドスタンドをブーツの踵で蹴り出すとツーリング2日目がいよいよスタートする。
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ツーリングは2日目の朝が最高だ。
何故って、しっかり睡眠を取って昨日の疲労が癒された眼前には、ワインディングロードが既に用意されているから。しかもクルマは殆ど走っていない。木々に囲まれたクリアな舗装道路で、キレイな空気を肺にいっぱい吸い込んできらめく朝日を浴びながらいきなりコーナーに飛び込める。これが東京からだったら、クルマの排気ガスを浴びながら少なくとも2時間は走り続けなくてはならない。そろそろお尻が痛く感じる頃にやっと坂道のコーナーにさしかかる。
別に飛ばし屋じゃないけれど、どんなに疲れていても目の前に50~70km/hくらいで曲がれるコーナーが現れると俄然元気が出る。
それが、朝一番から味わえるって最高の気分だ。ヘルメットの中で気持ちいい〜!って思わず叫んでいる。
スクリーンショット 2020-12-19 10.17.07.png

スタートから20分くらいは、ワザと高めのギアを選んで低めの回転でコーナー立ち上がりの振動を楽しむ。単気筒エンジンならでは快感だ。そろそろ目が慣れてきた頃、ちょっとスピードを出してみる。次は結構鋭角な右コーナーだ。僕はどうも右コーナーが苦手。バイク雑誌で読んだ記憶があるけれど、日本人は圧倒的に左コーナーの方が得意なんだって。でも西洋人はそうでは無いらしい。日本は左側通行だから?じゃあ同じ左側通行のイギリスは?心臓の位置のせい、なんて説も聴いたことあるけど基本人間は皆一緒のはずだけど。

コーナーが近づくにつれ、フロントブレーキ8リア2の割合で減速しつつ4−3−2とシフトダウン。
ほんの少しお尻をシートの右側にずらすと共に、左ステップに力を入れて右ステップは爪先を軽く乗せちょっと右肩を前方に出す。と同時にぐっと車体を右に倒してセンターラインの少し内側にクリッピングポイントを設定。極力視線は遠くに向けてアクセルをエンジン回転上昇と同調する様にやさしく開けて行く。車体が直立しかかった時点で3速4速とシフトアップ。
シフトアップの際にギアペダルのかき上げ方向に力を入れて、クラッチを切らずにほんの少しだけアクセルを戻すとキレイにシフトアップできる事は、片山敬済のライテク本で学んだテクニックだ。
上りの直線のあと次は左コーナが迫ってくる。こっちは自然と左肩が前に出て右コーナーの時より多めに左に尻をずらし顔は路面に対して並行になる。気分はケニーロバーツだ。リーンしてから立ち上がりのスロットオープンでリアタイヤのトレッドの左端が外へほんの少し右に流れた事を感じられたら満足だ。もちろんフロントでカウンター切る程のレベルじゃ無いけれど・・・。
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そうやって林間のコーナーをしばらく楽しんでいるうちに、標高もどんどん上がってくる。すると前方がぱっと開け、一面の緑の絨毯が広がってくる。熊笹だろうか?青い空と緑一面の地面のコントラストが太陽の光を浴びて一層強まってきた。
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そして熊笹の中を更に進むと素晴らしい景色が現れる。
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一度止まって一休みしようか?眼下に広がる素晴らしいワインディングは休みのあとのお楽しみとすると決めた僕は、展望駐車場にCBを入れてキーを左に回しイグニッションをOFFにした。
ペンションを出てから2時間以上ノンストップで走り続けた僕は、ヘルメットを脱いでタンクバッグからJUST(※1)を1本取り出して火をつけた。

仕事のこと、人間関係のこと、ガールフレンドのこと、流れる雲を眺めながらとりとめもなく考える。
お昼ご飯はどこで食べようか?これから訪れる別所温泉にはミーヨは現れるのだろうか?
スクリーンショット 2020-12-20 11.29.41.png
♬かなえられない あこがれ、翼さえあったなら あの雲のあとついてゆきたい (雲の行方に/山下達郎)


さあ、そろそろ涎が出るほどのワインディングに身を委ねて車体をリーンしに出発しよう。

この時間になると上ってくる対向車線のバイクも増えてくる。すれ違うとき8割方のライダーはピースサインを出してくれる。(※2) 左手をクロスして出す左側通行ならではのピースサインは、バイク乗りにしか分からない連帯感だ。
その左手にはめたCASIOのデジタルウォッチを見るとまだ11時。
スクリーンショット 2020-12-20 11.20.40.png


至福の時間はまだまだ続く。



※1 このJUSTの香りってタバコをやめて40年近く経つけど今でもはっきり覚えている。当時で一番軽いタバコだった筈だ。妙に甘ったるい臭いがして、周りにいる奴から嫌がれた記憶がある。
それはともかく実はタバコを止める時、一番シンドイだろうなと思ったことは食事のあとの一服ではなく、ツーリング中の小休止で吸えなくなる事だった。最もタバコが美味しく感じられたのはこの瞬間だったのだ。

※2 中型免許を取って初めてツーリングに行ったとき、すれ違うバイクがみんなピースサインをしてくれた事に感激したのをよく覚えている。今でもすれ違いのピースサインってするんだろうか?










2017年10月07日

波長が合う作家 景山民夫

今回はボクが一番敬愛する作家のお話でも書きましょうかね。

今新刊(と言っても殆ど文庫としての新刊ですが)が出ると必ず購読するのは、奥田英朗池井戸潤の小説ですが、本当だったら自分にとっての絶対的存在の作家がもう一人います。でも、その作家の小説・エッセイの新刊が出ることはもう決してありません。

景山民夫。彼の話を人にした時、ほぼこう言うリアクションが帰って来ます。「ああ、幸福の科学の人ね」「彼は自殺したんでしょう?」に対してボクはこう答える事にしています。「重度心身障害者として生まれた彼の長女が18歳で一度もベッドから起きることなく一生を終えた事が関係してるんじゃないかな」「プラモデル作ってたら接着剤に煙草の火が引火して焼死したんだよね」

ボクが彼の存在を知ったのは、放送作家だった彼が台本を書いている番組、11PMだったかな?に本人自身が出演をしていた時だった思います。
出没おもしろMAPって番組に出ていたのは何となく覚えてますし、タモリ倶楽部の初代放送作家は景山民夫で、これも本人も出演していた記憶があります。クイズダービーも構成作家は彼でした。

その後、彼の名前を活字で見たのは雑誌BRUTUSで、エッセイを書いていた時。後で知ったのはコレが彼の作家デビュー作普通の生活でした。
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その後そのBRUTUSに連載が開始された小説トラブルバスター、これが実に面白かった。
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主人公の宇賀神邦彦はTBS(小説では「関東テレビ」だったけど誰が読んでも設定はTBS)のプロデューサー。低視聴率で担当番組をいくつも途中打ち切りにさせ、左遷された先がトラブル処理係。
料理番組でアイドルが作った料理で食中毒になった事実を揉み消す、誰が読んでもクイズダービーだと分かる番組の誰が読んでもはらたいらと分かる回答者が密かに番組スタッフから回答を事前に教えてもらっていた事を隠蔽する、などなど。本当にこんな事書いて大丈夫なの?と言うテレビ業界裏事情暴露小説で、毎号BRUTUSはまずトラブルバスターから読み始めました。

その後、処女長編小説虎口からの脱出は歴史冒険小説と言っていいのでしょうか?まるでインディージョーンズを見ているようなスピード感とハラハラ感は、ボクを一気に景山民夫の虜にしてくれました。
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そして直木賞受賞作、恐らく一番有名な景山作品遠い海から来たCOO
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ご存じない方に簡単に説明すると、南太平洋の小島で日本人の少年が太古の恐竜の赤ん坊を見つけ育て、そこにフランスの核実験計画が絡んで・・・という「美しい自然と親子のふれあいを通して描かれる少年の成長記であり、同時に大国の核実験などが絡む冒険小説的な要素をも併せ持つ」ファンタジーノベルです。

景山民夫の作品に南の島が舞台の小説やエッセイが多いのは、彼がスキューバダイビングを愛好し、クジラやイルカを愛していたせい。日本でもヒットしたアメリカのテレビドラマ「わんぱくフリッパー」に影響を受けたと述べています。
自分も子供の頃から南の島、珊瑚礁、スキューバダイビングに憧れを抱いていて、オーストラリア〜グレートバリアリーフを世界地図で見ているとケアンズという街がある、ここに行って海に潜ってみたいなんて思ってたくらいですから、通ずるものがあったのでしょうか。

そのオーストラリアを舞台にした冒険小説がモンキー岬。この小説でストーリーは覚えていなくとも、主人公2人がクルマで走ってる時にカーステでかけてるのが、CCRことクリーデンス クリアウォーター リバイバルTHE MIDNIGHT SPECIALであることで嬉しくなっちゃう。そして「TWILIGHT ZONEで」「ダン・エイクロイドが」って会話が出てくるんですよね。これって映画見てない人にはさっぱり分からない話ですが、分かる人だけ分かればいいんです。それが景山民夫なんです。
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だから、景山民夫のどこが面白いのか分からないって人は少なからずいるけれど、それは理解できるんです。だって本人も分かる奴だけがニヤッとすれはいいと思って書いているから。
読んでる方も、分からない人がいるからこそ自分はもっと面白く感じるでしょう?

虎口からの脱出の続編とも言える遙かなる虎跡、ホラー小説ボルネオホテル、恋愛小説ティンカーベルメモリー、ナンセンス小説クジラがきた海、刑事物湘南ラプソディなどなど、その作品はバラエティに富んでいますが、どの作品にも貫かれているのは、彼自身の波長と合う人だけを相手にしていたのではないかと言う事。

エッセイにしてもそう。たとえば、彼一流の「ありそうなウソ」。コレをどう感じるかによって他の作家以上に好き嫌いがハッキリすると思います。そして誤解を恐れずに書くなら、彼の洒落を理解するにはある程度の都会的センスは必要でしょう。

グラミー賞授賞式へ取材に行く際、スティービーワンダーの楽屋を訪問して何かを拝借してくる約束を彼がレギュラー出演していたラジオ番組で聴取者としました。衣装ラックにかかっていたハンガーを音を立て無いよう一つにそっとバッグにしまい込んでいたところ、盲目の天才音楽家は景山民夫にこう言ったのでした「そんなものシアーズで5本1ドルで売ってるよ」って。
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彼がニューヨーク グリニッジビレッジでフォークシンガーをやっていたのは事実の様ですが、ある時、郊外で大きな音楽イベントがあるらしいと言う噂を聞いて行って見たら1日前に終了していた、それがウッドストックだった。

国際線旅客機に搭乗して出発を待っていると、こんな機長のアナウンスが流れてきた。「当機のマヌケな副操縦士ががパスポートを忘れ自宅に取りに帰っております。なので出発が遅れる分、彼のおごりでファーストクラス用のシャンパンを皆さんに無料で振る舞います」

これらを端から信じるのか「本当?」と疑うのか、「ああ、またか」と思いつつもニヤッとするのか?
いずれにせよ景山民夫の波長は誰とでも合うものじゃないと思います。でも合っている人にとっては凄く嬉しいんですよね、これが。でも、本当のことかも知れませんね、いくつかは(笑)

ところで、80年代初頭一部で人気を博していた毎週月〜金10分のHITACHI SOUND BREAKと言うテレビ番組がありました。洒落た選曲の洋楽に海外の風景を中心とするオリジナル映像を被せて放映する、といった一見とても単純で安直に思われた番組でしたが、これが以外と面白かったのです。
その中でも印象深かったのがHENRY KAPONO/STAND IN THE LIGHT 柳ジョージ/テネシーワルツに乗せて映されていたのがホノルル空港に駐機されていたDC3ハワイ島ヒロのダウンタウンの映像でした。
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で、エンドクレジットを見て納得。構成:景山民夫
やはり彼のセンスとは凄く波長が合いました。

そんな景山民夫の作品、実はアマゾンの中古か古本屋でしか入手できません。
角川書店、新潮社、文藝春秋を始めとした大手出版社を始めとして、調べる限り全ての書籍は廃刊になっているようです。その理由は幸福の科学絡みの問題なのでしょうか?それにしては、幸福の科学出版から出された作品も全て廃刊になっているようです。

ともかく、今回のブログを書いていて、また幾つかの作品を読み返してみたくなりました。
彼が亡くなって来年でもう20年。時が経つのは早いものです。
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*今回書かれているエピソードは、その概略を自分の記憶だけに基づいて書かれています。なので細かい部分が不正確なことはお許し下さい。今後氏の作品を徐々に読み返して間違っている部分は随時訂正してまいります。



2016年06月23日

これぞ雑誌の生きる道〜POPEYE創刊40周年に寄せて。

今までこのブログで2回ほど雑誌POPEYEについて触れてきました。

折しも40周年記念号が6月10日に発売され、創刊号の復刻版が別冊付録としてついてくると言う事で、各方面で話題になっております。

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ボク自身は78年頃からの読者だったので、この76年6月の創刊号をじっくり読むのは実は初めてです。
これを読んでみると、この時代に対する懐かしさよりも新鮮さを感じますね。ボクでさえそうなんですから今の30代40代、ましてや20代の人には如何様に感じられるのでしょうか?

ボクにとっては、なんと言っても誌面のアートディレクションがとても斬新に感じられます。
現在ネット、特にスマホの爆発的普及によって雑誌の衰退が声高に叫ばれています。そこで思うことは、今後雑誌が生き延びるひとつのファクターとしてアートディレクション、誌面レイアウトの巧みさで、コンテンツの世界観〜本質をより深く理解させて人を引きつける事が重要ではないのでしょうか。

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こういったレイアウトを作ろうにも、パソコンはおろかスマホでは絶対無理ですよね。

その頁の全体のデザイン構成を眺めながら、文章を読む。すると書き手の主張が良く伝わります。
また自分が体験したこと、行ったことがある場所、食べたことがあるものがそこに素敵なレイアウト・デザインと琴線に触れる言葉で表現されていたとしたら、その経験が鮮やかに蘇ることは明らかだと思います。
でもその具現はスマホの小さな画面じゃあ難しいと言うか不可能ですよね。

こんなのスマホじゃ絶対ムリムリムリ (出川哲朗口調)オーマイガー!(笑)
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そのPOPEYE創刊時のアートディレクター:新谷雅弘さんのインタビュー、とても面白いことを言われているのでご覧下さい。
http://st.wowow.co.jp/detail/9409

そして、必要に迫られて情報を探しに行くのが今のメディアとしてのネットであるのなら、所謂「専門誌」ではないPOPEYEみたいな雑誌は、頁をめくりながら新しい興味を創造してくれるメディアなのです。そしてその存在価値はこの先もずっとあると確信します。

今回のPOPEYE40周年記念号、そして創刊号復刻版には、ネット社会に於いて雑誌媒体を存続の危機から救うヒントが有るんじゃないかと思っております。

最後に、POPEYEを創ったLIVING LEGEND 木滑マガジンハウス最高顧問のインタビューをご覧下さい。
http://st.wowow.co.jp/detail/9403

「マーケティングや社会心理学は所詮統計学だから過去をなぞるだけのもの。直感がすべてを制する」

2015年11月22日

地球には2種類の人類がいる?ISのパリ同時多発テロ事件で考えたこと

パリのテロから一週間が経ちました。

フランス政府のISに対する空爆への報復と報道されていますが、世界の大多数の人はやり場のない怒りと憤りを感じていると思います。そして己の命を犠牲にしてまで、さらには自身の家族や恋人、友人の悲しみを封じ込んで自分の信じる神のため(たとえそれが狂信的な指導者のマインドコントールのせいであったとしても)自分と同じ多くの「人間」を自爆という行動をとって殺さなければならないのか?
ISだけでなく、アルカイダにしてもボコハラムにしても、日常宗教というものから離れた立場に身を置く我々日本人の多くからすれば、全く理解に苦しむ存在だと想います。

さて、私が今までの人生で最も衝撃を受けた書籍に「星を継ぐもの」という小説があります。英国のJPホーガンという、その後人気小説家となるコンピュータ会社のセールスエンジニアが1977年に発表したデビュー作のSF小説です。
いまやハードSF小説の傑作として世界的にとても高い評価を受けている「星を継ぐもの」を私が知ったのは、80年当時雑誌POPEYEに連載されていた書評コーナーでありました。
普段書評欄など全く興味がない自分ですが、そこにあった一言が衝撃だったのです。「月の裏側に人間の死体が発見された。調べるとそれは5万年前の遺体で・・・」
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何故人類はある時代に爆発的に進化したのか? 何故月面の表と裏はあまりにも地形が違うのか?何故火星と木星の間にある小惑星帯はそこにあって、これだけが星としての形を持ってはいないか?等、様々な現実の疑問がこの小説の中で論理的に解き明かされていきます。
どんどんこの小説に引き込まれ、その後何回も読み直し、知り合い何人もに紹介し、更に続編、続々編も夢中で読みました。


それが、冒頭のISのフランス同時多発テロと「星を継ぐもの」がどう言う関係があるのか?

それはこの小説の最も重要な帰結のうちのひとつが「人間には2種類が存在する」だからなのです。

「この世の中には2種類の人間がいる。それはいい人と悪い人だ」とは映画「犬神家の一族」での名優 加藤武さんの名ゼリフですが、それ当たってると思うんですよね。
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「よし、分かった!」は加藤武さんの決まり文句(笑)

で、「星を継ぐもの」では今の時代にもこの地球には2種類の人間がいることが明らかにされます。
そして、その2種類の片方が、もう一方である我々大多数の人間がその科学技術を高度に発展させることを快く思っていない勢力、もしくはその勢力に操られている人間達なのです。
そして彼らが、事件、事故、戦争、虐殺、暗殺を引き起こし、人類の発展に歯止めをかけているのです。原爆の発明もそうかも知れないし、原発の様な一度事故が起こったら制御不能なものを開発させてしまったのも彼らの仕業かも知れません。
つまり、人類がこれ以上発展されると困る誰かが、古代からこの宇宙のどこかにいる訳なんですね。

この小説ではもちろん具体的には言及されていませんが、作者のJPホーガンは特定の宗教開祖や大量虐殺を行った為政者、狂信的軍国主義者、さらに具体的にいえばJFK殺害の真犯人らを読者に想像させたかったのかも知れません。

そう言う事を考えると、ISを始めとするこの時代の狂信的な宗教集団もこの2種類の「もう一方の人間」達なのか?と思ってしまう訳なのです。


「星を継ぐもの」は単なる娯楽小説ですが、フランスを始め世界各国で頻発している事件に接するにあたり、この小説が訴えかけている人間の本質を考えたくなる今日この頃です。

http://www.amazon.co.jp/dp/448866301X














2015年11月01日

ポパイが教えてくれた〜マガジンハウスのお話 Vol.2

前回上げた「ポパイが教えてくれた」から、雑誌のオリジナリティについて考察の続きであります。

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あまりにも有名な創刊号の表紙です。

`76年創刊のPOPEYEが78年以降巷で話題になるになるにつれ、掲載される広告もどんどん増え、しかもPOPEYEの為だけに創られた広告ビジュアルも大手企業中心に登場しました。
ただ編集と広告のクオリティギャップもかなりあって、今見ると思わず赤面しちゃう広告も結構ありましたね。
そこで、編集サイドが広告を作ると言った「編集タイアップ」広告も多くのクライアントに受け入れられ始めました。これも一般的には平凡出版(現マガジンハウス)がananなどでパイオニアであると思います。

ただ、その薄さが魅力のひとつだったのに、広告が増えて束が厚くなった事はボクにとっては一寸残念でした。
しかし販売収益に加えて広告収益がどんどん増えれば、ヨソの出版社が黙って指をくわえている訳ありません。

そこで案の定やってくれたのが講談社であります。題してHOT DOG PRESS

判型、紙、印刷等ハード面は全くのコピー。前回触れた巻頭コラム集"POP*EYE"に対しては「熱犬通信」という恥ずかしいパクリ。もちろん取材テーマと内容、その深さ=クオリティ、アートディレクションに於いては比ぶべくもありませんでしたが。

そもそも雑誌、特に情報誌(ファッション誌を含んで)の存在理由は新しい文化・流行を新聞やテレビに先んじて読者に紹介する事なのに、ヨソのパクリをやっても雑誌本来の持つ使命を果たせる訳ないでしょう?
それでも、その当時企業の宣伝部はいっぱいお金を持ってたからPOPEYEの広告サイズに作った原稿を同じ判型のHOT DOGにも入れたんじゃないかな?
その後HOT DOGはギャル、SEX路線に活路を見いだし、それがウケて部数的にもPOPEYEを凌駕するに至りました。
でも、そのSEX特集も実は1980年にこれも平凡出版から創刊されたBRUTUS1981年の100 Things You should know about SEXと言う特集があってからこそと確信します。(英語のサブタイトルの付け方なんてモロですよねぇ)

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その後POPEYEも80年代中盤から、これはファッションの流行自体が変わってきたこともあるけれど、本来の "Magazine for City Boys"から離れていった印象です。
ボク自身のビジネスには思いっきり使わせて頂きましたし、当時の編集長には色々とお教えていただき、それが今にも役に立っておりますが・・・。

その後HOT DOGは2004年に休刊。 
POPEYEは、と言うと3年前から再度"Magazine for City Boys"としてリニューアルされてから、また新しい文化を創り出し始めていることはとても嬉しく思います。

で、BRUTUS,TARZAN,GULLIVER,relux,CASA,Olive,Hanako,Ku:nel,GINZA,&Premiumに続くその他の雑誌については、時を改めてまたお話します。
しかし、上記に上げるために思い出した雑誌って、やっぱりすべて新しいジャンルのオリジナルですよね。
そこがマガジンハウスの凄いところって改めて思います。

最後に、先月15日に発売のBRUTUSのハワイ特集を今少しずつ読んでますが、やはり他じゃできないなぁって内容です。今まで30回近くハワイ行って色んなガイドブックや雑誌の特集見てるけど、ドリス・デュークの話なんて初めて読みました。
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ではまた。

2015年10月21日

ポパイが教えてくれた〜マガジンハウスのお話しVol.1

前回予告しちゃったんで、マガジンハウスの話しを書きます。
ひょっとしたらこのブログをお読み頂いている業界の諸先輩方には、「マキノ何言ってるんだ」なんて思われること覚悟で書きますね(なんてそんな大袈裟なもんじゃありません)

今日は、ボクの父親の命日です。7年前の10月21日に79歳でこの世を去りました。父は音楽関係の仕事をしていたので、これはこれでブログネタになるので次の機会に色々と書いてみたいと思っているのですが、この父は、普段から子に対して教訓めいたことや将来の進路などに対して、あーせいこーせいなんて一切言わない人でした。だけど一度だけ、ボクが社会人になる時に言われたことがありました。

これから社会に出たら3つだけ守るべき事がある。

1. 腰は軽くなければいけない。〜これ説明しなくてもわかりますよね。要はすぐに行動しろってこと。

2. 仲人は上司に頼むな。〜今でこそ仲人のいる結婚式ってあまり見かけなくなりましたが、
自分が若い頃はそれが当然だったんです。もし仲人を会社の上司に頼んで、将来その上司が自分と意見が合わ
なくなった時、ましてや独立でも企てたら、不本意でもついて行かなくてはならない。って今じゃ考えられな
いけど仲人と言えば親も同然だったのか?!でも大企業には今でもそんなことがあるのかも・・・

そして3番目。これが「えっ?!」って言う内容でした。

3. 平凡出版と仲良くしろ。〜要は今のマガジンハウスですわ。
  じゃあなんで平凡出版に入れって言わなかった のが疑問と言えば疑問なのですが、まあ自分の息子には平凡
に入れるほどの才能は無いと思ってたんでしょう。(笑)

これには、驚きましたが、それは全くその通りと分かったのは社会人となってまもなくのことでした。

その当時平凡にあった雑誌は、月刊/週刊平凡 平凡パンチ anan クロワッサン POPEYEそれくらいだったでしょうか。
BRUTUSの創刊説明会に木滑さん(現最高顧問)がボクの働いていた広告代理店にいらしたことは、良く覚えています。

当時は社屋が田舎の小学校みたいで、社員食堂からアルマイトのお盆で昼食を各自の自分のデスクまで運んでくるんです。ボクも何度かご馳走になった覚えがあります。

で、それは兎も角、話しは戻りますが、大学生時代にPOPEYEと言う雑誌との出会いがありました。
当時若い男の子が読む雑誌ってのは、タレントの水着やヌードグラビア、あとはクルマや音楽の記事が中心だったんですね。平凡パンチ、プレイボーイ、そしてGORO(ご存じ?小学館から出てた大判の男性誌で、篠山紀信の激写で一世を風靡)などでした。

そこに出てきたのがポパイって、やたらと薄い雑誌。印刷もはっきり言って汚い。独特の紙とインクの臭い。そしてやたらと文字が小さくて多い。写真も小さくて多い。
そして一番の驚きは、ハダカが一切載ってない。出てくる女の子は素人なんだけど結構可愛い。そしてファッションと言うより洋服の記事が多い。アメリカの話題がやたら多い。ロサンゼルスのことをLAって言う。UCLAってそれまで誰も知らなかった。等々全く今までに無いタイプの雑誌でした。

これぞ、パイオニア、オリジナリティの極致的雑誌でした。

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毎号特集主義で、たとえば・・・ IVY  ローラーコースター LA NEW YORK フリスビー スキー 60'S ワーゲン、テニス、オートバイ、そして今に残る名タイトルの号「気分はもう夏」コレ持って初めてハワイに行きました。

でも一番ボクに刺さったのが、毎号巻頭に載っていたのコラム頁でした。1頁を縦割りに3〜4の話題が載っています。それが3見開きくらい続いたのかな。それぞれの記事には番号が振ってあって、1~17まで続きます。アメリカネタが殆どでしたがそれぞれが面白くって、食い入るように読みました。
当時友達との会話の決まり文句「これってポパイにでてたんだけどさー」

最初にこの巻頭コラム集を見て驚いたこと、ポパイってPOPEYEだったんだ!このコラムのタイトルこそ今に続くpop*eyeなのです。「ポップな目」いやこのタイトル付けた人、天才だと思いました。たぶん先に書いた当時の木滑編集長だと思いますが。

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それと、もう一つ。17番の次に18番のコラムがありました。この18番は実は広告で、毎号サントリーがビール、ウイスキー、トロピカルカクテル(懐かしい!河野さん元気かな?分かる人いないよねw)など色々な製品を1~17のレイアウトに合わせて、小さな写真と長いテキストで宣伝しました。
ああ、広告ってこう言うやり方があるんだ!って感激した記憶があります。
ちなみにこの頁はモノクロです。1c1/3p広告料金幾らだったんだろう。
サントリーって凄いよね。
実はボクが山下達郎が好きになったきっかけも、サントリービールのCMなんだけどね。

なんてこと書いてたら、すっかり遅くなってしまいました。

続きはまた近日アップします。


長々とお付き合い頂き有り難うございました。


2015年10月18日

雑誌のオリジナルとフォロワー

今日の朝日新聞に「はじめての女性誌」って特集記事が掲載されておりました。

ananから始まりageha、リンネルまで女性誌の歴史的意味合いと現状が書かれているんですが、恐らく記者がここに出てくる雑誌の実際の読者としての世代ではないためか、登場雑誌のセレクトに疑問符が付いたり、そもそもの取材内容が薄く感じましたね。

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で、今回この記事を読んでワタクシが皆さんにお伝えしたかったのは、この写真の一番右、上下にある2誌、つまりananとnon-noのお話であります。

ananはこの記事にもあるように1970年に平凡出版(現マガジンハウス)から創刊された、日本初と言っていい女性既製服ファッション専門誌でした。(それまでの女性誌は型紙が付いている洋服の作り方つまりお裁縫主体の服飾雑誌がほとんど)
今では殆どの女性誌の判型はこのL版(297×235mm)ですが、ananはこのサイズで発行された初めての雑誌でした。これには深い理由があったと聞いております(この先の記述は、もし事実誤認が有ったらご指摘下さい)

1960年代は平凡対集英社対決の構図ってのがあって、オリジナル=平凡 フォロー=集英社(本当は真似、パクリって言いたいけど、角が立つんで。って言ってるじゃないかオマエ!w)だったんですね。
月刊芸能誌としての「平凡」に対する「明星」(明星って言うネーミング自体は文芸誌として平凡より古い)週刊芸能誌「週刊平凡」に対する「週刊明星」、若者向け男性週刊誌「平凡パンチ」に対する「週刊プレイボーイ」などなど、平凡が出すヒット雑誌を集英社は、ことごとくほぼそのままパクって(ちょっと言い過ぎか)次々と創刊し、部数的には平凡の各誌を上回ってしまう、と言う状況が続きました。(実際明星やプレイボーイは現存していますが、平凡やパンチは20年以上前に廃刊)
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で、こりゃ何とかしなくてはマズイ、次に出す初の若い女性向け雑誌もすぐに真似される。そこで平凡出版が考えたことは、ある印刷会社と今までに無い大型の雑誌を刷れる印刷機ごと開発しちゃおう、と言う事。そうすりゃ真似されないだろうって事ですな。それが297×235mmのL版の雑誌「anan」だった訳であります。
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ところが、そこは集英社。すぐに日本最大手の印刷会社に同サイズの印刷機を作らせて翌年にネーミングもサウンドが似ている「non-no」を同じくL版で創刊してしまったのであります。
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この両誌は今でも続いていますが、同判型と言う事は別にして、内容は大分違う雑誌になってますけどね。

その後、集英社の手法が講談社に移って、POPEYEに対するHOT DOGとか、今度は集英社が講談社に真似されちゃったMOREに対するWITHだったり、光文社のJJに対する講談社のViVi、小学館のCanCamだったり、各社入り乱れてのパクリ合戦に進展していく訳であります。(パクリ表現連発〜スンマヘン≦(._.)≧)

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ちなみにJJって女性自身(Josei Jishin)の略って知ってました?

まあ、それ以前にも週刊女性:女性自身:女性セブンとか週刊新潮:週刊文春、週刊現代:週刊ポストとかありますが、さすがにここまで来るとワタクシの手に負えなくなってきますんで、この辺で終わりにしておきます。
しかし、その中で各誌 時代の流れに沿って次々に新しい流行を発信もしくは紹介してきたのも事実であります。
だから、必ずしも後追い媒体がダメと決めつけることも無いとは思いますが、やはりエディターとしてはパイオニアを目指したいんじゃないでしょうか?

今晩は、長くなったのでこの辺にしておきますが、次回はその「パイオニア」であることに拘り続けているマガジンハウスのお話でもしましょうかね。