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Y.Kitashiro
豊かな観光資源と自然に恵まれた港町・函館。まだ訪れたことのない人も、また行きたいと思っている人も、もっと街を楽しめるディープ?な情報を発信中!
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2017年09月20日

函館には五稜郭もあれば、四稜郭もあるわけでした。

観光客がまず訪れない函館の「史跡」…

五稜郭の話をしたときに、即座に掘り下げようかと思ったのですが、

軽い話なので、後回しにしました。

函館には五稜郭があれば四稜郭もあるって、知っていましたか?

もちろん四稜郭タワーなんぞありませんし、

国の史跡には指定されていますが、観光客の姿がある場所ではありません。

箱館戦争のとき、新政府軍の上陸を受けて、五稜郭防衛のために

その北側に急造したものです。現在は単に草むした土塁が残っているだけです。

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五稜郭から四稜郭に至る線上には、東照宮が置かれていて、

(旧幕府軍ですから、鬼門の位置にお社を置いたわけです)

当時そこは権現台場と呼ばれていたそうです。

ところが進攻してきた新政府軍に権現台場はあっさり攻略され、

五稜郭との連携ラインを分断され、

急造の四稜郭もすぐに放棄されたようです。

史跡として保全されてはいますが、

すっかり兵どもが夢の跡、と化しています。

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ゆるやかな丘陵地にあり、樹々の間から五稜郭タワーや

函館山も見える場所です。

一応箱館戦争のスケール感が感じられる場所かもしれません。

もしガイドブックに載っている有名観光スポットに飽きて

レンタカーを利用して観光するようなら、のぞいてみるもの

一興でしょうか。

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2017年09月13日

北海道と言えば「海鮮」という発想が実は…

この夏のニュースで記憶に残るのは、

元祖「イカめし」の阿部商店(森町)がこの人気駅弁を

650円から780円に値上げしたニュース。

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南半球から輸入している原材料が高騰して

これじゃあ続けられない!ということでした。

新宿の京王百貨店の目玉になっているこの「イカめし」。

もうすでに北海道のイカではなかったんですね。

こうして、北海道はやっぱり海鮮!

というわりには地元産のものは少ないということには、

観光で訪れる旅行者はあまり気づいていないのではないでしょうか?

たとえば函館市の統計で金額ベースで

水産業の柱となっているのは何かといえば、

平成27年のデータによれば、

1位コンブ38%、2位イカ23% 3位は大きく離れてブリが7%です。

ウニ、サケはそれぞれ5%、4%で、カニに至ってはほとんどとれません。

まあ、大型のカニの原産地はロシアです。

毛ガニでさえ道南で獲れるのは限定された時期のわずかな量。

道内で毛ガニの地元といえば、まずはオホーツク海側になるでしょう。

サンマやサケは釧路などの道東。

ホタテは森町など道南の噴火湾(内浦湾)沿いで大規模に養殖していますが、

函館市の水揚げは統計に載りません。

経済の原則ですが、商品は消費地、加工地へと流通します。

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↑函館の海鮮丼、見た目何割?

函館=北海道と思えば、水産物が何でもおいしい

のかもしれませんが、じゃあ札幌と比べてどうなのか?と言うなら、

そりゃあ札幌のほうがモノが集まるに決まっています。

こうして函館も北海道のイメージを壊さないような品揃えを

強く意識していることを理解してほしいかな、と思うわけです。

正直なところ、どうして函館の海鮮丼はうにといくらが主張しているのか、

日本の他の地域で海鮮丼を目にすると、値段も内容も違うので

軽くショックを受けるわけです。

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函館で「北海道を感じる」というところに

少なからず、ボタンのかけ違えがあるように思うのです。

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旬の時期に前浜で獲れるウニは美味い!ただ高い!この写真は積丹町・美国でのもの。ムラサキウニ1色丼でも予算3000円ではムリ。



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2017年09月11日

イカの街「函館」のピンチはまだまだつづく

北海道といえば…海産物がおいしい!

そんなイメージがあると思います。

函館→北海道…と連想するとそうなるはずです。

函館は朝市も有名です。

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ただ地元民からすれば…

海産物といってもいろいろあるでしょう、と思うわけです。

海の幸が何でもそろっていると言えば「築地」だと

思うんですね。

わざわざ函館まで来て「いったい何が食べたい?」

そんななかで函館というキーワードから

具体的に思い浮かぶのは「イカ」でしょう。

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コリコリした函館の新鮮なイカはほかでは食べられない!

確かに函館も今まで長い間、イカ推しでアピールしてきました。

「函館市の魚」がイカ、というぐらいです。

厳密にはイカは魚じゃないって(笑)。

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スルメイカ(マイカ)の漁期は例年6月〜翌年1月まで。

それ以外の時期はヤリイカが中心となります。

その自慢のスルメイカがここ数年、大ピンチ!

漁獲高が史上最低になってしまいました。

もちろん価格も高騰。

その原因は「津軽海峡にイカがいない!」というわけです。

だから、海鮮をメインに営業している居酒屋さんでは

「活イカ刺し=時価」となっている場合がほとんど。

入荷がない日も珍しくありません。

活イカ→(いきいか)ではありませんよ。

(かついか)です。刺身にさばく直前まで、生け簀で活きていた

イカのことを指します。

夏の朝になると、朝獲れのイカが移動販売で

住宅街まで売りに来たものでした。

「イカ、イカ〜ぃ」

イカ売りの声は函館の風物詩でした。

でも、いまでは市内で移動販売をしている鮮魚店は1か所だけ。

160803kawamuraf1.JPG


寂しいものです。

それだけ市民がイカを食べなくなったことも原因です。

イカがよく獲れていた時代は、

朝イカ、4杯500円とか、そんなこともありました。

不漁だった昨年、軽トラで移動販売しているおばちゃんに

相場を尋ねたところ、キロ1500円という答えが返ってきました。

スルメイカ1キロで何ハイぐらいかって?

大きいのなら4ハイ、小さくて7〜8ハイといいます。

2017年のスルメイカは日本海での北上が早く、

稚内近辺で過去になかなかない豊漁だそうです。

函館のイカはといえば、最盛期のはずの8/1-8/20に

約160トンの水揚げ。ところが8/20以降盛り返して8月の水揚げは

400トンに迫るところまで回復基調です。

1日20トンという日も珍しくなくなったとか。

それでもキロあたりの卸値は500〜800円あたり。

店頭では1ハイ300円前後するようで、市民に言わせれば

「全然高い」状況です。

駅前や朝市の飲食店では水揚げがまったくない日を除けば、

提供されていないことはまずありませんが、

活イカ刺1人前1200円あたりが昨今の相場です。

観光値段はしかたのないところ。

それより高値安定は活イカはともかく

地元の水産加工業者に「材料の高騰」という

暗い影を落としています。

夏のスルメイカ不漁で、輸入イカの量も過去最大となり、

南半球から輸入しているイカでさえ価格高騰の波を

もろかぶっている次第です。



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2017年08月21日

五稜郭へのアクセスの注意点(2)

さて、きょうは五稜郭へのアクセス、次の段階です。

たとえば函館駅前にて、市民に観光客が

「五稜郭へはどう行けばよいですか?」と

尋ねるとしましょう。

9割以上の確率で、市電(「五稜郭公園前」の利用)を勧められるでしょう。

市電は平日の昼間は6分間隔で運行していますから便利です。

所要時間は?

意外とそこを正確に答えられる市民は少ないかもしれません。

17分です。そして、

市電の五稜郭公園前電停から五稜郭公園へは徒歩で10分ちょっと

かかります。

そんなにはかかりませんが、積極的に歩く距離ではありません。

さてそこで思い出してほしいのが、

前記事で紹介した、駅の記述。

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実は市バス(市営バス)というのは間違いで、2003年に函館市交通局は

バス事業から撤退していますから、函館バス(函バス)が

正確な表記です。

つい最近まで自分も

「バスなんか本数、安定していないじゃん。系統も複雑だし」

そう思ってました。

間違った考えではありませんが、JR函館駅から

五稜郭へダイレクトに向かうとするなら、

路線バスも五稜郭への本数が意外とあるんですね。

駅前ターミナル発で

バス停「五稜郭公園入口」を経由するバス系統は合計7系統。

すべて5番のりばからの出発。

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平日の時刻表を見てみると、朝6時から夜7時まで、

1時間あたり6〜8本運行されています。

時刻表上の所要時間は16分。

「五稜郭公園入口」までの所要時間です。

バス停から五稜郭公園までは徒歩で5〜6分って

ところでしょうか。

ただし、乗降時間や渋滞によって

左右されるのは路線バスの特性です。

もっとも本数の多い系統は106-27ループ。

平日は1日27本。それでも1時間に2本程度。

となりの6番のりばに逆回りループの27-106系統が発着していて、

ひとつ手前のバス停「五稜郭」から経路が変わって

五稜郭からは遠ざかりますから要注意。

バス停「五稜郭」と電停「五稜郭公園前」は同等ですから、

となりの6番のりばの27-106ループも候補に含めれば、

路線バスも意外と便利かもしれません。

バスだと運賃は240円。市電よりも10円高いだけ。

まあ、徒歩3〜4分、バス停1つ分の差と思えば、

本数・所要時間とも安定感は市電に軍配が上がるのは

間違いありませんけどね。

1日乗車券600円も魅力です。

でも、旅は選択肢が多いほうが楽しいような気がします。

ちなみにブログ主はバス好きなので、旅先で

極力地元の路線バスに乗ろうとします。

勝手知らない路線バスに乗るのも逆にわくわくするものです。

それに函館駅から五稜郭なら少しぐらい間違えてもリカバリーは容易でしょう。



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2017年08月16日

五稜郭へのアクセスの注意点(1)

函館市民なら常識ということでも、

観光客にとってはちんぷんかんぷん。

そんなことは数え切れないわけですが、

思うに、

観光しない函館市民には無縁、な知識も

たくさんあるようです。

五稜郭関連でふとしたことに気づいたわけです。

JR函館本線の函館駅の隣駅は「五稜郭」ですが、

この駅は特別史跡五稜郭の最寄駅ではありません。

そんなことは市民の常識でJR五稜郭駅を起点に

五稜郭公園に行こうとする市民はまず皆無です。

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↑函館駅の切符売り場の上方にある注意書き

函館駅前から五稜郭へ向かうのあれば、

市電か路線バスを使います。

この部分は地元民の常識。

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↑JR五稜郭駅

ところがJR五稜郭駅からバス停五稜郭公園入口まで

路線バスが走っています。

逆に市民はそれあまり知らないんじゃないかな?

所要時間は13分。系統は89系統。平日は1日13本。

微妙な本数ですが。

そのルートを見ると利用者数優先で最短距離を走っていませんから、

タクシーで向かえば五稜郭へはおよそ半分の時間で着くでしょう。

もちろん、JR函館駅からひと駅乗って、乗り換えて

五稜郭へ向かうのはナンセンスです。

函館→五稜郭の所要時間は5分で210円ですから、

函館駅からなら時間も運賃も倍以上かかります。

平日1日13本(休日は12本)の89系統。

JR函館駅から向かうとすれば、JRもしくは

道南いさりび鉄道を利用するわけですが、

乗換時間を30分以内と限定すると、接続しないケースもあります。

路線バスの常で朝夕の通学通勤時間帯の本数が多いので

たとえば12時台、14時台がありません。

また9時台、10時台は30分以内に接続しません。

その点を考えるとかなり微妙です。

やっぱり五稜郭へ向かうのに鉄道で向かってはいけないようです。

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7月にNHKのローカル線番組で函館本線を取り上げていて

演者がJR五稜郭駅から五稜郭へ向かっていましたが、

ローカル線がテーマの番組とはいえ、ルーズな作りでした。

昨年の火野正平のこころ旅の北海道編でも五稜郭には立ち寄らなかった

にもかかわらず、ことさらJR五稜郭駅を紹介していました。

もちろんNHKですから知ってての構成だと思いますが、

不正確な印象を広めるメディアの姿勢は罪作りだと思います。


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2017年08月07日

名所・五稜郭…(5)箱館戦争の主な舞台は…

五稜郭の悲劇はその築造にまつわる迷走だけではありません。

旧幕府脱走軍といえば新選組・鬼の副長、土方歳三ばかりが

クローズアップされますが、脱走軍のリーダー、榎本武揚は

オランダで学んだ外交手腕を駆使して、諸外国に「交戦団体」である

ことを認めさせ、一時「蝦夷共和国」の総裁の座についたほどの

人物です。ただ惜しむらくは旧幕府脱走軍は

北海道に上陸して松前藩の守備隊を蹴散らして

蝦夷地を制圧する過程で、主力艦である「開陽丸」を冬の暴風雨のため、

江差沖で座礁させて失います。開陽丸はオランダ製の新鋭艦で当時最新の

クルップ砲を装備、戊辰戦争勃発直後、阿波沖で薩摩藩の艦隊を撃破しています。

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↑江差町の開陽丸記念館

江戸城無血開城の後も榎本は新政府軍に対し、開陽丸の譲渡を

断固拒否、1868年(慶應4年)4月に品川沖を脱走しています。

その最大戦力である旗艦を戦わずして失った脱走軍は、

明くる1869年(明治2年)3月、雪解けとともに攻勢に転じるために

北上する新政府軍艦隊が宮古湾(現岩手県)に入港する情報を得、

三艦を箱館から南下させ、主力艦甲鉄の直接奪取を試みるも、これに失敗。

作戦に参加した三艦のうちの一艦・高尾とその乗員を失います。

一説には開陽丸沈没を知ったアメリカが局外中立のため引き渡し保留に

していたこの甲鉄を新政府軍が入手したことが両軍の決定的な戦力差に

なったとも言われてます。

築造の時点から果てしないボタンの掛け違い。

宮古沖ですでに箱館戦争の形勢は決していたと言えます。

1869年(明治2年)4月から5月にかけて、

弁天台場から一本木関門にいたる市内は戦場になります。

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↑土方歳三最期の地碑と一本木関門

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↑弁天台場跡

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↑碧血碑(旧幕府脱走軍の慰霊碑・函館八幡宮裏手)


新政府軍の上陸しての総攻撃に

もはや五稜郭に立てこもる意味はなく、最後に榎本軍は

降伏勧告を受け入れて箱館戦争は終結します。

五稜郭自体の歴史は決して主役級のものではないみたいです。

ちなみにとあるテレビ番組に出演した(復元された)箱館奉行所の館長さん、

タレントさんの「(五稜郭って)なぜこんなところにこんなものを?」

という質問に「諸外国を驚かせるため、日本の実力を見せるためもあったのでしょう」と。

確かに無用の長物を造ってバカですねえ、とは言えませんが、

観光資源として函館はもうすでに元を取ったぐらいに思わないといけませんね。

五稜郭に関するオマケ話はまだあるのですが、

長くなるので別の機会に。

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↑現在の地図で見る函館港から五稜郭まで。開陽丸のクルップ砲の性能(射程4km弱)を知っていた榎本軍が油断していたとは思えませんが…

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2017年08月04日

名所・五稜郭…(4)榎本・土方軍も入城してびっくり!?

五稜郭は江戸時代に大名が造ったお城ではありませんが、

日本百名城に選ばれています。しかし、これは観光地としての

お墨付き、程度のものでしょう。

有名な日本のお城の多くは、敵が攻める気をなくすほどの

執拗かつ堅固な造り、というのが共通点ですが、さて函館の

五稜郭はなぜ洋式城郭で作られたのでしょうか。

もし時間と予算に余裕があって完全な形で築造されたとしたら

歴史は違っていたのでしょうか。

ポイントはそこです。モデルとなったリール城塞はフランスで17世紀に造られた

城郭だそうです。五稜郭築造から約200年前ということになります。

函館のいまの場所に築造することになったのは函館湾からの

砲撃の射程外ということからだったのですが、実際には箱館戦争で

官軍の主力艦、米製の甲鉄からの砲撃が奉行所を直撃し、

旧幕府脱走軍の戦意は一気に喪失したそうです。

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こうした星形城郭のメリットは半月堡で補完することで、

あらゆる角度から迫って来る敵に対して左右双方から挟撃できるという

ことが言われますが、いきなり艦砲射撃を食らったのではお話になりません。

もちろん米製艦砲の射程距離が飛躍的に伸びたということですが、

20年計画を8年に短縮して突貫工事した割にはあまりにお粗末です。

1868年(慶應4年)冬に鷲ノ木(現・森町)に上陸し、松前藩の守備隊を突破して

五稜郭に入城した榎本・土方軍はそのお粗末さに愕然としたそうです。

特に奉行所の櫓は艦砲射撃の目標になったそうです。

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↑甲鉄の砲撃の目印になってしまった奉行所の櫓

遠いヨーロッパの古城を図面を見て具現化した武田斐三郎の実力は

疑いのないところですが、残念なことに

本州の名城とは違い、実戦の役に立たなかった迷城でした。

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↑現在の地図で見る函館港から五稜郭まで。開陽丸のクルップ砲の性能(射程4km弱)を知っていた榎本軍が油断していたとは思えませんが…

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2017年08月01日

名所・五稜郭…(3)時代の混乱に翻弄された悲劇

函館に五稜郭が築造された時代。

それは幕末の激動の時代です。

1853年(嘉永6年)ペリーが浦賀に来航し、

翌年の再来航で日米和親条約が結ばれました。

このときに下田と箱館の開港(和親開港→1855年)が決定。

すぐさまペリーは箱館港の測量にやってきました。

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↑元町公園のペリー像

ペリーが函館に来たの?知らなかった…。

そういう人は多いので別に知らなくても恥ずかしくありません。

このとき病気で命を落とした艦隊員(バンダリア号水兵)のお墓が

外国人墓地にあります。

この時点で箱館奉行は再置されていません。

(第一期は1802〜1821年でロシアの脅威が一応去って、蝦夷地は

松前藩の手に戻っていました)

そこで最初ペリー艦隊への対応は松前藩の応接方が行いましたが、

箱館和親開港の情報が共有されていなかったぐらいで、

その対応は後手後手にまわりました。

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これを受けていまの基坂上、元町公園のあたりに

箱館奉行が再置されました。1854年(嘉永七年)の6月末のことです。

ペリー艦隊が帰国したあと、今度はロシアの使節プチャーチンが

和親条約を求めて来港しました。

プチャーチンとは結果として下田での交渉になりました。

この情勢を鑑みて、就任したばかりの二代目箱館奉行・堀利煕(ほり・としひろ)と

プチャーチンの応接にもあたった後の三代目箱館奉行・村垣範正(むらがき・のりまさ)は

防備の点からも、港からよく見え、外国人の遊歩地に近い

基坂上の奉行所の移転を老中・阿部正弘に上申します。

それがいまの場所に五稜郭が築かれるきっかけとなりました。

ただ当時の幕府は外交問題に加えて、将軍の跡継ぎ問題も抱えており、

開国か攘夷かに大きく揺れている時期。

堀利煕らは五稜郭以外にも港を守る複数の台場の整備も

申し出ましたが幕府の予算はとても不十分で、

五稜郭の築造は当初20年計画だったほどです。

五稜郭の当初の名称は「亀田御役所土塁」

つまり奉行所を収めるための防備だったことがこれでわかります。

奉行以下の100名を超えるスタッフの住居も含めて整備が

必要でした。

五稜郭の設計を担当したのは四国・伊予大洲藩士の学者、

武田斐三郎(たけだ・あやさぶろう)。

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↑五稜郭にある武田斐三郎の顕彰碑。みんなが触るので顔の部分が金ピカ

斐三郎は1855年に函館に入港した

フランス軍艦コンスタンティーン号の将官から提供された

図面を参考に、五稜郭や台場の設計を進めたようです。

参考にしたのは北フランスのリール城塞。

五稜郭の着工は1857年(安政4年)で、

それでも20年計画とはいかず、突貫工事で1864年(元治元年)には

何とか奉行所を移転することができました。

しかしながら五角形の星型のそれぞれの間に半月堡が5か所築かれる

予定でしたが計画縮小により1か所のみに省略されています。

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↑黄色い部分が半月堡で、当初はこれが5か所にあるはずの設計でした。

確かにこうした洋式城郭は非常にユニークなもので、日本国内では

長野県の旧臼田町(現佐久市)に龍岡城があるだけ。

ところが、これだけの労力と経費をかけたにもかかわらず、

この五稜郭の実際の防御力は惨憺たるものだったのです。

形が珍しいだけで大きなるムダというのは言い過ぎですが、

五稜郭にはそうした悲劇的な側面もつきまとうのです。



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2017年07月29日

名所・五稜郭…(2)その魅力を知るために

せっかく函館に来たから有名な五稜郭に行ってみよう、

でも歴史には詳しくないし、どちらかというとニガテ。

そんな人もいると思います。

・五稜郭公園

ということだけだと、単に堀がめぐらされた公園です。

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桜の樹がたくさん植えられていて、

お花見の季節はさぞ素晴らしいでしょう、

そんな観光客の感想も目にします。

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堀の周りの遊歩道をジョギングするのも

いい感じ…。確かに。

っていう城址公園なら日本じゅうに

数多あることでしょう。

季節限定のスポットしてはとても魅力のある場所です。

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↑石垣フェチにはたまらない魅力?石垣フェチ、そんなにいませんね(笑)

箱館戦争が終わってから40年あまりが過ぎた

1913年(大正3年)に五稜郭は公園として

市民に開放されました。

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「五稜郭跡」として

1922年(大正11年)には国の史跡、

1952年(昭和27年)には特別史跡に

指定されました。

ただ五稜郭の魅力は

その「歴史」にこそあります。

箱館戦争の舞台になった場所でしょ?

うーん、それではかなり浅いようです。

何度も映像作品に登場していますから、

間違いではありませんが…。

まずは900円を払ってタワーから

全体を見渡しておかないと

「なぜここにこんなものを作ったんだろう?」

と五稜郭の歴史について興味がわかないと

思うのです。

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実はこの五稜郭の中にはかつては

箱館奉行所をはじめとして

20棟を超える建造物があったのでした。

2010年の奉行所の復元を機会に

土蔵、板庫、板蔵の3棟があわせて復元されました。

しかしながら奉行所として機能したのは

1864年(元治元年)からわずかに4年ほど。

1871年(明治4年)にはほとんどの建物が解体されて

しまいました。

なぜ、この場所に五稜郭が築造されたか。

そしてなぜ奉行所が復元されたか。

なかなか誰もそこに深く踏み込もうとしないのが

残念ですが、そこにこそ特異性があって

面白いと思います。



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2017年07月26日

名所・五稜郭…(1)どこから見るのが正解?

ことしの夏は北海道も暑い。

ちょっと暑い7月過ぎました。

ということで?長期にわたり、

1か月ほど、函館山で推しておきました(笑)。



一にも二にも函館山。三四はあるとしたら五稜郭。

実はなかなかこれが厄介。

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地元の人間にしてみれば、ほとんど気づかない、

意識しないけど、人気の観光名所、五稜郭は厄介です。

観光の皆さんはあまりそこを意識していないかもしれませんね。

・国の特別史跡、五稜郭跡

・五稜郭公園

・五稜郭タワー

おもな観光要素はこの3つ

トリップアドバイザーをコメントなど見てもわかるように、

全面的な支持とは言い切れません。

函館市民にとっては、そんな当然のこと、なのですが

期待しすぎると、ああがっかり。

ということで、きょうからしばしの五稜郭シリーズ、

五稜郭の「魅力」を少し整理してみたいと思います。

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第一回は

「五稜郭をどこから見るか」

大正解は「上空から見る」です。

五稜郭タワーから見る、ではないですよ。

参考までに函館空港に着陸する航空機の左側窓側席から撮った写真と、

五稜郭タワーから撮った写真を比較してみましょう。

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↑上は5月、下は12月です。

着陸する航空機から見える五稜郭はほんの十秒程度。

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↑上は11月、下は1月です。

タワーからなら「900円」の入場料を払っていますから、

好きなだけ見れますね。午前中に行かないとこうしてタワーの影が映り込む可能性大。

でも、あの独特の五角形を真上から見ることはできません。

BS-JAPANの「空から日本を見てみよう」のオープニングでいつも出てきて

いますが、真上から見る五稜郭がいちばん贅沢。

ただし一般観光客には不可能です。

空港への着陸時も、着陸コースによっては近くを通りませんし、

左の窓際を確保できていないと楽しめません。

(離陸時の右側席は函館山に向かって離陸しても、

市街地上空を飛ばずに津軽海峡上へ左旋回することがほとんど)

そうなると肉眼で、この絵面を見るのに

900円が高いかどうか、という話になります。

トップシーズンにはタワーに昇るエレベーターも行列が長くなることは

珍しくありません。

まずここを割り切らないと、最終的に函館、五稜郭…

まあこんなもんでしょう、という結論になってしまいます。

函館市民が五稜郭タワーにのぼらないのはそのせいです。

2006年に古いタワーから新しいタワーになりましたが、

いまだにのぼったことがない、という声を聞きます。

つい最近も初めてのぼった、という声を聞きました。

かくいうブログ主も10年間でわずかに3回ですからね。

そんなもんです。

というわけでビジュアル、絶景にこだわるとすると、

場合によっては900円のタワー入場料は高い、という話に

なります。

しかしながら、五稜郭にまつわる幾多の悲劇を理解しようと

するなら、最低限この900円は必要経費であることは

断言しておきましょう。




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