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Y.Kitashiro
豊かな観光資源と自然に恵まれた港町・函館。まだ訪れたことのない人も、また行きたいと思っている人も、もっと街を楽しめるディープ?な情報を発信中!
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2017年03月20日

【函館の歴史ダイジェスト】(6)コンクリート寺院と和洋折衷住宅

函館の街を流れた時間を駆け足でなぞります、の第六回。


建築の年代だけを見ていくなら、

景観上のインパクトは弱いものの、

洋館や煉瓦造りの建物以外にも古い構造物が

函館には残っています。

有名なのは重要文化財に指定されている

真宗大谷派函館別院(東本願寺)。

151019betsuin.JPG

明治40年の大火の後、鉄筋コンクリート造りで

再建された仏教寺院です。

竣工は1915年・大正4年。

当時は仏教寺院が鉄筋コンクリートはそぐわないと

かなり物議を醸しだしたとか。

観光スポットとしては、イマイチ感がぬぐえないといえば

これ。現存する日本最古のコンクリート電柱。

1923年・大正12年製です。

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こういう形でこういうものが残っちゃうところが

函館、とも言えるかもしれません。

ほかにも函館には

不思議なデザインの家屋がたくさん見られます。

すべてが建築当時のまま残されている古民家ばかりでは

ありませんが、それは一階が和風で二階が洋風という

和洋折衷の建物です。

150929wy_laconcha.JPG

ただし見かけ上は二階が洋風でも

内部は和室だったりします。

これはそもそも開拓使長官でもあった

黒田清隆が、函館港に入港する外国船を意識して、

ロシアのウラジオストクを模したモダンな街並みを

奨励したから、と伝わります。

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そこで函館港に入港した船から見渡すと、

函館の街は

たくさんの洋風の建物が立ち並ぶ街に見えた、

ということです。

もしかしたら、函館市民の「いいふりこき」(ええかっこしい)

の気質はここから来ていたりして(笑)

これらの古い建物は伝統的建造物の指定を受けるなどして、

景観保存に貢献しているということになります。



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2017年03月17日

【函館の歴史ダイジェスト】(5)雰囲気のある煉瓦建築

函館の街を流れた時間を駆け足でなぞります、の第五回。



火事の多い街、ということで函館は

耐火建築が発達しました。

その代表的なものが煉瓦造りの建物です。

代表的なものは港に面し

いまではショッピングエリアになっている

ある金森倉庫群。

150812kanemori_yama.JPG
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明治40年の大火で被害を受け、その後

煉瓦造りで建て直されました。

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金森倉庫近くにある「はこだて明治館」も

煉瓦造りです。函館郵便局として1911年・明治44年に建てられました。

150922chukakaikan.JPG

同じころ、建てられたのがこの中華会館。前回紹介した弥生小学校の筋向い、

東坂を港へ下りる途中の右側にあります。1910年・明治43年築。

清朝の建築様式ですが、煉瓦造りになっています。

旧函館区公会堂のすぐ近くにある

旧開拓使の書庫、この建物も煉瓦造り。

150923shoko.JPG


こちらは明治40年の大火を生き残った建物で

旧金森洋物店と同時期の古さ。

1874〜1876年に茂辺地(現在の北斗市)にあった開拓使の

煉瓦製造所で作られた煉瓦が使用されています。

このほか船見町の高龍寺の防火塀も煉瓦造りです。

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仏教寺院に煉瓦塀というマッチングが函館らしい

ように思います。

間違いなく煉瓦造りの建物も歴史ある街並みの

アクセントになっているでしょうか。




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2017年03月15日

【函館の歴史ダイジェスト】(4)明治・大正期の古い洋風建築

函館の街を流れた時間を駆け足でなぞります、の第四回。


函館イコール異国情緒あふれる街並み、

歴史ある建造物…というイメージが強いと思います。

その異国情緒の核になるのが、

前回紹介したロシア正教のハリストス正教会、

フランス人宣教師のひらいたカトリック・元町教会、

そしてイギリス聖公会の聖ヨハネ教会の3つの教会という

ことになります。

港が開かれて外国人宣教師が布教のために函館にやってきました。

教会と並んで居留外国人の名残を示すのが、

旧イギリス領事館、そして旧ロシア領事館です。

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前者は1913年・大正2年に、後者は1908年にいまの場所に再建されて

います。

どちらも1907年・明治40年の大火で一度失われています。

なお旧アメリカ領事館は建物としては残っていません。

これも大火やその他の理由で移転が多かったせいのようです。

一時期、現在の弥生小学校の場所にあったということで掲示がありますが、

どうやら転々としたようです。

DSCF7359.JPG
↑市立弥生小学校…明治40年の大火直前には石川啄木が代用教員を務めていた
歴史ある小学校ですが、老朽化のため、数年前に改修。このあたりにアメリカ領事館が
建っていた時期もあるようです。


旧イギリス領事館、旧ロシア領事館と近い時期に建てられたのが、

重要文化財としても有名な旧函館区公会堂です。

こちらも1907年・明治40年の大火で焼失した町会所に代わる

函館のシンボリックな建築物として、贅沢に造られました。

竣工は1910年・明治43年のことです。

150917kyukokaido_night.JPG

皇太子時代の大正天皇がここに宿泊しました。

ということで、函館の歴史を示す建物の多くは、

この明治40年の大火のあとに建てられた建物で

その後の大火を生き残った100年ちょっとの古さの

ものが大半です。

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↑旧函館区公会堂と同じ村木甚三郎が手掛けた大正中期の建物「大手町ハウス」(登録有形文化財)

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↑大正15年築の旧日本銀行函館支店(現北方民族資料館)

大火を逃れて残っている建物の多くは何らかの形で改修され再利用されているようです。




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2017年03月13日

【函館の歴史ダイジェスト】(3)各国の教会が残る街

函館の街を流れた時間を駆け足でなぞります、の第三回。



奈良・京都をはじめとする日本を代表する古都と比べても、

函館の歴史が浅いのは当然のことですが、

明治以降、開拓使が置かれて開けていった

北海道のほかの場所よりは、開港という歴史を持つ

函館の街は多くの経験をしていると言えます。

その象徴がいくつもの教会や旧領事館です。

残念ながら函館は大火の多い街で、

特に大きなものだけでも、明治11年、12年、40年、

大正10年、昭和9年と転換点になる火事が

何度もありました。

そのため開港当時の建物がほとんど残っていません。

もっとも古いもののひとつが1880年、明治13年建築。

明治12年の大火の後に建った旧金森洋物店(末広町)です。

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古いと言われている建築物の多くは明治末期以降の建物です。

また耐火性を考慮しレンガ造りの建物も多く残ります。

函館の街の醸し出す、異国情緒の根源は

まさにこの明治から大正にかけての街並み

と言えるでしょう。

ということできょうは

観光スポットとして有名な

ロシア正教の聖ハリストス正教会

(聖堂は重要文化財・1916年・大正5年再建)、

フランス系のカトリック元町教会

(1924年・大正13年補強修理)、

イギリス聖公会系の聖ヨハネ教会

(現在の建物は1979年・昭和54年築)。

3教会のビジュアルを紹介しましょう。

↓ハリストス正教会、カトリック元町教会、聖ヨハネ教会
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この3つの教会が狭いエリアに寄り添うように

建っているのは火事によって街並みが整理された

影響もあるようです。

最後は函館山から俯瞰してみるとよくわかります。

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2017年03月08日

【函館の歴史ダイジェスト】(2)動乱の幕末…開港から箱館戦争へ

函館の街を流れた時間を駆け足でなぞります、の第二回。



ペリー来航の直後、幕府は再び蝦夷地を

直轄とし箱館奉行を設置。

これは和親条約締結により諸外国との応接の必要が

生じていたためです。

ただこの奉行所は港からよく見える場所にあり、

しかも背後は箱館山から見下ろせる位置にあったため、

港から離れた安全な場所へ移転することになります。

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↑いまの基坂、元町公園内にある奉行所の痕跡

このとき奉行所を守る土塁として築かれたのが

「五稜郭」です。

幕末の混乱の中、1864年、五稜郭は突貫工事の末、

完成します。

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↑五稜郭跡と復元された箱館奉行所

しかし、その後4年たらずで大政奉還が起こり、

箱館奉行は廃されます。

そして1868年初めには鳥羽・伏見で戊辰戦争が勃発、

北上を続けた旧幕府脱走軍はその年の冬、蝦夷地へ

上陸します。

そして雪融けを待って新政府軍との戦い、箱館戦争

が起こるわけです。

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↑箱館戦争で命を落とした土方歳三の碑

ペリー来航から箱館戦争終結までが

またひとつの区切りと言えるでしょう。

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↑五稜郭と同時期に築造されたのが弁天台場。ここも箱館戦争の舞台でしたが、
明治期に解体。石垣がわずかに漁港の一角に残っているだけです。
市電・函館どつく終点すぐの児童公園の一角にこの掲示板があります。




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2017年03月06日

【函館の歴史ダイジェスト】(1)高田屋嘉兵衛そしてペリー来航

函館の歴史を語る場合、

まずこの「函館」という地名はどこから来たのか、という話になります。

通説では15世紀に津軽の豪族・河野政通(こうのまさみち)がここに「館」を築き、

その形が箱に似ていることから「箱館」と称するようになった、

となっています。

ただ、明治になって以降「函館」という記述も見られ、

しばらく併用されたのち、函館に落ち着いたようです。

ちなみに市制がひかれたのは1922年(大正11年)。

それまでは「函館区」と呼ばれた時代が40年余り続きました。

蝦夷地(いまの北海道)に和人がいつ頃住みついたのか、ということに関しては

河野政通以前の14世紀にすでに痕跡が見られますが、

港町としての発展は17世紀にまず松前藩が成立してからのことです。

ただ18世紀末まで箱館は松前、江差と並ぶ港のひとつでした。

18世紀末、ロシア人の南下により、江戸幕府は蝦夷地の大半を

直轄とし箱舘奉行を置きます。そして領土を確保する意図から、

商人・高田屋嘉兵衛に択捉(えとろふ)までの航路を開拓させました。

嘉兵衛は蝦夷地から日本海航路を通じて、兵庫(いまの神戸)まで、

物資を流通させ、財を成しました。

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↑護国神社の坂の途中にある高田屋嘉兵衛像

このとき嘉兵衛は箱館を拠点に商売をしたため、

港町としての箱館が発展することになったのです。

その後、蝦夷地はいったん松前藩に返されますが、

1853年のペリー来航で、一気に歴史が動きます。

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↑元町公園下にあるペリー像

翌年、日米和親条約が結ばれると、早速ペリーは

箱館港の測量にやってきました。

最初は食料・水の補給のための開港でしたが、

1858年の日米修好通商条約により、

箱館は翌年から国際貿易港として、長崎・横浜とともに、

開港します。

幕末の動乱をよそに、函館には怒涛の勢いで

外国の文化が流れ込んできます。

まずは、ひとつめの区切りが

高田屋嘉兵衛の活躍。

次の区切りがペリー来航ということになるでしょうか。


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2017年03月01日

函館の街を流れてきた時間を思いながら…

本ブログでは、観光都市函館の魅力を

さまざまな角度から

取り上げていこうと考えています。

ここまでは「客観的」視点ということを意識して

歴風会の選定した原風景を14回にわけてピックアップ

してみました。

1984年から始まって34回にわたって登場した中から

セレクトした14回(正確には16回)は、

とくに自分の知っている範囲で

「確かにその通り」というものばかりでした。

ただ、地元民にとって印象深い街の風景=観光客にとって心に染みる風景

かどうかは100%は一致しない気がしたのも事実です。

そのわずかなズレとは、その風景を繰り返し目にした

時間の積み重ねがそれぞれ市民の原風景だからです。

やはり観光客にとっては

わかりやすいインパクトが最優先でしょう。

その意味ではここで紹介しなかった原風景は

・自分にとってはおすすめの優先順位が低い

・規定が抽象的

・地理的に函館の中心から少し外れている

などの理由で、「ほら」とここでお見せできる写真が

即座に出てこなかったというものばかりです。

例えば1987年の「石垣のある街」は非常に抽象的です。

当時はそこから個々でイマジネーションがふくらむように

選定したのかもしれませんが、さすがにこれは函館じゃなくても、

いろんな街で当てはまりますからね。

1988年の「町屋と路地のある風景」や1989年の「鐘の鳴る丘」

というのも抽象的なニュアンスに満ちています。

なにはともあれ原風景がどうであろうと、

地形的要素、歴史的要素のユニークさこそが

函館の街の魅力であることは間違いありません。

そこで次回からは観光スポット的な優先順位ではなくて、

函館に歴史あり、な建築物などを中心にした展開を試みてみようと

思います。

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(写真上から外国人墓地、旧東浜桟橋、函館市電ハイカラ號、旧丸井今井百貨店と函館山)

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2017年02月23日

歴風文化賞に見る函館の原風景(14)函館の夜景

ようやくここで中締ということになりました。

●2013年…函館の夜景

いわずもがなですね。

さすがに原風景シリーズも30回を超えると、

ネタが尽きるというか、多くの市民に共感を得るとするなら

微妙なセレクトになってきます。

きっと個人個人で原風景はもっと他にもあるのでしょうが、

まあそこは難しいところです。

さすがに「夜景」は異論がないでしょう。

メジャーすぎて見落とされていた?

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もしこれを函館「山から」の夜景、

とするなら厳密な意味での原風景ではありません。

いくら函館市民でも

山からの生夜景は毎日見るものではありません。

でも歴風文化賞は「函館の夜景」。

とするのは、きょうは「夜景見えるかな」と

視線を送る山頂の灯りもそうですし、

ベイエリア地区のライトアップも夜景と言えるので、

広範囲ですね。

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まあまあともかく

「これが函館だ」というか

「これは函館だ」という街の風景が

こんなにあるとは、自分でもピックアップしてみて

驚きました。

地形的要素、歴史的要素…。

ほんとうに函館は盛りだくさんだと実感しています。



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2017年02月21日

歴風文化賞に見る函館の原風景(13)護国神社坂と高田屋嘉兵衛像

きょうは

●2012年…護国神社坂と高田屋嘉兵衛像

護国神社そのものはさほど足を向けないのですが、

護国神社坂は見下ろしても見上げても

とても馴染んだ場所に思えます。

150819_17gokokujinjanosaka1.JPG

坂上から見下ろすと坂は海へ向かうのではなく、

市街地の中央部にゆるやかに消えていきます。

右手に大森浜が見え、御殿山山頂からの眺めに準じて

函館の地形がよくわかるアングルです。

それもそのはず。

150819gokokujinja.JPG

坂を下りて見上げると、神社の真後ろに函館山が

控えていますからね。

そしてこの銅像。

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高田屋嘉兵衛像。函館の街の発展の礎を築いた、

淡路島出身の商人です。

司馬遼太郎の「菜の花の沖」でも有名。

小学生の頃、函館山へ登山遠足をするときは

この嘉兵衛像下へ集合でした。

160425threeshot.JPG
↑坂下から函館山と銅像と鳥居をワンフレームに収めてみました。

銅像は1958年の函館開港100年を記念して

造られたそうです。

制作者は梁川剛一で基坂の下にある

鳳凰像も彼の作です。

原風景としてこのタイミングで登場するのは、

ちょっと意外です。

ちなみに高田屋嘉兵衛の視線の正面には

彼の立派な屋敷があったのだそうです。




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2017年02月18日

歴風文化賞に見る函館の原風景(12)基坂

きょうは

●2011年…基坂(もといざか)

かつて坂下に里数を測る里程元標が建てられていて、

基坂と呼ばれたようです。

坂の上には、松前藩の番所や箱館奉行所、渡島支庁などの

役所があり、お役所坂とも呼ばれていました。

現在は明治43年に竣工した旧函館区公会堂が

シンボリックに建っています。

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原風景という意味での「坂」のビジュアルとしては、

視線の先に摩周丸が収まる「八幡坂」には勝てない気がしますが、

基坂の周辺には観光スポットが多く、

基坂界隈こそが原風景と言い換えれば納得できるところです。

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八幡坂と違って、見下ろすよりは見上げる感じが

イメージでしょうか。

120102motoizaka.JPG
↑坂下の鳳凰像は明治天皇の上陸記念の地ということで1939年に造られました。

ただ昼間は函館山を背負って逆光になるので、

午前中早めがおススメです。

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↑坂下から向かって右側にペリー像、その向かい、左側に旧イギリス領事館があります。


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