2011年05月29日
原子力神話からの解放(高木仁三郎) 感想
本書は2000年には発売された本を
文庫化したものです。
本書の著者は亡くなっていますが
ここに書かれていることは10年たった今でも
問題は何も変わっていないと思います。
本書では「2010年にかけて、運転開始から
30年がたつ原発が増えていくので
そういう時代に大きな原発事故が起こる可能性が高い」
と書いていてそれがぴったりと当たっているので
正直驚きました。
人生のんびりさん >どこかで日本は共通語がないというのを見ました。 これは言葉の意味が明確に決まっていないことだと思います。 言われてみれば確かに。。 相互リンクありがとうございます。 こちらも作成しておきましたよ。 |
人生のんびりさん 回答ありがとうございます。 最初に、超しょうもないへりくつ。 >ただ、先進国で日本は異質という感じはします。 そりゃー、日本以外の先進国は 西欧、北欧、北米の歴史的につながりのある国しかないもん。 さて、 日本について、とりあえず、まじめなのが特徴ということで、 ひとつの結論にたどり着きました。 (まじめの一言だけで語れるほど、日本は単純じゃないけど) 今後は、「日本」と言う言葉の使われ方、意味に注意して いきたいなぁと思ってます。 自分のコメントにお付き合いいただき、ありがとうございます。 また、今後ともよろしくということで相互リンクをしたいのですがよろしいでしょうか? |
人生のんびりさん 回答ありがとうございます。 >震災中でもニュースとかで 他の国が「日本人はあのような状態でも暴動を起こさない」 という理由で賞賛されていました。 >日本人は真面目だと思うので 被災している方もあのような状況でも その美学を頑なに守っているのだと思います。 良くも悪くもまじめなのは日本の国民性と言っていいかと思いますね。 >>「貧しくともみな幸せそう」な社会は、 古今未曾有ではなく、世界中を探せばあちこちにある気がするんですけど。 >これは発展途上国など探せばあると思いますが 現在先進国ということで日本が目立つという理由で注目 されているのではないかと思います。 先進国は貧しくないはず。 |
人生のんびりさん そうですか。。 自分としては違和感を感じてしまう点がちらほら。 >個よりも公、金よりも徳、競争よりも和、主張するよりも察する、 憶測や「もののあはれ」まどを美しいと感ずる我が文明は、 「貧しくともみな幸せそう」という、古今未曾有の社会を作った文明なのです。 自給自足していて、とりあえず食うものに困らず、 戦争に巻き込まれず、村の中でも大きな対立がなく、 昔ながらの伝統を守り、自然に感謝し・・という、 「貧しくともみな幸せそう」な社会は、 古今未曾有ではなく、世界中を探せばあちこちにある気がするんですけど。 そもそもの間違いは、 日本の誇り=日本は世界一の社会だ(文明だ、精神だ) という、何か世界一のものを担ぎ上げなければいけないと考えたことだと思います。 肩肘張らずに、 「俺はこの村で育った。都会に行けばここにはない色々なものがある。 でもこの村が好きだ。俺にとってこの村よりすばらしいところはない。」 くらいで誇れればいいのではないかと思います。 (自分は自分の出身地すら誇る気がしないのですが) >だから、「がんばろう日本」は、被災者にとっては キツイ言葉かもしれませんが和を大切にする 日本ではピッタリかもしれません。 この点は納得しますね。 この言葉は許せないですけど。 |
人生のんびりさん リンクが失敗してしまった。。 もう一度書きますので、すみませんが、先に書いたやつは削除をお願いします。 Mr.Tさんのお返事に対して、そうだなあと思うところもあるし、いや、こうだろと思うところもあるんですけど、 論点がぼけてきたので、細かいところは置いておいて、勝手ながら最初の質問に戻りたいと思います。 自分は、Mr.Tさんが日本人の誇りの書評で日本について書かれたのを読んだんですけど、 Mr.Tさんという人は「日本」というのをどういう意味で使っているのかな?と思ったので、 原発事故と「がんばろう日本」を例えにして、「Mr. Tさんは「日本」についてどう思われますか?」と書きました。 これまでのやり取りで、日本の国民性としてあげられるキーワードはいくつかあったと思います。 ・「がんぱろう日本」は直接被災者には言えない、が、なぜか多くの国民は納得してしまう。 ・仕組みを変えようとしなかった気質。 ・被災者に対しては募金やボランティアで支援する。 ・国政に対して、国家の主権者としての責任は感じていない。(と、人生のんびりは思う) ・難しいことは上の人に決めてもらいたいと思う。 結局のところ、 日本ってなんなんでしょう?? |
人生のんびりさん 自分のコメントをわざわざ取り上げていただきありがとうございます まず、原発&行政組織としての日本について、 >大手メディアの情報はをそのまま信じていては 原発に対する危機感は普通はそこまでなかったと思います。 それは確かにそう思います。 でもだからといって、「俺はだまされた」と 被害者ぶることが許されるとは思えません。 >今回の原発事故も今までの「仕組みを変えようとしなかった気質」が 原因になっていたと思います。 ただ、仕組みを変えるにしろ総理大臣などのトップが 決断をしなくてはいけないので、個人的には 総理には決断力が正直足りないと思います。 ここは自分の思っていた論点と違うんです。。。 「仕組みを変えようとしなかった気質」が原因だと、自分も思うんですけど、 国家の主権者として国民一人ひとりが、政治に関心を持って、 「政治の話なんか面倒だ」と言わずに、身近な人とでも、ネット上でも、 議論をしていくことが重要だと思うんです。 国民が「政治の話なんか面倒だ」と思っている間は、政策を戦わせる選挙はできないでしょう。 当然総理もろくな人が出ないと思います。良くも悪くも国民の代表なので。 続きまして災害と故郷的な意味の「日本」について、、 >「がんぱろう日本」については (中略)直接被災者には言えない言葉でしょう。 でも、これのおかしさに、誰も気づかないのが不思議です。自分は。。 >ただ、コレについてはボランティアとかの個人が どうこうできる問題ではないように思うので ここでもトップの決断が試されるのではないかと 思っていますが、ちゃんと決断できてないように感じるのが 個人的な意見です。 なんでまたトップの問題になるのかなぁ^^; トップは、「いついつまでに何々をつくり、いついつを目標に町を再建します」と 政策の話しか言えません。 大きな被害を受け、深い悲しみを背負う人に対し、 その悲しみを共感することすらできない私たちはどう向き合えばよいのか、 この問題は個々人で考える問題だと思います。 その問題を「がんばろう日本」に押し付けてしまっていることが、問題だと思います。 もしかすると、国民一人ひとりが向き合うべき問題を、 マス(マスコミ、日本政府、故郷的な意味の日本)任せにしたことが問題で、 その点は変わっていないのかも。 |
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